それは思いがけない出会いでした
「チッ、思っていたよりもずっと早い到着ですね。さすがは幻獣人といったところでしょうか」
ルチオがバッと後ろに振り向き、剣を抜いた。え、待って、この人宰相なのに剣も使うの? 当然、一緒に来ていた兵士たちも臨戦態勢をとっている。
「ふん、大方アンドリューが案内でもしたのだろう。まぁいい。目的地はもう目の前だ。さぁ、エマ! こちらへ来るのだ!」
「きゃ……!」
これまで穏やかだった王様が急に険しい表情で私の腕をグイッと掴んだ。い、痛いし怖い……! シルヴィオたちが来て焦っているんだ。それはなぜ? 前聖女に会うことは、私たちにとって良くないことなの?
「エマ様ぁぁぁぁ! いたら! 返事を! してくださぁぁぁぁい!!」
単語ごとに激しい衝撃音が聞こえてくる。待って、シルヴィオ? 一体何をしているの?
い、いや、気にしないでおこう。それよりもここは返事をしないとだよね? 居場所を伝えなきゃ!
「し、シルヴィオ! 私はここに! 地下にっ、きゃ、あ……!?」
「大人しいからと思えば、この女……!」
本性が出てますよ、王様っ! いくらなんでも力任せに引っ張るのは紳士的じゃないです!
「い、痛いですっ! は、離し……!」
「つべこべ言うな! 追い付かれるだろう! いいから早く、あれを解放するんだ!」
「かい、ほう……?」
ますます余裕のなくなってきた王様が意味の分からないことを言う。あれを解放、って何? どんどん嫌な予感ばかりが募っていく。
「お前は鍵の聖女なのだろう? 錠の聖女の封を解けるのはお前だけなのだ! さぁ、ヤツらが来る前に早く!!」
「うっ……!」
王様は乱暴に私を扉の向こう側へと押しやった。思い切り振り回された形になったので、バランスを崩して地面に倒れ込む。色んな所が痛い。
「さぁ! 見ろ! お前が会いたがっていた前聖女、錠の聖女マリエだ!!」
「え……」
床に這いつくばった状態で顔を上げる。そこはただ広い空間となっていて、中央に祭壇のようなものがあった。
その祭壇の上にはとても大きくて黒い水晶が浮かんでおり、なんだか禍々しい雰囲気を醸し出している。
黒い水晶には影が見えた。大きいのと、小さいのと……。たぶん小さい方は人型で、私たちと同じくらいの大きさだ。大きい方は幻獣型になったカノアのドラゴンや、マティアスのリヴァイアサンくらいはある。もしかしたらもっと大きいかも。
ここからじゃ、遠くてうっすらとしか見えない。黒い水晶だから内部も暗いし……。たぶん、小さい人型の方が王様の言う前聖女なのだろうけど。それじゃあ、大きい方はなんなの? 奇妙で不気味な大きい影は一体……?
「来いっ!!」
「いっ……!」
呆然と地面に座り込みながら見上げていたからか、業を煮やしたらしい王様に無理矢理立たされる。さっきから引っ張られ続けている腕がそろそろ千切れると思います! 痛いってば!
しかし、怖くて言い返すことも出来ないので泣き寝入りです……!
グイグイと引っ張られ、黒い水晶の下へと連れて行かれる。近付くにつれてだんだん水晶の中も見えるようになってきた。
大きい方の影は、近付いても黒くて大きな影でしかない。猛獣か、野獣か。形もよくわからなくて本当に奇妙な影の塊といった感じだ。
一方で、小さい人影の方はだんだんとその姿がハッキリと見えるようになってきた。黒く濁った水の中にいるような状態だけど、正面に回るとそれが女性だとすぐにわかる。そして、その顔も。
バリィィィンッ、と脳内で何かがはじける音がした。
錠の聖女と呼ばれた前聖女。彼女は黒い水晶の中で手を胸の前で組み、目を閉じて苦悶の表情を浮かべている。間違いなく背後で彼女を取り込みかけている黒い影のせいだろう。
これが前の聖女だとか、どうしてこんな状態なのかとか。疑問に思うことはたくさんある。だけど、今の私はそれ以上に衝撃を受けていた。
だって。だってあの人は……。
「エマ様ぁっ!!」
シルヴィオの声が近くで聞こえた気がした。でも私は振り返ることが出来なかった。目の前の存在が、信じられなくて。
「おねえ、ちゃん……」
掠れた声で呟く。間違いない。お姉ちゃんだ。私にずっと寄り添い続けてくれた、唯一の味方。
水晶の中で苦しそうに祈る前聖女は、私のお姉ちゃんだったのだ。
「チッ、ルチオも兵士も何をしているんだ!? おい、聖女! 早く封印を……」
「……おい。誰の許可を得てエマ様に触れようとしてんだ?」
突然、目の前を王様が飛んだ。そう、飛んだのだ。あまりにも衝撃的な光景だったのでハッと現実に引き戻される。
「エマ様っ! ああ、腕がこんなに赤く……! 申し訳ありません、全てオレのせいです! 一瞬でも貴女から離れてしまったオレのミスです! どんな罰でもお受けしますが、今は早くここから出ましょう!!」
王様はどうやら目の前で私の前に膝まづくシルヴィオが蹴り飛ばしたのだろうことがわかった。
……王様って結構、大柄だよね? アンドリューと同じ竜人だし、強いはずだよね? というか、ドアの前にいたであろうルチオや兵士たちは……い、いや。なんとなく察した。聞かないでおこう。
シルヴィオは私の返事を待たずに「失礼します」と声をかけるとグンッと私を抱き上げた。わ、わ、待って! まだ、帰れない!
「シルヴィオ、待って! あそこに前聖女が……! 黒い水晶の中に!」
「え……?」
私が必死でシルヴィオの胸元の服をグイグイ引っ張ると、ようやく彼は振り向いて水晶を見上げてくれた。私しか目に入っていなかったらしい。し、視野を広げようね……?
「た、確かに、あれはマリエ様です! で、でもなぜこんなところに!? だってマリエ様はオレを封印した後、に……? お、おかしいですね。思い出せない……?」
「え……」
どういうことだろう。シルヴィオは難しそうな顔で首を傾げている。封印されている間に色々と忘れてしまったのかな? でも、解放した時にはそんな素振り見せなかったし……。
「ま、待て……! 解放しろ! 聖女エマよ! マリエを解放したいだろう!?」
シルヴィオの動きが止まったのを見て、フッ飛ばされた王様がよろよろと立ち上がりながら叫ぶ。
前聖女の解放、を……? そう、そうだ。解放してあげなきゃ。だってあんなに苦しそうなんだもの!
私がシルヴィオの腕から下りようと身じろぎした時、ギュッとより強く抱き締められる。
「シルヴィオ! 離して! 解放してあげなきゃ!」
「……ダメ、です」
慌てて主張したものの、シルヴィオからの返事はノーだった。前聖女のことも、とても大切に扱っていただろうシルヴィオが、なぜ……!?
「っ、とにかく! 今はここから脱出します! 急ぎますよ!」
「ま、待って! なんで……どうして!?」
シルヴィオは今度こそ真っ直ぐ出口に向かって走る。どんどん遠ざかっていく黒い水晶。私は思い切り手を伸ばして叫んだ。
「い、嫌……! 置いていけない! だって、あれは! お姉ちゃんなの!」
「!?」
一瞬、シルヴィオが肩を揺らす。それでも走るスピードは落ちてくれない。
「やだ、やだ……! お姉ちゃん! お姉ちゃん!!」
「エマ、様……! 申し訳、ありません……!」
抱える力をさらに強めたシルヴィオは、あっという間に王宮の外へと駆け抜けていく。私はもう何が何だかわからなくて、ただシルヴィオにしがみ付いて俯くことしか出来なくなってしまった。




