1:4 『桜の木』
――いつの間にか、生きていた。
眼前には茫漠たる原野が広がっている。
快い晴天。心地よい風。明媚な景色。
プレイヤーの皆が世界の各所にスポーンする中、どうやら自分は桜の木が鎮座する小高い丘の上に佇んでいるようだ。
広大な景色を俯瞰すれば、然程遠くないところには森や川が見える。
遠くに目線を飛ばしてみると、右奥に小さく映る自然の色ではない塊。
どこかの町か、もしくは国だろうか。
左奥の方に目線を飛ばすと、巨大な砂塵の嵐と思われる薄茶色の塊が見える。
時間があれば、この珍しい景色を絵に描きたいものだ。
とにかくここは、ミデルの知る世界ではない。
ファンタジーと、そういうべきか。
子供が想像を溢れさせて思い描く浪漫の世界が、そこには広がっていた。
「……よし。まずはマップだな」
悠長にしていられる時間はない。
事前に考察していたゲーム開始時の作戦の実行に移る。
開始時の作戦――それは、この世界で必要不可欠となる武器や防具を確保するための手順だ。
今のミデルは、チュートリアルで着ていたものと同じ身軽に動けるための黒タイツ以外に身に付けているものはない。
武器は勿論、HPの回復に必要となる食料も皆無だ。
それは全プレイヤー同等であり、それらの獲得から動き出すだろう。
無防備の状態で姫様の居場所まで赴くのは無謀な愚行だ。
姫様の付近にはいつも強敵が潜んでいるのが常連であるからだ。
ミデルの思惑は、とにかく一番乗りに近くにある村か、使えるモノが集まっていそうな場所に疾走して到着すること。
他のプレイヤーに先に辿り着かれると武器を持っていかれたり、遭遇して早期の殺し合いに発展しかねない。
初めの目的地を定めるため、左手首に括られてある腕時計に似た『リストマップ』を起動し、世界を象った立体地図が浮かび上がる。
50㎠の大きさに凝縮された世界に、チュートリアルであったのと同じように自分の位置を示す黄色い三角形と姫様の位置を示す赤い点が見て取れる。
姫様との距離が意外と離れていないことに驚くが、ミデルが今見たいのはそこではない。
チュートリアルでは教えられないことだが、マップに示される印はこの二つ以外にも存在し、村や町、大切な場所の名称なども示されている。
更に、立体地図のすぐ隣にはゲームの残り時間と、『20』と記されたプレイヤーの現在人数。
そして『3』と記されたプレイヤー達のライフ平均値も記されてある。
プレイヤーの一人でもライフを一つ落とせば、これが『2.9』になったりするのだろう。
武器などが集まっていそうな村の位置を確認し、高速でそこへ赴くのがミデルの画策だったのだが――。
「……キッツいな」
マップ上に記される村や町の印は、どれもミデルから距離を置いた位置にあるものだった。
これでは、今からそこに全力疾走で向かっても他のプレイヤ―が先に辿り着いてしまう。
無論、他のプレイヤーのために貴重な品物を残して去る心優しい馬鹿はいない。
複数のプレイヤ―が自分より先にそこへ集まってしまうため、奪い合いに参加することもままならずに荒れ果てた村に辿り着くことになる。
「くそ……」
ミデルの企てた画策は一瞬で粉砕されてしまったが、ここで錯乱に陥る彼ではない。
何か得られる情報はないかと見晴らしのいい丘から辺り一帯を見まわす。
「――お、焚火か?」
遠く、森の中から天へ昇る白煙が目に入る。
時間的にプレイヤーによるものではない。
恐らく、ゲーム内にいるNPCが起こした焚火であると推測できる。
そのNPCが世界を旅する冒険者という設定なら、きっと身体に武器や食料といった品物を携帯している筈だ。
ミデルは桜の木が鎮座する坂を急降下し、遂に始まったヒーロー・ゲームに胸を疼かせながら白煙が昇る森の中へと走り出した。
木々を縫うように走ること約5分。
白煙の根元まで辿り着いたミデルは、眼前の光景を見るなり唖然としていた。
「どこまで不運なんだ……」
そこにはミデルの求めていた旅人のNPCもいなければ、焚火もない。
更には、遠目に見えた白煙の正体も分からないままだ。
なぜなら、煙は森の地面に開いた大きめの穴の中から流れ出ていたものだったからだ。
穴の中を覗いてみても暗くて見えない――いや、穴の構造上中に入らないと煙の根元が見えないようになっている。
危険と察知し、わざわざ中に潜ることは避けておいた。
三つしかない❤は大事に保有しなければならないからな。
次の行動を考えようと穴から踵を返す。――その瞬間だった。
「――ぶはっ⁉」
強い力で、押し飛ばされた。
そんな謎の衝撃で後ろへ――大穴の暗闇の中へと突き落された。
――プレイヤ―⁉
突然の奇襲に動揺するミデルは脳裏に一番濃厚な可能性を呟いていた。
正面を振り向いたことで一瞬だけ見えた白模様の黒タイツはプレイヤーのもので間違いない。
ミデルと同じものを遠目に見てここまで来たのだろう。
プレイヤーの相貌までは捉えられなかったものの、『色』は見えた。
それは、ミデルが警戒心を募らせていた髪の色――緑だった。
「ぐっ……! あがっ!」
心底焦燥に駆られながら、勢いのままに大穴の洞窟を落ちてゆく。
壁の、決して丸んではいない岩に背中や腹部を強打しながら苦悶の息を漏らし、50あったHPバーが刻一刻と削られてゆく。
事実、今のミデルは実際に痛覚と言うものを無慈悲に味わっている。
「ぐっ……うぅっ……」
5秒もしない内に、硬い岩の地面に叩き付けられる。
機能を乱された作り物の肺臓で頑張って空気を吸い込もうとしながら、地面に手をついて涎を垂らす。
全身を支配していた痛みは、HPが測定の数で留まるとすぐに治まってくれるから有難いものだ。
少しして落ち着けば、HPが35になっていたことに気付く。
過酷な数値ではないが、回復する手段を持たない今では極力減らしたくないものだ。
呼吸も通常へ戻り、立ち上がろうと顔を正面へ持ち上げる――。
「…………勇者の、剣」
正面――そこに、太陽の斜光に照らされる地面に突き刺さった剣があった。
異様な存在感を発揮するそれを見て、無意識にそんな言葉が口から洩れる。
美しく、神秘的な光景だ。
醸し出される威容からして強力な武器に間違いない。
丁度ミデルが探し求めていたものがそこにある。
身を起こして剣の方へ赴く途中、他に意識に引っ掛かるものがあった。
剣の神秘的な威圧に気圧されて気付けていなかったが、暗闇に包まれている筈の洞窟の中はどうも明るい気がする。
ミデルの落ちてきた穴から差し込む陽光だけでは理に叶わない明かり。
壁の凸凹した岩をはっきりと移す黄色い光があるのだ。
それに、少し熱いが、これは一体……。
「……溶岩」
洞窟の端の方に目線をやると、黒い岩で囲まれた溶岩の溜まり場が三か所程あった。
更に奥の方を見ると、溶岩の熱が洞窟の壁に生い茂った植物を燃焼させ、白色の煙を穴の方まで昇らせていたのが分かる。
「なるほど。罠、いや、ヒントだったのかな? これは」
これをNPCの焚火による白煙と誤解しても仕方ないが、眼前にある強力そうな剣にミデルを導いてくれたのであればそれで良い。
美麗な剣へ再び目線を戻し、歩調を強める。
その剣は、苔が生えた巨大な岩の上に鎮座し、岩に刃の先を刺突させて引き抜かれるのを待っている。
近くに来て分かるが、剣には熱を孕んでるように赤の色が滲んでいた。
いかにも炎属性を匂わせている。
剣と言い溶岩と言い、この洞窟はどうも炎の印象が強い。
「剣一筋に励んできた甲斐があったもんだ。よいしょっ」
逸る気持ちに逆らえず、苔の生えた巨大な岩の上に足を乗せる。
――ミデルは、何かに心を惹かれると周りが見えなくなってしまう。
『卑域』で行われた筆記試験でもそうだったように、ヒーロー・ゲームに参加できる可能性が心を惑わせて普段の能力を発揮することができなかった。
だから今も、冷静になればミデルも容易に違和感に気付けていた筈。
――グラッ、と。
「うお……⁉」
足を乗せた岩が、蠢いた。
次の瞬間に、グラン、グラン、ゴロゴロゴロゴロゴロゴロ、と。
轟音を洞窟に響かせながら、巨大な岩が、――ミデルを吹っ飛ばした。
「うわああああああああああ――くはっ‼」
宙を飛ぶ中、ドゥルルルと言うHPバーの減少音が耳をつんざく。
放物線を描いて舞った後、背中に硬いものが強打する感覚に肺の空気が絞り出される。
そして……溶岩の灼熱が頬を焼き焦がす。
「あああっつぁっつい‼」
反射的に溶岩の溜まり場から距離を取り、硬い地面に転がり落ちる。
HPが削られると同時に味わう激痛は程なくして治まるが、状況に対する焦燥は治まらない。
視界の左上に記載してあるHPバーは、『12』と記されていた。
「――――」
正面――剣を刺された大岩が『起立』する光景に、ミデルの体は硬直してしまっていた。
理性を持った動物のように蠢く岩は、確かに別の小さい岩を組み合わせてできた脚で地面に立っている。
そして、人間の体を軽々と押し潰せそうな二つの腕も、大岩に固着するように作り出されていた。
太陽の斜光に映し出される怪物は、一層美しくも見える。
「――ぁ」
巨大な岩がそんな重たそうな腕を振り上げ、直後――『投擲される腕』にミデルの逃走の意思が砕け散る。
見えぬ速さで空中を裂く岩の砲弾がミデルに向かって突進し、――少年の体を、いとも容易く磨り潰した。
『――命を落としました。リスポーンを開始します』
無情な声に耳元で囁かれる。
真っ暗な視界で見えたのは、『0』と記された数値のみ。
そして、そんな惨酷な数値すらも消え始め、思考が回らなくなる。
意識が、暗闇に浸透し始める――。
「……………………………………………………………………まじかよ」
――桜の木が鎮座する丘の上。
三つあった命の一つを手放したミデルは、明媚な景色を唖然と眺めていた。