ようやく対面出来ました
激オコなマティアスを前に私はビクビクとその様子を窺う。今、下手に口を挟んだらいけないって本能が言っているので!
そして、数秒後に目を細めて行方を追っていたマティアスが視線をそのままに口を開く。
「追うわよ。アイツは空を飛べるわけじゃないし、あれは突風の力で飛んでいっただけだから。そう遠くまでは逃げちゃいないわ」
「は、はい。あの、でも居場所わかりますか? あっちの方は隠れる場所が多そうですけど……」
どのみち追いかけないという選択肢はないし、それは構わないんだけど……。ギディオンが飛んでいった方向には木々が生い茂るゾーンが広がっているから見つけにくそうだなって。
やっぱりそれを狙ってあっちの方に逃げて行ったのかな。どんだけ私たちに会いたくないのだろうか。
「あぁ? 今のアタシから逃げられる獲物がいると思って?」
「イエ……」
獲物って言った、獲物って言った……!?
どうせ捕まるのだから大人しくその場にとどまっていれば良かったのに! 私はまだ会ったこともないギディオンに同情した。
「抱えるわよ」
「ハイ」
今の私に「ハイ」以外の返事は出来ない。実際、マティアスは私の返事を聞く前から私を左腕で抱きかかえているもの。怖い。
「っとに、ただでさえこのジメジメ地帯から早く帰りたいのに。どう処すべきかしらね」
いつものハキハキとした張りのある声はどこへやら。低い声でブツブツと呟くように告げるマティアスは本当に怖かった。これまでの怖さなど比ではない。あれはただの良心的な注意に過ぎなかったのだ。
でも、出来れば知りたくなかったデス。
もう話しかけられるまで何も言わないでおこう。そう心に決めて口を噤んだその瞬間、一気に身体が置いて行かれるような感覚が襲う。マティアスがものすごい勢いで走りだしたのだ。
ちょ、さっきよりずっと速くないですかぁ!? こ、これが本気!?
「ふふふ、隠れたって無駄よ! ギディオン! このアタシから逃げようだなんて馬鹿なことを考えたこと、死ぬほど後悔させてやるわ!!」
あーっはははは! と大きな声で笑うマティアスは完全に悪役のそれだ。黒いマントとかが似合いそうな感じの……。
そんな余計なことを考えながら私は必死でマティアスの首にしがみついた。お、落とされはしないだろうけど、さっきより揺れるんだもの!
それからしばらく走り続けたマティアスは、途中でスピードを落としてついに立ち止まる。み、見つけたのかな……?
「そこにいるのはわかってんのよ。死にたくなかったら三秒以内に出て来なさい」
数メートルほど先の茂みに目を向けつつ、最終通告を出すマティアスはそのまますぐカウントダウンを始めた。その瞬間、ガサッと茂みが動いたかと思うと、私たちの前に灰色の影が飛び出した。
あまりにも突然のことだったから驚いてマティアスにしがみつく。
その影は先ほど一瞬だけ見えたバジリスクの色と同じ髪を持つ、ひょろっとした猫背の男の人だった。肩にかかるくらいの長さのウルフカットで、毛先は緑。厚めの前髪で目は完全に隠れている。
この人が、ギディオン……。彼は頭の後ろに片手を持っていき、すぐ申し訳なさそうにペコッと頭を下げた。
「マティアスだとわかっていたら、逃げたりはしなかったんだがなぁ。いやぁ、良からぬことを考えるヤツらだと勘違いしてつい身体が勝手に動いてしまっ」
「嘘おっしゃい」
「面倒くせぇと思って逃げましたぁ。すみませんでしたぁ」
あっさり白状した。その返事を聞いたマティアスは目にもとまらぬ速さでギディオンの胸倉を掴んで持ち上げた。
ちょっ、それを至近距離で見させられる私の気にもなってくれます!? 私はまだ抱えられたままなんですが! ぼ、暴力反対ーっ! うわぁ、足も浮いてるよぉ……!
「アンタが逃げたおかげでこのアタシがその面倒くせぇ思いをしたんだけど、それについてはどう思ってんのかしら?」
「っ、申し訳、ありませんでしたぁ……ケホッ」
ギディオンは抵抗する気がないようで、脱力しているのかブラーンとされるがままになっている。ただ、顔はマティアスから少し逸らしているのがわかった。
これだけ高くても前髪が邪魔で目が見えないな。やっぱり、目を合わせてしまったら毒の影響が与えてしまうからだろうか。
ところであの、無抵抗だし、反省しているみたいだからそろそろ下ろしてあげてもいいんじゃないかな……? 怖いから口は出せないけれど。
「ハッ、心にも思っていないくせに謝罪の言葉だけをホイホイ安売りすんじゃないわよ。ほんとにムカつく野郎ね」
なのに、マティアスはまだお怒りの様子だ。そ、そんな風に言わなくても……! しかし私はマティアスに左腕で抱っこされながら黙ってオロオロ見守ることしか出来ない。
そんな時、ギディオンの口元がニィッと弧を描く。ギザギザとした歯が見えて目を奪われ、同時に背筋には冷たい汗が流れた。
「……ヒヒッ、わかってんじゃないか。仕方ないだろぉ? だって、申し訳ないなんてこれっぽっちも思えないんだからさぁ。でも一応、謝罪の言葉くらいは言えって聖女が言ったんだぜ?」
う、うわぁ。こっちが素のギディオンってことね。素直に謝るし、大人しいから一瞬ホッとしたんだけど甘かったみたい。
まぁ、最初から逃げ出す時点で怪しむべきだった、ってことかな。
「……ん? あれぇ、聖女。貧相になった?」
「あぁ、それはそうよ。世代交代したの。この子は今のダメ聖女」
「ダメ聖女! ヒッヒッ! 最っ高だなぁ? いいねぇ。僕、そういうの大好きだ。よろしくな、ダメ聖女ぉ」
胸倉を掴まれたままだというのにギディオンは何が楽しいのかひたすら笑っている。
そんな彼の姿に呆れたのか、マティアスもパッと手を離した。怒りが収まったってわけではないだろうけど、たぶん諦めたんだろうな。急に離されたというのにギディオンもよろめくことなく平然と立っている。すごぉい。
マティアスは私のことも地面に下ろし、チラッとこちらに目を向けた。ん? 見ればギディオンもこちらを見ているっぽい? 目が隠れているからよくはわからないけど。
もしかして、私の反応を待っている……? あ、ひょっとしてこれは怒るところだったのかな?
いやぁ、だって事実を言われただけだし怒るほどでは。
「あ、はい。よろしくお願いしますね、ギディオン」
だから普通に返事をしたんだけど、マティアスは盛大にため息を吐き、ギディオンはポカンとしたように口を開けて黙ってしまった。えーっと、何か変だったかな?