7日目 日曜日
「うっ……」
目を覚ますと、薄汚れた地面が視界に入ってきた。
あれ? オレ、どうしたんだろう?
どうやら床に、うつぶせの状態で倒れているみたいだ。頬に冷たい感触がしてくる。
「ええと……」
たしか、倉庫みたいなところに入ったあと、意識が途切れたんだよな。
多分、その中にいるんだろうけど、薄暗くてよくわからない。
「なんか数日前、似たようなことを生徒会室でやられたっけ」
最近、意識を失うことが多いような気がする。
普通じゃ考えられないような日々を送っているな。
とりあえず、体を起こして周囲の状況を確認しよう。
そう思って、手を動かそうとしたが――
「……ん?」
鈍い金属音がしてくるだけで、両腕がまったく動かなかった。
不思議に思いながら金属音がした後方に顔を向けてみると、鎖のようなものが見える。
「なんだ、これ!?」
オレは両手を後ろ手に縛られたまま、壁際にある柱につながれていた。
おそらく、気を失っている間に拘束されてしまったんだろう。
「…………」
状況からして、こんなことをするのは千夜雫ちゃん以外に考えられない。
彼女は本気で、オレを拉致監禁しようとしているのか?
そんなの冗談だとばかり思っていたのに。
不安を募らせていると、前方から人の気配がしてきた。
「……誰かいるのか?」
そういえば、千夜雫ちゃんがスペシャルゲストがいるって言ってたけど。
相手の姿を確認するために、顔を上げて気配がした場所に視線を向けてみる。
するとそこに――予想外の人物がいた。
「千斗瀬……さん?」
あまりの衝撃に、思考が停止しそうになった。
オレと同じように、千斗瀬さんは両手を鎖で後ろ手に縛られて、反対側の壁際の柱につながれたまま座り込んでいる。
着ている制服がボロボロになっていることから、逃げ出そうとかなり動き回ったようだ。
「どうしてここに!?」
「……っ」
こっちの問いかけに、千斗瀬さんが必死でなにかを伝えようとしてくる。
しかし、彼女は口にさるぐつわのようなものをかまされていて、話をすることができなかった。
「待っててください。すぐに助けますから!」
オレは両ひざを腹に寄せてから、額で地面を押して上半身を起こした。
首筋が多少痛んだけど、今はそんなことはどうだっていい。
そのあと肩越しに後ろ手で縛られた両手を見て、なんとか鎖を外そうと試みたが……腕に食い込むばかりでどうにもならなかった。
「くそっ!」
道具でもない限り、外せそうにないか。
それにしても、オレだけでなく千斗瀬さんまでこんなところに監禁するなんて……千夜雫ちゃんはいったい、なにを考えているんだ。
「あれ? もう目が覚めたんですか」
「えっ?」
不可解な状況に頭を悩ませていると、ドアが開く音と共に聞き慣れた明るい声がしてきた。
「先輩、思ったより丈夫なんですね」
「千夜雫……ちゃん」
いつものように、くったくのない笑顔をふりまきながら、千夜雫ちゃんが倉庫の中に入ってくる。
しかしその手には、彼女にまったく似つかわしくないものが握り締められていた。
「なんだ、それは?」
「ああ、これはクジラ包丁って言うんですよ」
「はっ!?」
包丁なんて呼んでいるけど、それは現実感がしてこない巨大な刃物だった。
ゲームかなにかに出てくる武器だと言った方が、しっくりくるかもしれない。
「近くの倉庫にあったので拝借してきたんです。ちゃんと切れるかどうか不安だったので、研ぎ直しはしましたけどね」
「…………」
なぜ彼女が、そんなものを持っているのか? 考えられる理由はふたつある。
ひとつはオレたちを救うため。そして、もうひとつは――
「千夜雫ちゃん」
「なんですか?」
「それを使って、オレたちの鎖を断ち切ってもらえないか」
「……どうしてわたしが、そんなことをしないといけないんですか? これはそんなことをするために持ってきたんじゃありませんよ」
「くっ……」
どうやら、悪い方が正解だったようだ。
「それじゃあ、オレたちをここに監禁したのは――」
「ええ、わたしです」
「な、なんで、そんなことを!?」
「ふふふ、どうしてだと思いますか?」
「……っ」
落ち着け。拘束されている以上、今のオレにはなにもできない。
なにより、千斗瀬さんも同じように監禁されている。
現状を打開するために……まずは千夜雫ちゃんから、こんなことをした理由を聞き出さないと。
「どうして? って言われても、予想すらできないから……教えてもらえないかな?」
オレはできるだけ平静をよそおって、千夜雫ちゃんに懇願した。
「へぇ……もっと騒ぐかと思いましたけど、以外と冷静なんですね。取り乱してもらわないと、こんなことをした意味がないんですけど」
「なに言ってるの。十分すぎるほど動揺しているよ」
千斗瀬さんがいなければ、冷静に対応できたかどうか怪しいくらいだ。
「それなら安心しました。まあ、なにも知らないままってのもかわいそうですし、すこしくらいなら教えてあげてもいいですよ」
どうやら、こっちの質問には答えてくれるみたいだ。
だったら、順を追って話を聞いていこう。
「ここは、さっきの倉庫の中なのか?」
「正確には倉庫じゃなくて、すこし前に廃棄された漁港施設です。さすがに電気は通っていませんが、ここだけ水がまだ使えて便利なんですよ」
電気が通っていない?
天井に視線を向けると、懐中電灯がぶらさげられた状態で付いていた。
室内が妙に暗いと思ったら、それが明かりの代わりになっていたのか。
「どうして千斗瀬さんが、ここにいるんだ」
「先輩の本心を聞き出すために、一昨日の夜に連れて来て眠らせておいたんです。すこし前に目を覚ましたようですけどね」
となると、千斗瀬さんは丸1日ここに監禁されていたことになる。
しかし……腑に落ちないことがあった。
「オレの本心を聞き出すのに、なぜ千斗瀬さんを拘束する必要があるんだ」
「この状況を前にすれば、先輩がお姉ちゃんのことを本当はどう思っているのか、聞き出せると思ったからですよ」
「そ、それだけのために、こんなことをしたのか!?」
「なにか、おかしいですか?」
「……うっ」
千夜雫ちゃんの顔から笑みが消えた。
凍りつくような目差しで、オレのことをじっと見つめてくる。
そこには、いつものような明るい面影はまったくなかった。
「……前にも言ったはずだ。オレと千斗瀬さんは、なんでもないって」
「信用できませんね。これまでの先輩の行動を見る限り、それが嘘である可能性が高すぎます」
「そんな――」
「なにより、わたしの告白を断ったことが、決定的と言ってもいいでしょう」
「…………」
「ねぇ、先輩。もし、ここから無事に帰りたいなら、本当の気持ちを話してくれませんか?」
やさしげな声でささやいてきたけど、彼女の表情は冷血なままだった。
最初から千夜雫ちゃんは、オレのことを疑っていたのか。
「お、オレの本心を聞いて、どうするつもりなんだ? それで千夜雫ちゃんは、オレのことを諦めてくれるのか?」
「……はっ? なにを言っているんですか?」
「え……」
オレのセリフに、千夜雫ちゃんが心底あきれたような声を出してきた。
「ああ……もしかして、なにか勘違いをしていませんか? わたしは別に、先輩に好意を寄せてなんかいませんよ」
「なん……だって?」
「今まで気を引くために、わかりやすい行動をしてきたのに……全然気づいてもらえないから、わざわざ口にしたまでです」
たしかに、これまでの彼女の言葉と行動は、ありきたりなテンプレートをなぞっていた。
違和感がしたり、都合がよすぎると思ったりもした。
それは彼女の言動が全部、偽りだったからなのか。
「それでもし、わたしと付き合うことになってもよかったんです。お姉ちゃんに先輩のことを諦めさせたあと、これ以上ないくらいみじめに振るつもりでしたから」
「えっ!?」
「わたしが相手だったら、お姉ちゃんも身を引いてくれただろうし」
「ちょ、ちょっと待ってくれ!」
千夜雫ちゃんの告白が、オレの気持ちを千斗瀬さんから自分に向けるためだったとして……
「それでどうして、千斗瀬さんが身を引く必要があるんだ?」
「……先輩、やっぱり気づいてないんですね」
「なにを――」
「っっっ」
それまでオレたちの会話を静観していた千斗瀬さんが、急に暴れ出した。
腕に巻き付けられた鎖を外そうと、必死にもがき始める。
「千斗瀬……さん?」
「往生際が悪いんだから。今さら知られて困ることでもないのに」
その姿を、千夜雫ちゃんが侮蔑の目差しで一瞥した。
さげすんだ表情のまま、吐き捨てるように言い放つ。
「おねえちゃんは、先輩のことをずっと思っているんですよ」
「……はっ?」
予想外のセリフに、言葉を失ってしまう。
千斗瀬さんが……オレのことを思っている?
そんな、まさか……
事の真偽を確認するために、千斗瀬さんの方を見た。
すると、暴れていた千斗瀬さんが……体をこわばらせておとなしくなっていた。
そして、すべてを認めるかのような……それでいて、やさしげな表情をしてきた。
1年前、オレが生徒会室で働くことを認めたときと、まったく同じ表情を。
「あああ……っっ」
その姿を見ただけで、オレは彼女の気持ちを理解することができた。
なに伝えようとしているのか、知ることができた。
まさか、千斗瀬さんがオレのことを……オレの……ことを……
「……っっ」
あまりの喜びに、どうにかなりそうになる。
そんなこと絶対にありえないと、ずっと思ってきたから。
だけど、浮かれてばかりもいられない。
この状況を打開しない限り、気持ちに答えることもできないから。
「まったく、お姉ちゃんにも困ったものです。今までわたしのことだけを考えてくれていたのに、あろうことか他人の……それも男なんかに心を奪われるなんて」
千夜雫ちゃんが、これ以上ないくらい強い悪意をオレに向けてくる。
「あれほど男嫌いだったのに、急に恋する乙女になってしまうなんて……悪い冗談かと思いましたよ」
「……人を好きになるのが、悪いことだとでも言うのか」
「悪いですね。それも、最悪と言っていいくらいに!」
「……っ」
「宝石のように美しく輝いていたお姉ちゃんの心が、どす黒く濁ってしまったんです。先輩、どう責任を取ってくれるんですか」
彼女の言葉は、純粋かつ誠実で……恐ろしいほどの狂気を含んでいた。
これが、千夜雫ちゃんの真の姿なのか。
今までは、オレの気を引くために……姉から気持ちを引きはがすために、偽りの自分を見せていたんだ。
本当は、千斗瀬さん以上に、千斗瀬さんのことを溺愛していたんだ。
「さあ、お姉ちゃんの気持ちは伝えた通りです。それに先輩は、どう答えますか?」
「お、オレは――」
彼女の問いかけに、どう答えるべきか悩んでしまう。
仮に、オレの本心を言ったとしたら……どうなる?
千夜雫ちゃんはオレを許しはしないだろう。手にしている巨大な刃物で、命を奪ってくるかもしれない。
いや……オレがどうにかなるのはかまわない。
問題は、千斗瀬さんが無事で済むかどうかだ。
溺愛する姉が、男に恋心を抱いたんだ。それを彼女は許すだろうか?
もし、相思相愛ということになれば、千斗瀬さんにまで危害が及ぶ可能性が高い。
だとしたら――
「いつまで考え込んでいるんですか!」
「え……痛っ!?」
千夜雫ちゃんが座り込んでいるオレの前髪をつかんで、引っ張り上げてきた。
「ちゃんと、わたしたちの目を見て答えてください。先輩の気持ちを!」
「くっ、ううう……」
千斗瀬さんと千夜雫ちゃんの瞳が、まっすぐこっちを見つめてくる。
その目を見据えながら、オレは自分の気持ちをハッキリと伝えることにした。
「オレが……オレが本当に好きなのは――」
「好きなのは?」
「オレの……姉さんだ」
……無論、偽りの気持ちを。
その言葉を聞いて、2人の瞳がすこし濁ったような感じがした。
「へぇ……先輩が好きなのは、あの実の姉だと言うのですか? モラルとかそういったものを、すべて無視して」
「オレたちは実の姉弟じゃない。だから、なにも問題はないんだ」
「それは意外でした」
これは多分、本当のことだ。
だから、すべてを嘘で塗り固めるより現実感が出てくる。
なにより、姉さんなら千斗瀬さんや千夜雫ちゃんを否定する理由として十分だろう。
「では、お姉ちゃんのことはなんとも思ってないわけですね」
「何度も言っているだろ。オレは正式な副会長である姉さんの代わりに、仕事をしているだけだ」
2人に向かって、嘘を吐き続ける。
「全部、姉さんのためであって、千斗瀬さんは関係ない。姉さん以上の女性が、この世に存在するわけないんだから」
「なるほど……」
……これでいい。
千斗瀬さんには悪いけど、これで上手くいくはずだ。
このあとオレは、千斗瀬さんをたぶらかした制裁として、千夜雫ちゃんからなにかしら被害を受けるかもしれない。
だけど、千斗瀬さんに危害を加えるようなことはしないだろう。
失恋した千斗瀬さんを、千夜雫ちゃんが慰めれば……いいんだから。
……ごめんよ。
オレは気持ちを受け止めてもらえずに、傷ついているであろう千斗瀬さんの姿を、おそるおそる見た。
「えっ……」
しかし千斗瀬さんの顔は、悲しみではなく喜びで満ちていた。
恥ずかしげに頬を染めながら、微笑みを浮かべている。
なんで……自分の思いを否定されたのに、どうしてそんな顔ができるんだ。
「ふっ、ふふふ……あっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっ!!」
急に千夜雫ちゃんが、室内に響き渡るほどの高笑いをし始めた。
「よかったね、お姉ちゃん。先輩の本心を知ることができて……まあ、とっくの昔に気づいていたかもしれないけど」
「なにを……」
「それにしても、あの美人のお姉さんが義理だったとは驚きました」
「なにを言っているんだ」
「だけど、先輩はお姉ちゃんを選んだ」
「オレは――」
「ああ、わたしたち姉妹に嘘は通用しませんよ。特に、今みたいに心が弱っている状態ではね」
「どういうことだ?」
瞳を怪しく輝かせながら、千夜雫ちゃんがさらりと言い放つ。
「わたしたちは、人の心が見えるんですよ」
「……はっ?」
これまで散々、彼女の口から驚愕の事実を伝えられてきたけど……
今の言葉は、オレの理解を完全に超越していた。
「ふふ……いきなりわけのわからないことを言われて、混乱しているみたいですね」
「あ、あたりまえだ。普通の人間に、人の心が見えるわけないだろう!」
「普通の人間ではなかったら、どうです?」
「なっ――」
なんだよ……それ?
漫画やゲームじゃあるまいし、そんな人物がこの世に存在するわけがない。
「……先輩、ホントに心の底から信用してないんですね」
「えっ!?」
まさか、こっちの考えが見透かされているのか?
「そういうことです。まあ、わたしは知りたいことがわかったので、今さら先輩がどう思おうと関係ありませんけどね」
ほ、本当に……人の心が見えるっていうのか。
……待てよ。
「わたしたちって……それじゃあ千斗瀬さんも?」
「ええ、同じ力を持ってますよ」
「千斗瀬さん!」
オレの問いかけに、千斗瀬さんは悲しそうな顔をしたまま視線を外した。
その様子を見て……オレは、このとんでもない話をすこしだけ信用する気になった。
「そ、そんな風に心が見えるなら、オレの本心なんてすぐにわかったはずじゃないか!」
「残念ながらわたしたちの力は、心が弱まっている相手じゃないと見えにくいんです。だから、こんなことをして本心を聞き出したわけです」
「…………」
「それに先輩、お姉ちゃんに言われて前髪を長く伸ばして、わたしたちに瞳を見せないようにしていましたよね」
つかんでいたオレの髪を離して、千夜雫ちゃんが吐き捨てるように言い放つ。
「この力は相手の瞳に働きかけるのに、物理的にも遮断されて困りましたよ」
そうか……視界を遮ることで、千斗瀬さんはオレの心を簡単に見えないようにしていたのか。
うかつに力を発動させることなく、オレと上手くやっていこうとしたんだ。
「しかも、お姉ちゃんは自分の力を消そうとまでしました」
「え……」
「わたしたち双子に与えられた、こんなすばらしい力を消すなんて、どうかしてますよね」
「力を消す? そんなことができるのか?」
「さあ? バイトとか言って、怪しげな医者のところに通っていましたが、なんの成果も上げられなかったようですよ」
「どうして、そんなことを――」
「そんなの、先輩と対等になるために決まっているじゃないですか」
「あ、あああ……」
一昨日、千斗瀬さんが言っていた解決策ってのは、そのことだったのか。
たしかに、心を見る力なんてものがあったら、人として暮らしていくは難しい。
見たくないものまで見えて、人間不信になりかねないし、力の存在を知られようものなら、畏怖の念を抱かれる可能性もある。
だけど……
「そんな力があったとしても、オレの思いは変わらなかったのに」
「へぇ……恋は盲目ってやつですか」
「違う。そんなことで人を判断するような人間には、なりたくないってだけだ」
「そこまで断言できるなんて……ずいぶんお姉ちゃんにご執心なんですね」
「千斗瀬さんだけじゃない。千夜雫ちゃんに対しても、オレは同じ気持ちでいる!」
「えっ?」
「心が見えるなら、嘘でないことくらいわかるだろ!!」
「…………」
相手のことを認めて、自分に受け入れていく。
そうすれば、誰とでも理解し合うことができるはずだ。
そんなもの理想論でしかないと言われても、オレは今までそうやって生きてきた。
「ふ〜ん。力の存在を知っても、わたしのことを奇異の目で見てこないなんて、先輩は本当にいい人なんですね。両親のときとはえらい違いです」
「どういうことだ?」
「……そうですね。先輩の男気に免じて、もうすこしだけ話をしてあげましょう」
オレは千夜雫ちゃんの言葉に、耳を傾けることにした。
「お姉ちゃんは昔から、力をコントロールして他人とも上手くやっていました」
あの状態で上手くやってたのかどうかは疑問だけど、そうならざるえないところもあったんだろう。
「ですが、幼い頃のわたしは力と上手く向き合えなくて、同じ力を持つお姉ちゃん以外の人間には、心が許せなかったんです」
なるほど……だから千夜雫ちゃんにとって、千斗瀬さんは唯一無二の存在になったのか。
同じ力を持つ者同士、強く依存してしまったのかもしれない。
「そして……わたしが普通でないことを知った両親は、面倒だからってわたしだけ見放そうとしました」
「見放そうとした?」
「わけのわからない研究機関に、売り飛ばされそうになったんですよ」
「なんだって!?」
「いやはや、ビックリですよね。映画やドラマじゃあるまいし、この世にそんな非現実的な組織があるなんて」
「…………」
「わたしは唯一の理解者である、お姉ちゃんから引き離されそうになったんです。だから、2人にはいなくなってもらいました」
「いなくなってもらった? まさか――」
「ええ、殺したんですよ」
「……っっ」
なんで……そんなにあっさりと言うことができるんだ。
この子は、人の命をなんとも思っていないのか。
「すべて上手くいくと思っていました。だけど、今度は先輩の父親が邪魔をしてきた」
「親父が?」
「昨日、2年ほど施設に預けられていたことがあるって言いましたよね。それは先輩の父親に、両親殺害の容疑をかけられたからなんです」
「な……」
「そのせいで、結局、離ればなれになってしまいました。お姉ちゃんは頻繁に会いに来てくれたけど、一緒に暮らせないのは苦痛でしたよ」
「親父が……そんなことを」
「だからわたしも、普通の振りができるようにがんばったんです。そうなるのに、2年もかかってしまいましたけど」
そうか……親父は2人の力のことを知っていたんだ。
オレと姉さんに、「大衣の女には近づくな」って言い続けたのはそのためか。
ちゃんと理由を言ってくれれば、オレたちだって――
いや、おそらく力がどうこう……なんてことを言われても、納得できなかっただろう。
そんな現実感のない、陳腐なことを理由にされても、バカにしているのかと思うだけだ。
「先輩の父親が、わたしたちとの関係を断ってくれるなら、それでもよかったんです。だけど、先輩はそれを許そうとしなかった」
「…………」
「しかも、この問題を解決しようとする、強い意志も行動力も持っていた。その情熱は、わたしにとってすごく都合が悪かったんですよ」
「そんな……」
「このままだと、先輩とお姉ちゃんを隔てるものがなくなってしまう。だからこうして、強硬手段に出ることにしたんです」
なんだよ……それ……
「もし、先輩がお姉ちゃんのことをなんとも思ってなければ、まだチャンスはあったかもしれません。わたしだけを見ていた頃に、戻すこともできたはずです」
自分の理想の姉でなければ、許せないなんて……
「でも、相思相愛っていうのはダメです。お姉ちゃんはああ見えて恐ろしく一途で、絶対に心変わりはしませんから」
そうでなければ、どんなこともやってしまうなんて……
「だから、今の汚れたお姉ちゃんは……存在してはいけないんです」
千夜雫ちゃんが憎しみで歪んだ顔をしながら、オレに迫ってくる。
「だって――男なんかと付き合うようなお姉ちゃんは、わたしの愛するお姉ちゃんではありませんから」
「……っ」
……冗談じゃない。この子は自分の理想を、姉に押しつけているだけだ。
そこに家族に対する思いやりや、愛情なんてものは微塵もない。
それこそ、千斗瀬さんのようなクレイジーなレズじゃない! サイコなレズそのものじゃないか!!
「オレを……オレたちを、どうするつもりだ?」
「お姉ちゃんの『心』は汚れてしまった。あなたのせいで汚れてしまいました。ダカラ――」
千夜雫ちゃんが心が凍りつくような禍々しい声を出してくる。
「ダカら、取リ除かないト。汚れてシマった部分ヲ」
そう宣言すると、千夜雫ちゃんはオレに背を向けて、千斗瀬さんに向かって歩き始めた。
もちろん、手には巨大な刃物を握り締めている。
汚れた部分を取り除くって――
「ま、まさかっ!?」
こんな状況にも関わらず、千斗瀬さんはいつもと同じように無表情なままだった。
オレにはそれが、すべてを諦めてしまったかのように見えた。
「お姉チャん……今スぐ、綺麗ニしテアゲルカラ」
千斗瀬さんの前にたどり着くと、千夜雫ちゃんは両足をすこし開いてその場に力強く立った。
そして、両手で刃物を握り締め……自らの頭上高く振りかぶる。
「や、やめろおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」
オレは外に轟くぐらい、大声を張り上げた。
しかし――
その声が聞き届けられることもなく、刃物が千斗瀬さんの胸へと……めり込んでいく。
「……っっっっっ!!」
声にならない悲鳴を上げながら、千斗瀬さんが自らの体をガクガクと震えさせる。
同時に、傷口から大量の血が噴水のようにあふれ出てきた。
「あ゛っ、あがああああああああああああああああああああああああああああっ!!」
もう、自分がなにを叫んでいるのか……わからなくなっていた。
目の前の光景に、頭が反応しきれない。
なんで……なんで、そんなことをするんだ!
千斗瀬さんは千夜雫ちゃんにとって、もっとも愛するべき存在じゃなかったのか?
誰よりも大切な家族じゃなかったのか?
それなのに……それなのに、どうしてっ!!
「コレデ……トリダセル」
「えっ……」
千夜雫ちゃんは千斗瀬さんから刃物を引き抜くと、そのまま地面に投げ捨てた。
そして、自らの両手を血しぶきが舞う傷口の中へと入れていく。
「な、なにをするつもりだ!」
オレの声を無視して、千夜雫ちゃんが千斗瀬さんの胸の中から、なにかを引きずり出してくる。
あれは、まさか……まさか……
「コレガ汚レタ、オ姉チャンノ『心』ネ」
「あ、ああああああっ!」
千斗瀬さんの体から取り出されたものは、未だに生命の輝を放っていた。
それを片手に持ったまま、千夜雫ちゃんがこっちに向き直り、ゆっくり近づいてくる。
自分がやったことを特に気にすることもなく、全身に千斗瀬さんの血を浴びながら――
「うあああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!」
オレはおたけびを上げながら、千夜雫ちゃんにつかみかかろうとした。
無論、両手を拘束されているから、そんなことはできない。
だけど……だけど……っっ。
このままなにもせずに、見てなんかいられないっ!!
「先輩、少シ黙ッテテモラエマスカ」
「あっ、ぐっ――」
しかし千夜雫ちゃんは、こっちの行動に動じることなく、空いている片手を伸ばしてオレの鼻をつかんできた。
そのまま強く押されて、床に尻餅をつかされてしまう。
「大人シクシテイレバ、イイ思イヲサセテアゲマスカラ」
まるで悪魔のささやきのような、冷酷な声でなだめてくる。
そして――
「コノ『心』ハ汚レテシマッタノデ、先輩ニサシアゲマス」
「え、うごっ……」
もう片方の手に持っていたモノを……オレの口の中に押し込んできた。
「……っっ!?」
一瞬、なにを入れられたのかわからなかった。
だけど、それがなにかを理解すると同時に、気持ち悪い感触が全身に広がっていく。
「ぐっ……ぅ……」
なんとか吐き出そうともがいてみたけど、両手を縛られている上に、千夜雫ちゃんに顔を押さえつけられているから、どうにもならない。
抵抗できないまま、千斗瀬さんの血が気管の中に入っていく。
マズい。このままだと――
「嬉シイデスカ? オ姉チャントヒトツニナレテ?」
「うっ、がぁ……」
い、息が……できない。
オレは空気を求めて、なりふり構わず暴れまわった。
しかし、千夜雫ちゃんは両手の力を緩めることなく、オレの体を後ろの柱まで押し付けてくる。
「ぐっ……うう……」
逃げ場を失い、意識がどんどん遠のいていく。
このままだと、オレも……オレ……も……
薄れていく視界の端に、動かなくなった千斗瀬さんの姿が見えた。
「あ……ああ……」
オレは彼女を……守ることができなかった。
大好きな人を……守ることができなかった。
千斗瀬さん……千斗瀬さんっ……千斗瀬さんっっ。
「う……うう……」
己の力のなさを、激しく後悔しながら――
自分の心が、深い闇の中へと……落ちていくのを感じた。
「フフフ……コレデ、オ姉チャンヲ綺麗ナママ残スコトガデキル」