記憶:4
『エマ……エマちゃん』
誰かが私を呼んでいる。どこか懐かしくて、とても泣きたくなるような声だ。私はこの声を知っている。
『エマちゃん』
「……マリエ、ちゃん?」
そうだ、私の大好きなお姉ちゃんの声だ。
ゆっくり目を開いたけれど、なんだか変な気分。目を開けているはずなのに閉じている感覚というか、自分が今どこにいるのかわからないというか。
『もう少しだけ、頑張るから。心配しないで……』
それでも、頭の中には声が響く。マリエちゃんの、どこまでも優しい声。私を心配する保護者のような言葉。
そうだ。こうやって昔からマリエちゃんは私を守り続けてくれたんだ。
……何から? あれ? 私は何から守られていたんだっけ。
『マリエ! そんな子と喋っちゃダメって言っているでしょう!? この子はうちの子じゃないの。それなのにわざわざ食べさせてやっているのよ? こっちだって家計が苦しいのに……』
『お、お母さんにとっては血の繋がりがないかもしれないけど……私にとっては半分血の繋がった妹、だから』
ああ、そうだ。あの人からだ。義母。
お父さんが事故で亡くなった後、急に私の居場所がなくなったんだ。
いつも座っていたイスはなくなって、同じ食卓につくことを許されなかった。
話しかけても、いないものとして扱われた。
学校の提出物などで、どうしても必要だからと頼みごとをしたら図々しいと手をあげられ……マリエちゃんと親しくしたら烈火のごとく怒られた。
『ああ、かわいそうなマリエ。こんなろくでもない子の影響を受けて……! ちょっとそこの悪魔。マリエが優しいからってつけ込んでるんでしょ!? この子を味方につければいいだなんて浅はかな考えを……! なんて愚かなの!? これだからどこの誰ともわからないアバズレの子どもはっ!!』
『ま、待って! 違う! 私が勝手にエマのことを……!』
『いいのよ、マリエちゃん。大丈夫よ、私がこの悪魔から守ってあげるから。そうね、勝手に動き回れないように物置に押し込んでおきましょう。ふふっ、大丈夫。ちゃんとエサは与えるから死にはしないわ。はぁ、こんな必要のない邪悪な存在でも生きる権利だけはあるなんて……嫌な法律よね。忌々しいったらありゃしない。ああ、ごめんなさいね、可愛い可愛いマリエちゃん。貴女だけはずっと、ずーっと私の味方よね』
義母には、マリエちゃんの言葉でさえ何も通じなかった。そのことにマリエちゃんは酷く苦しそうに、何度も私にごめんねって言ったっけ。
守ってあげられなくてごめんね。私が大人になったら絶対にここから連れ出してあげるから、って。
でも私は、そうやって言ってくれるだけで十分だった。ただ、そのことでマリエちゃんが苦しむことが辛くて。
だけど、そうやって差し伸べてくれる手があったから。
だから私はギリギリのところで耐えられたんだ。マリエちゃんという存在が私の心をギリギリで生かしてくれていた。
きっと、マリエちゃんはマリエちゃんでかなり辛い思いをしてきたんじゃないかな。だってすごく優しい子だもん。あの義母から何を言われても私を諦めないでくれた。そんな強さもあった。
だから今度は、私が。
「私も、頑張るよ。待ってて、必ずマリエちゃんを助けるから。頼りないかも、しれないけれど……」
伝わるかはわからなかったけど、言わずにはいられなかった。だけど、伝わってくるのは「後悔」の気持ち。たぶん、マリエちゃんの。
『エマ、ごめんね。ずっと一緒にいるって約束したのに。あの時、私がしくじったから』
あの時、って? なんのことだろう? まだ、思い出せていないことがあるのかな。
『あの時、私がちゃんと自分の身を守れていたら、異世界に飛ばされることなんてなかったかもしれない。そうしたらエマとの約束も守れていたはずなのに。私がいなくなった後のエマが酷い扱いをされていないかってずっと心配で、心残りで……』
あの時? いなくなった後……?
そうだ。確かマリエちゃんは約束通り、成人してすぐ私をあの家から連れ出して、一緒に暮らしてくれたんだ。だけど一カ月も経たないある日、いつまで待ってもマリエちゃんが返って来なくて。
不安になった頃、急にアパートのドアが乱暴に開けられた。入ってきたのは、鬼の形相をした義母だったんだ。
『アンタ……アンタのせいよ!! ああっ、ぅぁああああああっ!! 悪魔! この悪魔っ!!』
とにかく怖かったのを覚えてる。何も聞けず、何も言えず、何の抵抗も出来ないまま私は義母に暴力を振るわれ続けた。
それで、気付けば私はあの家に戻っていて……義母と二人で暮らすようになった。そこにマリエちゃんはいない。
どうして? なんでマリエちゃんはいないの?
────消えて、ちょうだい……!
義母の声が、脳内に直接響いた。
その瞬間、首を誰かに思いっきり締められる感覚が私を襲った。
苦しい、苦しい……! どうして? 誰が、こんなことを。
────私さえいなくなれば。
やめて……。
────私なんか、いなくても誰も困らない。
そう、かもしれないけど……!
────だけど、生きたい。死にたくない。私は、生きたい……!
そうだ。私、死にそうになっていて。それでもいいと思っていたのに、死の間際に強く願ったんだ。
生きたい、って。
思い出した。全部。
マリエちゃんはあの日に、そして私もあの時に。
もうとっくに、死んでいたんだってことを。




