1:13 『斜光の差し入る部屋の中で』
背後に赤く揺らめく水上村を控えている。
「危なかった……奴から奪ったあの黒岩に炎耐性がついていたとは、なんとも幸運なことであったな。お陰で炎の海を切り抜くことができた」
「そうだな」
「第二城下塔を隔てる電気の壁を打破する方法を探るためにこの村まで降りて来た訳なのだが、採取はなしのようだな。宝石を入手できるかもしれないと一時は思ったが、それもすらり手から滑り落としてしまった」
「そうだな」
「君は良くやったよ、ツラネ。あの少年を巧みな手業で縛ったのは見事だった」
「ありがとう、カリィナ」
「逃がしてしまったのは僕の失態。……宝石は逃れてしまったが、生憎と欠片を残して去ってくれた。その欠片とは、彼が言う『闇』が嘘であると言うこと。そして、姫様の情報を彼等が持っていることが間違いないと言うことだね」
「……」
「これからの方針だが、マルクス城下町に戻って、今もあそこで詮索を行っているタレムーとも合流しよう」
「そうだな」
「だが無論、本意はそこではない。……奴等、黒髪少年と、青髪少女。彼等を追い駆ける。僕の、いや――僕らの勝利の鍵は、あの二人が持っている」
◇ ◇ ◇
シナミアに頼まれた通り、ミデルは一時間ほどかけてマルクス城下町へと辿り着いた。
彼女がいつの間にか入手していた馬を適当に見つけた馬房に預け、意識を失ったままのシナミアを抱えてとある目的地へと足を運ぶ――。
この、マルクス城下町と呼ばれる場所はどうも奇特な場所だなと、そう思った。
まず、ゲームが開始してから雨が降った覚えはないのに、地面の随所には大量の水たまりが見て取れる。
それになにより、特筆すべきは遠くで屹立する王城……上部が、豪快に破壊されている。
時刻は既に早朝を迎えており、東から横に迸る陽光が奇抜な姿形を呈した王城を黄色に美しく映している。
天空からも目にしたが、やはり見間違えではなかったようだ。
……もう一つ、人も少ない気がする。
城下町と言ったら人々で溢れかえっているイメージがあるが、先程までいた水上村と差ほど変わらない。
むしろ、あの村の方が少し騒然としていたのかも知れない。
人々が移ったのか?
きっと、破壊された王城と無縁ではないのだろう。
程なくして、ミデルはこの城下町に入ってくる際に目にしていた宿泊施設へと辿り着いた。
今も寝続けるシナミアを考慮してのことだ。
辿り着き、それから約20分程スキップ――。
「ふぅ……」
椅子に座り、深いため息を一つ。
ここは、閑散とした宿泊用の部屋の中。
ミデルと、眼前のベットに横たわるシナミア以外には誰もおらず、無論、監視の目や他プレイヤーの耳が届く心配もない。
顔を深々の隠蔽していたフードを外し、長くボサボサな黒髪が刹那だけ空中を泳ぐ。
フード――それは、足元まで覆う程に長い薄茶色のコートが有するもの。
コックユニフォームから着替えたミデルは、剣を交えた緑髪の少年から奪取することができたコートを着衣していたのだ。
これなら、もっと確実に自分がプレイヤーであることが露呈しなくなる。
「ポッケに金が入っていたのは、流石にラッキーだったな」
視界の左上に『42』と記された薄緑色の数値を見て、そう吐いた。
幸運にも、ミデルが奪ったコートにはこの世界固有の貨幣が潜んでいたのだ。
それも、少なくはない数量――5000バルコス。
価値は現実世界のラマンノール王国のものと同等らしい。
まったく、どこでこんな大金を手に入れられたのだろうか……。
今は、シナミアを一度宿泊施設に預けた後、彼女を置いて城下町の八百屋へ赴き、大量の食糧を購入した後だ。
一気に捕食しHPを回復させ、宿泊施設に帰還して今に至る。
店の人に困った顔をさせてしまったのは記憶に新しい。
無論、シナミアの分も購入している。
この部屋を借りられているのも、コートがもたらした恩恵のお陰だ。
とは言え、『4』しかなかったHPを長時間保持し続けていたことには流石に冷や汗をかいたものだ。
万全なHPに戻ったことはやはり安心する。
「………………………まだ起きない、か」
眼前で寝続けるシナミアを眺めながら、落胆と憂慮の混ざった声を漏らす。
肩を揺らしても、額を軽く叩いてみても反応はない。
シナミアの背に刺突した、レアアイテムと思われた矢は、一体どれ程厄介なものなのだろうか。
ゲーム進捗を把握するため、左腕に括られたリストマップを起動させ、浮かび上がった立体地図の右下に綴られたデータに目を向ける。
残り時間:19時間31分
プレイヤーの現在人数:13。
ライフの平均値:1.4。
見た感じ、短時間で数名の失格者が現れたようだ。
ライフの平均値も減っている。
馬でマルクス城下町まで疾駆していたときの平原でも数匹のモンスターと遭遇したし、遠くから他プレイヤーの強敵との戦闘から来るものと思われる爆音なども聞こえていた。
時間が経つにつれ、環境も危険度を増しているのだろうか。
「あと五分だけ、待つとしようか」
八百屋から宿泊施設に帰還してから15分ほどシナミアの目覚めを待機している。
彼女には悪いが、ここでずっと待っているのもゲーム攻略へ支障を来しかねない。
他プレイヤーに後を越されてしまうため、あと五分だけ運に賭けるとする。
しかし逆に考えれば、15分もシナミアの覚醒を待っているのか。
今まで意識していなかったが、15分も動かないとなれば、それだけでも不利を来すには十分な筈だ。
それなのに、彼女の目覚めを待っている。
そんなに、俺にとってシナミアは大切なのか……?
「考えても仕方のないことか……」
そう呟き、壁に掛けられてある飾り絵へと目を向けた。
今まで椅子に座っていた15分の間もずっと、この飾り絵が気になって眺めていた。
飾り絵、それは――。
下から舞昇る悪魔。
悪魔が見つめるものは三つの珠玉。
青色の珠玉、赤色の珠玉、白色の珠玉。
ミデルには、それら三つが『水』と『炎』と『氷』の、三つの比喩表現であるように見えた。
この飾り絵が気になるのはその独特な外見だけが理由ではない。
この部屋は建物の上階に位置するが、下の階で部屋を借りる軽い手続きを行っていたときにも見かけた飾り絵だ。
ここに住む人たちにとって大切な絵なのだろうか?
そんなことも思慮できるが、それよりもゲーム攻略のヒントであると見るべきだろう。
『炎』と『氷』に関してはピンとくるものがある。
無論、題名でもある炎の姫と、彼女を青き氷で氷結させた巨大な蛇。
姫を氷結させたのがあの大蛇であるかは明確ではないが、ラスボスに近いような強敵であることには相違ないだろう。
しかし、下に見える闇を象徴するような悪魔とは何になるのだろうか。
絵からして、悪魔は三つの珠玉を欲しているようも見えるが、ラスボスではないのだろうか。
それに、『水』も分からない。
この世界のどこかで、重役を担う『水』がどこかに存在すると見るべきだろう。
ミデルが飾り絵を凝然と見つめて黙考している、そんな時。
「ぇ……」
「――シナミア?」
「……ミデル」
「やっと、起きてくれたのか」
そろそろこの部屋を出ようかと決意する頃合いだったので、深く安堵する。
不思議そうな目で部屋を見渡すシナミアの瞳は、いつも通りに透き通っていて奇麗だった。
「ここは、どこ?」
「宿泊用の部屋を借りたんだ。地帯はマルクス城下町。君に言われた通りに来てやったぜ」
シナミアは体を起こし、ベットに座った状態になる。
「そっか、私は、矢に刺されて、それで……ごめんなさい」
自分がここにいる理由がミデルの配慮であることに気付いた途端、彼女の相貌が罪悪感に歪んだのをミデルは見た。
「え、謝らなくてもいいだろ。謝る理由はどこにもないぞ」
「いえ、戦犯は許される行為ではないわ。それに、二度も助けられる羽目になって、私……情けないわね」
どうやら、少々強気な性格と同じように、自分に厳しい一面も持っているようだ。
「情けなくない。仕方のないことだろ。事実、あの時、俺が後ろを振り向いていなければ矢は俺に刺さっていたわけだし、誰に刺さっていたとしても理由は運が悪かったってだけで、戦犯なんかではない」
「……。あなたは、私が目覚めるまで、ここで待ってくれていたの? プレイヤーの皆が今も立ち回っているのに」
腑に落ちないことでもあったのか、そう尋ねて来た。
「そこに関しては悪かったな。情報を集めておくべきだったかもしれない」
「いや、いいの。足を引っ張ってしまった私に何も言える権利はないわ……本当に、ごめんなさい」
「おいおい、だからそんなに謝るなってば。感謝してくれた方が百倍嬉しいぞ?」
観念したのか、もしくは、何かに気付いたのか、こちらを向くシナミアの瞳に罪悪感というものが少しは晴れた気がした。
「……そうね。ありがとう……また、私を助けてくれて」
「ノープロブレムだ!」
親指を立て、満面の笑顔でそう返してあげる。
シナミアが罪悪感を晴らしてくれたのなら、こちらとて嬉しいことだ。
シナミアも、眼を細めて軽い微笑みを返してくれた。
しかしそれはゆっくりと崩れてしまい、儚い、悲し気な表情へと変貌してしまう。
「……シナミア?」
項垂れてベットを見つめる彼女に声を掛ける。
「……この世界でも、夢は見られるのね」
「え?」
返ってきたのは、そんな少し想定外な言葉だった。
「姉が出てくる夢を見てたわ。大したことは起きなかったけれど……色々と思い出すきっかけにはなったね。姉は、私を心の動きやすい妹だとよく言っていたの」
「心の動きやすい人、か。俺にはそうは見えないけどな」
「それが原因なんでしょうね。表では頑固な性格を持っているとよく言われるわ。でも、内側はそうとは限らない。私でもはっきり分からないことだけれど、姉が言うなら、きっと間違いないのでしょう」
「そうか……姉は、大切な存在なのか?」
「ええ。大切な存在……ね」
「俺にとっての、母親みたいな存在、なのかな……?」
ミデルは兄弟や姉妹と言った存在がいないため、何となくそんな言葉が口から出てきた。
「そうなのかもしれないね。でも、ずっと一緒にいるような欠かせない存在かって言われると、そうであると断言できないわね。五年前に離れ離れになってしまったもの。……間に、分厚い壁を挟んで」
「分厚い壁……それって、『域』が分かれてしまったってことか?」
「ええ。ヒーローゲームで勝利した姉さんは、私たちを置いて『貴域』に移住したの」




