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ヒーロー・ゲーム ~姫様を救う試験~  作者: {出見塩}
第一章 炎の姫
11/25

1:10 『氷蛇』

 「――は?」


 正面には針状の氷の影から身を乗り出したシナミアの姿もあり、彼女も当惑している様子だった。

 ミデルは錯乱しながらもシナミアの傍らまで走り寄る。


 「おい、ここに、出口があったよな?」


 「ええ、あったわ。でも、知らぬうちに塞がれていたみたいね。洞窟のからくりかしら」


 あった筈の通路が、周りの青き氷に覆われた壁と一体化して姿を消していた。

 後ろを振り向けば、依然として氷結されたままの姫様が広い空間の中心に鎮座している。

 当然と言えば当然だが、ミデルの試みは失敗に終わったようだ。

 僅かな失望を抱きながら再び壁の方――出口の消えた壁の方へ向き直る。


 「どうする」


 「他に出口を探すしかないわね」


 「だな。探しに行こう。ここにいても碌なことは起き――」


 唐突に、唇に人差し指を当てたシナミアが真摯な眼差しでこちらを向いた。

 沈黙の命令だ。

 何があったのだろうか、何かに気付きでもしたのだろうか。


 二人の間に静寂が訪れれば、シナミアは再び氷の壁の方へ視線を戻した。

 ミデルもそれに倣って目線を戻す。

 平らな、奇麗で燦然な氷の壁。

 直後、違和感が脳裏を過ぎる。

 何か、どこかが、違う。

 近い。歪。形が正しくない。うるさい。……壁では、ない。


 ――正面、開かれた巨大な瞳が二人を睨みつけていた。


 「――っ⁉」


 猫の瞳を彷彿させる、縦に長い瞳孔と黄色く輝く角膜。

 別世界への入り口であると錯覚させる程の巨大な眼玉がぎょろりと蠢いてこちらを見据える。


 「シナミア……リスポーンは勘弁――」


 『だ』の文字が続く前に、巨大な氷のモンスターが突然動き出し、瞬く間にその口腔を大きく開いて二人へ猛進。

 二つの鋭利な牙と、その間から姿を覗かせる、先端が分裂した鞭のような長い舌。

 その、プレイヤー20人をも鵜呑みにできそうな程に絶大な口腔を刹那だけ見ても脳裏を過ぎる言葉は一つ――大蛇だ。


 「――ふっ!」


 こちらへ驀進する牙を紙一重で右へ回避し、硬い床に飛び込み前転。

 対するシナミアは左へ回避したため、彼女が怒涛の猛攻を躱しきれたかは定かではない。

 間左を轟然と横切る巨大な氷の壁から強烈な冷風が体に押し寄せる。


 後ろ――蛇が突き進んだ先を振り向けば、ミデルに標準を定めた黄色き眼光が二つ。


 「……よくも、俺らを嵌めたな」


 長い身体をしなやかに屈曲させ、こちらを振り向いた大蛇を正面から見据えたミデルは『炎剣』を前に構える。

 蛇は獲物の勇敢な行動を歯牙にもかけずにそのまま突進。


 正面から猛然と近づく恐怖に対し、ミデルは怖気づかずに意識をそこだけに傾注する。

 ハーフエルフの本領発揮だ。

 高い身体能力とは、現実の体をそのまま表現した仮想現実の体でも同じく発揮できる。

 大岩と応戦したときの感覚を思い出しながら、眼前まで迫った大蛇の口腔を跳躍で躱す。が――、


 「――ぐはっ⁉」


 ――躱しきれず、露出された蛇の赤き鞭の苛烈な打擲によって斜め後ろへ吹き飛ばされ、背骨を背後の冷たい壁に強打する。

 HPが一気に落とされるに伴って鮮明な痛みが全身を焼けば、壁から剥がれ落ちた体は真下へ落下。

 続いて冷たい床に体の表面が打ち叩かれる。


 「いってぇぇ……」


 正面でカランッ、という硬質な音が響いてそちらに目線を上げれば、上空から降下した『炎剣』が氷の床に落ちていた。

 そして、上げた目線の直線上には――、


 「――ミデル⁉」


 「――――」


 ――黄色い眼光を爛々と輝かせる大蛇が、シナミアの背後から彼女に驀進していた。


 正面に広がる光景は次のように構成されている。

 直線上に、眼前に『炎剣』、その奥に広い間隔を空けてシナミア、そして彼女を襲いに掛かる大蛇。

 ――ミデルは、咄嗟に動いた。


 「――動くな! ヤツの攻撃を躱すな‼」


 「え?」


 発走と共に『炎剣』を拾い上げて背の鞘に収納し、スピードを欠片も落とさずにシナミアに向かって疾走する。

 少女を両側から挟む形で、大蛇とミデルが彼女へ突き進む。

 ミデルの足よりも大蛇の方が速いようだが、距離はミデルの方が近い。

 僅差で、大蛇の口腔から伸びる赤い鞭がシナミアに届くより前に、ミデルは彼女を抱き上げ、氷の踏み台を蹴って真上へ跳躍し、今度こそ大蛇のしなる強靭な舌を回避した。


 「掴まれ!」


 「な……」


 空中で抱き合う形となった二人。

 真下を高速で猛進する氷の列車。

 しがみつく力を更に込めろとシナミアに命令する。

 何故なら、彼女を抱くミデルの腕は左腕のみ。

 右手は――氷の列車から伸びる黒い背びれに標準を定めていた。

 そして、やがて大蛇の背に落下した二人は、そのまま蛇の猛進に体を持っていかれる。


 「――くっ!」


 大蛇の硬い背びれにしがみ付くミデルは決してそれを手放さず、シナミアと二人で蛇に付着した形になる。

 背中の痒い部分を煩わしく思うかのように、大蛇の動きは途端に激しくなり無秩序に蠢きまわる。


 大岩の時と似たような状態だ。

 ただ、一つだけ決定的に違うことがある。

 それは、ミデルたちに勝ち筋はなく、ただ命を繋ぎとめることしか頭に入っていないことだ。


 「まって……」


 突然、無造作だった蛇の動きが変化する。

 まるで、もう我慢ならないとでも言うかのように。

 ――まっすぐ、まっすぐ、洞窟の壁に向かって驀進し始めたのだ。


 「……シナミア」


 「――――」


 「ちょっと、痛いかもしれん」


 直後、轟音を立てて破壊された氷の壁の中へ侵入――物質の定則をものともしない勢いで地中を抉って穿孔し、障害物という概念を失った三次元を自由自在に移動する大蛇は上へと突き進む。

 どうやってしているかは分からないが、易々と地下世界の岩を削って前進しているのだ。


 二人は、背びれを掴んだまま蛇と共に闇の世界を泳ぐ。

 大蛇は首元よりも頭部の方がサイズが大きいため、穿たれる大穴の壁と蛇の背びれとの間に僅かだが隙間が生まれ、ミデルたちは磨り潰されずにすんでいる。


 絶え間なく鼓膜を揺さぶり続ける轟音。

 冷却の背びれを掴む右手と、定期的に肉体を掠める硬質な岩が全身を痛み付ける。


 しかし、やがては、――それら全ては一瞬を境に消えてなくなる。


 「…………」


 轟音の後の、静寂。

 混沌の後の、安寧。

 痛みの後の、微風。


 ――ここは、天空。

 砂塵に埋もれた、空の上だ。


 「ぁ」


 背中に付着したゴミを振り払うため、鞭のように身体を弾いた大蛇。

 氷の体をぶつけてきた勢いに負けたミデルは、背びれから右手を手放しただけではなく、左腕で抱いていたシナミアをも手放してしまい――、


 「――シナミア‼」


 地上で発生していた砂嵐は天空の方まで届いているようで、数メートル先すら砂塵に遮られて見えない。

 瞬く間にシナミアの姿が見えなくなったのだ。

 ――が、それも、数秒の憂慮に過ぎなかった。


 「――はっ」


 まるで、暗闇に満ちた部屋の電気を付けた時のような、一瞬の変化。

 ――世界が、見える。


 「…………」


 この時だけは、ミデルは我を忘れて放心してしまった。

 天空から見下ろすファンタジー世界。

 連なる山、明媚な森や川。


 遠く――上部を破壊された城もやけに美麗だ。


 なかなかに珍しい――いや、まず有り得ないこの景色は、やはり美しい。

 橙色に染まった空に気付き、左――西の方を見れば、黄色く輝く太陽の光が目を焼き付けてきた。

 あれは、日の入りだろう。


 「――――」


 烈風に体の表面を煽られながら落下してゆく。

 正面の少し離れた位置にシナミアの姿も見えるが、彼女との距離は次第に拡張している。


 地表に視線を落とすと――広大な湖の上に浮上する村が見て取れた。

 村が形成されている場所は湖の中心部だけであり、周りには安全に落下できる湖の面積が残されている。

 十字を描いた、村へ繋がる四つの橋は湖を四分解しているように見える。

 ミデルが落下する先は、恐らく丁度あの湖の上。

 シナミアも、距離的にまだ湖の範囲内に落下できる筈だ。


 「流石に、ついてる」


 幸運だ。

 あの高さから落ちれば草の上であろうとHP『50』フル喪失は免れない。

 まして今のHPは『7』。

 ちょっと、今考えると水の上でも怪しい数値にも思える。


 胸元に両腕を組み、揺るがぬ芯の如く体を硬直させて、体への衝撃を最小限に収めるよう空中で体勢を整える(『卑域』で他人の二階建て住宅の屋根から泥沼に飛び込んで遊んでいたことがあった)。


 水に落ちる寸前、シナミアの方に目を向けた。

 彼女も同じ体制を作っているが、湖に浮上する村の向こう側でだ。

 つまり、ミデルとシナミアとの間には村一つ分の距離が空いている。

 無事に着水できたら、まずは彼女との合流だな。


 ――バシャーン!と。

 大湖の両サイドで二つ、壮絶な水飛沫が上空へ炸裂した。

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