下った先は混沌
二日に一回といったな
あれは嘘だ
大変申し訳ありません
無理っす
日曜日、勉強会の次の日。カケルは試験勉強も手につかず、ただただ布団で転がって、昨日のことを考えていた。異常なまでに怒り狂った妹、怯えた幼馴染。色々なことが元に戻り始めていると思っていたところでこの惨状だ。過去に自分が何をしたのか、改めて痛感していたのだ。
彼は色々なことを間違えた。その間違いを正すのも彼だろう。そのために色々しようと思っていたのだが…
「サキならもう道場いったぞ」
「えっ?!」
日曜朝9時、そんな時間から道場って空いているものだろうか。
「今日って部活休みじゃなかったか?」
「あー、あいつ道場の師範にさ、いつ来てもいいって言われてて、たまに自主練に行ってんの」
ハヤテの話だとサキは習い事として剣道をしているの道場の師範に気に入られているようだ。道場が空いている日ならいつでも行っていいことになっているらしい。
「仕方ない、じゃあ帰ってきたら教えてくれ」
「ん?どっか行くの?」
「ああ、ちょっと色々な」
そう行って俺は三上にメールを打つ。
3秒でメールが帰ってくる。
「よう」
「おー、相棒。助かったぜ」
朝のマクドサンドで朝食に三上とやってきた。今日は俺のおごりだ。昨日なんだかんだ迷惑かけたし。こいつなんて全く無関係なのにえらいとばっちりを受けたことだろう。
「これお前の勉強用具と俺のノート、勉強に使ってくれ」
「悪いな、昨日ケータイだけは持ってたけどそれ以外置いてきちゃったもんで」
「あの状況だしな。まあなんだ、悪かったな」
「んー、まあお前が悪かったって感じじゃないだろ。こうして朝マクドさんおごってもらってるしちゃらよちゃら」
昨日彼らが逃げたあと、カケルは部屋に戻ってみると置きっぱなしになっていた勉強用具を確認した。だから昨日三上にそのことを伝えたら、完全に勉強のことを忘れていた。そして今日どこかで会うところまでは約束していたのだが時間と場所はさっき決めた。
「それに、俺より土御門さんのがダメージでかいんじゃね?あんなに責められて」
「うん、まあそうだろうな」
三上はサンドイッチを食べ、一息つく。
「ごちそうさまでした。んじゃ、ようも済んだし、もう行こうぜ」
三上はこのまま遊びに行こうぜとかいうかと言いそうだが、さすがに試験前なので自重した。
しかしカケルが帰ろうとする三上に声をかけた。
「三上、よければおれの昔話を聞いてくれないか」
そうしてカケルは三上に過去にあったことを話し出した。
数十分後、話を聞いた三上は驚きを隠せない表情をしていた。
「まさかお前が一時期話題になってた孤高の番長だったなんて…」
「そんなに話題だったのか」
「おう、番長なんて呼ばれているのにいつも1人で、不良をみんな潰しに来るって、そのおかげで一時期うちの中学も不良どもがおとなしくなってたんだよな」
うちの中学では孤高の番長は恐怖の対象だった。誰も寄せ付けないように常に威圧的にしていたからだ。髪を染め、制服をひどく着崩し、噂するものを睨みつけ、ケンカを売ってくる相手はひたすら潰した。近くにいる人間は皆恐怖した。そして学校で誰もケンカを売ってこなくなった頃から、他校の不良に狙われるようになった。それをねじ伏せたことでどんどん勝手に名前が広がっていき、この市内の中学ではすっかり有名だったらしい。さらには一部の不良たちが勝手に彼のことを番長と祭り上げ、その名のもとに大きな勢力を形成した。その後しばらくして、その勢力とともに番長の噂は消えていったという。
「いつの間にか噂を聞かなくなったと思ったら、そんなことがあったのな」
「ああ、随分と長ったらしい話を聞かせてしまったな」
「いやいや、俺としては嬉しかったぜ。秘密の過去を知るなんてこと、中々友情が深まりそうなイベントだろう!」
「お前は本当に…」
ほんの一瞬、カケルは三上に話したことを後悔した。色々と悩んでいるのに、この調子だ。
「さて、ひととおり話も聞いたし、そろそろ行こうぜ、俺は勉強しないといけないし、お前は他に解決すべきことがあるし」
三上が席から立ち上がる。今度こそ本当に行くようだ。
「さて、今後俺らが平穏な部活動をしていけるかどうかは、お前にかかってるぜ」
「どういうことだ?」
「お前の話を聞くに、今後土御門さんが部活に来なくなる可能性がある」
「!」
「そうなったら、わかるな」
すっと2人の頭に美琴の顔がよぎった。そして嫌な汗が流れる。
「何としても解決するわ、この試験期間に」
「おう、なんなら俺も手伝うわ」
部活動がないこの試験期間に、秘密裏に全て解決することを誓ったカケルだった。
「めぇぇぇぇん!」
道場で、人形相手に全力で面を打ち込む少女がいる。息を切らしながら何度も何度も人形を打ち続けていた。
「サキ、どうした。今日は随分と荒れているではないか」
朝早くからきた彼女を見て、師範はいつもと様子が明らかに違うことに気がついた。狙いはぶれているし、竹刀の振り方も雑だ。
問いかけにもサキはちゃんと答えない。
「それはサンドバッグではない。もう少し丁寧に扱いなさい」
サキに困った様子を師範がしていると、1人の弟子が師範を呼ぶ。
「師範、ハヤテくんが来てます」
「ん?どうしたというだ。今行く。サキ、少し休憩しなさい。何時間も動きっぱなしだ」
そう言って師範は水の入ったペットボトルを置いていく。サキは竹刀を下ろし、一息つく。そういえばお昼も食べていない。身体を動かさないと今度は頭が勝手に考え始めてしまう。そしてふつふつと怒りが湧き上がってくる。それが今のサキの原動力になり、ろくに休みもせず動き続けられたのだ。昨日のことを考えるとむしゃくしゃする。突然現れたあの女のことを考えると、怒鳴り散らしに行ってやりたくなる。そしてなぜ兄がまたあの女を連れてきたのかという疑問も出てくる。そして嫌な気分になる。
(なんで今頃…しかもあんな普通に…)
彼女は昨日何事もなかったかのように話しかけてきた。サキがどれだけ悩んだか、どれだけ恨んだかも知らずに。そのことがサキの怒りを強く引き出した。今まで抑え込んでこられたのが不思議なくらいだった。
(はあ、兄ちゃんもなんであんなやつ連れてきたんだろう)
「お前が今何考えてるか当ててやろうか」
突然声をかけられてサキは振り向く。立っていたのは1人の小柄な子どもだ。面が付いていて顔は見えなかった。ただ聞きなれた声なのでいきなりで驚いたが、振り向き終わる頃にはもう誰か分かってはいた。
「なんだハヤテか。どうしたの?今日はあんたの来る日じゃないでしょう」
「ストレス発散に道場使うやつが来てよくて、真面目に技術向上を目指す俺がダメなのか?」
「うそ、あんたが休日返上でそんなことするわけないじゃない」
「ふっ、まあな。でも師範に話はつけてきたぞ。サキ、俺と勝負しろ!」
防具を身にまとい、準備万端の様子でハヤテは言い放つ。その声には未だかつてない自信がこもっていた。
「今そういう気分じゃない」
しかしサキは挑戦を受けなかった。今は疲れているし、むしゃくしゃする。面倒な兄に構っている場合ではないのだ。
「もしかして、負けるのが怖いのか?」
「あんた、一度だって私に勝ったことある?というか追い詰めたこともないでしょ」
サキはカケルの挑発なんて気にならなかった。あの程度の見え見えの挑発に乗るほどバカではない。それに実力で圧倒的優位な自分が負けるなんてことあるはずがないと思っているのだ。
「あ、あるし!お前が剣道始めてしばらくしたくらいで…」
「それはあんたが1年、私が3ヶ月くらいの時、初めて試合したの話でしょ。言ってて恥ずかしくないの?」
「うっさい!ああもうとにかく勝負しろよ!闘えよ!俺に勝たせろよ!」
「しないし、しても勝たせないから」
こうしてハヤテをあしらうのは面倒だとサキは思った。しかし本人も気がついていないが、サキの中の怒りが少し和らいでいた。いい感じに気晴らしになっているようだ。
「あーあ、せっかくお前が冷静じゃない今なら勝てると思ったんだけどな〜。『ツボミ姉ちゃん』が来てなんだかご乱心のお前になら」
ここで唐突に負の感情がサキの中で蘇る。今もっとも聞きたくなかった人の名を、自分と同じ顔のやつに、似たような声で言われた。そのことに無性に腹がたった。サキは竹刀を片手にハヤテに襲いかかる。
「あんた今なんて言った?」
「『ツボミ姉ちゃん』かな?なんべんでも言うけど?」
ハヤテは攻撃を予期していたように竹刀で受け止めてきた。サキがどこをつつけば挑発に乗ってくるか分かっていたようだ。その証拠に面のうちからしてやったりというような笑顔が覗いている。
「なあ、俺はケンカじゃなくて試合しにきたんだよ。竹刀をそんな風に振り回したらダメだろ?やるならちゃんとやろうぜ?」
これまででもっとも激しい兄妹喧嘩が始まろうとしていた。
鎧を身につけたい2人だけが向き合っている。試合といっても審判はいない。ただの打ち合いだ。ちなみにこの打ち合いでの戦績はサキの全勝だ。小学生のころ、初めて3ヶ月のサキに1年やっていたハヤテは早々に抜かされた。そして現在サキは中学生屈指の女剣士となった。反対にハヤテはいつまでも成長しない背、なかなかつかない筋肉等の理由で結果を残せないでいる。サキのような戦い方が出来れば勝てるかもしれないが、それを真似るのはハヤテにとっては癪な話だった。
「よし、始めるか」
「ええ、準備は良いわ」
向かい合った2人はお互い礼をする。そして竹刀を構える。その立ち姿はまるで本当に斬り合う侍のようだった。
どちらが始めと言わずとも同時に2人は動き始める。刀と刀がぶつかり合い、弾き合う。
「今日こそは勝たせてもらうぜ」
ハヤテはサキを挑発するように話しかける。しかしサキは一言も返さない。
「だんまりかい。まあ普通試合中には話さないよな」
いつもならハヤテも話している余裕なんてないのだが、今日はサキのコンディションが最悪の状態だ。少し話すくらい問題ない。むしろ相手の集中力を奪えるかもしれないとハヤテは思っている。
「ふふふ、お疲れのようだな。今日こそは勝てそうだな。ツボミ姉ちゃんさまさまだな」
その言葉を言うと、面の中のサキの顔つきが険しくなったように見えた。ハヤテの挑発はうまいこと聞いているようだ。冷静さを少し失ったのか、サキの攻撃が少し雑になった。
(本来サキはこんなに単調に打ち込んでこない。もっと相手の攻撃を崩すように動くはずだ)
しかしこの日のサキは暴れまわる獣のようだった。可能なかぎり攻撃に徹する。むしろ本来はハヤテがやりがちな戦法だった。しかし、
(ちょっ、こっちの攻撃の隙がないんですけど…)
普段自分が得意としている戦法さえサキに負けて、ハヤテは少し心が折れそうになった。逆の立場ならとっくに崩されて一本取られていただろう。
「くっ、そんなに怒るなよ。もう何年も前の話じゃん?」
それでもハヤテは挑発をやめない。この方法で勝機をつかもうというのだ。もちろん正式な試合ならこんな勝ち方はできないのだが。
心なしかサキの攻撃が荒さを増した。攻撃が無意識に大振りになっているようだ。
「だいたい何をそんなに怒ってるんだよ。遊んでくれなくなったから?避けられたから?」
サキの本気の一振りが来る。ハヤテはなんとか防ぐも一瞬竹刀を飛ばされそうになった。そのあと両者体制を立て直したので一度サキの攻撃がやんだ。
「しょうがないことだったろ。うちの中もゴタゴタしてたし、ツボミさんも忙しかったんだろう。なのにそんなに恨んで、ちょっとは相手のことも考えて…」
「うるさい!」
ハヤテに恐ろしいスピードで突きが飛んでくる。
「危な!突きは禁止だろ?!」
「あんただって、反則まがいな挑発ばっかりしてきて!」
サキは日頃道場で高校生とも戦っている。そのせいか突きも綺麗に出せるようになっている。むしろ突きが一番得意とまで言っていた。サキが冷静なときなら今ので決まっていただろう。しかし今ので決まらなかったのだからやはり作戦は聞いている。今日こそ勝てそうだとハヤテは感じた。だからいっそう気を引き締めた。
(冷静さを奪って、ペースを乱す、ここまでは成功だ。ここからが勝負どころだ)
「へっ、いつまでもくだらねぇことで怒ってんなよ。本当はツボミ姉ちゃんのこと大好きなんだろ?」
「黙れぇ!!!」
多分ここが彼女の怒りの最高潮だろう。昨日のサキも怖かったが、今も同じくらい、いや、矛先が自分に向いている分今の方がハヤテには恐ろしかった。隙は少ないが怒りに任せた単調な蓮撃、攻撃のリズムを読むのなんて容易かった。
(ここだ、今ならいける)
ハヤテはサキの怒りを理解していた。だが自分が同じ立場ならそこまで怒れるかと言われると別だ。やはりこの妹とは相容れない部分があるのだろう。だからこそ剣道の戦法は全く別だった。
「?!」
この瞬間、突然サキのバランスが崩れる。転倒まではしないにしろ、すぐに体制を治すのは無理だ。今までで最大の隙がサキにできる。いや、ハヤテが作ったのだ。ハヤテが叫び声をあげながら竹刀を振り下ろす。正面からサキに斬りかかる。そして振り下ろされた竹刀が面を捉え、パァンと鋭い破裂音のような音が道場に響く。
「やべぇ!外した!」
しかし少し当たりが後ろすぎた。これでは判定的には面にならない。ハヤテは最大のチャンスを逃してしまったのだ。
「くっそ!でもまだまだじゃあ!」
ここでハヤテが熱くなってくる。お互いに攻撃を仕掛ける頻度が上がってきた。手数が多いハヤテと、一発一発が重いサキ、2人は互角の戦いを繰り広げていた。しかしハヤテは複雑な気分だった。
(俺の得意分野で、しかもこんな最悪のコンディションで互角かよ)
ハヤテは攻撃しながらもタイミングをうかがっていた。もう一度彼女の体勢を崩せるチャンスを。
「サキ!いつまでも昔のことぐちぐち言ってないで今を見やがれ!」
ハヤテはこれで最後の挑発にしようと思っていた。これで決められないならこの勝ち方は多分もうできなくなると思ったからだ。というよりこんな勝ち方、少し虚しく感じるのだ。
「あんたに何がわかるの?双子だからって!」
サキは挑発に乗ってきた。サキの重い一撃がハヤテの竹刀にのしかかる。ハヤテはその重みを素早く竹刀からそらしていく。再びサキの体勢が崩れた。これは普段のサキの戦法だ。その戦法を一番近くで学び続けた彼は、好きか嫌いかは置いといて、再現することは可能だった。洗練された蓮撃を、冷静さを奪うことで質を落とし、相手の攻撃を流すことで最大の隙を作る。ここから狙うは胴。今なら勝てるとハヤテは確信していた。
今度こそ絶対に外さないと。
バシンッ、と竹刀が鎧を打つ音がした。今度こそ勝負が決したのだ。そしてしばらくは両者動かなかった。
「うっそだろぉ!!」
負けたのはハヤテだった。胴が決まるその寸前にハヤテの胴をサキが捉えていたのだ。目の前でサキがに礼をしてきた。ハヤテは堪えきれずに叫んだが、サキは形式を重んじて一度ちゃんとこの試合を締めたのだ。それからサキはようやく口を開いた。
「バーカ、2回も同じ手には引っかからないわ。ましてや自分の得意技よ」
「なんだよ!完全に倒れかけてたじゃん!なんであのタイミングで返せるんだよ!」
「そんなの来るって分かってたらバランス保つ対策くらいしてるわ。それに最後に面からの胴をうつイメージがもう出来ていたからね」
ハヤテはサキの竹刀を受け流していたつもりだったが、実はサキが意図的に流させていたらしい。それがサキ自身の決め手につながるように、ハヤテの思考すら利用したのだ。
「せっかく慣れない戦いしたのによお!あー、もう!次こそは絶対俺が勝つからな!」
「ふふっ、勝たせないわ」
この笑顔を見たハヤテはようやく落ち着きを取り戻した。どうやら自分の役目は終わりのようだ。
「ようやく、落ち着いたみたいだな」
「ええ、落ち着かないと勝てなかったしね」
「そうか、それは何よりだ」
自分の言葉のあと、ハヤテではない誰かの声がサキの耳に入った。その声を聞いて少しだけサキの心は重くなる。
「兄ちゃん…」
「サキ、ちょっと話をしよう」
こうしてようやく2人は落ち着いて話ができるようになったのだ。




