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アンライク・エヴァー・ファッキン・エンド

作者: 勝賢舟

死に逝くにつれ、私は理解する。


自分の人生の意味を。


そしてそれが、死に逝く私を遥か遠くの雲の上から見下ろす星のようなものだと理解したとき、私の存在はこの世から消滅した。




◆◆◆




ザクッ……ザクッ……


 辺りは僅かな木漏れ日すら無い、暗闇の樹海。白色のウインドブレイカーに同じく白色のジャージという、暗闇にはあまりにも馴染まないコントラストの、さわやかな格好でオレは樹海に溢れる腐葉土をスコップで掘っている。真夏の夜に長袖の格好で身体を動かすのは蒸して暑苦しいが、樹海の虫から肌を護るためには仕方がない。樹海で拾ったスコップは鉄の部分が錆びきってはいたがまだ頑丈で、柔らかい腐葉土を掘るのには十分な堅さだった。


 黙々と土を掘り進めるオレの様子を、傍らで横たわる白骨死体が、文字通り節穴の目でじーっと見ている。白骨死体の素性は解らないが、薄汚れたワイシャツをダボダボに着ていることから、おそらくは自殺志望のサラリーマン――


 ザクッ……ザクッ……


 動きやすくてお気に入りのスニーカーは既に土まみれになってしまっていた。こうなってしまえば、漂白剤で洗っても汚れは落ちないだろう。樹海まで来てオレは、本当の目的を差し置いて何をしているんだろう。


「そう! オレは自分の墓穴を掘っているんだ! そうなんだ! 勘違いしないように! そこのサラリーマン風の人!」


 大声で、自分に言い聞かせる。白骨死体は口を開くことはない。だから、これは自分への言葉だ。


 ザクッ……ザクッ……ガッ。


 勢いよく土を掘り進めていたスコップが、何かにぶつかって動きを止めた。暗闇の中、目を凝らして見てみるが形が解らない。色は……白。それだけは周囲の闇とのコントラストからはっきりと解った。埋蔵金か何かでも見つかったのだろうか? もしも本当に見つかっていたら……帰っても良いのかもしれない。


 オレは白い物体の正体を確かめるため顔を近づけた――


「ぎゃあああああああああああ!」


 恐怖から湧き上がる本能でオレは飛び上がっていた。


 ――それは白骨死体第二号君の頭蓋骨だったのだ。なんということだろう! 自分の墓穴を掘っていたら、それが同時に墓荒らしにもなっていたなんて!


 遠目にもう一度白骨死体二号君の頭蓋骨を見ると、眠りを覚ますな、と向こうからもにらみ返されているような気がした。全く、折角サラリーマン風白骨一号を埋葬してあげようとしたのに、誰かの眠りを妨げてしまうなんて。


 埋葬してあげようとしたのに。


 白骨死体のために。他人のために。……他人のために?


 木枯らしが樹海の木々を揺らす音が聞こえる。木々に生い茂る葉っぱが、お互いの接触でザワザワとうめき声を上げていた。オレは突然の木枯らしと何者かの視線から急に寒さを感じ、身体を震わせる。白骨死体一号をちらりと見ると、一号はこちらの様子をじっくりと窺っていた。


 しかし先ほどの節穴の目とは違う、紛れもない両方の瞳で。


「お、おおっ、おおっっっっっ! おげええええええええええええええええええええええ!」


 見られている。オレは生々しく見られている。ゾンビが血肉とする獲物を品定めするようなねっとりとした視線。裏切りを理解しながら無念の気持ちで死んでいく友の視線。そんな視線を一号から、そしてオレの足下に埋まっていた白骨死体二号からも。


「ああっあああっああがうおおおわあっっっああ!」


 傍らにある一号の頭蓋骨から、二つの瞳がドロリとこぼれ落ちた。再び空っぽに成った頭蓋骨の奥からは、魚の産卵のように新しい瞳が湧き上がり、うねうねと蠢いている。瞳が蠢いているのは頭蓋骨の中だけではない。あばら骨の隙間から。死体がもたれ掛かっている木の根っこの影から。樹海を覆い隠す葉っぱの一枚一枚の表面から。オレをじっと、凝視している。


 そして、気がつけばオレの両手からも。両手の細胞の一つ一つがオレの心を覗き見る小さな瞳になっていた。オレの手のひらでで、手の甲で、爪の中で、オレを一斉ににらみ付けながら、生々しい瞳は犇めき合っている。


 オレは見られている。生きている限り、誰かを助ける限り永遠に、アイツ――草刈栄次の瞳で見られ続けるのだ。


「ごめん! ごめん! ごめんなさい! 許して下さい! ゆるしてくれよぉおおおおおおお!」


 皮膚から血があふれ出るほどに髪を掻きむしり、オレは叫びながら謝る。謝り続ける。いくら謝っても誰も何も答えない。だからオレは永遠に許されない。生き続けられない――


「うるっせええええええ! ここをどこだと思っていやがるんだああっっっっ!! ここは公共の自殺スポットだぞこの知的障害者があああああああああああっっっ!!」


 突然の怒鳴り声。木枯らしを切り裂く程に甲高い高音に、辺りの瞳はいつの間にかかき消されていた。


「ったくよぉ。お前が全財産の半分をドラッグに使い果たしてガンジャもくもくキメ込むような腐れニューヨーカー野郎だったら生温かい目で見守るがよぉ、そうじゃねぇんだろ。なぁ――緑川(みどりかわ)陽一(よういち)


 突然口に出されたオレの名前。誰だ。突然の暴言、下品な言葉遣いにも驚いたが、一番驚いたのはオレの名前を知っているという事実だ。オレを知っているような人が、こんな時間に樹海へ行くとはとても思えない。


「おいっ! 誰だ!」


 声が聞こえる方角――おそらくオレにの正面――に向かって叫んでみるが、返事は何も帰ってこない。代わりに聞こえて来たのは、腐葉土を蹴散らす足音。ザッ、ザッ、と、その音は確実に大きくなっていた。


「良い~声だ。これから地獄の門に攻城戦を仕掛けるヤツの声とは思えない、腰に響く前向きな声だぜ」


 次第に大きくなる足音と共に、暗闇の中から声の主が姿を現した……のだが。


 現れたのは、スキンヘッドのラッパーでも、目がイっちゃっている薬物中毒者でもなく、頭のてっぺんからつま先まで、全て白と黒のゴスロリドレスで身を包んだ童顔の女の子だった。丸っこい顔に肩まで伸びた黒髪ストレート。白いひらひらがついたヘアバンドで押さえられている。長袖ドレスの隙間から垣間見える色白の肌は白のフリフリが付いた黒いドレスとの対比が美しく、足下は縞々のニーソックスに黒いハイヒールという、オレの長袖ジャージよりも樹海に似合わない格好だった。


「えっ、あ、えっと……誰? キミ、さっきの声の主じゃあないよね?」


 こんなにも可愛い格好に身を包んだ女の子が、さっきの血も凍る暴言を吐くとはとても思えなかった。


「人を見かけで判断するんじゃねえ。緑川陽一」


 しかし、オレの考えに反して女の子は、先ほどと同じ甲高い声でこちらをにらみ付けながら質問に答えた。背が低いために見上げる形にはなっていたが、力強い眼力だけで背筋に冷や汗が流れる。


「いや、えーっと……こんな樹海で何をしているんだ? もしも自殺……だったりしたら、うん、早く帰りなよ。自殺は、良くない」


 女の子はズッコケた。『自殺は良くない』とオレが言った瞬間に某上島さんの如く女の子は壮大にズッコケていた。意外にノリが良いんだろうか。女の子がズッコケてから少しの沈黙があったが、突然女の子はオレに詰め寄ってツッコミを掛けてきた。


「はあああああああああああああ!? 何? お前がそれを言っちゃう? 人の心配をしてる場合か? これから死のうとしているのは――お前じゃねえかよ。緑川陽一」


 こいつ、名前だけじゃなくて、どこまでオレを知っているんだ。


女の子の言葉に、オレは何の反論もできない。何故オレの素性を、オレがこれからすることを知っているのか。もやもやとした疑念が心の中で渦巻くが、言葉になって出てこない。


「なーに犯罪者予備軍のヒッキーみてえに俯いてんだよ。何か言い返せって」


 オレの困惑した様子を見かねてか、女の子が声を掛けてくる。言い返せ、か。言葉が出てこないオレの為に、わざわざ何かを言う機会を与えてくれたのだろうか……?


「じゃあ……オレを、どこまで知っているんだ?」


「『どこまで』? なるほど、『なんで』じゃなくて『どこまで』、ね。はっ、ちょっとは実りのある会話になりそうだぜ」


 女の子は鼻で笑いながら言葉を返した。その不遜な態度は、表面的には人を馬鹿にしたように見えるにもかかわらず、不思議とオレはあまり怒りを感じない。むしろ、さっぱりとした良い印象だ。


「だから、どこまで――」


俺の言葉を遮って、女の子は何かを思い出すように斜め上を見上げながら質問に答え始めた。


「緑川陽一。十八歳。現在は母親と二人暮らし。公立S高校を今年の三月に卒業。趣味は国内でのボランティア活動。高校時代は陸上部に所属。父親の名前は緑川(みどりかわ)義人(よしひと)。元マッポ野郎……じゃなくて警察官。親友の名前は草刈栄次。しかし、最近は別の高校時代の友人三人とつるんでいる。栄二と父親は二人とも一ヶ月前に死亡。一ヶ月前に発生した事件――集団自殺サイトで集まった三人が山奥で自殺した事件の、当事者であり被害者。残りの一人は他人で、新興宗教団体の教主だった。死因は転落死。父親は即死だったが、草刈栄次は脳死状態で現在も病院に入院中。山道のガードレールをワゴン車で突き破り崖から転落。父親にかけられていた大量の保険金が母親の元に――」


「やめろっ!」


 折角、ニュースを見ないようにしていたのに。それをわざわざ思い出させられるなんて。オレの怒鳴り声にも動じず、女の子は乱暴な口調で言葉を続けた。


「ったく、お前から『どこまで』って聞いてきたんだろうがよ。まだ『どこ』までたどり着いてないっつーの」


 そう言うと、女の子は痰を地面に吐き捨てた。それはさすがに、女の子がする行動としてはガラが悪すぎる。逆にあまりの驚きで、オレは不思議と冷静さを取り戻し始めていた。


「……えーっと、ごめん。ちょっとびっくりしただけだ。じゃあ、質問を変えるよ。キミはどうしてここに? オレが自殺するってことを知っているみたいだから……もしかして、それを止めるためとか?」


「ぷっ!!」


 オレの言葉に、女の子は思いっきり吹き出してゲラゲラと笑い始めた。それは驚きから発せられたと言うよりは、寧ろ失望から――


「はあ~? このアタシが? 壊れかけのレイディオみたいに『命を守りたい』って繰り返す腐れ人権団体みたいな人間に見えるのか? だとしたら、今すぐ目ん玉くりぬいて水洗いでもするんだな。死にたいヤツは死ね。それが一番良いに決まってんだろ、ってーのがアタシの主張だ」


「じゃあ、何で――」


 再びオレの言葉を遮って、女の子がオレを中指で指しながら答えた。


「だけど、お前は死にたくて死ぬんじゃない。生きて聞けないから、死ぬしかないから、死ぬんだろ。自殺した草刈栄次を気に病んで、ネガティブでセンチメンタルな気分でよお」


『そこ』までは知っていたのか。女の子は大げさに手を広げると、説教をするように話し始める。


「人助けが好きなのはまあ良いけどよぉ……まあ、白骨死体に墓穴を掘ってやるのは相当クレイジーだが。っても、それが全て上手くいく訳じゃねえだろ。草刈栄二だってその一つ。ただのいじめられっ子&引きこもりが自殺した。それだけ。何を気に病んでいるのか」


 ねっとりとした瞳の視線を、周囲から再び感じる。


「……確かに、傍から見たらそれだけのことかもしれない。だけど、オレにとっては違うんだ。自分のセンスを信じられなくなったギタリストのように……自分の身体能力を信じられなくなったアスリートのように……オレにはそれが……何よりも大事だったんだ……」


 人を助けること。だけど、自分を優先させてしまったから、仲が良かったのにアイツを裏切って、魂を売って、アイツを引きこもらせて、アイツを自殺させて。


 オレの言葉を聞いた女の子、『なるほど』と言いながら首を傾けていた。


「自己犠牲の人助け。それがお前、緑川陽一の絶対的に信じることだったわけだ。ご立派なことだ。『そこ』は知らなかったぜ。じゃあ、前置きが済んだところで――」


 そう言うと女の子は、おもむろに両手でドレスのポケットを漁り始めた。そして、中身をオレの足下に向かって放り投げる。腐葉土の上でボスンと少し重そうな音を上げたそれは、黒光りする、大きさはドライヤーほど物体が四つ。人の命をいとも容易く奪い取る、自殺にはおあつらえ向きのアイテム……オレは、思わず言葉を失う。


「……何、黙りこいてんだよ。漫画とかで見たことあんだろうが。チャカだよ。チャカ。それとも、拳銃って言わねえと、今の若者は解んねえか?」


 それは解る。それは解るけど……疑問点はそこじゃない。


「……本物? こんな物をどこで?」


「本物だ。弾はそれぞれ一発ずつ入っている。後者の質問にはノーコメント。誰が言うかバーカ」


 女の子は『バーカ』と同時に右手の中指を突き立てていた。


「まあなんだ。コレを使ってお前を安らかに地獄へとダイブさせるのがアタシの目的ってわけだ。ドーユーアンダスタン?」


 自信満々に、こちらをにらみ付けながら女の子が言う。しかし、なんだ、自信満々で悪いが、オレには意味が分からなかった。言葉通りの意味ならば、それは……


「……ノーアンダスタン」


 突然『ドーユーアンダスタン?』なんて聞かれたら、こう答えるしか無かった。


「サノバビッチ!! ちょっと座れ!!」


 多分、その言葉は使う所が間違っていると思う。しかし、それを突っ込むとと……どうなってしまうかが怖かった。相手は拳銃を持っていたんだ。まだ何を隠し持っているかは解らない。オレはおとなしく、腐葉土の上で体育座りをした。人に『座れ』と言っておきながら、女の子は立ったままだ。オレを言葉の意味通り、見下している。


「いいか、『All is well that ends well』ということわざがある。『終わりよければ全てよし』という意味だ」


 女の子が腕を組みながら、自信満々な態度でオレに話し始めた。正直、その様子は知識をひけらかす小学生のように可愛らしく、こちらの気が少し緩む。たとえまだ拳銃を持っていたとしても、殺意なんてものは微塵にも感じられなかった。


「えーと、何で英語で言ったの? それより、名前を教えてくれないかな。話も長くなりそうだから、いい加減キミの呼び方が無いと便宜的にも辛い」


 オレの気が抜けたツッコミに女の子は一瞬言葉を失うが、すぐに話を続けた。


「……さっきの根暗オーラはどうしたんだ、お前。別に良いけどよ。あと、ここで名前を聞くか、普通。……桜庭(さくらば)(はるか)だ。お前が人生で最後に覚える人名だろうよ。が、別に遥だろうが、ファックサッカーだろうが、糞桜が、何と呼んで貰っても構わねえ」


「じゃあ……遥で」


 桜庭遥。言葉遣いは汚いが、名前は美しかった。しかし、最初の英語についてはノーコメントか。


「話を続けるぞ。お前はその、草刈栄二を見殺しにしたことを悔いて死のうとしている。……いや、もう少し深い問題だな。自分が絶対的に信じるものを信じられなくなったから、ってところか」


 ああ……またオレはアイツの瞳に見られている。遥の背後に、散乱したスーパーボールのように転がっていた。


「……誰かを助けようとすると、さあ。アイツが、オレを憎しみの瞳でにらみ付けてくるんだ。『僕を助けてはくれなかったのに、他の人は助けるんだ』って……オレを嬲るような視線で、そう伝えようとしているんだ」


「ちなみに、今はどうだ。アタシの背後にも見えるか?」


「うん……ゴンズイ玉みたいにね」


 オレの言葉に、遥がまた吹き出していた。


「ぷっ……くくっ……リアルにエレクトしてやがんのな、お前。とにかく、人助けをする度にそれじゃあ耐えられないっつーから『僕は死にまぁーっす』ってわけだ。くくっ……」


 苦しむオレを理解できないと、馬鹿にするような笑いだった。その侮蔑が、少しだけ嫌だった。


「別に、理解して貰おうなんて思っていないよ。傍から見たら理解不能なのは解ってる。だけど、オレは栄二を、見殺しにしたわけじゃあ無い。自分から……裏切ってしまったんだ……」


「自分が『気晴らしの生け贄』にされないために?」


 こいつ……本当に『どこ』まで。人が触れられたくないことを。


 思わず立ち上がり、オレは遥の胸ぐらを掴んでいた。接近すると身長の差が頭一つほどはある。殴り合いはしたくないが、さっきの言葉がオレの心を執拗にえぐり続ける。何か反撃されるかとも思ったが、意外にも遥は謝罪の言葉を述べ始めた。


「あー、悪かったよ。お前にとっちゃあ、一番触りたくないし、触られたくない部分だっだろうしな。いくら草食動物でもフィストファックされちゃあブチ切れるってもんか」


 少し目を逸らしながら遥が謝る。言葉遣いは悪くても、遥は立派だった。オレは『ごめん』と一言、遥に謝ってからゆっくりと手を離す。


「自分で自分を裏切ったお前は、その罪に苛まれ続けて生きていけないんだろ。自分を裏切ったという虹彩認証を持つ瞳に永遠と視姦され続けるのに耐えられる訳なんかねえよ。だから、緑川陽一。お前が自殺するのはアタシも完全同意。楽になれや。だが――」


 そこまで言った遥はオレの顔面の数センチ先、超至近距離で右手の中指を突き立てた。


「――そんな後ろ向きなファッキン・エンドより、もっと、良い感じのグルーブに包まれながらアタシが死なせてやるよ。そこの、拳銃でな」


 遥が中指でそのまま地面を指さす。そこには地面に投げ捨てられていた四丁の拳銃が。


「一丁はお前専用。残りの三丁は……今のお前の『お友達』用だよ。『お友達』って言っちゃあ失礼だな、草刈栄二だけじゃない、数多くの根暗野郎を理由も無しに迫害し続けた、『最高のファッキン野郎達』用だよ」




 ◆◆◆




 同日、同時刻。


「うーい! そんじゃあー、今日の気晴らしは……東芝クイズー!!」


 薄暗い、けれども赤と黄色のミラーボールが辺りを淡く照らす都会の闇。若者が溢れかえるホールの中心には円状のお立ち台。その上には黒のタンクトップにダメージジーンズで身を包んだ長身の男と、両手を手錠にかけられたままパンツ一丁で横たわる男が居た。それをステージ下から見上げるのは人生のドロップアウター達。先ほどの声の主に山ほどの声援を浴びさせていた。


「さーて、おい。えーと、名前はいらねえや。お前。今からお前に、クイズを出す。もしも正解できたら、ここから出してやるよ」


 長身の男は気だるそうにしゃがむと、横たわる男に囁いた。そして、ステージ下に居るやせ形の男に向かって声を掛ける。


「おーい、木瀬。ちょっとあれ持ってきて」


 長身の男が声を掛けると、白いシャツに黒いネクタイの男が肩に金属製の箱を抱えながらステージへと上がってきた。やせ形の男――木瀬琢郎(きせたくろう)は、ステージに上がると肩に担いでいた大きな箱を乱暴にドン、と置く。箱の正体は……東芝のDVDレコーダー。


「ったく、鄕は人使いが荒い。どうせ後々必要な物があるんだろう。今のうちに言っておけよ」


 木瀬はステージ上の男――[フィールド]に向かって、非難するように言った。しかし、肝心の重森は何ら悪びれる様子が無い。


「いや、これだけでいい。十分すぎる」


 重森が一言だけ言うと、木瀬はため息をつきながらステージから降りていく。その様子を見送った重森は、右手の握力だけで、まるで前腕二頭筋のトレーニングをするように、木瀬が運んできたDVDレコーダーを持ち上げた。


「はーい、それじゃあ、問題。これ、なーんだ?」


 重森は、不気味ににやけながら横たわる男に訪ねる。捕らえられた男は、どうしても答えなければならなかった。幸いにも木瀬がDVDレコーダーを置いたときに男の目には、DVDの取り出し口にプリントされている東芝のロゴが見えていた。


「で、でぃ、東芝の、DVDレコーダーです……!」


 男は精一杯の体力を振り絞って物の名前を答える。しかし、ズバリ正解を言い当てられたにも関わらず、重森は依然、不気味な笑みを浮かべていた。


「残念。正解は……東芝製の鈍器でーっす!!!」


 重森は、右手でがっしりと掴んでいたDVDレコーダーを横たわる男の頭蓋骨に叩き付ける。周囲に鈍い音が響いた。また、同時にドロップアウター達の歓声も上がる。


「あああっっっっ! いたああああああっっ!」


 男は頭蓋骨の痛みにステージ上をのたうち回るが、重森は構わず声を掛ける。


「えー第二問でーす。これは何でしょう? コレに正解しても逃がしてやろう。感謝しろよ。だから早く答えろ、さあ」


 さっきと同じ問題。痛みを堪えながら、男は答える。


「あああああっ! 鈍器っ! 東芝製の鈍器ですっ!」


 再び、重森は笑う。


「残念でした―。答えは……東芝製のDVDレコーダーでーっす!」


 のたうち回る男に、再び重森がDVDレコーダーを叩き付ける。先ほどよりもさらに強く、レコーダーの角が頭蓋骨にめり込むほどに。


「コレが鈍器に見えるなんて、お前は縄文人か? それともネアンデルタール人か? その頭蓋骨には何が詰まってるんだぁーッッッッッ!!!」


 重森はDVDレコーダーを男の頭に叩き付ける。何度も、何度も、何度も。やがて、男の頭は鮮血で染まり、ぴくりとも動かなくなった。


「あー。動かなくなっちまったよ。木瀬―。お前の……何人目の彼女だっけ? 今日もそいつに電話しといて」


 重森は血で赤く染まったDVDレコーダーを放り投げると、何事も無かったかのようにステージ下の木瀬へと話しかけた。わらわらと蠢くドロップアウター達の中から、木瀬が手を上げて答える。


「はあ……わかったよ。……もしもし? 林田? ああ、俺だけど、半死人一人をお前ん所に搬送してくんない? また客が階段から落ちたんだよ。ホントだって。お礼なら後で、たぁーっぷりと弾んでやるからさ。俺を、誰の息子だと思ってんだ? なあ――」


「あ、あと明日の気晴らし要因も仕入れといて」


「はあ? マジで言ってんの? いや、お前に言ったんじゃないって。ゴメンゴメン。また重森のヤツがさあー。そこら中電話したりとかmixiでヘコヘコしたりする身にもなってほしいもんだよなあー」


 ごく当たり前の様にやりとりをする。ドロップアウター達は、いとも容易く行われる狂気を目の当たりにしていた。しかし、それが彼らを引きつける。


「そう言えば、アイツは? 名前忘れた。最近来ないけど」


「アイツ? ……ああ、緑川? いいんじゃないの。アイツは。電話も繋がんねーし。不必要」


 脳髄を揺らす灯りの中で、地獄の宴はまだ続く――




 ◆◆◆




 オレの今の『お友達』……重森鄕、木瀬琢郎、林田(はやしだ)(あや)()。俺が言うのも難だが、最悪の奴らだ。人数はオレを含めて四人。そして、拳銃も四丁。自分の情報がここまで知られている恐怖。しかし、さらなる恐怖は――


「――殺すのか? あいつらを、遥が? ……殺人罪になる。止めた方が良い」


 自分で自分を殺すのそいつ自信の勝手。しかし、他人を殺すのは自分の勝手というわけにはいかないだろう。しかし、遥はきょとんとした顔で答える。


「は? 緑川陽一。お前、殺される『お友達』じゃなくてアタシの心配をするんだ。じゃあ、問題ねえな。安心しろって、アタシが殺すわけじゃない。この拳銃は、『ファッキン野郎達』が自分で自分のこめかみを貫くためにあるんだから」


 ……つまり、自殺させる。オレは固唾を飲んで遥を見るが、同じようににらみ返される。遥はそれ以上は何も言わなかった。もしかしたら、オレの返答を待っているのかもしれない。オレは口を開く。


「……そんなこと、できるわけないだろ。アイツらは、自分のすることに絶対の自信があって、迫害されるヤツの気持ちなんて一切考えない。独裁者にぴったりだよ。そいつらを失意のどん底に落として自殺させる方法だなんて……」


「あるじゃねえかよ、緑川陽一。ファッキン野郎達にもさあ、お前と同じような、絶対的に信じるものが。それを奪ってやれば、誰であろうとファッキン・エンドだ。お前が辿るはずだった運命を、そいつらに与えてやるよ」


 オレの言葉を遮り、遥が自信満々に答えた。


 絶対的に信じるもの。それが失われたとき、オレ達は自殺せざるを得なくなってしまうのだろうか。オレはそうでも、アイツらは……


「おい! 何黙ってやがんだッ! お前が選ぶのは二つに一つ。このまま自分がファッキン・エンドを迎えるか、ファッキン野郎達にファッキン・エンドを迎えさせて自分はハッピーな自殺をするか、どっちかだ! 選べッ!」


「ちょ、ファッキンファッキン言うなって! ちょっと待ってくれ! アイツらを自殺させたからって、オレの気が晴れるわけがないだろう! 確かに、ちょっと性格が悪い奴らだけど、何も自殺させなくても」


「それが草刈栄二の望みだとしたら」


 間髪入れず、遥に言葉を返される。オレの反論を予想していたかのように、強い口調でただ一言。再び、周囲にアイツの瞳が溢れかえる。オレの視界に入るのはおびただしい量の瞳とその中で佇む遥だけだった。オレの意志、選択肢なんて一つしか無いじゃないか。


「『どうしてそんなことが言える?』って顔だな。アタシはお前の事も、草刈栄二のこともよく知ってるんだぜ。それは今までの会話で解ってんだろ。緑川陽一。お前らなんかは弥勒アタシの手の上だ」


 それはもう、不気味なほどに。遥は笑みを浮かべながらオレに近寄り、両手を肩に乗せてオレの目を凝視した。遥の瞳は刺さりそうなほどに鋭く、アイツのねっとりとしたゾンビのような視線とは比べものにならない程に、美しかった。


「罪滅ぼしと思っても、ただの復讐と思っても、どちらでも構わねえ。お前が選ぶ道は二つに一つだ。さっさと――」


「ファッキン野郎達を死なす」


 単刀直入に、遥の瞳を見据えながら言う。さっきまで言葉でオレを押してばかりの遥だったが、突然の反撃には唖然とした様子で戸惑っていた。


「え、ファッキン? ……あ、ああ。ファッキンね。緑川陽一。お前がファッキンとか言うと……なんか気味悪い」


 ほっといてくれよ。オレは無視して言葉を続ける。


「アイツの為……いや、オレの為にだ。アイツが喜ぶとオレが勝手に思い込んで、オレの気晴らしの為に他人の人生を終わらせる」


 最後に死が待っているのはオレも同じだ。誰も救われない、客観的には何の意味もない、えげつない行為。それでもオレの死に救いが見えるならば、オレはそれをしなければならないだろう。


 再び木枯らしが吹き、周囲の緑と瞳を揺らす。それはたった数秒の間だったが、それだけの間でもオレの心を落ち着かせてくれるには十分だ。やがて、遥は足下の腐葉土に汚れた拳銃を白黒ドレスのポケットに詰めると、オレに『ついてこい』と言って歩き出した。


「あ……ドレス、汚れてるよ。こんな所に白い服で来るから……ハンカチ使う?」


「うるっせぇ! お節介もいい加減にしろ! ほら、アイツが草葉の陰から見てるぞ」


 あ。


「うげえええええええぇぇぇおおおおおおおおおおおおあえああえっっっっっ!」


「うわあ……こいつ正真正銘のキチガイ野郎だ。やっぱり死ぬしかねえな」


 最後には、アイツに許される……許されている気分になっているのだろうか。どす黒い瞳に包まれながら、オレは遥に引きずられて樹海の外へと進んでいった……ような気がした。




 ◆◆◆




「ハンバーガー百個。スマイル特盛りで」


 昨夜、遥が運転するボロボロの白いバン(無免許)で樹海から街へと帰ってきたオレ達は、平日の昼間から何故かマクドナルドに居た。


「ハンバーガー百個は電話予約が必要? ファック!! 大企業のマニュアルには客の丁寧な扱い方もまともに書いてねえのか。じゃあ、チーズバーガー二つに水を二つ。あとスマイル特盛りで」


 何でも遥曰く、マクドナルドで冷房に当たっているだけで『お友達』の一人……木瀬琢郎の絶対的に信じるものを破壊するとか。にわかには信じられないが、遥には自信があるらしく『黒船に乗った気持ちで開国を迫れ』と帰りのバンの中でオレに言っていた。しかし、相変わらず言葉の意味は分からない。


「待たせたな、緑川陽一。チーズバーガー、水、ウィズ、腐れ女子高生店員のメロイックスマイルフレーバーだ」


 店の奥にある壁を正面に据えたカウンター席で待っていると、遥がドレスの白黒フリルを揺らしながらハンバーガーを運んできてくれた。遥の夏にしては厚着過ぎる格好と、童顔な顔つきからは想像も付かない口の悪さで客の冷ややかな視線を一点に集めていたが。


「……ああ、ありがとう。えーと、それより、何で、その……人を死なすって話をするのにマクドナルド? 誰かに聞かれるんじゃないか?」


「アタシはマクドナルド・シンドローム(症候群)だ。さっさと喰うぞ」


 答えになってない答えを自信満々に言うと遥はオレの右隣の固定席に大股開きで座り、チーズバーガーをモグモグと喰らい始めた。遥が食べ始めるのを見てから、オレもチーズバーガーを食べる。


「それより、緑川陽一。お前、アタシに聞きてえことが山積みなんじゃねえの」


 チーズバーガーを口に入れたまま、遥がオレに訪ねる。遥の方から質問を待つなんて、強気な態度からは想像も付かない一面だ。だけど、樹海でもこんなことがあったような気がする。根は優しいのかもしれない。


「ん、あー、聞いて良いの?」


 オレの言葉に、遥は正面のコンセントが付いた壁を見ながら『……ああ』とだけ答えた。自分から言うのは照れくさいのだろうか。折角の好意を無為にするのは気が引ける。遠慮無く聞いてみようか。


「じゃあ……遥はどうしてオレを助けようとするんだ? こう言うのも難だけど、遥には何の得もないだろう」


 当然の疑問だった。オレは遥のことを何も知らない。今まであったこともなければ見たことも無い。赤の他人なのだから。オレの疑問に、ちらりとこっちを向いて遥が答える。


「ああ、そういや言ってなかったっけ。そうだな……ああ、一種の商売だ」


「商売?」


 オレがオウム返しで聞き返す。遥は水を一口飲むと、話を続けた。


「ああ。アタシはお前に最高の死を与える。天国で七十二人のフーリーとよろしくやれるような、最高のハッピー・エンドだ。その代わり、お前は命以外の全ての物をアタシに寄こせ。金とか、持ち物とか、何もかも全てだ。お前が死んだ後で良いからよ。ただし、命だけは自分で地獄に持って行けよ」


 一瞬、耳を疑った。まともな発想じゃない。だけど確かに、遥には利益はある。利益はあるが……何かが腑に落ちない。一瞬だけその違和感を考えてみたが、その正体はさっぱりわからなかった。


「……なんか恥ずかしいけど、死んだ後のことはいいや。自殺の恥はかき捨てかな」


 どうせ、母親は保険金があればそれなりに楽しく生活を続けるだろう。


「それより、オレあんまりお金もってないけど、それでも良いの? 多分、お先真っ暗のサラリーマンの方がまだ金を持ってると思う」


 バイトの時間をお金にならないボランティアに費やしてきたオレには殆ど貯金が無い。保険金も、まあオレには回っては来ないだろう。しかし、遥は左手の中指を突き立てながらにやける。


「はっ、そこはお前が心配する所じゃねえ。臓器でも何でも搾り取ってやるよ。それより……んなことはいいから……木瀬のこととかを聞けよ」


 ああ、そっちを聞いて欲しかったのか。バンの中での自信満々な態度を思い出すと、よっぽど聞いて欲しかったんだろう。


「ああ、わかった、わかったよ。じゃあ、木瀬は今どうやって追い詰められているんだ?」


 オレが出来るだけ遥を刺激しないよう、穏やかに訪ねると、遥はよくぞ聞いてくれましたと言わんばかりに笑った。その様子は母親にテストの成績を自慢したがる小学生のようで可愛らしい。


「ふっ……ふふ……そうだな。話してやるか。じゃあ、例えば、あいつ、さっきの腐れ女子高生店員を見てみろよ」


 そう言って遥は、中指でさっき自分が注文を頼んだ店員を指さした。マクドナルドの赤が混ざった帽子に白い制服。少し茶髪気味のショートヘアーが若々しい。丁度客が途切れて少し暇そうだ。ポケットから手鏡を取り出して、まつげをくるくると弄っている。


「……バイト中にそれは良いのかなあ……?」


「お、エレクト野郎にも一般常識はあるんだな。実際のルールでどうなのかはともかく、飲食店内で化粧をするのは最悪。気分が悪い。臭ぇし。ましてはメシを出す店員がだなんて、井の頭公園の噴水に沈めたって良いくらいだぜ」


 正直、オレは真夏にゴスロリのドレスを平然と着ている遥が一般常識を語ることに驚いていたが、話を脱線させたくないので口にしないことにした。


「ああいうノータリン女に限ってmixiやTwitterで実名を出してノータリンらしく馬鹿やってんだよ」


 悪態をつきながら遥はポケットから携帯電話を取りて、携帯のカメラを女子高生に向ける。


 カシャ。


「うーし、地獄への片道切符。ゲットぉ……。これをさあ、まあ匿名掲示板としておこうか。そこに晒すとどうなる?」


「それは……やっぱり問題になるんじゃないの。遥が。肖像権の侵害で」


 当然のことだと思った、のだが。遥の眉間にぎゅっとしわが寄っていく。


「はぁああああああ!? お前はアタシの心配しかできねえのか!? 違わねえけど、違うだろうが! そこは『女子高生の人生が地獄へ墜ちる』だろ!! 文脈を読み取れ失読症野郎が!!」


 遥は俺をにらみ付けながらドスの効いた声で怒り出した。こういう心配のされ方は嫌いなのかもしれない。


「こういう調子に乗った糞アマはすぐにネットの暇人達のおもちゃにされる。店舗を特定されて、mixiとTwitterのアカウントがばれて、卒業アルバムを晒され、仕舞いには高校に電話が何通も飛んでいく。そして、ネット上からは自分の痴態が永遠に消えないのさ」


 正直、オレはインターネットに対して良いイメージを持っていない。父親が自殺志望の人達――アイツも――と集まったのは集団自殺サイト。どうして、顔も知らない人と一緒に自殺をできるのかが不思議で仕方がなかった。逆に、顔を見られないことで安心をしているのもしれないが。


「……まさか、本当にその写真を公開してないよね?」


 遥が罪に問われないか、また、見ず知らずの女子高生の人生が心配になって、オレは遥に訪ねる。


「ったり前だ! いくら何でもちょっとまつげを弄ってたくらいで見ず知らずの糞アマの人生を地獄に落とす程サイコパスじゃねえ! つっても、まあ――」


 そう言うと遥は最後に、含み笑いを浮かべながらオレに一言呟いた。


「顔も名前も知っていて、まつげを弄る程度じゃないことをやったヤツは別だけどな。……そろそろ出るぞ。地獄の炎上祭りが終わる前にな」




 ◆◆◆




 同日、午前中。


「なんだよ……これ……」


 木瀬琢郎がそれに気がついたのは朝のメールチェック時。自分に寄せられた膨大な数の誹謗中傷メール。あること、無いこと、真実かどうかは関係なく、他人の幸せを気晴らしで奪うことを生き甲斐にするスカベンジャー達から送られた地獄への招待券。


『与党幹事長 [フィールド]瀬()啄木(たくぼく)の息子、木瀬琢郎の真実』


多くの件名はそう綴られている。自分への中傷に父親の名前が使われていたのだ。政治家の息子のスキャンダルというわかりやすい餌。社会への閉塞感、反対勢力のネガティブキャンペーン。全ての火種が木瀬一人に灼熱の炎となって襲いかかっていたのだ。誰が、どこから漏らしたのかは解らない。しかし一度入った壁の歪みは、なだれ込む悪夢を押さえ続けることは出来なかった。


「どうなってんだよ! クソッ!」


 消しても消しても届くメール。はっと思い自分のTwitterやmixiを覗いてみれば誹謗中傷の大炎上。今まで木瀬が父親の名前と、まめな『黄金のお菓子』で集め続けてきたうすっぺらな仲間達ですら木瀬に牙を剥いていた。


「ああ……ああ……うおぁあああああああああああああああ!!」


 気がつけば木瀬はキーボードを両手の拳で叩き続けていた。キーがこぼれ落ち、音を立てて崩れる。鳴り響く携帯電話。それも床に放り投げていた。次第に家の前に集まってくる元仲間、野次馬……悪夢はまだ始まったばかりだった。




 ◆◆◆




 再びオレは遥が運転するボロボロの白いバン(無免許)に乗って、目的地――木瀬の住む高級住宅街に移動していた。木瀬の家まで、あと五分と言ったところだろうか。遥の(?)バンの中は殺風景で、物はフロントガラスの手前に小型の消臭剤が並べられているだけだ。何というか、ただひたすらに女の子らしさが無かった。


「もしもし? ああ、アタシだけど。『シェオル』のスレッド337だ」


 遥は右手でハンドルを握りながら、左手で携帯電話を握っていた。何かしら犯罪行為をしていないと落ち着かない反社会的性格なのかもしれない。……いや、『かも』じゃないな。


それにしても、『シェオル』。二度と聞きたくない単語だ。オレは通話を終わらせようと、遥におそるおそる話しかける。


「それより、木瀬の情報を広めたって……本当?」


 オレの願いが通じたのか、遥は通話を中断して携帯電話をひょいと投げ渡してきた。


「ああ。何ならそれで確認してみろよ。緑川陽一。ご丁寧にお前の父親の名前も使ってやったぜ」


「ええっ!! そんな、何で、別にそんなことをしなくても……」


 携帯電話を開き、木瀬のmixiを覗いてみる。『与党幹事長 木瀬啄木の息子、木瀬琢郎の真実』と書かれたコメントが何百も木瀬の日記に書き込まれていた。その内容の一つに――


「――『数ヶ月前に自殺した警察官 緑川義人の息子も被害に?』……どういうこと?」


 遥は、フロントガラス越しに前の車を見ながら話し始めた。


「どうもこうもねえよ。そのまんまの意味だ。事実だろ。それに、書き込みをよく見ろよ。木瀬琢郎のクソ取り巻きが反旗を翻しているのはもちろんだが、全く関係なさそうな主婦とか、学生もコメントを書き込んでるだろ。それ、お前がボランティアで関わってきた奴らだ。つまり――」


「……オレの人助けを……ダシに使ったって……そう言うことなんだな」


 遥の言葉を最後まで聞く必要は無かった。バンの隙間からわき出てくる無数の目玉。ビー玉が入ったビンを思いっきりひっくり返したかのように足下転がってくる。その目玉はオレのジャージを伝って足に、腹に、胸に――


「勘違いするんじゃねえ! これはただの結果だ。今のお前には関係ない。ただの踏みならされた足跡。足跡を見たくらいで発狂するのは熊を恐れる山菜採りのジジイくらいだろうが!」


 遥はこちらをにらみ付けて一喝していた。ぱっと目玉達が消える。


「……って! 脇見運転!」


「おおっと! こいつはクレイジータクシー」


 遥は慌てて正面を向いた。道路は交差点、信号は……赤。……木瀬が死ぬ前にオレ達が死ぬところだった。


「それより、見えるか? あの人だかり。あそこが木瀬琢郎の家だろ」


 信号は青へと変わった。遥はアクセルを踏み、バンは木瀬の家に向かって進み出す。


「面白えよな。アイツが心血を注いで築いてきた人脈が、一瞬でパアだ」


 遥はアクセルを勢いよく踏み続ける。バンは人だかりへと向かっていった。


「アイツはどうして人脈をこれ程までに築いてきたか……解るか?」


「……さあ、オレは木瀬じゃないから、なんとも」


 だけど、なんとなくの想像は付いていた。大勢の部下を従える政治家の父親。圧倒的カリスマで人を引きつける重森鄕。彼らの間に居た木瀬が自分の存在を示すには――


「ん? 遥。そろそろブレーキを踏まないと、危ないんじゃないか。自動車運転過失致傷罪になるよ」


 オレの制止も聞かず、遥が運転するバンは加速を続けながら木瀬の家に群がる野次馬に向かって前進を続ける。このままではあと十秒も経たずに大事故だ。しかし、遥はアクセルを踏み続ける。


「クク……他人からの相対評価だ。他人の評価こそが、自分の価値だったんだよ。アイツ、木瀬琢郎は。それを目に見える数値として、人脈の数で実感していた」


 遥が野次馬を目前にして、大きくにやけた。


「だけど、それは薄っぺらな人脈で、薄皮一枚はがせば崩れ落ちる無常の存在。アイツは卵よりも脆い、ただの生ゴミだ。そんな生ゴミが持つ最後の砦。それを今から――」


 遥はさらにアクセルを踏み、ハンドルを大きく回す。バンは野次馬を巻き込みながら旋回し――


「文字通り『炎上』させてやるよ」


 木瀬の家に、正面から突っ込んだ。




 ◆◆◆




 フロントガラスの手前に積まれていた小型の消臭剤はガラスを突き破り、オレの身体にもシートベルトが火袋に食い込むほどの強烈な前Gが襲いかかる。


「うぐぉおおおおおおおおおおおおおおお!」


 猛烈な吐き気。脳みそがユラユラと揺れていた。朦朧とした眼で遥を見ると、オレから手から奪い取った携帯電話で誰かに怒鳴りつけていた。


「おらああああ! 突っ込めやああああああ!」


 遥が耳を突き破るかのような大声を上げると同時に、周囲には大地を揺らす轟音と共に強烈な震動が伝わった。


 フラフラと頭を揺らしながら周囲を見渡すと、オレ達と同じように大型のバンが五台ほど木瀬の家に突っ込んでいた。バンからは黒煙を立ち込ませるほどに炎が上がっている。木瀬の住む高級住宅は、中から焼却処分されようとしていた。


「ぼさっとすんな! 木瀬琢郎を探しに行くぞ! こんな黒煙で一酸化中毒にでもなられちゃあなあ! 自殺にならねえんだよ!」


 遥は何が何だかわからず呆然としているオレのシートベルトを無理矢理外し、ジャージの裾を引っ張りあげてオレを燃えさかる家の中に引きずり出した。


「走れ! お前が死ぬのはまだなんだよ! 後でハッピーに死にたきゃあここでは意地でも死ぬな! 走れ!」


 そしてオレの手を引きながら、遥はハイヒールにも関わらず全速力で走り出した。家の中は炎と煙で赤黒く染まり、熱気と悪臭に満ちあふれている。その中での疾走は、肺が苦しい。


 それでも、走っている間にオレの心はいつの間にか平常を取り戻していた。アイツの為にオレはこれから木瀬を死なす。そう思えば、自分の苦しみなんてものは黒煙の中に溶けていく。肺にむせかえるほどの空気を吸い、声を絞り出した。


「遥ぁ、二階だっ! 二階が木瀬の部屋だっ!」


「しゃべり出すのが遅えんだよ。エレクト野郎がッ! もっと脳内麻薬をブリブリ放出して脳を覚醒させろッ!」


 オレの精一杯の言葉に遥は悪態をつくと、すぐさま二階への階段を上っていった。


「二階はトイレと木瀬の部屋の二部屋だけだ! 階段を上って右のドアを開けてくれっ!」


「了解っとぉ!」


 そう言うと遥は煙で薄黒く汚れたドレスのポケットから拳銃を取り出すと、ドアを蹴り開けて拳銃を構えた。


「動くな! なんつってな!」


 遥に続いて部屋に入ると、木瀬の部屋は滅茶苦茶に荒らされていた。……いや、木瀬が荒らしたのだろう。周囲にはビリビリに破かれた雑誌の切れ端が散乱しており、木瀬が使っていたであろうパソコンのモニターは液晶が砕け散っている。そして、部屋の中心では木瀬が下を向いて虚ろに立ち尽くしていた。


しかし家が燃えているにも関わらず、木瀬は全く逃げようともしなかった。ただ、ぼんやりと、自分の足下を眺めているようにも見える。それを見た遥が、木瀬に近づいて声を掛けた。


「おんやあ~? 坊ちゃんはもうギブアップかい? 何か言ってくれよ、なあ!!」


 そう言い終わると、遥は拳銃の先で木瀬の頭を殴り飛ばす。無防備な木瀬の身体は横に吹っ飛び、雑誌の切れ端を巻き込みながら壁に衝突した。


「おい! 緑川陽一! ……最後の会話でも楽しめよ。もっとも、そいつが何か喋れたらだが」


 遥は振り返って言うと、拳銃をオレに投げて渡した。オレは拳銃を上手くキャッチし、木瀬の前に、見下ろす形で立つ。


「……木瀬。お前に喋る気が無いなら、オレが勝手に喋るよ。お前がオレに、アイツ、草刈栄二を電話で呼び出させた日は今でも覚えている」


 オレが話し始めても、木瀬は何も答えない。こちらに目すら向けることはなかった。しかし、オレは話を続ける。


「お前は最悪だよ。重森の狂気を後ろ盾に他人との人脈を築く、最悪の狐だ。まあ、それに屈してしまったオレが言うことじゃないね。……人を踏み台にしてまで、人脈を広げたいのか? それが何になるんだ?」


 オレの言葉に、木瀬はオレをにらみ付けてからゆっくりと話し始めた。


「『それが何になるんだ?』だと。……それしかねえだろうが。俺達の価値なんてのはそれだけだろ!! どんなに自分で自分を優れていると思おうが……父親が政治家だろうが……幼なじみが頭の狂ったキチガイ野郎だろうが……他人からの評価が無ければ俺の存在は現実じゃねえだろうがよっ……!!」


 熱と黒煙で脳を溶かされながらも、木瀬ははっきりと言葉にしていた。木瀬の目にはうっすらと涙が浮かんでいるように見える。


「なあ……緑川。お前がもしも宇宙で一人きりだったら、自分を解るのか? 自分がどんな立ち位置で、自分より劣る人間がどれだけ居て、自分が媚びる相手がどれだけいるのか? 解らねえだろっ……! 頭にウジが湧いた女を取っ替え引っ替え出来るようになるくらいに、俺を評価して、価値を与える奴が居ねえと……俺はこの世に居ねえんだよっ……存在しねえんだよっ……」


『他人からの相対評価』。それが木瀬琢郎の絶対的に信じる、無くてはならないものだった。オレは木瀬の前に、拳銃を投げ捨てる。


「じゃあ……死ねよ。オレが言うことじゃないけれど、相対評価なんて今日みたいに一日で簡単にに崩れるんだ。多分、これから木瀬は生きていけないよ。外を歩いていても、就職をしても、いつまで経っても、今日のことを言われ続けるんだろう」


 他人の瞳に見られ続ける苦しみは、オレもよく分かっているつもりだ。


「じゃあ、木瀬は死ぬしかないよね。相対評価が崩れたんだから、もう何も信じれないんだろう。だから、死ねよ」


 正直なところ、そんなことで死ぬなんてオレは不思議に思う。だけど、他人がどう思おうとも、本人にとってはそれが深刻な問題で、理解されないことが何よりも辛いことが、オレにも解っているんだ。それを誰が止められようか。


 オレの言葉に木瀬は特に驚く様子は無かった。ただぼんやりと拳銃を拾い、自分のこめかみに当てる。


「……木瀬。最後に、林田と重森に何か言いたいことはあるか?」


 これから後を追うであろう二人に伝言なんて意味が無いように思えるが、聞かずには居られなかった。死に向かう人間の、最後の言葉を。雑誌の切れ端の影から、アイツの瞳がオレを捕らえている。木瀬は、オレの問いにゆっくりと答えてくれた。


「……別に無い。林田も、重森も、オレの相対評価を高めるために利用しただけだ。何も無え。もう、俺には関係ない……じゃあな。地獄で草刈に会っても、別に謝ってやらねえよ」


 瞳は、少しずつ消えていった。


 


 ◆◆◆




 自分の身体が死に逝くにつれ、木瀬琢郎は理解する。


自分の人生の意味を。


 しかし同時に、それが死を目前にした自分を何ら祝福しない、遥か遠くの陽炎のようなものだと気がついたときに、木瀬琢郎の存在はこの世から消えた。




 ◆◆◆




「おい、緑川陽一。喧嘩の経験はあるか?」


 炎で赤く染まる木瀬の家から急いで脱出しようとしているときに、遥がオレに声を掛けてきた。正直、そんな話をしている場合じゃあ無いと思うんだけれど……


「ないよっ! それより、早く逃げないとここで焼身自殺だ!」


 煙をかき分けながら何とか言葉を返す。それに対して、遥は嬉しそうに答えた。


「喧嘩はしたことがな無いっ! そりゃあラッキーガイだ緑川陽一! 今から世界中のクズを集めて行われるマラソンより辛いバトルロイヤルが始まる。急いでこの火葬場から脱出しろよおおおおおおお!」


 そう言うと遥は、一階の窓を突き破って外へと脱出していた。ちょっと元気すぎやしないか?


「あ、待ってくれよ!」


 オレも遥に続いて家を脱出する。正直、既に熱気と息苦しさで限界だった。外に出ると、新鮮な空気が肺に染み渡る――


「おらああああ!! どけっつってんだろうがクサレ野次馬どもがッ!! 汚ねえ鼻の穴をもう一個増やされたくなかったら道を空けやがれッ!!」


 ――暇もなく、相変わらず遥は拳銃を他人に向ける犯罪行為をしていた。顔はともかく、内面には可愛さが一ミクロンも無いようだった。


「ちょ、遥、銃刀法違反!」


「はぁあああ!? この場合『脅迫罪』だろうがよ! 少しは他人の心配を――いや、緑川陽一。今はとにかくアタシの心配だけしてな! っつーか、この拳銃をマッポ野郎にしょっ引かれて、誰が危ないっつったら……お前だぞ。緑川陽一」


「えっ!? 何だって」


「ともかく! あそこにいかにも低所得者が乗り回してそうな白いカブが見えるか!? あれをパクるから早く人混みを無双乱舞で蹴散らして、走れッ!!」


「ちょっ! 窃盗罪!」


 人混みを強引に拳銃でかき分けて、オレ達はカブの所までたどり着いた。遥はカブのエンジンキー部分にポケットから取り出したマイナスドライバーの様なものを突っ込むと、くるくると回していた。すると何故か、何事も無かったかのようにエンジンが動き出す。


「おらっ! 早く乗れ! ニケツだっ! さっさと次の自殺者の所に行くぞッ!」


 お前は特攻野郎か!? と突っ込む暇もなく、カブの荷台置き場に座らせられると、遥は右手でアクセルを全開に回した(無免許)。


 それにしても……本当に遥は何者なんだろうか?


 オレのことを知り、オレに協力してくれる遥。素性も目的もはっきりとは教えてくれない。一体何故、犯罪行為をしてまでもオレの気晴らしに協力してくれるのか。遥が運転するカブに運ばれながら、オレはそんなことを考えていた。




 ◆◆◆




 木瀬琢郎の『現在』の恋人――林田彩菜は、生放送で映し出されている映像でそれに気がついた。燃え上がる恋人の家。そこに群がる下品な野次馬。そして、血を流しながら横たわっている人間達。


「父さんにっ……救急車と消防車をっ……」


 真っ先に林田が心配したのは木瀬琢郎の命。金銭面では父親の病院を支援し、自分のことも心から愛してくれた木瀬を、木瀬のみを救いたい気持ちが林田の脳髄から溢れ出す。


 病院に電話を掛けようとしたその時、林田の携帯電話が着信音が流れる。


「タッ君!?」


 自分が心配していれば、恋人からの連絡が届く。そんなか細い偶然を心から信じた林田は、発信者も見ずに通話ボタンを押した。


 しかし現実の意図は、一切繋がることはない。


「『「……別に無い。林田も、重森も、オレの相対評価を高めるために利用しただけだ。何も無え。もう、俺には関係ない……じゃあな。地獄で草刈に会っても、別に謝ってやらねえよ」』」


 言葉の後に、電話越しから伝わる銃声音。林田は残酷な現実を理解した。


「……う、嘘、いやああぁぁぁぁぁぁあぁぁぁあぁ!!」


 叫ぶ。叫ぶが、誰も答えてはくれない。何故、冗談だと思うことが出来ないのか。テレビでは炎上している木瀬の家を移し出されている。その、リアル。失った物の大きさ。それらは全て、林田の思考を停止させていく。




 ……叫び続けて、どれくらいの時間が経ったろうか。辺りの日は落ちていき、周囲には闇が立ち込み始めていた。


 林田は、布団にくるまりながら体育座りでテレビを眺めていた。テレビの中では、木瀬の家から湧き上がる煙の量は次第に減っていき、救急車がけが人をせわしなく運んでいた。けれども、木瀬が助かったという連絡はない。その時突然、玄関のインターホンが室内の静寂を破った。


「誰……タッ君なの……」


 僅かな奇跡を信じた林田は力なく立ち上り、玄関へと繋がる受話器を取る。インターホンのカメラに通じるモニターには、白黒のドレスに身を包んだ少女が映し出されていた。


「ちわーっす。自殺商売人でぇーっす。コレさえあればこの世の縁とも楽におさらばヨロシク。さらには死を迎えた恋人の所まで行ける片道ペアチケットを用意しましたぁ。さっさと扉を開けな、性依存症のミニマム神経女」




 ◆◆◆




 自分の身体が死に逝くにつれ、林田彩菜は理解する。


自分の人生の意味を。


 しかし同時に、それが自分を決して満たしてはくれない空虚なものだと気がついたときに、林田彩菜の存在はこの世から消えた。




 ◆◆◆


 


 周囲の闇を照らす暖色系のネオンライトに包まれながら、都会のビル群をカブで走り抜ける。行き先は……『ネクロフィリア』。夜になるといつも重森が『気晴らし』をしている、ドラッグに暴力、何でもありの掃きだめクラブだ。


「あっけないな……なあ、遥。木瀬の隣にいるときの林田は、とても自殺するような人間には見えなかったのに」


 ハブの荷台置き場から、遥に話しかける。今日は一日中遥の無免許運転で運ばれっぱなしだ。正直、お尻に伝わる震動が痛くなってきた。


「はあ……緑川陽一。だから林田彩菜はダメなんだよ。それこそ生きる才能が無い。他人が必要って点じゃあ木瀬琢郎と似ているが、『評価』を求める点と『存在』を求める点が違う」


 前を向きながら、遥は俺に答えた。風の音に遮られながらも遥のはっきりとした声はオレの耳に届く。


「例えばさあ、木瀬琢郎は自分を評価してくれるなら多分、ゴキブリにでも媚びを売るぜ。あいつは、相手のことなんて何にも見てねえんだよ」


 そう言うと、遥は後ろに手を回してオレに携帯電話を渡してきた。


「え、これ……」


「これで時間を見てろ。クラブが開くのは夜の八時からだ。開店前に重森は一人で不法侵入してんだろ。そこを狙う。遅れそうなら大声で『ファーックッ!!』と叫べ」


 確かに重森はクラブの開店前に一人で忍び込んでいる。木瀬も林田も連れずに何をしているのだろうと考えたこともあったが、頭が狂った人間の考えを理解するのは無理だと思い、考えないことにしたけれど。


「わかった、今は七時十五分だ。多分、オレが叫ぶことは無いよ。それより……話の途中だったろ」


 オレが遥に時間を告げると、遥はアクセルを強くひねりながら話を続けた。


「ああ、林田彩菜だっけ。あいつはゴキブリを愛せない。木瀬しかダメなんだ。人間なんてバールのような物で百発殴りでもすれば簡単にお陀仏するくらい貧弱なのによお、それに依存してやがんだ。つまんねえヤツだよ、マジで」


 そう言った遥の背中は、少し寂しげに見える。それきり、遥は何も言わずにカブを走らせ続けた。


 オレは遥の携帯電話を眺める。一世代前のスマートフォン……オレンジ色のカラーが眩しかった。遥は時計を見ていろと言ったが、オレには少し調べたいことがある。ブラウザを立ち上げて、インターネットに接続した。検索ワードは……『シェオル』。


 遥がバンの中で言っていた単語。そして、オレの父親がアイツ……草刈栄二と出会った、集団自殺サイトの名前だ。人生で見ることは無いサイトだと思っていたが、遥の情報があるかもしれない。


『シェオル』にアクセスすると、黒い背景に赤い文字で『ようこそ、死者が集められる場所へ』と歓迎された。正直、不快だった。急いでエンターを押して掲示板へと移動する。


『スレッド337』……おそらく掲示板のトピックの番号だろう。『337』で検索をすると、該当するスレッドが現れた。


『外へのジハード』


 それがスレッド337のタイトルだ。内容は、政治家の息子の家に『聖戦』を仕掛け、天国で美少女に囲まれながら暮らすという。なんと言うか、とても正気とは思えないものだった。


 しかし、それは実際に現実となったことだ。木瀬の家に五台のバンが突っ込み、間違いなく誰かが死んでいるのだから。そいつらにも、絶対的に信じる何かがあったんだろう。


 見ているだけで頭がおかしくなりそうな内容を流し読みすると、スレッドの制作者を見る。名前は、『ファックサッカー』。何か、どこかで聞いたような単語だった。


 オレは再び、スレッドを検索する。検索ワードは『ファックサッカー』。意外にも該当スレッドは二件だけだった。一つはさっきの『外へのジハード』。そして、もう一つは――


「おい!! 緑川陽一。到着したぞ。さっさと三本目の墓標を立てに行こうぜッ!! 重森鄕、アイツにはお前の『気晴らし』に付き合ってもらわねえとなぁ!!」


 気がつけば、ネオンライトの届かない真っ暗な路地裏に到着していた。クラブ『ネクロフィリア』の裏口だ。遥が一足先に裏口へと歩き出す。


「ああ、今行くよ」


アイツの瞳は、まだオレを捕らえて離さない。お前を追い込んだ奴を死なせてやるから、その後にオレも死ぬから……せめて、オレに最後の人助けをさせてほしい。


オレは携帯電話をスリープモードにしてポケットにしまうと、急いで遥の後を追った。




 ◆◆◆




 裏口の鍵は開いていた。不用心だとは思うが、重森が中にいる証拠でもある。遥が先頭で入ると、オレも後から続いた。


裏口の先には灯りの無い、真っ暗闇の廊下が続いていた。暗闇の中を進むのは何かに吸い込まれそうで、オレも遥も、一言も言葉を口にすることなく歩みを進める。


しばらく進んでいると、不意に遥が声を掛けてきた。


「なあ……何でお前、人助けをしたがるんだ。理解する気はねえけどよ、一応聞いておきたくてな」


 人助けをする理由。『どこまでも』オレを知っていた遥がオレに質問をするなんて意外だった。


「ああ……言ってなかったっけ。大したことじゃないよ。父親が警察官で、その影響かな」


 自分の正義を信じて犯罪者を捕まえる、そんな父親は本当に格好良かった。オレもこうありたいと、本気で思ったものだ。だけど。


「まあ、自分の正義に限界を感じたのも、父親と同じだけどね」


 いくら犯罪者を捕まえても、犯罪は減らない。父親はいつも、それに悩んでいたような印象がある。仕方ないと割り切れば良かったのかもしれないが、父にとってはそれがどうしても許せなかったのだろう。


「……はあ。ま、どうでもいいけどよ」


 オレの答えに、遥は興味がなさそうにあくびをした。そんな遥の様子を見て、今度はこちらから質問をする。


「はは、そっちから聞いてきたのに。じゃあ、こっちからも聞くけれど……遥はどうしてオレを助けてくれるんだ。『人助けなんて、ファッキュー!!』とか言ってそうなのに」


『ファッキュー』とオレが言うと、遥はズッコケた。


「『ファッキュー』って、気持ち悪っ。つーか、前に言ったろ、商売みたいなもんだ。それより、灯りが見えてきたぞ」


 遥は、明らかに言及を避けていた。やはり、遥の口からは本当の理由を聞けないようだった。それでも、今までの遥のオレを助ける異常な行動――人助けを見て、何となく気がついたことがある。


 遥にも、瞳が見えているんだ。


 遥は、灯りが見える空間へと進んでいった。オレも後ろから続く。そこに重森が居るのだろう。残りの戦いはあと僅か。


 まずはこっちから終わらせよう。




 ◆◆◆




 廊下の先は、広いダンスホールだった。ホールの中央には円形のステージがあり、周囲が暗い中、そこだけが白い灯りで照らされていた。


「あれ、緑川じゃん。お前、ゴスロリ女なんか引っ連れてどうした? ここで青姦……ま、室内だけどよ、ドラッグパーティーでもおっ始めんのか? 俺は道具選びで忙しいんだ。やるんなら勝手にやってろよ」


 ステージの上では、長身で黒いタンクトップの男――重森鄕があぐらを掻いて座っていた。重森の周囲には、スタンガンにカッターナイフ、そして電気スタンド。統一性が無い。なるほど、一人でどう残酷に道具を使うか考えていたわけだ。重森の問いかけに、オレが答えるよりも早く遥が答えた。


「はっ、用なんて、そんな大したもんじゃねえよ。ただちょっと、お前に見せたいものがあってな」


 そう言うと遥は、重森に向かって何かを放り投げた。重森はそれをキャッチすると、突然笑い声を上げ始める。


「うひゃ、うひゃ、ウヒヒヒヒヒヒヒウケラコオオオコオオオオコオオオコオオココ!!」


 重森の両目は焦点が合っていなかった。両目で別の方向を見ながら、口を大きく開けての大笑い。その姿はまるで何かが取り憑いているようで、非常に不気味だ。


「さ、さ、最高だぜええええエヘヘヘエヘアハッ!! どんな生け贄だ!? 誰だ!? 教えてくれよ!? この目玉の主はさあ!!」


 重森が手を開き、キャッチした物を見せてきた。手の中には……二つの目玉。


「うわあああああああああああ!!」


 目玉。瞳。アイツのなのだろうか。どうして……。頭がくらくらしてくる。


「叫ぶな! 緑川陽一!! 木瀬琢郎と林田彩菜の目玉だ!! 草刈栄二以外の目に怯えてるんじゃねえ!!」


 取り乱すオレに、遥が一喝した。木瀬と林田。いつの間に奪ったのだろう。非情だと思ったが、アイツの目玉じゃないとわかった時点でオレは少し落ち着きを取り戻す。大概、オレも酷い人間だ。


「木瀬と林田ぁ!? ウケキコココココオココココ!! あいつら、死んじまったのか!! アハハハハハハハハアハアアアアアッッッッコワイコワイコワイコワイ!!」


 重森は、傍らの電気スタンドを握りしめると立ち上がり、頭の上で振り回し始めた。首は左右に揺れ、その姿は宇宙の電波を受信するためにアンテナを回しているようだった。


「……緑川陽一。アイツとお前、どっちがエレクト大王なんだ? ま、それは良いとして。なあ、アイツが絶対的に信じるものが何だかわかるか?」


 イカレた霊媒を続ける重森を見ながら、遥がオレに尋ねる。今まで狂気に満ちた重森の言動を見てきて、オレは疑問だった。しかし今のオレには、少し考えればそれは解ることなのかもしれない。


「『気晴らしの生け贄』……重森はよくそうやって他人に瀕死の重傷を負わせて林田の病院に人を送り続けた……アイツもそうだった」


 アイツの時は、『人間トマト』を作るために顔面を滅多打ちだったろうか。


「何からの『気晴らし』なんだって、ずっと考えていた。それが今ようやく解ったよ。オレと同じ、死へ向かう前への『気晴らし』だったんだな」


 オレの答えに、遥は中指を突き立てて答えた。


「ご明察っ……っても、アタシも想像だけどな。他人に死を与えて、自分の生を実感していたんだろう。だがな、他人の死は笑って眺めていても、幼なじみの死は無理だろうぜ。それは共に歩んできたリアルだ。だから、死を身近に感じてエレクトしてやがるってわけだろう」


 そう言うと遥は、重森が暴れるステージの上へと上がる。


「おらっ!! 聞こえてんのか話からねえがなぁ、一応言っておくぜ。楽に死にな」


 遥はドレスのポケットから拳銃を取り出し、重森に投げて渡した。重森は電気スタンドと二人の目玉を放り投げると、拳銃に飛びついてうめき声を上げた。


「ウウウウウウ……楽になるのか……なるのか……コワイコワイコワイコワイ……」


「大丈夫大丈夫だってぇ!! 死は無、だ。誰にでも平等。人種差別も部落差別も無い、正真正銘の『無』。そりゃあもう、楽だぜぇ」


 遥がなだめるように言うと、重森は拳銃を握りしめ、自分のこめかみにあてがう。他人の言うことに平然と従う重森は、これまでの言動からは考えられないくらい幼く見えた。


「まあ多分、何を言ってもこの精神年齢マイナス十八歳は従うだろうぜ。おい、緑川陽一。何か、こいつに言っておくことはあるか」


 遥がオレに聞くが、何も言いたいことは無い。死を恐れ続けて、他人を殺す。端から狂っていた人間に何を言ったところで意味は無いだろう。オレは黙って首を横に振る。遥はにやっと笑い、重森に最後の言葉を掛けた。


「じゃあ、終わりだ。右手の人差し指を引け。じゃあな、反社会性人格障害者が」




 ◆◆◆


 


 自分の身体が死に逝くにつれ、重森鄕は理解する。


自分の人生の意味を。


 しかしその前に、重森鄕の存在はこの世から消えていた。




 ◆◆◆




 星のない、真っ暗な夜だった。クラブが入居しているビルの屋上。目下には、眠らない街の明かりがひっきりなしに輝いている。オレは飛び降り防止の柵に寄りかかりながら、携帯電話を片手に遥を待っていた。


『いえーい! ミッションコンプリートだぜぇ!! お祝いにさぁ、マクドナルドでハンバーガー買ってきてやるぜ!』


 と言って、遥は一人で街に繰り出してしまったのだ。一応、自分が犯罪行為のトリプル役満をそろえた危険人物であることを認識して欲しいんだけれども、遥の嬉しそうな顔を見ると止めることができなかった。


 携帯電話で見るのは……『シェオル』。検索で見つけた、あのスレッドを見ていた。やはり、と言うべきか。概ね想像通りの内用だった。


「おい!! 人の携帯電話で何をじーっと見てやがるんだ! 緑川陽一。マザーファッカーの画像サイトか?」


 携帯電話のモニターを凝視していたオレの頬に、冷たい物が当てられる。


「うわっ、そんなわけないだろう!」


 慌てて携帯電話をポケットに隠す。遥は気にせずに、Sサイズのドリンクとハンバーガーを渡してくれた。祝杯にしては貧相な食事だが、それも良いだろう。


「ああ、ありがとう。ちなみに、何のドリンク?」


「コカコーラだ。一気にイケよ」


 案の定というか何というか……。大層にアメリカンな祝杯だった。遥はオレに渡した紙コップを自分のと合わせて乾杯をする。


「くっ、くっ、くっ、カァーッ!! この身体をズタボロに破壊しそうな味がやめらんねえよなぁ」


 遥は一気のみでコカコーラを飲み干したていた。


「遥……どう見てもオッサンだよ」


「ほっとけ!! それより、緑川陽一。お前、気分はどんな感じだ? 今から自殺できるくらいには、ポジティブシンキングか? ほれ、拳銃」


 遥は、ハンバーガーを口に入れながらポケットから拳銃を取り出し、オレに手渡した。傍から見ると凄い光景だろう。オレはコーラを一口飲んでから答える。


「ああ、少しは……ポジティブ、かな。最悪だよね、


人の死を見て気分が晴れるなんて」


 しかし、アイツの瞳は未だにどこかでオレを見ているような気がした。やはり、最後にオレがすることは――


「あぁ!? まだそんな偽善者みてえなこと考えてたのか!? 気にするな。これは草刈栄二が望んだことだ」


 アイツが望んだこと。遥はハッキリと言う。やはり、そうなんだろう。オレは少し間を置いてから、遥に尋ねた。


「なあ……遥。お前、アイツの死に際を知っているんだろ」


 遥のハンバーガーを食べる動きが、ぴたりと止まる。見るからに、オレの言葉に驚いているようだった。


「……どうしてそんなことを聞く」


「質問しているのはオレだ。答えてくれ。答えによっては……お前を撃つ。『ファックサッカー』」


 遥に反論のスキを与えず、オレは拳銃の先を遥の額に当てた。しかし、遥は何も答えない。


「父親とアイツが死んでから、ニュースは一切見なかった。だから、集団自殺サイトで集まったのは死亡した三人だけだと思っていたんだ。だけど、実際に該当スレッドで集まっていたのは……四人だった。今、遥の携帯電話で見たよ」


 日付や自殺場所を見ても、まず間違いないだろう。


「スレッドに書かれた自殺の方法は、『拳銃による自殺』だった。そして、遥が渡してくれたのは四丁の拳銃。……これ、オレの父親のだろ」


 実際は、ワゴン車に乗ったまま崖から転落しての死亡だった。当時、警察官だった父親が用意したであろう拳銃が残っていても不思議ではない。遥が、不意に口を開いた。


「……で、それがどうした。現実の糞みてえな空気を吸い続けて、それでもなお生き続ける愚かなアタシ――ファックサッカーにお前は何を求める? 何故止めなかった、か? それとも今、ここでアタシを殺すのか?」


 遥はハッキリと、認めた。拳銃に何ら恐れを示さず、気丈に言葉を述べていた。自分が殺されるかもしれないというのに、遥からは死への恐れがまるで感じられなかった。


「違う……オレが望むのは、そんなことじゃない。ただ……聞かせて欲しいだけなんだ」


 遥の瞳を見据え、オレは言い放つ。もし叶うならば、絶対に知りたかった、オレが最も望むことを。


「父親が……アイツが……最後に何て言ったか……それだけ教えて欲しいんだ。それを聞くことが出来るならば……オレは本当に安心して死ねる……」


 涙が出そうだったが、オレはこらえる。泣きながら死ぬなんて、そんなのはハッピーエンドじゃあ無い。遥は、オレの弱々しい様子を一瞥してから、ゆっくりと語り始める。


「ああ……それで、お前がファッキン・エンドを迎えないんならな」


 


 ◆◆◆




 ちょっとバックグラウンドに入るぜ。何事も土台からって、ハイスクールの道徳で習わなかったか?


当時のアタシは、まあ糞真面目だったんだ。お前と同じように、正義感に溢れ、自分のことを『私』だなんて言って、委員会活動やボランティア活動に明け暮れていたよ。……ここは笑う所じゃねえ。


 だけど色々あって、やっぱりお前の父親やお前、緑川陽一みてえに、自分の絶対的に信じるもの――正義に挫折しちまったんだな。深くは聞くな。


 それでナーバスになっちまって、自殺さ。だけど、死ぬのが怖えから、集団自殺サイトで一緒に死んでくれるヤツを探したんだ。四人集まったから、山で集合。拳銃で楽に死なせてくれるなんて、ラッキーだと思ったよ。


 んで、集まったらとりあえず辞世の句を読み合う。新興宗教団体の教主は面白かったぜ。『自害こそにエリジウムがなんたらかんたら』、アイツはエレクトしてた。お前の父親と草刈栄二とも、少し話をした。同年代の息子が居ること、その息子の親友だったこと。そして、ファッキン野郎達を殺してやりたいってことも。


 だけど、ワゴン車に乗り込んで、拳銃を配って、いざ撃とうって時に、アタシは死ぬのが怖くなって泣いちまったんだ。情けねえ話だよ。重森鄕のことを笑えねえな。


 そしたらお前の父親がさあ、こう言ったんだよ。


「泣いて自殺するくらいなら、止めた方が良い」


 オイオイ今から自殺するお前に言われたくねえと思ったさ。だけど、アタシ以外の三人は、死に救いを求めていた。みんな笑顔だったんだ。


 ああ、そろそろ肝心の最後の言葉に入るぜ。じゃあ、まずはお前の父親の最後の言葉だ。一気に言うから、聞き逃すなよ。


「キミはここで死んだんだ。だから、もう何にも臆す必要は無い。死者を裁く法律は無いんだから、好きなように生きなさい。勝手な言い分だが、もしも生きて帰ったら、息子を助けてやってくれないか。それじゃあ、またいつか」


 その後、草刈栄二も最後の言葉を言ったぜ。


「陽一君に会ったら、伝えてよ。僕は僕を傷つけた重森達は殺したいほど憎いけど、陽一君は憎んでないよ。あれは仕方なかったんだ。あとは、ありがとう、で。それじゃあ、またいつか」


 あ、一応教主の最後の言葉も聞くか?


「p eifepi kovp aatkp tfuapi lepiaaotp a eepi ltp vu vpi keop taoipi kue!!」


ともかく、最後の言葉を言ったこいつらは拳銃とアタシを車から投げ捨てて、ワゴン車で爆走していったってわけさ。


 


 ◆◆◆




「……以上だ。感動したか?」


 遥が話し終える。オレは、ただひたすらに救われた気がしていた。父親がオレを心配していたこと、アイツがオレを恨んでいなかったこと。


 だけどオレは同時に、ある一つの事実にも気がついていた――遥の絶対的に信じるもの。


「……ありがとう、遥。最後に一つ、良いかな」


 泣きそうになりながら、オレは遥に尋ねる……拳銃を突きつけたまま。


「オレが自殺した後、ここから飛び降りるつもりだったでしょ」


 依然、遥は反応を示さなかった。


「どうして、そう思うんだ。お前の父親の言葉を聞いてなかったのか?」


 確かに、父は『息子を助けてやってくれないか』と遥に言ったらしい。だけど、遥は――


「――俺をハッピーエンドで終わらせて、自分なりの『正義』を信じ通して、ハッピーエンドを迎えたかったんだろう。オレと、同じように」


 父の言葉。そして、アイツが望んだ復讐。それを果たすことが、遥にとってのハッピーエンドだったんだ。だから、父の瞳、そしてオレと同じようにアイツの瞳に見られ続けて、遥はオレに協力を……。


「……参ったな。緑川陽一。お前、エスパー緑川か?」


「いや、ただ、オレが遥の立場だったらそうする、って思っただけさ」


 俺の言葉に、遥は笑い転げた。ビルの屋上で白黒のドレスが汚れるのも構わずに、ゴロゴロと。転がり終えると、大の字になって空を見上げていた。


「じゃあ、アタシもお前の心を当ててやるよ。緑川陽一。……お前、今からアタシを拳銃で撃ち殺すだろ」


 別に、驚きはしなかった。何となくそう言われるような気がしていた。


「正解。遥もエスパーなんじゃない?」


「いや、『とくせい』が同じだけだ。『シンクロ』ってか。はぁ、折角、お前を楽に死なせてやろうと思ったのに」


 死の間際だというのに、遥は楽しそうだった。星のない空を眺めて、これからの自分の行く末を見守るように。


「はは、オレが信じるのは『自己犠牲の人助け』さ。苦しい死に方はオレが引き受けるよ。いや、引き受けさせてくれ。……じゃあ、また地獄で会おう」


 最後くらいは、自分を信じていたかった。もう、人助けをしても、黒い瞳はわき出てこない。


黒い瞳の代わりに見えるのは、永遠に続くハッピーエンドを迎えた、少女の澄んだ瞳だけだ。




「ああ、じゃあ、またな、緑川陽一。お前にもエヴァー・ハッピー・エンドを祈ってるぜ」


 


 ◆◆◆




死に逝くにつれ、オレは理解する。


自分の人生の意味を。


そしてそれが、地獄へと向かうオレを癒してくれる太陽のようなものだと理解したとき、オレの存在はこの世から消滅した。




 


※このあとがきは大学時代に書いたあとがきそのままです。


あとがき


 まず始めに。これは自殺推薦文章ではない!


 一応書いておかないと、後々大問題が発生するようなしないような……ともかく、何事にも予防線を張るのが一番です。


 さて、本作『アンライク・エヴァー・ファッキン・エンド』は如何だったでしょうか? 勝賢舟としては、色々と思い出深い作品に仕上がりました。


 構想のきっかけは去年の文学フリマ。勝賢舟が書いたホラー(と言う名のよく分からない暗い話)作品『彼岸』があまりにも酷評を受けたことから、次に暗い話を書くときは一に面白く、二に刺激的に、三にイキイキとしたキャラを心がけると決意しました。


 その練習として生まれたのが前作『She Takes』。主人公のキャラや登場人物との会話に命を吹き込もうと必至になって頭をひねった記憶があります。幸い、こちらは概ね好評を頂きました。


 その自信と経験をフル動員して執筆したのが本作です。文章量は前作とほぼ変わりませんが、構想期間はなんと半年(妖幻燈の合評後から)。『半年考えてコレかよファッキン野郎だな』みたいなツッコミは穏便にっ……。


 本作で挑戦したのは以下の事柄です。1、登場人物を増やす 2、複線を全力で貼る 3、悪口を増やす


 ……3が一番楽しいのは言うまでもありません。仕舞いには遥が勝賢舟の夢の中で勝手にマクドナルドの話を始めます。とにかく今回はキャラが勝手に動き出しました。ラストの会話は、実は想定外でした。本当はさっさと撃ち殺して終わりでしたが、遥が勝手にマクドナルドの話を始めます。勝手に過去を語り出します。主人公も勝手にラストの一言を言います。その一言で主人公の名前が『周一』から『陽一』にも勝手に変わりました。


 中身の解説も少しだけ。人生を全うした衰弱死は崇高なのに、人生を全うした自殺は恥ずべき行為なのか? と言うのが出発点です。鬼頭莫宏先生の読み切り『彼の殺人計画』にも多大な影響を受けていますね。


 最後に糞長くなっても校正してくれたSさん、作品を書く場をくれた文学研究部に感謝!

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