3日目 水曜日
「先輩、お昼を一緒に食べませんか?」
「……へっ?」
次の日。午前中の授業を終えて、いつものように平穏な昼休みを過ごそうとしていたら……
千夜雫ちゃんが、教室内を混沌の渦に巻き込むようなセリフと共に現れた。
な、なんでここに? ってか今、オレとお昼を食べようって言ったのか?
「ざわ……ざわ……」
突然の来訪者が放ったとんでもないセリフに、周囲が騒然となる。
ヤバい! ここはなんとか言い訳して切り抜けないと。
「ああ〜! お姉さんと一緒に食べようと思ったわけね。でも、クラスに行っても姿が見えなかったと」
「えっ? いえ、わたしは先輩と一緒に――」
「ちと……じゃなくて、大衣先輩はいつも生徒会室で食べてるみたいなんだ。えっ、場所がわからない? じゃあ、今から案内してあげよう」
千夜雫ちゃんの背中を押して、2人で教室を出る。
かなり強引な方法だったけど、上手く誤魔化すことができたはずだ。
「あの、わたしはお姉ちゃんとじゃなくて、先輩と一緒に食べたいんですけど」
近くの階段まで誘導したところで、千夜雫ちゃんが抗議の声を上げてきた。
「なんでそうなるの!」
「なんでって、ダメなんですか?」
「あたりまえじゃないか。一緒に食べる理由がないし」
「そんな……わたしたち、もう他人ってわけでもないのに!」
「うわぁあああああああああああああっ!?」
教室内ほどではないにしろ、ここにだって何人か生徒はいる。
そんな場所で、誤解を生むような発言はしないでほしいんだけど。
「と、とにかく、ここじゃなんだから場所を変えよう」
「そうですね。お天気もいいことですし、中庭で一緒に食べるってのはどうですか?」
「いいね! って、誰がそんな公開処刑みたいなことするかっ!!」
「ええ〜」
ダメだ。この子は自分がどれだけ影響力がある人物なのか、まるで理解していない。
ここはハッキリと言っておいた方がいいかもしれない。
「あのさ、オレと一緒にお昼を食べないっていう選択肢はないの?」
「あるわけないです! なんのためにわたしが、わざわざ2年生の教室までやって来たと思っているんですか」
ですよね〜。となると、残された手段はひとつしかない。
オレはポケットから鍵を取り出して、千夜雫ちゃんに手渡した。
「なんですか、これ?」
「これは――」
「もしかして、先輩の家の鍵とか?」
「違うよ! この校舎の屋上の鍵。生徒会室に出入りしているから、こういうのは持っているんだ」
「なんだ……」
「先に屋上へ行って待っててくれないかな。オレは売店でなにか買ってから行くから」
「すっぽかしたりしませんか?」
「しないよ」
「……もし来なかったら、先輩にもてあそばれたってお姉ちゃんに言いつけますからね」
「!? 大丈夫、絶対に行くから!」
たとえ嘘であっても、そんなことが千斗瀬さんの耳に入ったら、確実にオレは抹殺されてしまう。
そしてさらに、この学園の男子生徒数人を敵にまわすことになるだろう。
まあ、すでに疑いをかけられているけど。
「じゃあ、あとで」
「はい」
千夜雫ちゃんと別れたあと、オレは売店で適当なパンを買って、屋上を目指した。
ああ……なんでこんなことになっているんだ。
もう会うこともないと思っていたのに、まさか向こうからやって来るなんて。
屋上に来てみると、千夜雫ちゃんはフェンスのそばに座って待ち構えていた。
「先輩、隣にどうぞ」
「う、うん」
隣に座って、2人で昼食を食べ始める。
「こんな風に、外で食べるのもいいですね」
「そ、そうだね」
「こういうシチュエーションって少女漫画とかでよく見かけますけど、普通は屋上に出られませんよね」
「危険だから、立ち入り禁止にしているところが多いんだよ」
「それなのに使えるのは、生徒会の特権ってやつですね」
「はは……」
ホントはオレ、生徒会役員ってわけではないんだけど。
それにしても……
一昨日の一緒に下校と同じくらい、男だったら誰もが望むイベントとも言える、女の子と2人きりでの昼食。
それをまたしても、千斗瀬さんの妹と実現してしまうなんて。
ああ……あとで千斗瀬さんに、なんて言い訳すればいいんだ。
「ところで、千夜雫ちゃんはなんの用でオレに会いに来たの?」
「……用がないと、会いに来ちゃダメなんですか?」
「いや、そんなことはないけど」
「じつは、昨日も一緒に帰ろうとしたんですよ。でも、すっごい美人の先客がいたから、声をかけられなかったんです」
「ああ、なるほど」
って、昨日も一緒に帰るつもりだったのか。
姉さんがいなかったら、どうなっていたことか……
「だから、今日は先手を打ってお昼休みに来たわけです。もしかしてあの人、先輩の彼女ですか?」
「そんなわけないよ。あの人は――」
本当のことを言うべきか、すこし悩んだけど……
このことを、千夜雫ちゃんに隠しても仕方ない。
「あの人は、オレの姉さんだよ」
「えっ!? そうなんですか?」
「うん。あの通りすごく目立つから、学園では姉弟ってことを内緒にしているんだ」
「なるほど……」
「いろいろ面倒なことを頼まれたり、からかわれたりするからね」
ラブレターやプレゼントの運び屋を、何度頼まれたことか。
「つまり、あのお姉さんに自分の欲望をぶちまけるのを、必死に我慢しているんですね」
「違う! オレをどういう人間だと思っているの!」
まさか、千斗瀬さんと同じようなことを考えてくるとは。
こういうところは、さすが姉妹だと感心してしまう。
「でも、あんな美人のお姉さんがいたら、性欲を持て余しませんか?」
「持て余さないって! そもそも実の姉なんだから」
その事実が昨日、微妙に崩れかかったけど、そこはあえて気にしないことにする。
「だいたい千夜雫ちゃんだって、美人のお姉さんがいるじゃないか」
「ん〜。たしかにお姉ちゃんは、わたしの自慢でもあります。わたしのことを、すっごく大切にしてくれてますし」
千斗瀬さんだったら、この世のすべてを敵にまわしても千夜雫ちゃんを守るだろう。
「でも、ちょっと行き過ぎなところもあるんですよね」
「えっ、その……」
「あ、お姉ちゃんがわたしのことをどう思っているかぐらい、ちゃんとわかってますよ」
「……そうなんだ」
この子、そういうことは理解しているのか。
まあ、一緒に暮らしていてわからないわけないよな。
普段から空気みたいな扱いを受けていたら、気づきにくいかもしれないけど……
「たった2人の家族ですから、どうしても愛情が強くなっちゃうんです」
「2人? それってどういう……あ、ごめん」
これは多分、興味本位で聞いていい話じゃない。
「気を使わなくてもいいですよ」
「でも……」
「先輩はやさしいですね。だいたい予想できると思いますが――」
千夜雫ちゃんの表情が、すこしだけ曇った。
「わたしたち、幼い頃に両親を亡くしているんです」
「…………」
「で、身よりもなくて……いろいろと苦労した時期もありました」
その辛さは、オレには共感することができない。
「だから、家族っていう深層心理で気を許せる存在は、とても大切になるんです」
なるほど。だから千斗瀬さんは、千夜雫ちゃんに対して異常なほど過保護になってしまったのか。
「今は一緒に暮らしていますけど、離ればなれで住んでいたこともありましたから」
……オレと千斗瀬さんは、1年ほどしか付き合いがない。
これまで、どんな風に暮らしてきたかという内容は、ほとんど聞いたことがなかった。
いや、こんな話、おいそれとできるわけがない。
それなのに、会ったばかりのオレに千夜雫ちゃんは教えてくれた。
信用してくれているのか、それとも――
「ねえ、聞いてもいいかな」
「なんですか?」
「どうして千夜雫ちゃんは、一昨日、オレに声をかけてきたの?」
「それは、お姉ちゃんに――」
「千斗瀬さん、オレのことを千夜雫ちゃんに話したことはないって言ってたよ」
「あちゃ……バレちゃいましたか。でも、お姉ちゃんの仕事を手伝っているのは事実ですよね」
「そうだけど……そのことを学園で知っているのは、一部の人間だけなんだ」
「だから、わたしも入学してすぐは気づけませんでした」
千夜雫ちゃんがオレのことを、真剣な目差しで見つめてくる。
昨日も思ったけど、この子に瞳にはなにかこう……人をひきつけるような魅力を感じてしまう。
「それじゃあ――」
「ええ、調べたんです。驚きましたよ……わたしに気づかれることなく、1年も一緒にいたなんて」
もしかして……この子は、オレが千斗瀬さんの側にいるのに相応しい人間かどうか、ためしているのか?
だから、今まで知らなかったことを、いろいろと教えてくれるのかもしれない。
「心配しなくても、オレは千斗瀬さんの助手でしかないよ。それ以上にも、それ以下にもなることはないから」
「いえ、そういうことじゃなくて……」
「えっ?」
「……もしかして先輩、メチャクチャ鈍い人ですか?」
「それ、いろんな人から言われるけど、自分ではよくわからないんだよね」
「うわっ、だからこんな関係が続いているのか」
千夜雫ちゃんが心底あきれたような表情を見せた。
あれ? なにかおかしなことを言ったっけ。
「なんかちょっとだけ、おねえちゃんに同情したくなりました」
「それって、どういう――」
「ん〜。この話は、これでおしまいにします。普通の状態だと、先輩の目を見てもなにもわかりませんし」
「目?」
「それより、早く食べないとお昼休み終わっちゃいますよ」
「あ、うん」
おそらく、これ以上なにか聞いても答えてくれないだろう。
まあ、千斗瀬さんが千夜雫ちゃんを大切にする理由がわかったんだ。
今回はそれだけでも、よしとするか。
そのあとオレたちは、取るに足らない話をしながら昼食を食べた。
…………………………。
「ごちそうさまでした」
「ごちそうさま」
昼食を食べ終わったところで、オレは千夜雫ちゃんに釘を刺すことにした。
「あのさ、千夜雫ちゃん。今回みたいに教室に会いに来るのは控えてもらえないかな」
「どうしてですか?」
「それは、その……」
「もしかして、わたしとの関係をお姉ちゃんに疑われるのが嫌だからとか?」
その通り! って言いたいけど、そんな尻尾を出すようなことをするわけにはいかない。
オレは至極あたりまえの正論を言うことにした。
「違うよ。誤解されて、妙な噂を立てられたくないんだ」
「そんなの、わたしは全然かまいませんけど」
「いや、オレの方はそういうわけにもいかないから」
なんか昨日、姉さんも同じようなことを言っていたな。
「千夜雫ちゃんは学園の人気者だし、今までも結構な数の男に告白されているだろ?」
「ええ、まあ……」
「下手に騒がれると、面倒なことになるからね」
本音を言うと、学園の男どもはどうでもよくて、千斗瀬さんにだけは誤解されたくなかった。
「そうなると、千斗瀬さんだって心配するから」
「まあ、先輩がそう言うのならそうしますが」
「ありがとう」
よし! これでもう、学園内で会うことはないだろう。
安心して胸をなでおろしていると、千夜雫ちゃんがオレの顔をまじまじと見つめてきた。
「なに? オレの顔になにか付いてる」
「いえ、やっぱり先輩って本心がわかりにくいですね。嘘を言っているようではないみたいですが」
「そ、そうかな?」
初めて会ったときもそうだったけど、この子は妙に人の顔色をうかがってくるな。
そういえば、会ったばかりの千斗瀬さんもこんな感じだったっけ。
「まあいいか。内緒であいびきするのも、それはそれで楽しそうですし」
「いやいやいや」
あいびきって、オレたちそんなことをするような間柄じゃないだろ。
「とにかく、頼んだからね」
「わっかりました〜〜」
千夜雫ちゃんが、能天気な笑顔をふりまきながら返事をしてくる。
ホントにわかってくれたんだろうか? なんか、いまいち不安なんだけど。
「それじゃあ、チャイムも鳴りそうだし教室に戻ろうか」
「はい」
2人で校舎に入り、屋上のドアの鍵を千夜雫ちゃんがかけてくれる。
「ところで先輩、いつも購買部でパンを買っているんですか?」
「うん、うちは両親が忙しいから」
「じゃあ、わたしが先輩の分のお弁当を作ってきましょうか?」
「なん……だと?」
お弁当を作ってくれる? これまた、男なら誰もが夢見るであろう超定番イベントじゃないか。
それを、実現できるかもしれないなんて。
いやいやいや……ダメだろ。マズいだろ。千斗瀬さんの攻撃でワンパン大破するだろ。
「い、いいよそんなの。作ってもらう理由もないし」
「理由……ですか。じゃあ、お姉ちゃんの仕事を手伝ってくれている、お礼ってことでどうですか?」
「で、でも……」
「大丈夫ですよ。屋上で食べるから、他の誰かに見られることもないですし」
たしかに、2人きりなら誰かにバレることもない。
それなら安心して――
いや待て! そもそも、なんでこれから先も一緒にお昼をとることになっているんだ。
「あ、わたしは先に教室へ戻りますね」
「え、ちょっと――」
「それじゃあ先輩。また明日〜」
こっちの返事を聞くこともなく、千夜雫ちゃんが走り去っていく。
その姿をオレは、呆然と見送ることになった。
……ええと。つまり、明日も一緒にお昼をとることになって、手作りのお弁当まで作ってきてくれる……と。
「どどど、どうしてこうなった!?」
こっちはできるだけ距離を置くようにしているのに、彼女はそれを気にせず来てしまう。
この強引さは、さすがは千斗瀬さんの妹と感心するけど……
「……とりあえず、教室に戻ろう」
不可解な状況に頭を悩ませながらも、自分の教室に戻って、午後の授業を受けた。
クラスメイトからは不審な目で見られたけど、何事もなかったかのように堂々と振る舞うことにした。
こうしていれば、妙な疑いをかけられないということを、長年の経験で培ってきたからな。
…………………………。
放課後。
オレはいつものように、生徒会室の前までやって来た。
昼間の一件……当然、千斗瀬さんの耳にも入っているよな。
「はぁ……」
下手に言い訳したところで、どうにかなるわけでもない。
ここは覚悟を決めて、ありのまま起こったことを話そう。
重い気持ちのまま、鍵を開錠して生徒会室の中に入る。
「失礼します……えっ!?」
すると部屋の中に、得体の知れない人型の物体がいた。
なんだ? 人間……じゃないよな。
かろうじて人の形をしているが、明らかに作り物くさい。
最初に見たときはマネキンかと思ったけど、それにしてはできが悪すぎる。
なんというか、やわらかそうな『はにわ』……という表現が一番合っていた。
そんな場違いで不気味なものが、オレがいつも使う椅子に座っている。
「あれは、いったい――」
「見たわね」
「ほわっ!?」
突然、背後から千斗瀬さんの声が聞こえてきた。
どうやら知らない間に、部屋の中に入ってきていたようだ。
オレが振り返ると同時に、千斗瀬さんが生徒会室のドアを閉めて、鍵をかける。
「あ、あの、千斗瀬さん。なんなんですか? あれは」
「あれは……その……」
なぜか、返答に困る千斗瀬さん。
もしかして、誰かにあれをなんとかしてくれって頼まれたんだろうか?
だとしたら、どうやって処分するか考えないと。
「あ、あれは――『ちよぐるみ』よ」
「……はっ?」
オレの予想とは裏腹に、千夜雫さんの口からは意味不明な単語が出てきた。
「ええと……それって、どういう意味ですか?」
「私が作った、千夜雫のぬいぐるみ。だから、ちよぐるみよ」
「なるほど……って、あれ、ぬいぐるみなんですか!?」
「見ればわかるでしょ!」
いや、全然わからないし。
しかも千斗瀬さんの手作りによる、千夜雫さんのぬいぐるみって言われても……
あの完成度じゃ、似ている似ていない以前の問題が発生していないか?
まあこの際、できの良し悪しは置いておくとして。
「それが、なんでこんなところにあるんですか?」
「お昼休みに、お弁当を一緒に食べるために出したのを、片付け忘れたのよ」
「……まさか千斗瀬さん。あれと一緒に昼食をとっているんですか!?」
「わ、わ、悪い」
「いや、その……」
ちょっと、引いてしまいそう……と言いかけてやめた。
長い付き合いで、さみしがりやなのは知っていたけど、まさかここまで深刻なことになっていたとは。
「別にいいでしょ。1個くらいここに置いてあっても」
「1個? も、もしかして、同じものが他にもあるんですか?」
「当然よ。あなた、知らないの」
「なにをですか?」
「愛する人のぬいぐるみで部屋を埋め尽くすのは、正しい愛の形よ」
「……そんなわけありませんから」
あんなものが埋め尽くされた部屋にいたら、頭がどうにかなってしまいそうだし。
「じゃあ、話し相手がほしいときは、見えない誰かや脳内の相手と会話しろって言うの!」
「そ、そこまでは言いませんけど」
なんだか、千斗瀬さんが日に日に残念なキャラクターになっている気がする。
そういや昔、そういうのがブームだ……なんてことを言われたけど。
「とりあえず、あれ片付けませんか? このまま置いておくのもどうかと思いますし」
「……そうね」
千斗瀬さんがぬいぐるみらしきものを抱き上げて、部屋の奥にあるロッカーの中に入れる。
そしてポケットから鍵を取り出し、ロッカーに鍵をかけた。
いつも鍵がかけてあるから、中を見たことはなかったけど、あんなものが入っていたのか。
「だいたい、ぬいぐるみを片付け忘れたのは、あなたのせいでもあるんだから」
「オレのせい?」
「昼休み、千夜雫がクラスに尋ねていったそうね」
「うっ!?」
ああ……この問題があることをことを、すっかり忘れていた。
「ここで昼食をとったあと、飲みものがほしくなったから、生徒会室を出て売店まで買いに行ったの。すると、そういう噂が学園内で流れていたんだけど」
「はあ……」
「ことの次第をたしかめようとすぐに動いたから、お昼休みに戻ってこられなくて、あれを片付け忘れたってわけ」
「な、なるほど」
「で、どうなの?」
千斗瀬さんが疑いの目を向けながら迫ってくる。
その上、逃げられないようにオレのネクタイを引っ張り上げてきた。
「どう……とは?」
「まさか、千夜雫と2人きりでお昼ご飯を食べた……なんてことはないわよね?」
「ええと……」
怒りがにじみ込んだような笑顔が、ものすごく怖い。
「私ですら未だに実現できなくて、ぬいぐるみと一緒にお昼を食べるなんていう、あぶない人みたいなことをやっているのよ」
「あ、自覚はあるんですね」
「それなのに、たった一度一緒に帰っただけで、そこまでの間柄になっちゃいました……なんてことを言うつもり?」
「あ、あわわわわ……」
「どうなの? ねぇ! ねぇ!!」
だだ、ダメだ。
言い訳なんかするつもりはなかったけど、こんな状態の千斗瀬さんに対して、自分の口から真実を話す勇気はない。
どうしよう……どうすればいいんだ。
しどろもどろになるオレを見て、千斗瀬さんはだいたいのことを把握したようだ。
「はぁ……もういいわよ」
「えっ!?」
オレのネクタイから手を放し、無条件で解放してくれる。
た、助かった……のか?
「まったく……どうしてあの子は、あなたに会いに行くのかしら」
「さあ……」
「わざわざ学年の違うクラスにまで赴くなんて……もしかして、あなたに一目ぼれしたとか?」
「ま、まさか……」
そんな都合のいい展開、あるわけがない。
それこそ、少女漫画みたいな現実感のない話だ。
「わからないわよ。いつの間にかあなたに、人を魅了し依存させる力、『ゴシックの――』」
「あの、オレはそういう非現実的な話とか、全然わかりませんから」
「……そうね。それが普通の反応よね」
なぜか千斗瀬さんが、悲しそうな表情を見せた。
なにか、ひっかかることでもあるんだろうか。
「となると……なにが目的なのかしら」
「オレが千斗瀬さんの助手に相応しいかどうか、見極めているんじゃないでしょうか?」
「あんた相変わらず鈍いわね。そんな理由で女の子が会いに来るわけないでしょ」
「ええっ!?」
「とにかく、帰ってからもう一度、千夜雫と話してみるわ」
「お願いします」
オレはこれ以上、千夜雫ちゃんに関わらない方がいいだろうし。
「さてと、それじゃあ仕事にかかるわよ」
「あ、はい」
腑に落ちないことは多いけど、今はやるべきことをやってしまおう。
それからオレたちは、生徒会の仕事に手を付けた。
…………………………。
「今日はこれくらいにしておきましょうか」
「はい」
いつもよりすこし早い時間に、千斗瀬さんが手を止める。
オレも切りのいいところで終わらせて、帰り支度を始めることにした。
「千斗瀬さんは、このあとバイトですよね?」
「いえ、今日は休みをもらったわ」
「そうですか」
「だから、一緒に帰りましょう」
「はい……って、えええええええええええええっ!?」
「……なんでそんなに驚くのよ」
「どど、どうしてオレと――」
「あなたと千夜雫を2人っきりで帰らせないためよ」
「あ、なるほど」
簡単に納得してしまう。
そうだよな……でなきゃ、こんなおいしい話あるわけない。
しかし理由はどうあれ、千斗瀬さんと一緒に帰ることができるんだ。
今回ばかりは、声を大にして心の中で叫ぼう!
ありがとう、千夜雫ちゃん!!
「…………」
喜びがあふれそうになっているオレの姿を、千斗瀬さんが冷ややかな目で見てきた。
おっと、いかんいかん……ここでボロを出したら、今までの苦労が水の泡になる。
「コホン、それじゃあ行きましょうか」
オレは軽く咳払いをして、いつもの自分に切り替えた。
「……あなたって、わかりやすいときはホントわかりやすいわね。普段は全然、心を乱さないくせに」
「えっ?」
「気にしなくていいわ。ほら、もたもたしていると置いてくわよ」
「あっ、待ってください」
千斗瀬さんと一緒に生徒会室を出て、2人で放課後の廊下を歩く。
さすがにこの時間なら、他の生徒の目に留まることもない。
昇降口で靴を履き替えて、校門の前までやってきた。
「さすがに今日は、千夜雫ちゃんはいないみたいですね」
「いえ、いたわよ」
「えっ!? どこに?」
「私が一緒にいるのを見て、なんか怒りながら走って行ったわ」
「……どうしてでしょう?」
「さあ……とにかく、帰りましょう」
「あ、はい」
千斗瀬さんと並んで、帰り道を歩き始める。
その間、オレたちはいつもと変わらない、たわいもない話をした。
本当に、どうでもいいようなことを話し続けた。
しばらくして、一昨日、千夜雫ちゃんと別れた場所に到着する。
「それじゃあ、ここで……また明日ね」
「はい、さようなら」
「……さようなら」
別れの挨拶を簡単にして、千斗瀬さんが振り返ることもなく帰っていく。
その姿をオレは、見えなくなるまで追い続けた。
「…………」
初めて千斗瀬さんと一緒に帰ったけど、特別なことなんてなにもなかった。
会話の内容も、いつも生徒会室で話していることと同じだったし。
だけど――オレは、すごく嬉しかった。
この出来事は、一生、忘れられない思い出になるだろう。
そう、心に刻み込んで、家路についた。