水中の移動はあっという間でした
「とは言ってもー、ここから雨の谷までは結構な距離があったよね。どうやって行く? 空? でもエマを抱えて飛ぶのそろそろ疲れる。心が」
カノアが首を傾げ、シャランとモノクルのチェーンが音をたてる。同じセイの都市でも離れている場所にあるっぽい。カノアの扉で街まで戻ったとしても、まだ距離があるという。
うん、まぁ私としても空の旅は精神的に疲れる。同じだね、カノア……。ほんと、ごめんなさい。
「アタシが空を飛べないんだからその選択肢はないわ。なら道は一つ。海を通って行けばいいのよ」
「う、海ですか?」
セイの都市はとにかく川や泉が多く、それらは全部海に繋がっている。この泉から海を通って行けばかなり距離が短縮出来るんだって。
え、でもそれってつまり、水の中を進むってこと?
「その手があったね。ぼくらはちょうど魔道具を持っていることだし。あ、でも海の中は禍獣がいるよね。解放したことで結界もなくなったし」
えっ、海の中にもいるの!? いや、水棲の獣人や幻獣人がいるんだからいてもおかしくはないか。セイの都市に陸上の禍獣が少ないのはそれが主な理由だったみたい。
そんなカノアの言葉を聞いて、マティアスはにっこりと微笑んだ。そしておもむろに、近くにあった岩をなんの前触れもなく粉々にしてしまった。そう、まるで羽虫でも払うかのような自然な所作で。
一瞬、何が起きたのか私にはわからなかった。だって、美しすぎる微笑みを浮かべて優雅に手を払っただけで……。えっ、手を払っただけで、岩を粉々にしたぁ!?
「このアタシが元の姿で泳ぐのよ? 近付く馬鹿はただの命知らずね」
「わー、頼もしいー」
カノアが無表情で拍手を送っている。なんてシュールな。でも、よくわかりました。マティアスがいれば水の中も安全だということが!
「ただ、その女が振り落とされる心配はあるわ。そこはカノアがどうにかしてちょうだい」
「マティアスの背に乗ってればいいだけだから、そのくらいはまかせて」
あ、それは本当によろしくお願いします、カノア。数秒で振り落とされる自信しかないもの。
そうと決まればすぐに移動、ということで、私たちは再び泉の中へ。もちろん、またカノアにしがみついています。すみません。
泉に潜ると、マティアスはあっという間にリヴァイアサンの姿へと変化した。やっぱりすごく大きいウミヘビだ。目の大きさより私たちの方が小さい気がする。確かにこのウミヘビで移動したら、近道だというのもあってあっという間に着いてしまうかも。
カノアに引き寄せられ、マティアスの頭部にしがみ付く。たてがみのようなとさかのような部分にカノアが右手でしっかり掴まると、準備出来たよーとのんびりした声で告げた。私はといえば、カノアに左腕で抱き寄せられつつ私もしっかりとしがみついている格好である。
「じゃ、行くわよ」
マティアスは簡潔な一言だけ告げ、一気に加速した。
目まぐるしく景色が変わっていく。とは言っても、水の中だし薄暗いから代り映えはないのだけれど。まるで自分も水の一部になったみたいな感覚だった。
ただ、かなりのスピードだからしがみ付く手を離したらヤバイ。カノアが抑えてくれているけど、それでも怖いと思う速度。
目を瞑っていようかな、そう思った時だった。視界の端にキラキラと輝く水色が目に入ったのは。
「綺麗だよねー、マティアスの尻尾。陽の光が当たる場所だったらもっとキラキラするんだよ」
「本当に、綺麗……」
光っていたのはマティアスの尻尾だったみたい。尻尾が光っているのではなく、水中の僅かな光を受けて反射しているようだ。
全身が藍色だから基本的に周りの色と同化して見えるんだけど、身体の端に向かう程明るい水色に変化していて、その部分が揺らめくと幻想的に見える。
「当然でしょ。アタシを誰だと思ってんのよ」
「す、すみません」
当の本人は自信満々のようだ。というか、誇っているのかも。いいなぁ、胸を張れるって。私には一生無理。
って、そんな風に考えちゃうからダメなんだろうな。まぁ、無理なものは無理なんだけど。
でも、その綺麗な光景のおかげで怖さも半減したよ。結局、私は最後まで目を瞑ったりせず、キラキラ輝くマティアスを見ながら水中の移動を堪能させてもらいました。
移動時間は体感で十五分ほど。勢いそのままに水面へと上がったマティアスに、空中で振り落とされるように陸へ打ち上げられる。
それを察したカノアによって、さっきよりは安全に着地してもらったけど、心臓に悪いのでやめてほしいですぅ……!
「すっごく早く着いたね。さすがー」
「ふん、褒めたってなにも出ないわよ」
またしても無表情で拍手を送るカノアに、塩対応なマティアス。でも満更でもなさそうな雰囲気だ。ちょっと素直じゃないところもあるのかも。
「ここが、雨の谷。ずっと雨が降っているのかな……」
改めて周囲を見渡すと、サァーッという細かい雨が降る音が心地よく耳に入ってくる。水の峠のように岩場だと思っていたけど、ここは緑が多くて山間の景色のようだった。実際に山の中だったりするのかな? 山の中の谷とか?
「そう、ずーっと雨。しかも緑が鬱蒼と生い茂っているでしょ。もう一年中ジメジメしててさぁ、ぼくはあんまり長く居たくない」
「アタシもね。湿度が高すぎるし、髪が決まらないもの」
あー、確かに湿度が高い。でも日本の夏って感じで私としては馴染みのある気候だ。好きかと言われると微妙だけれど。
「さっさと解放して帰るわよ。ほら、ボサッとしない!」
「は、はいっ」
行先がわかっているのか、マティアスがさっさと先頭に立って歩き始めてしまった。せっかちだなー、とのんびり言うカノアと並んで、私もマティアスの後に続いて歩き始めた。




