『鍋、しようよっ!』
「鍋、しようよっ!」
この突拍子もないことを言っているのは僕の幼馴染である少女だ。名前は日向 葵と中々かっこよく、1文字入れ替えると向日葵になるという理由でもれなくかわいいあだ名までついてくるという大変お得な名前である。
そして本人はその名に違わず快活で太陽のような笑顔が魅力的な少女である。まあ、元気すぎて女の子っぽくないからよく男の子に間違われていたりするが……
対して僕は木村 優作であだ名がキムだったりする(太っていないのが幸いである。太っていたらジョンウンだったに違いない)。
はぁ、しかしながら木枯らし吹き荒ぶこの11月のような悩みを相談する相手として彼女を選んだのは失敗だったようだ。名前からして季節外れだしな。……それは冗談としても幼馴染は頭の出来がよろしくないのだ。同じ小学五年生として甚だ心配である。もうすぐ最高学年だというのに……
「……何でいきなり『鍋』?」
ただ、頭ごなしに否定するのは間違っているだろう。きっと彼女なりの理由があるはずだ。
「家族で楽しくお喋りするなら『鍋』だよ! 心もポカポカ飲みにケーションだよ! みんなで鍋を突けば楽しいよ〜!」
期待した僕が馬鹿だった。っていうか飲みにケーションはお酒だろっ! 誰だよ教えたの!
まあでも、なんかこいつのお馬鹿な言動で少しは気が紛れた気がするからよしとしよう。
でも『鍋』か、そんなことしたら黙々と鍋をつつき気まずくなるのが容易に……あれ、なんだか想像がつかないな。鍋ってどんな風に食べるんだったっけ? 最後にいつ食べたのか記憶にないや……。
まあ、鍋から離れよう。つい、幼馴染に零してしまったけれど僕自身ではまだそれほど考えていないし、きっと思いつく、『会話のない家族に会話を生む』良い方法が。
きっかけは夏休み前の父さんの昇進だった。僕の家は共働きで父さんも母さんも毎日忙しく働いていた。でもそれでも毎日家には帰ってきてたし、学校の行事には休みを取って必ず来てくれた。けれど昇進で父は忙しかったのが更に忙しくなった。少し寂しかったけれど、仕方ないことだし、いいことだから応援することにした。
けれど、しばらくして母さんも忙しくなった。年に一回の夏休みの旅行もなくなった。家に帰ってきても仕事をするようになった。運動会も来れなくなった。そのときは幼馴染である葵の家にお世話になった。
2人とも家に帰って来れない日が増えて、たまに揃っても仕事ばかりしている。会話なんて必要最低限しかない。それが普通になっていた。2人は食事のときでさえ黙々と手早く食べるか、僕だけが別に用意して自分たちは仕事の片手間の軽食で済ませたりするようになった。そして余計に話さなくなった。
そんな日々がすっかり日常となったある日、いつのまにか僕の家と葵の家で話し合いがされていたようで、僕が1人の日は葵の家にお世話になるようになった。今日もそれで僕は葵の家に来ていた。
葵の家は僕が住んでいるマンションの隣の大きな一軒家で、葵と葵の弟と妹、葵の両親と父方の祖父母の三世代7人で暮らしている。
そんな葵の家は僕にとっては新鮮だった。ずっと賑やかで、なんだか温かくて……会話が溢れている。でもそんな温かい環境は僕を余計に寂しくさせた。葵の家は僕を優しく迎えてくれる、けれど彼らは葵の家族であって僕の家族ではないのだ。なのにとても家族を感じさせる。そんなところにいたら家族で会話があった頃が懐かしくなるのは仕方ないはずだ。
父さんも母さんも僕を育てるために一生懸命働いてお金を稼いでいるんだって、だから僕は迷惑をかけないようにいい子にしてなきゃって、我儘言っちゃ駄目だって、分かっている。分かっているけれど、どうしようもなく寂しくて、寂しくて……つい葵に零してしまったのだ。
『なぁ……どうしたらさ、葵の家みたいに家族で楽しく話せるかな?』
って。それが悩み相談の正体。どうやら僕は思ってた以上に参っていたようだ。誤魔化し切れない。考えれば考えるほどはっきりと自分の思いを自覚する。でもそんな風に自覚したところで止まらない。
僕はどうしようもなくあの頃に戻りたい! 忙しくても会話があった温かいあの頃に……。
「────っ!? 優ちゃん!? どうして泣いてっ!? えっ、えっ、どうしよ────」
****
あのあと泣いてしまった僕を葵の妹が見てしまって葵のお母さんに報告、葵はパニックで何故か踊り始めるし、駆けつけた葵のお母さんもパニックになってアワアワ、追加で現れた葵のおじいちゃんとおばあちゃんも大変じゃ、大変じゃと騒ぎだして大騒動であった。タイミングよく仕事から帰ってきた葵のお父さんが収拾してくれなければ警察と消防に多大なご迷惑をおかけしていただろう。
まあ、そうなると必然的に理由を聞かれてしまい洗いざらい喋らなくてはならなくなってしまった。
小学五年生にもなってそんなことで泣いたことがとても恥ずかしく、話すのがとても辛かったがそれを聞いた日向家の反応は釈然としなかった。
「優ちゃんもちゃんと子どもだったんだねぇ」
と、大人連中はどこか嬉しいそうだし、
葵は、
「優ちゃんが泣くなんて珍しー」
などとはしゃいでいるし、
葵の弟妹は、
「ゆうにぃ、いたいいたいだった?」
「ゆうにぃ、いたいのとんでった?」
なんか一番優しくてまともな反応で心に染みた。
そして、
「「「「鍋だな(ですね・じゃな・ね)」」」」
という答えを頂き、
「よし、今夜は鍋だ! 優君に鍋の特訓をするぞぉーーー!!」
「「「「「「おーーーっ!!」」」」」
「……………」
ということになった。何なんだこの家族……。
****
今日は父さんも母さんも帰ってくる。定時でだ。
僕がみんなが揃ってご飯が食べられる日を作って欲しいって頼んだからだ。
自分からこんな風に我儘を言ったのはいつぶりだろうか?
とても緊張する。
本当にこんなことを頼んでよかったのか今更ながら不安がよぎる。
そんなことを考えているうちに2人が帰ってきてしまった。どうやらたまたま帰るタイミングが同じだったようだ。
「優、ステーキか?とんかつか?」
「優ちゃん何を食べに行きたい? 好きなもの食べさせてあげる!」
何故か、帰ってくるなり両親はとても必死で、しかも何故か揃って外食を勧めてくる。
けれど、今日は外食じゃ駄目なんだ……。
「ぇと、その……ぅう……なっ」
「「な?」」
「鍋、しようよっ!」
僕はあらかじめ準備していた鍋の用意を2人に見せた。2人はポカンとしていた。
僕はそんな2人を席につかせて、思いを伝えることにした。
「僕は父さんと母さんともっと話したいんだ。楽しい会話のあるご飯がしたいんだ。葵ちゃんの家の人たちとじゃなくて、父さんと母さんとしたいんだよ……」
2人は申し訳なさそうな顔になって謝り始めた。けれど僕はそんなことを望んじゃいない。だから強引に鍋を始めることにした。
2人は何か話そうとしているようだけど、突然だしそんなすぐに思いつかないようだ。
因みに火が危ないからと、作業は父さんに任せてある。
そんな僕も何を話していいかわからない。
そのとき、黙々と鍋に具材を入れていた父さんが春菊の隣に豚肉を入れたのを見てしまった。
「あっ、父さんお肉を春菊の隣に置いちゃダメだよ。お肉が固くなるんだ」
思わず声が出た。
「そうだったか……、鍋なんて久しぶりだから忘れてたよ」
「そうね、鍋なんて久しぶりね」
父さんの返事に母さんも被せてくる。
「そもそも僕の家じゃ春菊なんて入れてなかったからなぁ……」
「え、鍋に春菊入れてなかったの?」
「父さんもおばあちゃんも春菊が嫌いだったからな」
「今は?」
「今は父さんは大人だから平気だぞ」
「あら? ならお父さんはナスも食べられるわよね?」
「そ、それはだなぁ……」
一度言葉が続くと、続けて言葉が出てくる。
そのあとも鍋を3人でつつきながら、鍋の具材や父さんや母さんの子どもの頃の話をしたりして、いつのまにか以前よりも温かいご飯になった。
鍋は冷えてしまった体も、心も温めてくれた。鍋っていいな。