1:17 『凶兆と吉兆』
「急げ! 新聞紙を取りそびれるなんて冗談じゃねぇ!」
そう叫びながら路地裏を疾走する二人。
少しもしない内に、元いた場所とは反対側の大通りに出ると、
「新聞紙はいかがで――おっ! そこのお兄ちゃんとお姉ちゃん! この香ばしい新聞紙はいかがかなっ!」
言っている意味が分からないが、間に合った。
人気の少ない大通り。
丁度ミデルたちが路地裏から身を乗り出したと同時に遭遇したのは、大量の束ねた新聞紙をバックに詰め込んだ無邪気な……。
「――ウサギ?」
「ん? そんな珍しいものを見るような眼で見てほしくないなー。これでも僕は町中の人々に知られてるんだぞ? 皆の力になれる、有益な存在としてねっ!」
怪訝な表情を作るミデルを見るなり、出会ったときに差し出してくれていた新聞紙を腕を組んで渡さないふりをされる。
ただ、珍しいものを見るような顔をしないのは無理な話だ。
人語を話す純白のウサギの背丈はミデルの膝元までも及ばず、上品な服装を纏い、赤色の瞳にはAIとは思えない程の理性が宿っている。
「す、すまねぇ。とりあえず、新聞は欲しいから渡してくれないか」
「いいとも~っ!」
どうやら無料なようで助かった。
入手した貨幣は殆ど使ってしまったからな。
「……ありがとう」
頼んでもいないのに、傍らにいるシナミアの分まで渡してくれる。
本当に、助かる存在だ。
こんな貴重な、動く宝箱が町中を徘徊していたとはな。
「どういたしまして~っ! それではまた会う日まで、待っているぞっ!」
満面の笑顔を浮かべながら颯爽とこの場を離れていくウサギ。
途端に、快活だった空気が瞬く間に治まり、人気のいない閑散とした空気へと変わる。
人がいないのは、やはり第二城下塔の前で起きた騒動の影響だろう。
「……今のは、何だったんだろうな」
「ユニークなAIも作るものね」
「ああ……まぁいい。とりあえず新聞だ」
そう言って、有益なものを手に入れたかもしれないことに期待を抱きながら新聞紙へと視線を落とす。
決して大きくないその紙に、簡潔に掲載されてある文字は、
『 第二城下塔に『妹姫』が自らの身を隠蔽しているとの情報が出回っている。
炎の姫を救済できるのはあの方しかいないのに、皮肉な事態だ……との声が多数 』
それのみ。
この世界で言う新聞紙とは、報道について一言書かれた程度のものなのだろうか。
どのみち、ミデルたちが新しく得る情報はなかったようだ。
「やっぱり、炎の姫を救済できる力は『妹姫』が持っているのは、町の住民たちにも周知されてるんだな」
「そうね。彼らの場合は、電気が水に強いとかいう根拠より、単純な言い伝えや謂れなどで『妹姫』の存在を求めているように思えるけれど」
「……てか、よく見たらこの挿絵って地図じゃん!」
目が文字にいってしまっていた故に気付くのが遅れたが、文字のすぐ下にはマルクス城下町の一部と思われる地図が記載されていた。
リストマップで見られる世界の立体地図には拡大などの機能が備わっていないため、注視しても町の構造などは視認できなかったが、これなら町の構造が認識できる。
地図には、ある場所を黒丸で囲んでその上に『第二城下塔』と記されているところがある。
先程まで自分たちがいた場所だ。
辿った道を経由すれば現在地が分かる。
数分前に見た四人のプレイヤーは、この紙を見て『妹姫』の存在を知ったのだろうか。
「ミデル、見て」
「ん?」
「――第一城下塔が載ってあるわ」
「……」
シナミアが指差して示すところには、黒丸では囲んでいないが目立たない文字で『第一城下塔』と記されたところがあった。
――新しい情報だ。
「詰まるところ、この新聞紙も有益だったみたいだな。それで、第一城下塔に行くんだろ?」
「ええ。いるかは定かではないけれど、もし姫様のことを熟知する王子様のような存在がいるとすれば、そこにいる筈ね。崩落しそうな城にいるとは思えないわ」
見た感じ少し遠い気もするが、決して遠すぎることはない。
ミデルは頷いて「早速そこに向かうか」と賛同し、二人して歩み出す。
しかし、歩き出してまだ一分も立たない頃。
――監視の目が、背後から再び注がれた。
「シナミア」
「何?」
「俺らを追跡している者がいる」
簡素に物騒なことを言われたシナミアは表情こそ変えなかったものの、微かに目を細めたのが分かった。
「恐らく、路地裏でこちらを監視していた者と同一人物だ。……それに――一人じゃない気がする」
「……どうするの?」
彼女は狼狽えることなく、冷静にアイデアはないかと尋ねて来た。
「そうだな……一回、別れて走らないか? 災難に遭ったら助け合えなくなるリスクはあるけど、アイツらを尻尾から振り払うには強い手段だと思う」
「そうね。一応私もミデルも武器を持っているから、最悪何もできなくなる状態には陥らないでしょう」
一度離別することで、後を追跡する者を攪乱する策略だ。
シナミアは今も黒弓を胴体に掛けて携えているが、ゲームの初めの方に入手した短剣も装備している。
ミデルがいない間、誰かと接近戦になっても戦えることはできるだろう。
「丁度二人とも町の地図を持っているわけだし、元々の目的地だった第一城下塔に合流でいいな?」
「ええ。そこ以外にないわね」
「よし。それじゃぁ、速く行くとしよう。俺はここを左に曲がるから、シナミアは右でお願い」
「了解」
道の分裂が眼前まで迫り、二人はそれぞれの進行方向を確認した。
「最後に一つ。できるだけジグザグしながら、相手を惑わすように速く走ってくれ。奴等も、俺らが走ると気付けば走るだろうからな」
「言うまでもないわ。――また、第一城下塔でお会いしよう」
「無事を祈る!」
最後にそう交わし、二人は互いに反対方向へと発走した。
シナミアにも伝えた通り、新聞紙に載った地図を見ながら紆余曲折に道を走っていく。
時折後ろを振り返って追跡する人物がいないか確認するも、その姿は見当たらない。
上手く引き離せられているのだろうか。
「ぉ、人孔……?」
また別のとある路地裏を走っていると、地価の水道の繋がっているであろうマンホールを見つける。
石畳の地面に備われた人孔だが――無理矢理破壊されたように大穴が開かれている。
人が辛うじて入られるほどの大きさで、中の暗闇も見て取れた。
「多分、プレイヤーの仕業だろうな」
何のためにしたのかは分からないが、念のために覚えておこう。
今はシナミアとの合流があるため長居はできない。
地図をもう一度見下ろし、再び走り出す。
「ここを曲がれば、第一城下塔の筈」
第二城下塔から離れていくにつれ、人口密度も次第に復活する。
そんな道の中で、30分程走った挙句にミデルは無事に目的地に辿りついた。
「――シナミア!」
「あ」
計画通りの場所にシナミアの姿を見つけ、無難に合流を果たす。
場所は第一城下塔の眼前ではないが、少し離れたところにそれらしき建物は見て取れる。
「大丈夫だったのか。良かったぁ……」
そう言って胸を撫でおろす。
正直、シナミアの姿が見られてこれほど安堵するとは思わなかった。
「大丈夫だわ。HPも健全。あなたこそ、私より遅れるから心配したわ」
「すまねぇ。躍起に走り回りすぎたかもな……てか、シナミア速くね?」
「まあ……確かに、グネグネと走り続けていたのならもっと遅れていたでしょうね」
グネグネって表現が可愛いなおい。
「途中で相手を惑わす行為をやめた、ってことか?」
「ええ。ミデルと別れてから真後ろを追い駆けられていたけど、ある時を境に全く追わなくなったわ。明らかに、標準を私から外すように進行方向を変えていたの」
「……それは、妙だな……」
シナミアが言うには、何者かがこちらの後を追っていたのは間違いないようだ。
しかし、途中から追う必要がなくなったとなれば、彼等の意図が全く分からなくなる。
最初から俺達を特定して追ってくる理由も分からないが。
「まぁ、無事に合流できたからそれでいいだろ。あそこに第一城下塔らしき建物が見えるけど、あれで間違いないか?」
少し遠目に見える石造の塔を指差してそう尋ねる。
「あの建物で合っているわ。行きましょう」
事前に確認していたのだろうか、シナミアが迷いなく肯定してくれた。
そして、マルクス城下町に到着して以来の第二の目的地に辿り着いた二人は、数分前に見た石の塔と瓜二つである別の塔の眼前まで歩み寄った。
一目で分かる違いは、この塔は薄い電気の壁で包囲されていないこと。
しかしその代わりとでも言うべきか、塔内に入る大き目な両開きの扉を開けられないようにするかのように、緑色の茎や葉が雁字搦めにそれを固定している。
この塔も、中に入れないような魔法が施されてあるのだろうか。
それに加味して、扉の前には塔を防衛するかのように毅然と佇んでいる騎士が二人いる。
この有様を見る者は無論、扉に近づきたくもなくなるだろう。
だが、ミデルとシナミアはあの中に入る志がある。
推測するに、炎の姫を熟知する王子様のような存在がいるとすれば、あの中にいるだろう。
塔の前に立つ二人の騎士もその可能性を後押ししている。
二人は騎士たちの眼前まで歩み寄ると、ミデルが始めに口を開いた。
「すみません。この中って、入ってもいいんですかね?」
「駄目だ」
「え……」
予測できてはいたが、単刀直入な返答は少し無機質に感じられる程だった。
「なんで、入ってはいけないんですかね?」
「お前がこの塔に入る資格がないからだ。故に、我らがその質問に答える義理はない」
頑固で律儀な人格だな。
このまま穏便に塔内へ入れる気がしなかったため、少し踏み込むことにする。
「あの、この中には、王子様がいますよね?」
無論、ミデル自身はそのことは定かではない。
会話の流れや、活路を模索するために切り出した賭けだ。
眼前の騎士さんがこの質問に答えてくれるかは怪しい、が――、
「ああ、いる。だから、我らは貴様らをこの中に入れてはならないのだ」
「お、おお」
ついさっき、入ってはいけない理由を答える義理はないと言ったばかりなのに、呆気なくそのまま答えてくれたし、王子様が中に潜在していることをも肯定してくれた。
騎士の筋の通らない言い回しはもしかすると、王子の存在が容易に漏洩しないように仕組んだNPCのセリフなのかもしれないと、ミデルは脳裏で思惑する。
王子のことを知る人のみが、騎士と会話を深める権利があるかのような。
ともあれ、シナミアの第一城下塔に赴く策略は的中したようだ。
彼女の洞察力には感心する。
「扉は、植物で固定されているように見えますが、これはどういうことでしょうか?」
端的に気になったので、扉を示してそう尋ねる。
「二クロ王子様の能力だ。誰も入れたくない心情が悟られるだろ? 分かったなら王子様への敬意と共にとっととここを去れ」
先程からミデルとの問答に応え続けている騎士がそう叱ってくる。
が、ミデルはそれを歯牙にもかけない形で、緑に浸食された扉に手を差し伸べた――。
「やめろ」
――前に、騎士にベシッと乾いた音を立てて腕を掴まれ、阻止された。
そして、騎士のヘルメットの影で覆われた剣呑な眼差しをこちらへ向け、
「次に何かを試みれば、その命も危ういと思え」
常人なら身震いしてしまいそうな言葉に、しかしミデルは冷静に対応する。
冷静に、そして聡明に。
「――俺達は、炎の姫を救いたいから、王子様と会いたいんです」
騎士が一度は考えるような言葉を提供する。が、
「今までそう言って塔への進入を試みた人は何人もいた。無論、姫様を救う力を保持している者などいる筈がない。我らを虚偽で欺こうとしても無義だ。去れ」
「……違う。俺らは違う。必ず姫様を救える。信じてくれ」
感情を孕まないNPCにそんなことを請うても不毛に終わるのは分かっている。
分かっているが、ここを去る訳にもいかない。
考えるための時間稼ぎのようなものだ。
「信じることはできない。誰もこの中に入れてはいけない命令を下されているからな」
騎士の言葉を右から左へ聞き流しながら頭を回した挙句、思い至ったのは、強硬手段だった。
「――王子様よぉ‼ 聞こえるよなぁ‼ 力を貸せる奴がここに――うぐっ⁉」
腹部に強烈な打撃を喰らい、後ろへ飛ばされて倒れる。
情けなく石畳に尻餅をついた形だ。
周囲を行き交っていた町の住民たちからも短い悲鳴が上がり、ミデルの周りから人気が離れてゆく。
「黙れ! これ以上無礼を働けば命も危ういと言っただろうが! さっさとここを去れと言っている!」
「すみません。直ちにここを離れますので、許してあげてください。――ミデル、行くわよ」
これ以上粘っても得しないと判断したのか、シナミアがミデルを突き飛ばした騎士に向かって謝罪した後、僅かに怒りが垣間見える形相でこちらを見て諦めを要請してくる。
しかし、ミデルが素直に負けを認めて立ち去ることはしない。
最後にまで持ち込んだ手札がもう一つ残っているからだ。
「――――」
周りを見る。
町の住民もこの場から距離を置いており、こちらを偵察するプレイヤーの目もないように見える。
NPCやプレイヤーの目があるところでは打ちたくなかった手札が、今なら打てる、と言うことだ。
「……分かった。信じてくれないなら、信じさせてもらうよ。俺が、姫様救済の力になれるってことを、証明すればいいんだろ?」
「――――」
「こいつを見ろよ」
口調を強めてそう言ったミデルは、――コートを翻し、隠蔽していた『炎剣』を露呈した。
「何⁉」
宿泊施設で会ったおじさんの言っていたことは嘘ではなかったらしい。
ミデルの携える『炎剣』は、炎の姫が持っていた伝説の剣云々と似ている。
それは、驚愕する二人の騎士を見れば伊達ではないと分かる。
他の目があるところでこの手を打ちたくなかったのは、単純に注目を集めたくなかったからだ。
プレイヤーであることが露呈するし、重要そうなモノを持っていると周りに知らせたくなかったのだ。
そしてここで、今まで沈黙を貫き通していたもう一人の騎士がやっと口を開いた。
「いや、違う。実物はもう何年も前に紛失されたんだ! あれは偽物だ!」
「――もう一度聞いてくれ、王子‼」
「――――」
目の前の光景を否定する騎士だが、ミデルが再び叫べば同じように激高することはしない。
動揺が晴れていない証拠だ。
ミデルはこの好機を用いて中にいるだろう王子へのメッセージを続ける。
「聞こえてるんだろ⁉ 俺は姫様の所有物を持っている‼ これが、俺が姫様の救済に協力できる何よりの証拠だ‼」
錯綜して生え、扉を固定していた植物の一部分が消えてなくなる。
中にいた人物――扉を閉めていた人物が、外の世界へ興味を示したことを意味する。
「頼む! 力になると約束する!」
扉に固着した無数の茎が蠢き始める。
その変化に、二人の騎士とシナミアも驚きの形相で扉を振り向く。
茎の蠢きが止まり、扉の中心で縦に開けた、植物に束縛されていない空間が出来上がる。
丁度、扉を開けるに足るだけの解除だ。
そして、ゆっくりと、扉が開かれる。
「――――」
「……中へ入ってくれ」
――隙間から顔だけを覗かせた紫髪の王子様が、ミデルに向かってそう言ったのだった。




