1:12 『炎上村』
キノコスープをがぶ飲みした結果、HPは『41』へ上昇。
ライフ消失の危機を逃れたミデルはシナミアを捜索するため、黄色い魔法石で照らされた夜の水上村を徘徊していたわけだが……。
――プレイヤー。
それが、ミデルの脳裏を過ぎった言葉。
道を行き交う村人達で紛れた視界の奥の方、路傍で果樹を売る老婆の前で佇む者が意識に引っ掛かったのだ。
『ナガサラ森林で採れた美味しな果樹~』なんて宣伝している老婆を見向きもしない彼。
台に置かれたミカンを凝然と見つめるその雰囲気がNPCの無機質なそれではない。
プレイヤーであろう彼を殺めてライフの剥奪を試みても良いが、それは自分がプレイヤーであることを周りに露呈させることにもなるし、HPも不明なため一撃必殺に失敗すれば迎撃にも合いかねない。
暗殺するかしないかを葛藤していると――代わりに、誰かがしてくれた。
「っ!」
「きゃあああああああああああ――!」
眼前で繰り広げられた、プレイヤの他プレイヤーへの不意打ち殺害。
後頭部への強烈な刺突は、HPが『50』あろうと五秒も持たないだろう。
血が巻き散ることはないが、周辺にいた村のNPC達が悲鳴を上げて散開した。
果物屋の老婆も、青ざめた血相でドタバタしながらその場を去る。
ポフッ、と音を立てて無数の水色の粉末と化したプレイヤーはその場から姿を消した。
「…………」
一人、建物の影に身を潜めて殺人者の様子を窺うミデル。
まるで邪魔だったから殺したかのように、販売者のいなくなった果物を口へ運んで咀嚼している。
フード付きの長いコートを着衣した彼はプレイヤーで間違いない。
――今なら、殺せる。
周りに人はいない。
周りにNPCがいた時とは違って、近くにプレイヤーがいる可能性が払拭されるのだ。
自分がNPCではないことを露呈することで他プレイヤーから狙われることはないし、注目を浴びることもない。
迎撃に合う可能性は消えないが、こちらのHPは『41』、彼が食料を捕食していることも考慮すればこちらが有利な方である筈だ。
倒せば老婆の放棄した果樹を独り占めにポーチへ詰めることもできよう。
それに、他プレイヤーを殺めた回数など、形の残る結果は審査員の批判に大きな影響を及ぼすと、試験開始前の黒服の男が言い渡していたのだ。
この機を逃す選択肢はない。
「――――」
流れる風の如く、音一つ立てずにフードを被る暗殺者の背後まで接近。
静謐な厨房でした時と同じように、『炎剣』を肩の後ろまで引いて彼の後頭部へ強烈な刺突を入れる――が、
――カキィィン……と。
「うおっとっ」
『炎剣』が甲高い響きを鳴らして弾かれた直後、繰り返されるロングソードの迎撃に身を翻して躱し、後ずさる。
フードを被った彼はこちらへ追撃してくることはしない。
代わりに、フードを外して相貌を露わにし――、
「少し間、僕の道具になってもらう」
緑の髪を伸ばした細目の少年が、微笑を浮かばせてそう嘯いた。
「男同士で剣を交わすことになるなんて胸が高鳴るぜ。と言っても正直感心したな、『炎剣』を携えたハーフエルフを前にしてその悠々な佇まいよ」
「君があのハーフエルフだったとはね。まぁ、変わりはないことでしょうよ。『卑域』の民なんて皆平等に塵芥も同然さ」
「そうやって侮ってろ。――痛い目を見るのはそっちだからなぁ‼」
地を蹴り、正面に佇む緑髪の少年へ突進。
『炎剣』を振って赤き火炎が彼を焼き焦がさんと剣から迸る。
しかし、緑髪の少年も間抜けではない。
ミデルの新鮮な斬りを躱し、ロングソードでミデルの横腹へ迎撃を仕掛ける。
が、やはりエルフの血を保持するミデルも上出来、冴えた反射神経で下から迫るロングソードを弾き返す。
「ふっ、エルフの謂れは伊達ではなかったかもしれないね」
剣を交えながら呟いてくる。
「お前もよく動くんだ、さぞ観戦者も楽しめる上映ができているだろうな!」
この少年が前々から剣術を身に着けていたのかは分からないが、ゲーム開始前の一週間を剣一筋に修練していたハーフエルフと拮抗な戦いになっている。
HPの仕組みは、ヒーロー・ゲームの面白いところであるとミデルは思う。
頭部への不意打ちでは五秒以内に全失するものの、こうやってプレイヤー同士での拮抗な対戦が即座に終わることもなくなる。
胴体に深々な一撃を喰らっても命を落とすことはなく、次へと繋がる。
「――しっ!」
死のリスクを負うことなく、そしてすぐに終わることもない剣をぶつけあう本気の交戦。
ミデルはそれが、堪らず楽しくなってしまっていた。
やがて戦いの舞台は果物屋の前だけに留まらず、建物の屋根の上にまで運ばれる。
斬り、躱し、飛び、弾く。
お互いにHPを刻一刻と削られながら、奮戦は苛烈さを次第に増していく。
振って振って振り続ける『炎剣』から絶え間なく迸る火炎。
それが、ほとんどを木材で建築された村に与える影響は一目瞭然であり――、
「この炎の中でも、何故お前は鈍らない!」
苛立ちを孕み始めた声で叫ぶミデル。
――視界が、炎に包囲されてゆく。
「君もその炎の剣を振るのは辞めた方が良いのではないか? この村と共に大切な情報源を燃焼させかねない」
「黙ってろ!」
炎の海と化する村の中、鋼が衝突し合う甲高い響きは鳴り続け、戦いは文字通り熱を増す。
炎に晒されながら戦う緑髪少年は、しかし着衣する布のコートを燃やされない程に素早い動きを見せていた。
「きゃああああああ――!」
窓を潜り抜け、料理屋の中へ乱入。
穏やかに食事を堪能していた客たちの悲鳴が上がり、間違えて斬ったNPCの体から血が辺りに飛び交って場は混沌に陥る。
円卓の上を舞台とした剣舞。
料理具、食器具や椅子などを駆使した戦いも、拝見者にはさぞ刺激的な一幕であろう。
そして、舞台が移行した頃には、料理屋の中は既に火炎が蔓延して燃え上がっていた。
「――くっ!」
外へ出た時、視界の端で捉えた数値は『17』と記されていた。
敵へ着実にダメージを与えている自覚はあるが、彼が自分に与えているダメージより劣っている気もする。
屈辱ではあるが、彼の冴えた剣術にミデルの一週間の修練は及ばない。
このまま交戦を続ければ危ういと判断し、隙を探して逃走の好機を待つ。
だが――敵もそんなミデルの心情を見透かしているように、隙を見せてはくれない。
更に苛烈化する剣舞の連発。
振り、弾かれ、翻し、往なし……斬られる。
HPは既に『11』へと落ちている。
ここで退避しなければ間に合わないと意を固めたミデルは、遂に敵に背を向けてその場からの逃走を図る――しかし、
「――今だ! 出てこい!」
「なっ――グハッ!」
背後から届く少年の叫び声に危惧を抱いた時にはもう遅かった。
――何かに足を引っかけ、顔面を地面に打ち叩く。
すぐに起き上がろうとするも、それも叶わない。
瞬く間に、紐で両足が拘束されていたのだ。
誰音巧技かは知らないが、あまりにも速すぎる。
後ろを振り返って抵抗を試みるが――ミデルの想定した相貌とは異なるつり目の緑髪少年に手が刹那だけ止まってしまった。
「――ぐっ」
それが命取りとなり、背中を膝で押し付けられ、抵抗を許さぬ膂力で掴まれた手首が背の後ろで一秒も持たずして紐に括られる。
四肢の完全拘束。
それはあまりにも速く、まるで腕が四つあるような技量で為された巧技。
――否、腕が四つあるのは比喩ではなく、文字通りだ。
敵は、二人いた。
「捕まえた、っぞお!」
「あがっ……!」
持ち上げられ、横合いの木材建築物へ放り投げられた体は木造の破壊音を立てながら建物へぶつかる。
まるで、身動きの取れないミデルを弄ぶような、挑発にも似た行為だ。
背中を痛めるミデルは地面に倒れで咳き込み、嵌められた事実に悔いと焦燥を抱く。
出来すぎだ。
二人目の奇襲は偶然でも何でもないだろう。
ミデルをこの場まで誘導するように交戦しながら、HPの消失加減を見図られたのだ。
「――なぁ、お前」
「くっ……っそ!」
ミデルの体を再び持ち上げた細目の少年――ミデルと交戦したその少年は、今度はミデルの体を背後の壁へ強く押し叩くと、銀色のロングソードでミデルの携えていたポーチの肩掛けを切り、中の黒岩と共に奪われる。
そして間髪入れずに、ミデルの肩にその刃物を突き付けた。
肩に刺さり、更に背後の建物まで刺突した形だ。
そして、理性的で真摯な瞳で見据えられ――、
「姫様を見たんだろ」
「――っ⁉」
自分が置かれた窮地に焦燥を抱き、肩に刺さったロングソードから削り落とされるHPの音が心情をかき乱す。
『炎剣』は傍らに落ちてあるが、微妙な距離で縛られた手では届かず、体は少年の剣と共に壁に押さえつけられて動けない。
「見たものを話せ。話してくれればこの剣を外し、お前を逃がしてやる」
彼の言っていることは本当なのかと疑う心の余地はなかった。
このままだと、HPがゼロになりライフを失う。
即今のHPは『9』。
削られる速度からしてもう五秒もしない内にすべて失う。
このような逼迫した状況に陥ると、頭も碌に回らなくなる。
後ろで控えるつり目の少年と、眼前の細目の少年。
緑髪である二人が狙っていた状況がこれだったのであろう。
ミデルを窮地に追い込み、見たものを吐露させるという画策。
事実、ミデルはその画策に嵌りかけており、
「――――」
『氷結された姫を見た』と、口にしかけたその瞬間。
脳裏に、シナミアの姿が掠めた。
今、ライフを維持することよりも大切なことだったのだろうか。
彼女の思案した戦略を無為にしたくないと、そう思ったわけでもない。
もっと漠然と、仲間である彼女と、仲間であり続けたいと、そう思ったのかもしれない。
「――闇!」
「なっ……」
「闇を見たんだ! 暗くて何もなくて、その奥に姫様がいたんだ‼」
「――――」
――スッと、驚くことに、少年は約束通りに肩に刺突していたロングソードを抜いてくれた。
嘘を付くことは名を汚すことだ、とでも言うような律儀な人格なのだろうか。
ミデルにとっては有難いことだ。
――何故なら、ミデルも純潔な人格をしているわけではないからだ。
「――あがっ!」
油断した細目の少年の足を、拘束された両足で蹴り、足を宙に浮かせた少年はそのまま地面に倒れる。
ミデルがこのような動きをとれるとは予想できていなかったことだろう。
更に、ロングソードを持つ右手が眼前の位置に挙げられた刹那を狙い、剣の持ち手を思いっきり蹴飛ばしてロングソードを彼の手元から離させる。
――更に。
緑髪少年が攻撃できなくなった隙をついて、束縛の開放を試みる。
動かせられるようになった胴体を傍らに落ちてある『炎剣』へ傾かせ、柄を掴む。
そのまま両腕を縛る紐を刃に当てて、自らを切るように紐を刃に押し付けながら立ち上がれば、僅かな炎の熱と鋭利な切れ味によって紐は切れて両手は自由を取り戻す。
これらの繊細な動きは全て二秒の内に果たしている。
細目の少年は起立したばかりだ。
素手でこちらへ追撃をしに両手を伸ばしてくる彼に向って、解放された両腕をまだ露呈していなかったミデルは『炎剣』を掴んで彼の首元へ一閃。
「闇、心得たか‼」
足を固定されての一振りは奇麗に決まった。
すぐに脚を縛る紐をも切ると、左へ流れた細目の少年を置き去りに、続いて正面に佇む無防備な――否、仲間のロングソードを手に持った吊り目の少年へと突進。
今になって気付いたが、シナミアと同じように彼も胴体に弓を携えている。
彼も自信の持ち主なのか、毅然と剣を構える姿は弱々しく見えなかった。
が、奮起したミデルにとってそれは些細な相違に過ぎない。
「この勝負は、俺の勝ちだ‼」
炎に包囲された灼熱の中、HPは『5』。
少年のロングソードの構えをものともせず、弾いて斬って斬って斬って――、
『炎剣』による猛撃を続けていれば背後から誰かが再び追ってくる気配がし、配慮を怠らずに振り向いて迎撃を打つ。
気持ちい。
最強の騎士の感覚がした。
勝てる。
自分一人で、この二人の凡人を打ち倒すことができ――、
「――うえっ?」
誰かに料理人のユニフォームを引っ張られ、足が浮く。
そのまま――まるで地を駆ける馬に引っ張られているかのような速さで二人の緑髪少年と距離が離れてゆく。
偶然、細目の少年の着衣していたコートを掴んでいたので、今はそれを手元に持ってあるが、対照的に彼等はミデルのポーチを奪取している。
「――凡人になりかけていたわね、ミデル」
そう、可愛げな声音で辛辣な言葉を浴びせられ、体が上に引っ張られる。
――気付けば、青髪の美少女と共に馬を跨いでいた。
「シナミア!」
「無事で何よりよ。今はとにかくここを無難に脱出するわ」
手綱はシナミアが司り、彼女の後ろにミデルがいる二人乗り。
体勢を保つためにシナミアの腹部に手を備える。
普段なら小恥ずかしいことではあるが、炎に包囲された状況ではその気にもなれない。
馬はまっすぐ、ミデルの手によって燃え上がってしまった村の中を驀進し、湖を渡ることができる橋の一つを目指す。
程なくして橋の一端まで辿り着くことができた頃、様子が気になった故にミデルは後ろを振り向いた。
振り向いた――結果、一直線に飛んできた矢を偶然にも回避することができた。
しかし――、
「――いぁっ!」
「ぁ」
ミデルの前方で馬を御していたシナミアの肩へ刺突。
「……くっそがっ!」
すぐに矢を彼女の肩から抜き、手に持つそれに目を凝らす。
矢柄も、矢羽をも鉄製で作られた奇抜な見た目をした矢。
鋭利な鏃の先端だけは淡い青竹色の燐光が付着しており、ファンタジー世界には似つかわしくない姿形に見える。
ミデルはそれに思い当たった時、この矢がレアアイテムであることにも感づいた。
「あいつら……」
憎たらしい呟きを吐きながら再び背後の様相を振り向いて確認する。
蔓延した火炎の中で、炎の揺れに容貌を滲ませる緑髪少年の二人がこちらを向いて佇んでいるのが見て取れた。
相貌は窺い知れないが、どこか悠然と佇む姿は炎の熱に無害であることを呈していた。
それはきっと、ミデルから奪取したポーチの中に入っていた炎耐性付きの黒岩を食したからだろうと、ミデルは推測する。
勝手な想像だが、ポーチに入っていれば食料である可能性には思い当たることができ、HPの回復のために食したそれが奇跡的にも炎耐性の食料であった、という流れだったのだろうか。
後の有益のために保存していたそれが、敵のために役立つとは皮肉な末路だ。
そんなことを思慮していると――馬の進行が僅かに揺らいだ気がした。
「シナミア? ……おい!」
道理で、静かだと思ったものだ。
ゆらゆらと体勢を揺らしていたシナミアが、とうとう馬から転落しそうなまでに斜めに傾倒したためそれを慌てて支えてあげる。
様子がおかしい彼女に声を掛けても、すぐに意識を覚醒する様子はない。
「くそ、レアアイテムはどこまでも理不尽ではねぇのか⁉」
放り投げていた矢――その鏃の先端にあった青竹色の燐光の正体に気付く。
何かしらの害を与える、毒だ。
リスポーンせずにただ意識を失いかけている様子を見れば、HPを削るような猛毒ではないことだけは察せられる。
「……馬を、マルクス、城下――」
「分かった、聞こえたぞ!」
意識を失いかけているようなシナミアの言葉を、ミデルは拾うことができた。
シナミアが元々、偽りの方針としてミデルに伝えた目的地――『マルクス城下町』。
詳細は分からないが、ゲーム攻略の鍵となりうる強力な情報源がそこにあると判断したのだろう。
しかし、何故行くのかは大切ではない。
彼女が俺に命令したからそれに従うだけだ。
最初は仲間作りなんて馬鹿げたことだと思っていたものの、今になっては、どこか楽しい気分にすらなっていた。
まるで物語に出てくるような、旅の仲間と協力する冒険者の気分。
ヒーローに仲間は付き添うものだな。
そんなことを淡々と考えながら、眠るシナミアを抱えてに馬を走らせたのであった。




