記憶:3
「エマ! 誕生日おめでとう!」
あの子が私の誕生日を祝ってくれている。
これは、何歳の時の誕生日だったかな……。思えばあの子は、あの子だけは、私の誕生日を毎年かかさず祝ってくれていたよね。
「ごめんね、なかなか会いに来られなくて。でもね、知ってる? 私はあと数年で成人なの。大人よ、お・と・な! 数年なんてすぐよ、すぐ。ふふっ、このケーキは大人の予行練習なの」
数年で成人……。じゃあ、最近のことかな?
あれ、あの子と私は同い年だったっけ。……違った気がする。確か、あの子の方が年上。
「自分で働いて最初に稼いだお金で買ったのよ。アルバイトだけど……ずっとこうするって決めていたの!」
あの子は嬉しそうに手に持っていた白い箱を床に置き、そっとあけた。
中には小さいホールのイチゴショートケーキ。『エマ 誕生日おめでとう』というチョコのプレート付きだ。
すごく嬉しくて胸がいっぱいになるとともに、本当に貰っていいのかと戸惑う気持ちがあった。だって、自分の誕生日ケーキなんて初めてだったから。
なんだかいけないことのような気がしてなかなか手が出せなかったな。
あの子はプラスチックのフォークを私に差し出して、自分も一緒に食べていい? と舌を出して聞いてきた。ホールケーキを切らずにつついて食べるのが夢だったのだとか。
すごく有名なケーキ屋さんの人気商品だから、絶対に一緒に食べたかったのだ、とキラキラした目で言われては、私も断ることは出来なかった。
恐る恐る口にしたケーキは、すごく、すごくすごく美味しくて……。いけないことをしている気はしたけれど、とても幸せなひと時だった。
「エマはさ、自分が犠牲になることを気にしなさすぎなんだよね。それはエマの優しさで、良いところでもあるよ。だからね、無理に変わらなくてもいい。これからは私がエマのことを守るから!」
ケーキを食べながら、あの子は突然そんな話をし始めた。嬉しそうにケーキを頬張ったかと思ったら、急に真剣な顔になったからちょっと驚いたのを覚えてる。
「エマはえらいよ。きっと、逃げられる状況になっても最低限の恩を返そうって思っているんでしょ。ここまで育ててもらったって貴女は言うけど、私から見れば最低ラインにも届いていないのに。っていうか、あの人たちが恩を押し付けているだけだからね? エマはもっと、幸せになる権利があるんだから!」
私が、えらい?
……ううん、違う。私は、誰かに指示されないと動けないだけ。働ける年齢になったらお金を家に入れなさいって、そう言われているから、それを守るだけなの。
「それでいいの!? エマはエマの人生を送るべきよ! これは洗脳だわ……!」
言っている意味が、よくわからない。
私の人生って、何? どうしたらいいのか、わからないんだもの。自分が何をすべきなのかわからない。
指示をしてくれないと動けない。だって、勝手な行動をしたら罰を受けるもの。
私はただの臆病者なの。罰を受けるのが嫌で、逃げているだけの卑怯者。
ああ、ごめんなさい。口答えなんてするつもりなかったのに……。
貴女はえらいって言ってくれたけど、私、褒めてもらおうだなんて、思ってない。思わないから、どうか罰だけは……!
「……っ! ごめん、ごめんねエマ。勉強で忙しいからってなかなか会いに来られなかったからいけなかったんだわ。心が成長する大事な時期だったのに……!」
あの子がギュッと私を抱き締めて、私の言葉を遮った。
……ああ、そうだ。私はただの人形。
言われたことをただ聞いていればいいだけの人形だった。
余計なことを言えば殴られるし、疑問を口にすればやっぱり殴られる。
わからないままで何もしなかったら、やっぱり殴られて、その日のご飯がなくなってしまう。狭い物置に閉じ込められてしまう。
そんな生活を送っていたんだ。それが当たり前の生活だった。
でも、あの子はそれが普通だと思わないで、と泣いていた。自分がここから救い出すって。
でも、その時の私にはそれがどういうことかも理解出来なかったんだよね。
「エマ。今の私じゃ、このまま貴女を連れ出すことは出来ないけれど……。成人したら、その時は絶対に一緒に暮らしましょ! 大丈夫、私がお母さんを説得するから! それに、これからは毎週必ずエマと過ごす日を作る! 約束!」
それから二年後、だったかな。あの子は本当に私をあの家から連れ出してくれた。
私をちゃんと学校に通わせるために、朝から晩までヘトヘトになるまで働いて、それでも笑顔を絶やさなくて。
美味しいご飯。温かなお風呂。フカフカのお布団。安物だけど新品の洋服。笑顔溢れる時間……。
幸せな生活というものがどういうものかということを、あの子は少しずつ教えてくれたんだ。
こっちが当たり前なんだよって、教えてくれたんだ。
それでも、すぐに馴染むことは出来なかったけれど、あの子は根気強く向き合ってくれた。
自分だって、大変だったはずなのに。
「あ、エマ? まーた私のことをちゃん付けで呼んだなぁ? それも嬉しいけどさ、お姉ちゃんって呼んでって言ったでしょ? ずっとそう呼んで欲しくて我慢していたんだから。あーあ、仕事で疲れたお姉ちゃんの小さなお願い、聞いてくれないのかなぁ?」
「お、お姉ちゃん……!」
「えへへっ。嬉しい! よく出来ました!」
それだけのことで、ものすごく喜びながら私の頭をそっと撫でてくれた。
ああ。やっとだ。やっと見えた。
あの子の、お姉ちゃんの、顔……!