1:1 『ここに至るまで』
「やっぱ、白いな」
白く、無機質でどこまでも続く長い廊下を歩きながら、感嘆した声が響き通った。
――時は、ヒーロー・ゲームが始まる一週間前まで遡る。
一週間前にもなると、『試験』を受けることとなったプレイヤーたちには、ヒーロー・ゲームに備えるための練習期間が施される。
迫ってくるゲームに緊張を覚え、悔いなく最善が尽くせられるよう躍起になっている頃だろう。
そして、そんなプレイヤーたちの一員となった一人の黒髪少年がいる。
――彼の名は、ミデル・ロメルト。
年は16歳。
無論、ヒーロー・ゲームに参加できる唯一の年齢だ。
しかし、彼の血族からすればそれは生まれたばかりの赤ん坊も同然な年頃かもしれない。
――母親からは、自分がハーフエルフであると聞かされている。
普通の人間よりやや先の尖がった耳はエルフの血から来ているもの、らしい。
少しボサボサした黒い髪は肩にギリギリ届かないところまで伸びている。
それよりも奇特な青紫色の瞳が特筆か、奇麗だと言われることがよくある。
エルフの血の特権である耳のとんがり具合はというと、ヒト族と差ほど変わらず、直視しなければ違いが分からない程度だ。
ミデル・ロメルトは現在『ゲーム運営施設』と呼ばれる、巨大で複雑な建物内を歩いている。
名称からも察せられる通り、ヒーロー・ゲームが行われる場所だ。
ミデルは、ここに来るのは今日の今が初めて。
建物内が全くの未知数であるミデルのための案内人もいてくれて、誘導するように前方で歩いている。
20代前後と思われる女性だ。
「――歴史上初めての『卑域』出身のプレイヤーなんて、すごいですね」
正面を向いて歩いたまま、女性は背中越しにそう言ってきた。
「本当に。現実とは思えません」
ミデルは簡素にそう返した。
が、読者側からすれば理解できない会話だろう。
そのためにまず、ヒーロー・ゲームが誕生したこの王国についての話をしよう。
『ラマンノール王国』と呼ばれるこの国は、大きく三つの『域』と呼ばれる身分の地位に分かれている。
上から見て中央、そして地理的にも身分的にも最も高い位置にある『貴域』。
その一層下には、『普通の生活』を送る民族が住むと言うべき『民域』。
そして最下層、住民が貧困を強いられる『卑域』。
強制的にヒーロー・ゲームへの参戦を強いられる16歳の若者達は、プレイに応じて才能を批判され、有能か否かに基づいてこの三つの『域』に振り分けられる話だ。
運よく同じ生活を継続できる者もいれば、『貴域』から『卑域』に突き落される者もいるし、『民域』から『貴域』へ昇る者もいる。
――だが、『卑域』から昇格できる者はいない。
参加が許されていないのだ。
正確には、今までに許された者はいない。
『卑域』は、上の階層からは差別的な軽蔑を向けられる、どうしょうもない『域』だ。
困窮な環境で貧困な暮らしを送る者達しか住んでいない。
ラマンノール王国は三つの『域』を隔てる壁をそれぞれの間に創造しているが、もっと漠然とした見方をすれば、王国は『卑域』と『民域と貴域』とで大きく二つに分かれていると言えるだろう。
使う者と使われる者の違いだ。
そんな不憫な者達のヒーロー・ゲームへの参加が許されていない理由は単純だが陰湿。
『卑域』の住民は、王国の視野に入っていないのだ。
試験を受けられる者は上の二層に住む者に限られており、こき使われる者達にゲームの参加権は存在しない。
つまり才能を推定される権利すら与えられていないということだ。
「ただ、姫様だけは『卑域』から選ばれるものだから、酷いよなぁ」
そんな独り言が零れ出る。
ヒーロー・ゲーム内にいる姫様は、AIではなく実在の少女だ。
それも、『卑域』の少女達の中から抽選で選ばれる仕組みになっている。
しかし、姫様として選ばれたからと言って喜ぶ者はきっといない。
――ゲームが失敗すれば、姫様の命が奪われるからだ。
そんな嗜虐的な定則も、激しい差別が如実に表れているところと言えるだろう。
そして悲しいことに、ヒーロー・ゲームは失敗することの方が多い。
一ヶ月に一度行われる試験だが、姫の救出に成功し、『ヒーロー』が現れる回数は一年に三度程しかない。
ゲームの手によって絶命する少女達は後を絶たないのだ。
「そんな酷いゲームだけど、俺はそれに憧れてたりするんだよなぁ」
またも零れる独り言。
ミデルは、ヒーロー・ゲームに憧れていた。
故に、迫りくる『試験』の本番に胸を高鳴らしている。
年に数度現れるヒーロー達の姿を見て浪漫を感じずにはいられなかったのだ。
勇猛に剣を振ってモンスターを倒し、聡明な戦略を練って強敵に立ち向かう姿は、物語に出てくる勇者のそれと相違なかった。
とにかく……かっこよかった。
「独り言が多いのですね」
「あ、申し訳ないです」
「いいえ、謝る必要はありません。それより、『卑域』出身のあなたが、どうやってヒーロー・ゲームに参加することになったのか、聞かせてもらってもよろしいですか?」
ミデルは『卑域』出身だ。
それと同時に、歴史上初めての『卑域』出身のプレイヤー。
普通ならゲームに参加できる筈のないそんな少年に、ここまでこられた経緯について知りたくなるのは当然のことだろう。
ミデルは、つい先日起きたことについて語る。
「突然のことでしたが、『卑域』に住む16歳の少年少女達を集めた筆記試験が行われました。俺達の才能や才覚、素質を計るための筆記試験で、それで一番優秀な点数を残せた者にヒーロー・ゲームへの参加権が与えられる、という話でした。……それで、俺の名前が呼ばれたんです」
先日あったことを想起しながら話す。
素質を計るための筆記試験で、ミデルが一番優秀な点数を得られたことで、ここにいる。
正直なところ、引っ掛かるところがある。
なぜなら、あの場にいた全員に勝るほどの点数がとられた自身は全くなかったからだ。
自分の名前が呼ばれた時は、心臓が止まるかと思う程に驚愕したものだ。
まぁ、憧れたゲームに参加できることになったわけだし、あまり考えないことにしている。
「そうなんですね。でも、今になってやっと『卑域』からプレイヤーを選出することになったのは、少しおかしいと思いません?」
「……そうですね。俺も、『王の命令』であること以外、何も聞かされていません。あなたも、何も知らないんですか?」
「はい。何も知りません」
ちなみに、ミデルが今いるのは『貴域』だ。
ゲームが遂行される『ゲーム運営施設』も、王国で身分が一番高い地域に建てられている。
ミデルの前を歩く案内人も『貴域』出身と思われるが、『王の命令』について何も知らないのは彼女も同じらしい。
王が今更『卑域』の住民に、ゲームに参加できるチャンスを与えた理由はきっと誰にも分からないだろう。
どちらにせよ、丁度ミデルが16歳の時に訪れた恩恵だから幸運な限りだ。
程なくして案内人と共に辿り着いた白い扉に入ると、長く続く廊下とは別の、長さ30m程の短いホールが視界を埋める。
左右の壁には等間隔にずらりと並んだ扉が20つ程見受けられる。
「――こちらが、ミデル・ロメルトさんのトレーニングルームになります」
「……おぉ」
女性はそう言って、複数ある扉の一つを示してくれた。
扉の上には『ミデル・ロメルト』と綴られた看板があった。
他の白い扉も同じように上部に人の名前と思われる文字が綴られてある。
察するに、プレイヤー達の名前だろう。
自分もプレイヤーの一員である実感が湧き、状況が本格化している感覚に胸が高鳴る。
「これが、俺のトレーニングルーム……」
「中へ入りましょう」
扉を開けて二人して中へ入ると、まず初めに目に飛び込んだのは正面にある、いわゆる『機械』ってやつか。
粗末な暮らしを続けてきたミデルは、こういった高度技術を目にする機会はほとんどなかった。
技術に関して無学無知であるミデルだが、正面にあるそれは人が座る大きめな椅子のように見える。
部屋自体はと言うと、豊富な人間が住む一人部屋サイズと言ったところか。
『トレーニングルーム』と称呼されるこの部屋は、ミデルが聞いた話ではプレイヤー達がゲームに備えるための、事前練習をする場所らしい。
「あちらが『小型召喚装置』となります」
「小型召喚装置?」
「はい。本番で使われるものよりも簡素なものになりますが、頭上にある装置を頭に被ることによって意識を転移させることができるんです」
「凄いな」
『意識を転移させる』と表された、脳を操る奇特な技術。
ヒーロー・ゲームとは、現実の世界で行われるものではない。
『作成組』と言われる組織が作り出した仮想現実の世界で行われるものであり、プレイヤー達はこういった機械に身を委ねてプレイするのだ。
「こちらに掛けられてある体温上昇防止用のジャージを着用してから機械に身を委ねてください。意識の転移が起きると『チュートリアル』が始まりますので、あとは耳元に囁かれる声に従ってください」
「……分かりました」
かなり饒舌に語られた説明ではあったが、手順は何となく把握できた。
最後の意味深な一文には少し引っ掛かったが、どの道後で分かる話だろう。
「それでは、私はここで退室することにします。ご武運をお祈りします」
ご武運……?
「はい、ありがとうございました」
ここまで案内してくれた女性にお礼を言い、扉が閉まると部屋の中は自分一人となる。
説明された通りに、体温がうんたら用の黒色のジャージに更衣することに。
「ぁ」
が、貧乏人の上着を脱ごうとした時に、ポケットに何かが入った感触が手に伝わって脱衣を止める。
上着のポケットに手を突っ込んで取り出すと、長さ7cm程の小さな木製人形が出てきた。
「――――」
刻まれた単純な表情の窺いづらいそれを見て、ミデルの胸が激情に疼いた。
何故ならこの木製人形は――ミデルの唯一の家族である母親から渡されたものだからだ。
『卑域』を出発したのは、今朝のこと。
今朝『卑域』で母親と別れた際に、彼女から手渡されたお守りのようなものだ。
これを彫刻して作ったのも、母親自身であると言われた。
「ありがとう、母さん。……約束は、必ず守ってみせるよ」
瞑目して、心の中に決意を奮起しながらそう呟く。
母親と交わした、大切な約束がある。
それは、ヒーロー・ゲームへの参加が決まった昨日の夜のこと。
『母さんを、絶対に上層に連れてってやる』と、彼女に伝えた。
上層とは、つまり『卑域』より上の領域である『民域』や『貴域』のことを指す言葉だ。
ヒーロー・ゲームに参加すれば、才能を推定され、それに合った『域』への配属が下される。
そして、王国の定則として、『試験』を受けていない家族であれば共に移住することが許されている、とミデルは耳にしている。
普通であれば16歳をとっくに過ぎた両親などは無理だが、16歳に至っていない兄弟姉妹がそれに該当することが多いだろう。
しかし『卑域』の住民は、上層から降格された者以外は皆、試験を受けていない。
母親も、ヒーロー・ゲームを経験していない者の一人だ。
つまり、ゲームでミデルが有能であると認められれば、母親と共に『上層』へ昇格することができる。
貧困で、塵芥のような扱いをされる場所から、母親を連れ出す。
そう、約束したのだ。
「――――」
可愛らしいそれを手に握ったまま、もう一度瞑目する。
そしてすぐに、時間を持て余している場合ではないと大切にポケットに直し、黒いジャージへの更衣を瞬時に済ませる。
「よし、やるか」
準備ができたところで『小型召喚装置』と呼ばれた椅子みたいな装置に腰を掛け、説明されたように頭上にある装置を頭に被るように引きずり下ろす。
目を覆われ、白に支配されていた視界が真黒に一転する。
――ブウウン。と、機械が起動するような静かな音。
『人体の配備を確認しました』
そんな電子的な声が耳元に囁かれると同時に、黒い視界の中心に声と同じ内容の白い文字が浮かび上がる。
何もかもが不思議で、まったくの未知の世界に飛び込む感覚はミデルに恐怖と少しの高揚感を与えた。
『神経通達ロックを発動します』
何を言っているのか全く分からないが、全身に倦怠感が襲ったのは感じた。
事実、ミデルの味わった倦怠感の正体は、全身の感覚が消失された時の錯覚に過ぎないが。
『初心プレイヤーと確認しました。チュートリアルへの転移を開始します』
意味も理解できずに声を聴いていると、唐突に意識が揺れる感覚に襲われた。
思考が暗転し、唯一聴こえていた耳鳴りすらも消えてなくなる。
静かに、ゆっくりと、――意識の転移が行われた。