ようやく落ち着いて自己紹介が出来ました
昨日は色々なことがありすぎて精神的に疲れたのもあったからか、かなり早い時間に眠ってしまった。もちろん、今度はソファーではなく部屋のベッドで、だ。
前の聖女様も使っていたという部屋をお借りしたんだけど、最初にこの部屋に案内された時はその豪華さに腰を抜かしそうになったよ。
まぁ、この館に来て少し落ち着いた後に、内部を散策したからそんな気はしていたんだけどね。でも他の部屋よりも明らかに豪華だったから本当に驚いた。
だってこの部屋、室内にダイニングキッチンやバスルームがあるんだよ? もはや住宅だよ、この部屋だけで。
それはまぁいい。どのみち私は幻獣人を解放しに行く以外はこの館にいなければならないのだ。ここが私の部屋だと言われているのだから、私がこの暮らしに慣れなければならない。
郷に入っては郷に従うしかないってことですね。ただ、広すぎて落ち着かないのを我慢すればいいだけ。贅沢な悩み……!
それよりも、今日はカノアに話を聞きに行こうと思っているんだった。アンドリューは昨日の内にお城に戻っていったけど、幻獣人たちはこの館で一緒に暮らすらしいので、どこかにいるだろう。
身支度を整えて部屋を出る。教会での生活の癖で早起きをしてしまったので、まだ薄暗いけれど、のんびり朝食の準備でもしていれば誰かが来るかもしれない。
部屋にキッチンがあるにはあるけど……。さすがに自分一人だけ作って食べるっていうのはちょっと、ね?
私の部屋は館の二階の一番奥にあるので、一階に下りる階段までは長めの廊下を通らなければならない。
絨毯だから足音があんまり鳴らないのはいいよね。休んでいる人がいても足音に気を配らなくて済むから。
「あ、聖女」
「わっ!?」
ちょうど階段を一歩下りようとしたその時、背後から声をかけられて思いっきり足を踏み外す。や、やばいっ! 落ちる!
「ちょっと?」
「ひゃ、あ!」
でも、落ちなかった。ガシッと腕を掴まれたからだ。
あ、あ、危なかった。その場に座り込んだ状態で振り返りながら見上げると、不思議な物でも見るような目でカノアが私を見下ろしていた。
「階段から落ちるのが趣味なの?」
「そんなわけありませんっ!」
あまりにも突拍子もない言葉が投げかけられたので、私もお礼を忘れて咄嗟に突っ込む。何その趣味。変態じゃないんだから。
「誰かがいるとは思わなかったから、声をかけられてすごく驚いたんです。それでうっかり足を滑らせてしまって……」
「そうだったの? 驚かせないように気配は消していなかったのに」
「私は普通の人間なので、気を張ってないと気配がわからないんですよ……」
なんなら気を張っていてもわからない時もあるだろう。しかも今は完全に気が緩んでいたし。カノアは物静かだから余計に気が付かないと思う。
私が説明をすると、人間って大変なんだね、と顎に手を当てながらカノアは考え込んだ。
そして流れる沈黙。き、気まずい。
「……あ、もしかして、僕のせいで今ちょっと危なかった?」
数秒後、何か思いついたとばかりにカノアが顔を上げて聞いてきた。唐突な質問に一瞬、慌ててしまう。
「えっ! あー、そうとも言えますが、助けてくれたのもカノアなので」
「んー。じゃあ、プラマイゼロ?」
な、なんて? 何をもってプラマイゼロになったのだろうか。しかもちょっと使う場所が違う気がしなくもない。
首を傾げていたら、単語の意味がわかっていないと思ったのかカノアが説明をしてくれる。
「前の聖女が教えてくれたんだ。便利な言葉だよね、プラマイゼロ。僕この言葉、大好き」
……薄々、気付いてはいたけど、カノアってちょっと、その、変わっているよね?
彼の興味がどこにあるのか全く読めないというか、マイペースって言葉がこれほどまでに似合う人がいるんだ、っていうか。表情もあんまり変わらないし……。でも思っていたよりよく喋ってくれるかも。
「でも、僕がもっと手前で声をかけていたら、聖女が階段から落ちそうになることもなかった。だから、僕がごめんなさいだね」
そうかと思えば急に謝ってくる。こっちは次にどんな言葉が飛び出してくるかわからないから、謝られる心の準備が出来ていないよ!
え、えーっと。たぶん、謝罪は謝罪として受け取っておくべきだよね。ちょっとだけ間が空いてしまったのは許してね!
「……だ、大丈夫です。えっと、それじゃあ、私は助けてもらったのでありがとう、ですね」
私がそう言うと、カノアはきょとんと目を見開いてこちらを見た。あれ? 変なことを言ったかな?
「僕は謝って、聖女はお礼を言った。それってプラマイゼロになるの?」
本当に好きなんだね、その単語。カノアはなんていうか、純粋すぎる子どもみたいなところがあるのかも。教会にいるよちよちミサーナを思い出してフッと笑う。
「……いいえ。起きてしまったことはゼロにはなりません。だからこうして言い合うことで、お互いの気持ちをスッキリさせるんですよ。えーっと、たぶん?」
「たぶんなの? でも僕はそれ、すごく納得出来るから信じる」
あっ、私が今なんとなく思っただけなのにっ! うーん、発言には気を付けなきゃなぁ。それはともかく。
「それと、あの。お、おはようございます、カノア」
「ん? あ、おはよう。聖女」
まだ挨拶もしていなかったよね、と思って。今更だけど。それと、自己紹介も!
私が出来れば名前で呼んでほしいと告げると、やっぱり聖女って呼び方の響きが嫌なんだ、とちょっとだけ勝ち誇ったようにカノアは笑う。
ち、違うけどなんだか可愛らしく見えてきたからもうそれでいいや!
「じゃあ、エマって呼ぶ」
「はい。よろしくお願いします」
カノアの封印が解かれてから、なんだかんだでバタバタしてちゃんと話せなかったものね。改めて挨拶が出来て良かった!




