マリオネット
その日の午後ソフィアはフェルと共に、街の大通りに出ることになった。
フェルが、ソフィアの服に難色を示したためだ。
確かに、舞踏会のために着飾った姿は、この場所にはあまりにも場違いに思えた。
「わぁ…。」
思わず声が出る。ソフィアは目を見開いた。
昨夜は暗くしかも抜け出すことに必死で、何も見ることなく倒れこんでしまった。
しかし今、泊まっていた宿から出ると、世界は姿を変えた。
色とりどりの花。様々な形の家。屋台や店の数々。美味しそうな食べ物。そして、たくさんの人々。
鍋のなる音。何かを焼く音。子供の泣き声、喧嘩の声。
そこにある全てが、自分の知っている小さな部屋にはないものだった。
もちろん、花や食事はソフィアの部屋にも運ばれてきた。
それらはきっと、ここにあるものとは比較にならないほど高価なものだっただろう。
しかし、同じような形をしていても、ここにあるものは、まったく違うものに思えるのだ。
それはきっと、この街の人々だけでなく、使われている物や道具も全て輝いていたからーー。
城で見た人々を思い出す。
美しく着飾り、シャンデリアの下、微笑みながら踊る彼らは、あたかもマリオネットのようだった。
外面で濁った瞳を隠し、丁寧に優雅に自らを取り繕っている彼らとここの人々の、どちらが輝いているかと問われれば、ソフィアは即座に後者と答えるだろう。
「おーい、姫さん。行くぞー。」
フェルが呼んでいる。
ソフィアは小走りにフェルの隣へと並んだ。
(…というか、何故『姫さん』?)
ずっと姫と呼ばれてきたために、あまり何も思わなかったが、その呼び方もこの場所には不釣り合いに感じる。
それに、ソフィアは自分が姫だったことを言ってはいないのだから、考えてみればおかしなことだ。
「ねぇ、どうして私のことを『姫さん』って呼ぶの?」
鼓動が速くなる。
ソフィアは緊張しながらフェルの目を見た。
「いやぁ、なんとなく?格好がそんな感じだから。」
「じゃあ、これからはソフィアって呼んで。姫、なんて言わないで。」
フェルは素直に頷いた。
相変わらず何を考えているのか読めない。
歩きつつフェルの横顔をじっと眺めていると、少し困ったような顔でソフィアの方を見た。
「…そんなに凝視されたら、恥ずかしいんだけど…。」
「フェルの顔整っているなあと思っていたの。」
目を瞬く。そんな風に返されるとは思っていなくて、頬が熱くなった。
「黒い髪に黒い瞳っていうのも珍しいのでしょう?し…家でもあなたみたいな色彩は見なかったもの。」
「あーまぁ、そうかな。街にもいないだろ?母方の血なんだ。」
ソフィアは、曖昧にそうなの、と微笑んだ。
確かに、今歩いているところからぐるりと見回しても黒い頭は見えないが、初めて街に出た身としては、なんとも言うことができない。
「あ、あれとかどーだ? 動きやすそうだし。」
フェルが指差した方向には、小さな店の前に客寄せ用なのか、一着のドレスが置かれていた。
ソフィアの今着ているドレスと比べるとお粗末すぎるが、この街の人々の中では浮くことなく、しかしどことなく垢抜けている、そんな服だった。
「うん、可愛い。」
ソフィアも素直にそう思った。
「おし。じゃ、これにするか。」
「え。」
すたすたと店の中へ入って、おっちゃーん、と叫ぶ声が聞こえる。
「これちょーだい。」
ソフィアは慌ててフェルを追いかけた。
「待って待って! 私まだお金の手持ちがないの。先に換金してもらわないと。」
「いーよ。俺が払う。」
「そんなわけにはいかないわ。借りなんて作りたくないもの。」
何が不満なのか、フェルは溜め息をついた。
いったい、なんだというのだ。
自分のものは自分で買うのが普通なのではないのか。
それとも、こんなところにもソフィアの知らない規則みたいなものがあるのか。
そんな時、朗らかな笑い声が店に響いた。
「嬢ちゃん!そこは奢ってくれるってんだから、可愛らしく甘えとくもんだぜ。」
この店の店主らしき男がくくっと笑う。
「嬢ちゃんにそんな男気があったもんじゃ、そこのにーちゃんの立つ瀬がない。な?」
からからと笑いながらフェルの身体を肘でつついている。
「うるさいなぁ。金渡すからさっさと着替えさせてくれ。」
いや、自分が払う、と言う間も無く、店の奥の小部屋に押し込まれてしまう。
そこにはすでに、一人の女が立っていた。
「ほら嬢ちゃん。さっさと脱いで!」
「え。」
「着替えるんだろ?これに。」
戸惑った顔のまま、ソフィアが動こうとしないのを見て、女は納得した。
「お嬢さん、いかにも貴族って感じだもんねぇ。こんな雑な扱い慣れてないかい?」
恥ずかしくて俯いた。
女が深い意味無く言ったことだとしても、その言葉は鋭い矢となってソフィアに刺さる。
先ほど散々心の中とはいえ、貴族達のことを悪く言っていたが、実際には自分もその中の一人だと気がついたのだ。
自分も、見かけだけのマリオネット。
自分一人では何もできない。
「そんなに貴族という風に見えますか…?」
女は頷いた。
「ああ。特に今の格好がね。そんな姿で街を歩いていたら目立って仕方がない。今時お忍びで来られる貴族の方もそんな姿では来ないよ。」
まぁお忍びだからっていうのもあるだろうけど、と女は付け足した。
そうしている間もてきぱきとソフィアのドレスを脱がしていく。
悔しかった。思い知らされた気分だ。
城から逃げただけでは自分は何も変わらない。変わりたいならばーー。
ソフィアは女の手に自分の手を重ねた。
「自分でするので、お手伝いして頂いてもよろしいですか。」
(たとえ、小さなことからでも自ら動かなければ、変われない。)
顔を上げたソフィアの目を見て、女はくすりと笑った。