1:20 『マルクス城』
城内は、とにかく濡れていた。
既に開いてあった入り口の扉から入ると、最初に足を踏み入れるのは左右に階段が備えられた広い玄関だ。
しかし、常に清潔に保たれていた筈のその空間は凄絶な様相を呈していた。
足首まである、床全体に溜まった大量の水。
まるで汗をかいているように光沢を発する壁。
しかしその壁も、もはや原形をとどめているものはない。
夥しい量の亀裂を生じ、指一本触れれば砂の城のように崩壊しそうだ。
原形をとどめていないのは壁だけではなく、空間そのものも同様だ。
元々は城の壁や床だったものが、砕かれた無数の盤石となって山積みされており、前に進むことすら手を必要とされる程に蹂躙されてある。
「来れるか?」
岩によじ登ったミデルが後ろを向き、シナミアに手を差し伸べる。
「よっ! ふぅ……ありがとう」
三次元の迷路とも表現できる城内を協力して進んでいく。
今二人は二クロ王子が伝えた、城内にあるメインホールと呼ばれる場所を目指している。
王子からは、位置的な助言で『城の中心あたり』にあるとしか伝えられていない。
外から見た時の王城の大きさを想像しながら、感覚的に城の中心部へと足を進ませている。
「くそっ、また蛇か」
プレイヤーとはまだ出くわしていない。
しかし思いの他、城内にはモンスターが少なからずだが潜んでいた。
強敵と呼べる脅威ではないが、地形もあって少し厄介だ。
岩サイズの蜘蛛や巨躯の獣人を狩猟したわけだが、面白いことにそれ以外の殆どのモンスターは同種の青い蛇だった。
ラスボスと思われる大蛇と縁があるのだろうか。
そんなことを脳裏で考えながら、水の迷宮の中で弓を駆使するシナミアと共に敵を仕留めまわった。
「中央と言ってもなぁ……」
城に入ったのがどれほど前かも覚束なくなる頃、己の方向感覚に迷いを生じ始めたミデルがそう呟いた。
実際、これほどまでに城内の通路が蹂躙されているとは思っていなかったため、それらしき方向に進んでいればメインホールらしき場所に辿り着けるだろうと思案していたが、この有様だと難しい。
「私の予想だと、何も知らないプレイヤーが偶然にメインホールに辿り着けないために隠しているんだと思うわ」
「そうかもしれんけどさ、全ての岩と岩の隙間を確認して回るなんて、干し草の中から針を探してるようなもんだろ」
「じゃぁ、ヒントのようなものはない?」
「ヒント、か。あるとしたら王子との会話の中でありそうなもんだけど……」
二クロ王子と交わした談話を回想する。
正確には、彼がメインホールにいた時に起きた惨劇を語ってくれた内容を頑張って思い出そうとしていた。
「……確か、城が奇襲されて爆発が起きた直後は――空が見上げられるほどの大穴しか残っていなかった、とか、そんな感じのことを言ってなかったか?」
「……つまり、メインホールからは空が見えた。となると、城の上部に開いた穴は探し出せば、必然的にメインホールに繋がる、ということかしら」
「それっぽいよな……うし、上を目指すか」
それから、二人は『空が見上げられる大穴』を探るべく、城の上部を目指して進み出す。
上から見た時の位置であれば、勘ではあるが今は城の中央付近にいる自信がある。
そのため、ここから真上に行けば、その『大穴』に辿り着くことができるだろう。
「――狭いな」
とある崩れた廊下で、上の方に城の上部へと続いてそうな小さな洞窟の入り口のようなもを見つけ、中へと進入する。
が、窮屈で身動きがとりづらい。
縦に続く細長い洞窟の中をよじ登っている感覚だ。
そして、悪戦苦闘しながらその穴を登りきった挙句には――明媚な景色によってその苦痛が報われることとなる。
「おぉ」
――山脈から顔を覗かせる赤色の太陽が、二人を出迎えた。
「……奇麗ね」
「ああ」
体に付着した土や小石を払って感嘆の声を掛けてくるシナミアに、ミデルは賛同する。
二人とも、黒色のタイツを隠すために着衣している外套は所々が破れていてボロ付き、顔も汚れていて清潔感の欠片もない。
正面、下の方にはマルクス城下町が広がっており、遠くには緑で生気を蔓延らせる風景がある。
そしてアイスの上にチェリーを乗せているのは、世界を照らす日の出。
今が試験中でなければ、この場でシナミアとロマンチックなひと時を過ごしたかったものだ。
「やべ、この景色に見惚れている時間はないな」
一つだけ、昼間が三時間にもなると、太陽の動きが目に見える。
既に、美麗な空の色は退屈な空色に変色しつつある。
「この場所は、城の天辺にある塔かしら」
破壊された前は、形状からして縦に広く横に狭いような円柱の形をした空間であったことが推測できる。
その半分が削り取られているため、外の景色が見えるわけだ。
「位置的にもそうっぽいな。なら、二クロ王子の言葉が真実ならこの真下にメインホールが――おっ、あそこから中が見えるぞ!」
高揚に叫ぶミデルが見つけたのは、目下にある、城内が窺える大穴だ。
豪快に破壊されたもので、きっと二クロ王子の言っていた『空が見上げられる大穴』に間違いない。
「行くぞ……って、シナミア? 顔が浮かないぞ」
「ごめん。少し、緊張しているだけだわ。行きましょう」
「緊張か……」
そんな一幕はあったものの、二人は城の屋根を伝ってすぐそこにあった穴へと近付く。
中を除けば、赤い絨毯が敷かれた広い空間がそこにあった。
「ここがメインホールで間違いないな」
丁度、城の崩壊によって形成された盤石の階段があったため、それを利用して落下ダメージを喰らわずに広大な広間へと足を付けることができた。
眼前に広がる光景を見て、玉座の間という言葉が脳裏を過ぎる。
無論、原形をとどめていない有様だが、何か大きな式などで王様が通りそうな絨毯が数十メートル先まで続き、その先には転倒した王座が見える。
今立っている位置はメインホールの入り口付近だが、背後の大きな両開きの扉は岩で塞がれているためそこから入ることはできないだろう。
恐らくだが、ここに辿り着くには上に開いた穴から入るしか道がないだろう。
確かに、王子のヒントを知らなければ到着は困難に思える。
「あれは――下に続く穴もあるのかよ」
頭上から差し入る太陽の光に映し出されるメインホールには、特筆すべき点がもう一つあった。
――床に穿たれた巨大な穴だ。
上から中を覗いた時は位置的に見えなかったが、ここに来てやっとその存在に気付く。
二人は、王座の手前に位置するその穴の縁まで歩み寄り、中を覗き見る。
「深っ!」
底見えぬ暗闇の世界へと吸い込まれるような感覚に陥りながら、思わずそんな間抜けた声が漏れ出た。
穴の大きさはと言うと、端から端まで跳躍できる人間はいないだろうと断言できるほどの大きさだ。
「これは、あの氷の蛇が穿孔したものでしょうね」
「そっか……大胆なやり方するもんだな、アイツ。どんだけ姫様が欲しいんだ。て言うか、この下って城の部屋とかねぇのかよ」
穴は、地中を穿ったもののように、周りが全て岩だ。
城の構造がどうなっているかは分からないが、この場は城の上階にある筈。
ここから下を掘れば他の部屋や廊下に辿り着くと想像するが、特殊な力でも働いたのだろうか、この穴は別の部屋と繋がっていない。
考えられる理由は……氷だったものが固まって岩になった?
正直、どうでもいいか。
「穴には落ちないようにするとして、二クロ王子によるとこのメインホールに『炎のロッド』が落ちてある話だったよな」
そう話を切り替えて周りを見渡す。
既にほかのプレイヤーの手に入っている事態を危惧したが、
「ミデル――あそこ」
「あ」
傍らにいるシナミアにそう声を掛けられ、彼女の指が示す方を見ると、確かにそこには小さいながらも異様な存在があった。
蒼然とした雰囲気と隔絶した、赤く燐光する一点。
「炎のロッドか!」
大穴から遠い位置にあるわけではないが、物陰に隠れていたため、少し探そうとしないと見つからないところにあった。
赤い点まで走って近寄れば、それが赤い珠玉を嵌めた杖であると分かる。
触れるのを逡巡していると、傍らまでやってきたシナミアが代わりに手に持った。
「……意外と軽いわ。けれど、この数字は何だろう」
「数字?」
疑問符を浮かべながら聞き返すと、シナミアは赤く燐光する珠玉を指で示しながらこちらに見せる。
と、珠玉に黄色の淡い光で『9』と記されてあるのが分かった。
「9? ……どういう意味なんだろうな」
「使用できる回数かしら」
「そうかもな、一回振ってみれば?」
「無駄使いしろっていうの?」
「本番で使い方が分からなかったら危ないじゃん?」
「ま、確かにそうね」
使い方の概念が的確であるかの確認として、シナミアは適当な方向に向けて炎のロッドを縦に振った。
同時、ボアッと炎が作り出される音が響いたかと思えば、直径一メートル程の巨大な炎の球が眼前に現れ、正面へと高速で空中を貫き放たれる。
そのままメインホールにあったとある柱に激突した火の玉は爆音を放ち、そこに灰色の煙と砂塵を立たせ、直後には柱と屋根の一部分が崩壊した。
「うっわぁ、これは強いな」
流石な威力に感嘆の声を漏らす。
「……これを、姫様に振れば氷は解ける……」
シナミアも同じ感想を持ったように見える。
しかし――、
「……シナミア?」
彼女の声は震えていた。
炎のロッドに感動して、ではない。
明らかに、感情に混沌を来した声の震えだった。
それだけに留まらず、杖を握り直す指先も、彼女の空色の瞳も震えていたのだ。
様子がおかしい。
「大丈夫か?」
「え?」
「手が震えてるぞ」
「――――」
指摘されたシナミアが宙に浮かせた自分の手を見つめる。
その手が震えていることを見るなり、握りこぶしを作って自分の胸元に押し当てた。
「ごめん……ちょっと、怖いの」
「怖いって、どういうことなんだよ」
「勝ちが目の前まで迫っているから、焦っているのかもね。情緒不安定と言うか……姉さんの言う通りだわ」
「心が動きやすい、か」
城下町の宿泊施設で彼女から聞いた言葉だ。
「そう」
「無責任なことは言えないけど、とりあえず落ち着け。気持ちに惑わされているかもしれないけど、とにかく勝つことに集中しよう」
「……ミデル、これを持っててくれる?」
そう言って差し出されたのは炎のロッドだ。
ミデルの励ましに返事をすることより先に済ませたいことがあるのだろうか。
「これを持っていなければ、少しは落ち着くかもしれないわ」
「そうか、そうだな」
気持ちの問題で炎のロッドをこちらに預けたいらしい。
断る理由もないから受け取ろう。
そう思い、炎のロッドへと手を伸ばし、
「俺が持っといてあげ――」
『る』の言葉が出てくる寸前。
丁度、二人とも炎のロッドをしっかりと掴んでいない瞬間だ。
「ぐはっ⁉」
――横から肉薄する『水の球』が二人を直撃し、
「……嘘だろ」
吹き飛ばされた二人は。
――底のない大穴へと、落ちていった。




