温度差に風邪をひきそうです
真っ黒なドラゴンはそのまま真っ直ぐ上空へと向かい、そのまま姿を変え始める。あ、人型になるのかな。どんな人だろう?
「んじゃ、オレっちたちも上に行こっか」
「あ、はい! お願いします」
リーアンがそう言った後、またしても浮遊感を覚え、次の瞬間にはリーアンにおんぶ状態だった私。たぶん動きが速すぎてわけがわかってないんだと思う。もう驚かないんだから。
それからリーアンはすぐに腕を炎の翼に変えて飛び立つ。チラッと下に視線を落とすと、アンドリューもシルヴィオを抱えてこちらに向かって飛んでくるのが見えた。今度はお姫様抱っこじゃなかった。
崖の上でようやく地面に足を下ろす。ふ、ふぅ。一時はどうなることかと思ったけど、なんとなかって良かった。
さて、ドラゴンさんはどこだろう。確認しようと周囲を見回すと、思いもよらぬ姿がそこにあった。
「よーっす! カノアっち! 元気だったー?」
「…………ん」
「テンション低ぅっ! 相変わらずの低さ! ねー、もっとアゲてこーよー!」
少年だ。先ほどの大きくて立派なドラゴンからは想像も出来ないほどの小柄な少年がそこに立っている。それでもたぶん、私よりは背が高いと思うけど、線も細いんだよね。
リーアンがカノアって呼んでいたから彼がドラゴンで間違いないはず。
サラサラでショートカットの髪は毛先が金色で、そこはさっきのドラゴンと同じ色合い。毛先と同じ金色の瞳は眠たそうにとろん、としていて、右目にだけレンズがある眼鏡……モノクルっていうんだっけ? それをかけており、銀色の繊細なチェーンで繋がっている。
なんだかすごく物静か、というかリーアンとの温度差に風邪をひきそうだ。
「エマ様ぁっ! 大丈夫でしたか? リーアンに雑な扱いをされていませんかっ!?」
そこへ、崖の下からものすごい勢いで飛んできたアンドリューたち。ちゃんと着地する前にアンドリューから手を離し、シルヴィオがスタンッ、と私の目の前に飛び降りて来た。し、心臓に悪いです!
「ちょっとー、シルヴィーったらオレっちのこと信用してなさすぎじゃない? めちゃくちゃ紳士的だったのにー。ねぇ、エマチャン?」
「え、えっと、はい。その、たぶん」
酷ーい、とケラケラ笑うリーアンと、そんな彼を睨みつけながら私を守るように腕の中に抱き込むシルヴィオ。この二人の温度差にも風邪をひきそうですよ。はぁ。
とにかくこのドラゴン、カノアにお願いしないといけないんだよね? 朝露の館っていうところに連れて行ってもらえないかっていう。
どのタイミングで声をかけようかと悩んでいたその時、崖下の方からリーンという涼やかな鈴の音が聞こえてくる。チリン、リーンってまるで風鈴みたい。
あ、そういえばこの崖、っていうか谷? 風鈴の渓谷って呼ばれていたっけ。だからこんな涼やかな音が聞こえるのかな?
しかし、事態はそんな呑気なものではなかったようで。
「風鈴が鳴った! カノア、急いで朝露の館への扉を開けてくれ!」
アンドリューが焦った様子でドラゴンのカノアに声をかけている。見ればシルヴィオやリーアンも険しい表情で崖下に目を向けていた。こ、今度はなんなのぉ……?
「……君、誰?」
「アンドリューだ。あれから二十年経っているから大人の姿だが」
「んー? ……あ、確かにアンドリューだ。そっちの人は?」
一方でカノアはどこまでものんびりとした調子で首を傾げている。そっちの人、と言いながら私を見ているみたい。
「あ、えっと。私は、エマです」
「エマは新しい聖女様だ。とにかく今は時間がない。急いで安全な場所へ避難させたいのだ」
私も名乗ってはみたものの、それ以上は話せるような雰囲気ではなさそうだ。説明がほしいけれど、それも聞いたら迷惑になるかなぁ?
「っ、来ました! 禍獣の群れですよ!!」
そんな時、ジッと崖下を見つめていたシルヴィオが叫ぶ。え、今、なんて? 禍獣の群れって言った!?
慌てて私も崖下を見ようと身を乗り出す。でも、危ないです! とシルヴィオに引き寄せられてしまった。うっ、状況がわからない!
「ど、どういうことですか? 何が起きているんでしょう?」
たまらずシルヴィオに問いかけると、彼は私を横抱きにして崖から離れながら説明をしてくれた。何もそこまでして引き離さなくても……!
曰く、この風鈴の渓谷は禍獣の通り道と言われているのだそう。その際、この渓谷ではさっきのように鈴の音が鳴り響くという。
なぜ禍獣がここを通るのか、そしてなぜ危険を知らせるかのように鈴の音が鳴るのか。その原因はわかっていないけれど、この渓谷で鈴の音が聞こえたらとにかく逃げろ、というのがこの世界での常識となっているらしい。
渓谷で警告、みたいな……。
などと、冗談を考えている場合ではない。そんな危険な場所だったの!? 風鈴の渓谷という和やかそうな名前からは想像もつかないくらいの危険度だよ!
「カノア、説明は全て館でしますから、とにかく今は急いで扉を開けてください!」
「シルヴィオ? わぁ、久しぶりだね?」
「再会を喜んでいる場合ではないんですってば!」
マイペースなカノアにシルヴィオがやや振り回されている……! ちょっと貴重な姿が見られたかも。
カノアはみんなから急かされてようやく、わかったよ、と言いながら右手を突き出す。すると何もない空間に突然、金色のノブが付いた真っ黒な扉が出現した。す、すごい。
「感謝する、カノア。さぁ、皆で一度館へ! エマ、まずは貴女からだ」
アンドリューが扉のノブを握りながら私、というよりシルヴィオに向かって指示を出す。私は横抱きにされている状態ですからね!
シルヴィオは迷わず真っ直ぐ扉の方へと向かって行く。……でも、ちょっと待ってほしい!
「あ、あの! 崖下にいた国王軍の方々は……? 大丈夫なんですか?」
禍獣が通るのはあの場所なんだよね? それなら、最も危険なのは国王軍だと思うのだけど……。
私の言葉にその場にいたみんなが一度ピタリと動きを止める。嫌な汗が背中に流れるのを感じた。