1:14 『儚い色』
「ええ。ヒーローゲームで勝利した姉さんは、私たちを置いて『貴域』に移住したの」
「勝利⁉ すごっ! シナミアも妙に聡明な戦略を提案してくるなと思ったけど、姉さんから学んでたりするのか?」
「正確には違うわね。教わることなんてできない。けれど、事前に話が聞ける人物がゲームに参加し、その人物が何を頭に入れているのかを理解した状態で立ち回りを拝見していると、必然と学ぶものはあるわね。例えば、私が姫様の居場所へ赴こうと提案したのも、姉さんが試験中にユニークで奇特な動きに出たのを見たからそれを参考にした、とも言えるかもしれないわ」
「へぇ。姉さんって強い人なんだな。……でも、シナミアたちを置いて移住したってのは、どういうことなんだ? ヒーローゲームを受けていない者は共に移住することができる、とのことだったよな?」
ミデルも、母を『卑域』から連れ出すと約束したくらいだ。
それができないと言う可能性を心配した。
と言うより、自分の認識に誤解がないかを確認したかった。
「ええ、その通りよ。無論、姉がヒーローゲームで勝利した時、私はまだ試験を受けていなかった。つまり、姉さんは私を連れて『貴域』へ昇ることができた」
余談だが、試験の結果に伴う後始末には、このような制度もある。
『域』の降格を命じられた場合、家族を連れて移住するかの決定権はプレイヤー本人を除いた家族にある。
それに反して、『域』の昇格を命じられた場合には、家族の移住はプレイヤーが決めることになる。
『試験をまだ受けていない者』と言う、極僅かな『家族』ではあるが。
16歳以下の兄弟姉妹が主だろう。
「――でも、姉は私を連れて行くことはしなかったわ」
「……ゴメン。なんか、聞いちゃいけないものを聞いたかもな」
「気にしないでいいわ。仕方のないことだもの」
シナミアの、障ってはいけない深部に触れた気がしたので、言葉を慎むことにする。
「やっぱ、こんな試験って惨いものだよなぁ」
つくづく、そんなことを思ってしまった。
試験の内容に憧憬を抱いたとしても、背景が陰湿であることに変わりはない。
「そうね。ゲームのせいで、国の中にハッキリとした貧富の差が生まれてしまったもの」
「……野暮なこと言い出すかもしれないけど、話の流れからしてシナミアは『民域』出身でいいんだよな?」
「ええ、私は『民域』出身よ。充実した生活が送られる場所と思う、と言いたいところだけど、『卑域』出身であるあなたの前でそんな話をすることこそ野暮かもしれないわね」
「そんなことは気にしないな。でも、他の『域』では豊富な暮らしができると知っている分、余計に精神的に苦しいものが圧し掛かってくるときもあるかな」
「……哀れね」
本当に悲哀の感情が込められた声で、シナミアからそのセルフが聞かれるとは思わなかった。
今までは、そのセリフには嘲りにも似たものが混ざっていたからな。
「哀れ、そうかもしれないけど、俺はこの機に『卑域』を卒業する気だ。絶世の好機を無為にすることなんてできねぇ。母親もあの泥沼から連れ出すさ」
「……昇格を命じられると、いいわね」
「ああ」
笑顔で幸運を祈ってくれるシナミアが素直に嬉しかった。
個人的にも、試験に対する意気地を取り戻した気分だ。
それから僅かな沈黙を置くと、シナミアは何かを深く思慮するように天井を見上げ、
「……なんで、姉の夢なんて見てしまったのだろうね」
「分からなくもねぇ。俺も、この試験中にとある人物の夢を見た」
「とある人物? それって、母親ではなくて?」
「ああ、母親ではない……俺と同じ異人族である、狐族の少女を夢で見たんだ。薄茶色の髪の毛を伸ばしていて、名前はルーナ。ま、ただの友達のようなものだから深く考えるようことはないんだけどな」
ここでシナミアに夢で見たことを話すのも、ただ彼女を混乱させるだけだろうと判断し、説明はそれ以上続けることはしなかった。
だが、今この会話をしている最中、数時間前に見た夢が鮮明に蘇ってくる。
小さな洞窟で、シナミアと雨宿りをしていた時。
彼女と『本物の信頼』を築いたすぐ後の睡眠で見た夢だ。
◇ ◇ ◇
『ルーナ? こんなところで一人蹲って、何してるんだよ』
暗い、夜の、『卑域』にある森の中。
樹木伐採の労働の最中、命じられた目的の樹木へ赴いているところだ。
いつものように斧を持ち――持っていた筈なのに、いつの間にか消えていた。
いつも随伴してくる大人も、いつの間にか姿を消していた。
眼前には、樹木に背を預けて悄然と蹲る狐族の少女がいる。
『ミデルくん……でしたか』
彼女もミデルと同じ職務なのだが、一体何をしているのだろうか。
『そんな悲しい顔すんなよ。こっちも悲しくなってしまうだろ』
普段は意図的には口にしないような言葉、だった気がする。
『ミデルくん……明日の、民域で行われる花火大会……一緒に行きませんか?』
『民域』……そんなとこ、行けるわけがない。
『花火大会か、いいね、楽しそうだ。行こう!』
『え?』
『……え?』
誘いを快諾して、驚かれるとは思わなかった。
『そんな驚いた顔すんなよ。こっちも驚いてしまうだろ』
『すみません……ウチの誘いを受け入れるとは、意外でしたので』
『いやいや、誘いを快諾することに意外も何も存在しねぇだろ……』
少なくとも、ミデルはルーナの、友達としての誘いを快諾したことは幾度もある。
それに驚かれた覚えはない。
『そうですか……快諾されるのが、普通ですか……』
『……』
『花火大会のお誘いは、なかったことにしてください』
『……そっか、分かった。それじゃあ、また明日な』
この少女の瞳はいつも、どこか儚い色をしていた。
『はい。また明日、お会いしましょう』
暗い森の中にいた筈なのに、いつの間にか、いつもの帰路でいつもの別れの挨拶を交わしていた。
◇ ◇ ◇
「――ミデル?」
「……ぁ」
ボーっとしていた意識に、可憐な声音が入り込む。
「もうそろそろ、動くとしょう。今もゲームの真っ只中。話に耽ってしまった時間を取り返さなければならないわ」
「そうだな。すまねぇ、少し、ボーっとしてた見てぇだ」
ベットから降り、軽く腕を回すシナミアにミデルは彼女がここに来る前まで来ていたコートを手渡す。
「ありがとう。今更だけど、あなたも有益なコートを手に入れていたみたいね。ここで見つけたものなの?」
「いや、俺が燃やした村で戦ったあの盲目野郎から奪ったものだ。アイツからも、俺らの持っていたポーチを取られたから相子だな」
盲目野郎とは、文字通りでとれば誤り。
目が細いと言う理由で生まれた、単なる過度な謗言だ。
ともあれ、事情を説かれたシナミアは端的に頷いてくれた。
「あ、すっかり聞き忘れてたけど、HPは大丈夫か? 一応、ここの近くの八百屋で購入した果物を少し残しておいたけど」
そう言い、ベットの傍らに備えられている小卓の上に置いていた数個のリンゴを指で示す。
「HPは『50』。壮健だわ。心優しい気遣いは有難いけれど」
どうやら、長い眠りの間に全回復していたようだ。
矢の毒に、眠っても回復しないような悪辣な副作用はなくてよかった。
「そうか、じゃあ俺も健全にしておくか」
ミデルのHPは全回復までは届いていなかったため、リンゴを二つ程手に取ることにした。
「ここに残していくのは少しもったいない気もするが、入れ物がない分煩わしいお荷物にしかならないな。仕方ないか」
そう言い残し、ミデルとシナミアは部屋を出た。
マルクス城下町……いよいよ、気を抜かしてはいられなそうだ。




