1:9 『氷結の姫』
――視界を乱す砂嵐の中、ミデルとシナミアの二人は走り、一つの目的地に向かって突進している。
「おっらああ!」
振るわれた『炎剣』の一閃により、鎧を付けた骨のモンスターが屠られ、原形を失った身体が宙に散乱。
直後、宙に浮いた骨の数々は地に落ちることなく、水色の燐光を放つ粉末に変化し、そのまま砂嵐の風に晒されて空気中に消えてなくなる。
「――後ろは殺したわ!」
背後を振り向けば、同じくモンスターのやられた余韻である水色の粉末が見て取れた。
その奥、黒い弓を構え、ミデルの護衛を成し遂げたシナミアの姿も目に入る。
「ありがとう! ――あと少しだ! 急ぐぞ!」
叫び、距離を詰めた二人は砂嵐の中を再び走り出す。
――約一時間前、ライフを奪われることなく無事に起床した二人は、HPが『50』にまで全回復したのを確認してすぐに姫様の居場所へと赴いた。
森を抜け出し、乾燥した平原を突破した挙句には砂嵐の飛び交う危険地帯にまで突入した。
ここは砂漠に似た地帯で、視界は悪いが巨大な岩の突起が随所に屹立しているのも見受けられる。
そんな、不思議といえば不思議な場所だ。
姫様の居場所の付近だけあって、モンスターの量も質も増加しているのが肌で感じられる。
現在時刻は昼過ぎ、頭上を仰げば砂塵の奥で光り輝く太陽が見える。
シナミアの推測通り、今のところは周りにプレイヤーがいる気配はない。
本物の信頼で成り立った仲間と共に、連携して行く手を阻むモンスターたちをHPの減少を最小限に抑えて突破していく。
走る途中でリストマップを確認すれば、姫様の居場所を示す赤い点と自分を示す黄色い三角形は既に触れ合う程に近い。
立体地図の右下に一瞬だけ目を向け、『残り時間:35時間25分』と記された文字のみを確認した。
「もう、すぐそこだ!」
戦い、走り、戦い、走る。
そして、やがて辿り着いたのは、表面に大穴の穿たれた一際大きな岩の突起。
奥が暗闇に満ちたその大穴の形状は、まるで猛獣の牙が無数に生えたように上部がギザギザとしている。
そして、更にその上には悪魔の怒る双眼を象った小さめの穴が二つ。
天空から見下ろせば地面から浮き出た針に見えるだろうそれは、しかし正面から見れば悪魔の形相が刻まれた、地獄への入り口のようだった。
その岩の突起のすぐ奥には、5分程度で完登できそうな山も見受けられた。
「ここだ! 入るぞ!」
背後からモンスターに追われながら、シナミアと共に岩の突起に穿たれた大穴――悪魔の口内へと走り込む。
中に入って分かることだが、穴の奥には地下深くに繋がる長い階段があった。
その階段に着地し、荒い息を吐きながら慌てて背後を振り向くと、先程までミデル達を追っていたモンスターたちが穴の外からこちら見下ろす光景があった。
鎧付きガイコツと、リザードと、蛇と、大鳥と。
理屈は分からないが、どうやら外のモンスターたちは中への進入ができないらしい。
「……危なかった。大丈夫か?」
「ええ、大丈夫だわ」
足を滑らせて階段に倒れ込んでいたシナミアに手を差し伸べて起こしてあげる。
「HPはどうだ?」
「『40』。低くないけど、この下で起こりうることを考えると全快にしておくべきね」
「そうだな。俺も『37』、ここで一回『50』に巻き戻すべきだ」
言い、ミデルが携えることとなったポーチから、ここへ来る道中で入手できたベリーの範疇に入る赤い食料を取り出し、食す。
全てを食べ終え、ミデルのHPは『47』へ、シナミアは『50』に回復できたと伝えてくれた。
「これで準備万端、だな」
「ええ」
自然と二人の目線は地下深くへ続く階段の下へ向けられる。
察するに、あの下に姫様がいる可能性が高い。
立体地図で確認しても、赤い点と黄色い三角形はほぼ重なり合っている。
姫様がいる場所には強敵が潜んでいるのが常だ。
非常に危険ではあるが、ミデル達の目的はあくまでも姫のいる状況下の視認であり――、
「ボス敵に警戒しながら忍び込み、姫の様相を確認できたらすぐに撤退することが理想。もし姫を視認できずにボス敵に見つかれば一時撤退し、様子を見てできる場合は再進入――が、策略だったんだよな」
「その通りよ。ここから前に進めば一言も発さない方がいいわね」
「……よし――行こう」
そう決意し、緩慢な足取りで階段を下り始める。
中盤ぐらいまで下っていくと、僅かにだが冷気が肌を撫でた気がした。
声を発さない約束を守るべく、一度立ち止まって事態の変化に気付いたことを視線で伝えるようにシナミアの方を向くと、彼女も冷気を感じ取ったのか、軽く頷いてくれた。
再び視線を階段の下に戻し、下りを再開させる。
階段の最下点がはっきりと見えてくるに伴って、肌寒い程度だった冷気が強さを増してゆく。
やがて、最下点に辿り着けば――足元は青き氷に覆われていた。
「――――」
とにかく寒い。
グーパーがしづらくなる時のそれだ。
が、ここは恐らくこの世界のなかで一番危険な場所と言っても過言ではない。
なんにせよ姫様のいる場所だ。
寒さなど気にしていられる筈もない。
暗いが、階段の遥か上から差し入ってくる光がここまで僅かに届いている。
青き氷に半ば浸食された通路が正面に続き、その奥には広い空間が広がっているのも曖昧だが視認できる。
二人して息を殺しながら抜き足差し足で通路を進み、やがて辿り着いたのは――、
クジラが暮らせそうな程の広大な空間。
遥か頭上に見える大穴から差し入る太陽の太い斜光。
青く、決して自然とは言えない色に覆いつくされた広い洞窟。
キラキラと、辺り一帯にダイヤモンドのように輝く壁は鉱石の楽園ではなく、すべて冷えた氷だ。
平らな地面は、凍った湖のようにも見える。
キラン、キラン、と、燦然とした響きが洞窟内に木霊する。
そして、正面。
――青き氷によって氷結された姫様が、そこにいた。
氷の白い滲みによって顔は窺えないが、姫様の着用しているであろう白いドレスの下半分は見て取れる。
少し動くたんびに風のように揺らめく筈のそれが氷に固められていて全く動じない様相は、どこか儚いもの見る者に感じさせた。
心配されていた強敵、いわゆるボス敵はというと、周りを見渡してもそれらしき危険生物はどこにも見当たらない。
しかし、その強敵自身が氷の洞窟内に身を潜んでいる可能性もあるため、ミデルとシナミアは先程通った通路を出てすぐの所にあった、巨大な針の形状をした氷の突起の後ろで身を隠すようにしゃがみ込んでいる。
氷の影から姫様の姿を窺っている形だ。
二人して、この風景から得られる情報に黙考している。
今回のヒーロー・ゲームの題名は『炎の姫』。
しかしながら、その姫が陥っている状況は青き氷による束縛。
対照的な『炎』と『氷』。
この二つの結びつきから導き出されるものは……正直言ってなかなか思いつかない。
「……これ」
多少の声を囁いても問題はないだろうと判断したミデルは、自分の背に掛けてある『炎剣』の柄を指で示してシナミアに囁いた。
彼女も、極限の小さい声で返答し、それから囁き合う会話が続く。
「隠れたボス敵を目覚めさせたら……?」
「逃げる」
「何を考えているの、ライフを落とすに決まっているわ」
「そうとも限らない。この大洞窟に敵が潜んでいるかどうかも定かじゃない。……試す価値はあると思うぞ」
試す――それは、ミデルが入手した『炎剣』で姫様を捕らえる氷を溶かす目論見。
理論的に考えれば成功率はかなり低いだろう。
ヒーロー・ゲームが、そんな容易く攻略される筈がないからだ。
自然な色ではない青色の氷も、特殊な方法でしか溶かすことができないことを見る者に悟らせる。
が、それでも、ミデルが偶然入手した『炎剣』がゲーム攻略の鍵である可能性もなくはない。
「……そうね。でも、危険であることに変わりはない。だから、その剣を姫に向けて振った直後に逃げることは約束して。私もここから瞬時に出られるよう構えているから」
「無論だな」
「あと、できるだけ速く済ませるようにね」
「了解」
微笑でそう返したミデルは、ゆっくりとその場で立ち上がり、姫様の方に再度目線を向けた。
洞窟の様相が依然として変わっていないことを確認し、針状の氷の影から一歩踏み出して姿を露わにする。
……今のところ、洞窟に変化はない。
静かに、しかし速い歩調で青く凍った湖の上を進み、姫様の眼前まで辿り着く。
遥か頭上から差し入る太陽の斜光は丁度姫様を強調するかの如く彼女に落ちており、神秘性を孕む光景に仕上がっていた。
氷のクリスタルに囚われた姫様は少し見上げる位置にある。
面貌を含め、氷の白い滲みでところどころ見えない部位は多い。
見えるのは凍り付いた裸足と白いドレスと、風になびいたまま時を止めてしまった薄茶色の長い髪も先端の方だけだが見て取れた。
白いダレスの下、スカートの先端には赤と黄色の模様が描かれており、炎を連想させる外見をしている。
眼前の彼女が、『炎の姫』で相違ない。
美麗だ。
相貌が見えなくとも、威容を放つ姫の存在はやはり美しく感じられた。
「――――」
そんな美麗な姿に恍惚しかける意識を制御し、早く事を済ませるようすぐに『炎剣』を背から抜き出したミデルは時間を置かずに剣を姫に向かって振りかぶる。
赤き炎の一閃が大気中に迸った直後、ミデルは踵を返して出口目掛けて走り出した。
これで洞窟に身を潜めていた強力なボスモンスターが我が巣に異物が乱入してきたことに気付いたかもしれないからだ。
『炎剣』の成果はまだ視認できていないが、成功しているならば直後にゲーム成功の通信が届くことだろう。
だがそんなことも気に掛けずに、シナミアとの合流を図って氷の上を疾走する。
疾走し、違和感に気付く。
――出口が、ない。




