九
俺達は受付を済ませるといよいよ会場前へとやってきた。
社会人になりこんな場面には慣れたと思っていたが、さすがに今日は気後れしそうになっている。情けない話だが小刻みに震える体をおさえられない。加えて緊張のせいで思わずゴクッと喉を鳴らしてしまった。
三塚が俺の隣に立ったことに気付いた。
「里中もさすがに緊張しているようだな。手でも握っててやろうか?」
途端に安竹が吹き出した。
「なになになに? お前らいったいいつの間にそんなに仲良くなってたわけ?」
さすがに場を弁えているようで笑い声は極々抑え気味だが、興味津々な安竹の肩が小刻みに揺れている。このままでは安竹だけが楽しむ話になってしまう。それは俺としては面白く無い。
「安竹笑い過ぎ。三塚も誤解されるような言い方をするんじゃない」
今度は何故か三塚まで笑い出した。俺は全く面白く無い。二人の反応にムッとすると三塚は「悪い悪い」といいながらもいっこうに笑うのを止める気は無さそうだ。
「だってさ、いつもなら動じない里中がさ、今日に限ってらしくなく緊張してるしさ、今の抗議する声もなんだか弱っちいし。あははは。弱気な里中なんてとことんダメな奴なんだなって・・・くく」
ヒドい言われようだ。しかし、その通りだから俺も言い返せないんだが。だから抗議の目を向けるだけで精一杯だ。
「そういうお前の姿が、好きだなって思ったんだけどな」
「なっ・・・」
またもや問題発言をする三塚に抗議の声を上げようとすると、今度は安竹が俺の肩を叩いた。
「三塚はかなり興味深い事を言っているけどな、それは置いといてだ。要するにダメな姿を晒しているお前の方が好感を持てるのは間違いないってことだ」
そいうわけだ、と安竹と三塚は共に頷いている。うまいこと言った感の安竹の表情がニヤニヤしているように見えるが、そんな二人の様子を見て、もしかして慰められているのか、と疑問符が数多横切る。
こいつらに悪気がないというのは俺もよく理解している。いいネタにされたのは癪に障るが、お陰でさっきまでバカみたいにカチンコチンの緊張が無くなっているのに気がついた。
「まったく分かりにくいんだよ。そんなんじゃ、礼も言えないじゃないか」
恥ずかしさや色んな感情が入り交じり素直に言葉にできない。自分でもわかるくらいにぶっきらぼうに呟いた。
「お前ってかわいいやつだな。なんだもっと早くいぢってやればよかった」
安竹が悪ノリした軽い調子で言うので言い返そうとしたところ、三塚が割り込んで来た。
「茶番もそろそろ終りだ。俺達も中に入るぞ」
一緒になって笑ってたくせに、いち早く表情を切り替えた三塚が先を促した。
俺達は入口近くでずっと話をしていた。周囲を見渡せば続々と人々が会場に入っていく。安竹の目が怪しい光を宿したようだ。あっけなくターゲットを俺からゲスト達に切り替えたようで素直に三塚に従う。俺も二人のあとに続く。妙に肩の力が抜けそれ程気負うことなく会場へと足を踏み入れた。
会場を目にして主催側の力の入れようが半端なく感じられるのは俺だけじゃないはずだ。和佳を使ったイメージ戦略が功を奏し、株価も上昇しているのは知っている。その事がニュースになるくらいだ。そのままの勢いを形にしたらこうなるのかと思わず唸ってしまった。とは言っても下品な派手さではなく、質で勝負してあるといったほうが正しいだろう。決して和佳のイメージを崩してはいないと思う。
一方で、徐々に集まって来るゲスト達もまた当然知っておくべき著名な人達ばかりだ。
当人が出ずに代理出席ということはよくあることだが、今回はどうやら正式に招待された本人達が顔を揃えている気がする。そこかしこで和やかに談笑している姿を見ると、ある程度の地位のある者同士は古い知り合いが多いらしい。
しかし、そんな彼らの醸し出す雰囲気がどことなく違って見えるのは、商品に対する期待よりも和佳に対するもののほうが大きいのだろう。
安竹はさっきから落ち着きが無い。しかし、さすがに向こう見ずな行動はしないらしい。きっと色々と戦略を考えて来ているんだろうし、今はじっと機を待っているようだ。
何はともあれ俺の目的と安竹の目的、ターゲットは違うが似たようなものだ。互いに虎視眈々ということだけは間違っていない。特に目的もない三塚だけは、気負う事無くぼーっと突っ立っているが、意外とこいつもあなどれないところはある。ぼーっとした表情で相手を油断させ(相手が勝手に油断しているだけだが)、高い成果を上げている。ま、見た目に騙されるなってことだ。
「おい三塚。小規模なパーティじゃなかったのか?」
そう言うと「そう聞いていたんだがな、こんなに大規模だとは思わなかったよ」と三塚もまた苦笑いを浮かべている。そこへすかさず興奮気味に安竹が割って入って来た。
「いいじゃないか嬉しい誤算だ。見ろよ。あそこにさ、うちの経営陣も勢揃いしているみたいだぞ。主催のトップと挨拶してる。いいなぁ、あとで俺も挨拶させてもらえるかな。ともあれ、個人的に繋がりを持てるかもしれないんだ、この場にいられるってことはチャンスも得られるはずだ。よし、ガンガン行く」
かなりの興奮度合いだ。競走馬のような荒い鼻息で、ひとり嬉々として安竹がやる気を見せている姿に思わず笑みが溢れた。その安竹の手綱は三塚に渡し、俺はさっと周囲を伺う。
安竹の言ううちの会社の経営陣とは言っても、正直に言えば、俺のポジジョンではほとんど接触する機会無いから姿を見る事もほぼない。つられて安竹の見ている方向を見るがすぐに見つけられそうに無い。
しかし俺は視線のその先で別の人物を見つけてしまった。
歓談している和佳の両親の姿がある。一瞬あれ?と疑問に思ったが、彼らがいるのは至極当然で、愛娘の晴れ姿を待ち望む様子が遠目にも伺える。
当時、遊びに行くと必ず歓待してくれていた。当時のままの雰囲気の和佳の両親の姿を見て、途端に胸がギュッと締め付けられた。寡黙な父親に優しく穏やかな母親は子ども達と積極的に関わろうとしていた記憶がある。文字通り家族ぐるみで俺一人に構ってくれていた。
(俺はあの人達の気持ちも踏みにじったんだな・・・)
若気の至りと言ってくれる人も居たが、俺達に関わる人達にまでイヤな思いをさせたかもしれないと思うと、当時の俺をふん捕まえて殴り倒したくなった。自己中も大概にしろと言ってやりたい。だが、いくら足掻いてももう過ぎ去ったことだ。
ブンっと頭を振り自ずと7年も前の出来事に囚われてしまいそうになる意識を振り払った。
しかし思考は止む事はない。
(彼らも、ここにいる人達もあのインタビュー記事を読んだんだろうか)
俺の名前こそ出てはいないが、学生時代の付き合いのあったやつらはすぐに分かるだろう。
あの記事で、これまで努力して築いて来たものが全てが吹き飛ぶんじゃないかと不安にかられた時もあったが、それこそ思い上がりだと気付き、俺の犯した罪の償いだと思えば、甘んじて批判を受け入れるべきなんだ。
改めて下腹に力を入れ、しっかりと床を踏みしめた。そして配られた飲み物をあおって乾いた喉を潤した。
会場の雰囲気が和んで来たところで同僚達はここぞとばかりに名刺交換に精を出し始めた。俺も暫くはそれで時間を潰した。俺達と近い世代の参加者達の目的はほぼ同じらしく、そこかしこで同様の光景が繰り広げられ、似た様な会話が聞こえてくる。
表面上和やかに会話を繰り広げながらも、その笑顔の下では互いの懐の内側を査定している。いずれも劣らぬ狸達ばかりだなと内心苦笑するが、安竹の言う通り大事なビジネスに繋がるチャンスでもあるから仕方が無い。一歩下がって眺めるとそれがよく分かる。俺もそのうちの1人に見えているんだろうかと急に俯瞰した心境になってしまった。
俺の目的は和佳に会うことだから安竹達のように精力的に動くつもりは無い。だが、話しかけられたら応対しないわけにはいない。結局は、終始見ず知らずの誰かと話をして過ごすことになった。もらった名刺もあっという間に増え、カードケースのスペースがどんどん少なくなっていくことに気を取られた。逆に言えばその時間があったから、平静を保っていられたのだと思う。
さっきうちの広報の女性社員の姿をみかけたが、目が会うと相変わらず一人は気が強そうでフンと顔を反らし、もう一人は弱々しく微笑んで会釈をしていた。結局は彼女達だけで参加のようだ。仕事だから当たり前なのだが。
司会者がマイクの前に立ち、これからパーティが始まる事を告げた。
主催側からの挨拶に続き、さすがの大会社らしく来賓挨拶の人数も半端な数ではない。和佳が出て来るまでまだまだかかりそうだ。俺は周囲に気付かれないように、そっと溜め息を吐いた。和佳の登場を待つ間の、似た様な美辞麗句は耳を素通りした。
ようやくお歴々方の挨拶が済んだようだ。
ひと呼吸おいて、いよいよ和佳が紹介されるのかと思いきや、乾杯、祝宴へと続いていく。歓談の途中で製品紹介があったが、これは主催側も今回のメインではないという位置付けらしく、あっという間に終わってしまった。
いつ出て来るんだろうかと、ジリジリと焦燥感に似た感情が沸き上がって来るが、歓談の際に表情に出す事は許されない。しかし相手方の何人かは、和佳の登場を今か今かと待っている人もいてその話題に触れることができ、それが俺の気持ちを落ち着けたりした。
酒や食事が進んだころ、満を持したかのように再び司会者が登場した。自然と期待に胸が膨らむ。騒がしかった会場も期待に満ちているようだ。チラリと主催者を見ればそんな会場を見ながら得意そうな表情をしている。全て分かっているとでも言いたげのようだ。正直、面白く無いが、俺はその他大勢のゲスト達同様待つ事しか出来ない。
司会者のもったいつけた言い回し、華美な修飾語の羅列に当の本人はステージ裏に居て、どう思っているんだろうと想像していた。
あの頃の和佳だったらきっと赤くなった顔を伏せるか、居たたまれず「やめて」と言いながら、今にも会場を逃げ出そうとしているかもしれない。
いや、きっと今もそうだろうと妙な確信がある。
あの頃のまま側にいられたら、俺はきっと和佳を引き寄せて彼女が落ち着くまで抱きしめてあげていたはずだ・・・。
そんなことを考えれば自分でも知らず知らずのうちに優しい息が漏れ出た。
ひとり思考に浸っていたら、会場の照明が弱くなったのに合わせて、意識が現実に引き戻された。
会場内のざわめきも一時おさまり、期待を込めた静寂さが広がる。コンシューマだけではなく業界の人間達にこれほど期待を持たせる和佳の魅力を改めて見せつけられた気がした。
果たしてこの大勢の中にいて和佳と接触出来るチャンスがあるのかと、凹みそうになる気持ちを奮い立たせ、挑む気持ちでステージを見つめた。
スポットライトに照らされながら和佳がステージに登場した。同時に会場の空気が一瞬揺れた様な気がした。いや、それは気のせいではなかった。会場中から、おおっという低く静かな響めきが起こる。誰もが和佳の姿に目を奪われているのは一目瞭然だ。
俺も多分に漏れず魅せられている者のひとりだ。見たいと思うのではなく、自然と追ってしまうのだ。目が離せない、瞬きすらできない、下手に息をすれば和佳を穢してしまう気がして呼吸すら慎重になってしまう。この瞬間、正しく盲目的に和佳に傾倒していた。
突然横から肘で突かれた。ハッと我に返ると三塚が俺を見ていた。「しっかりしろ」と三塚は視線だけで俺に注意を促している。お陰で幻想的な心地から引き戻された。大丈夫だと、しっかりと頷き返せば正気に戻ったのが分かったのか、三塚は静かにステージに視線を戻した。
冷静になった目で和佳を見れば、さっき想像した通り少し照れた笑みを浮かべている。その様子を見て根本のところは変わっていないんだなと安堵するのと同時に胸に温かさがじんわりと広がっていく。
(凛々しい)
最初の感想はそれだった。
あどけなさが消え大人の表情になった和佳を直接見るのは当然初めてで、正直心の底から美しいと思った。
ただそこに立っているだけなのに、立ち姿がこれほど美しい女性がいるんだろうか。目が離せない。それほどまで和佳の姿は堂々としていて美しかった。
悔しいが後ろに立つダークブロンドの男性も魅力的だと思う。和佳をエスコートしてきた彼は、同性の俺から見ても美しいと思う。普段は決して誰かの引き立て役ではないだろう、そう感じさせるだけの何かが彼から溢れ出ている。けれど和佳は全く負けていない。むしろその男性がいることで和佳が引き立っていると言える。
そんな二人を見ながら、不愉快さを少なからず感じているのも事実だ。
和佳しか視界に入らないように気をつけていても、和佳に付き従うように立っている姿は嫌でも視界に入ってきやがる。
それに、何の話をしているのか、二人で静かに会話をしているその様子に気安い関係を想像させ、無性にそこに割って入りたくなる。俺は眉間に力を入れ、グッと我慢した。「くそっ」と内心毒づき、自分を抑えるのにかなりの努力が必要だった。
加えて司会者もまた周囲に見せつけるように(いや実際見せつけているんだろう)、和佳と楽しげに会話を繰り広げている。たったそれだけなのに俺はそのことにも腹が立った。
冷静になれと自分に活を入れるが、沸き上がってきた嫉妬心はなかなか消えてくれない。もやもやとしたイヤな感情がいつまでも腹の中に停滞している。この状態をどうやってやり過ごしたら良いのか思いつかないが、和佳を見れば素直に温かい心が呼び起こされるし、やはり俺は和佳の事が好きなんだと再認識した。
しかし、和佳が他のヤツと楽しげに会話をする様子を見るだけで、静かに澱が溜まっていくのも事実で、悪循環だと分かっているが止められない自分に腹が立っていた。
ステージでは司会者に紹介された和佳が挨拶を始めた。マイクを通しても人格をそのまま投影したような澄み切った声は、俺だけでなくそこに居る全員を魅了するには十分な威力があるように思える。実際、和佳を見るゲスト達の視線が大変好ましいと言っているのは明らかだ。
和佳の姿は初々しく、飛び出して行ってその姿を隠したい衝動に駆られ、思わず一歩踏み出そうとしてしまった。そこをまたもや三塚がそっと俺の肩に手をおいて引き止めてくれた。何でこいつは俺の行動が分かるんだと不思議に思いながらも「サンキュ」と小声で伝えた。
気持ちが落ち着いたところでステージへ目を向けると、はにかみながらも、和佳は自然な笑顔を会場中に向けている。
なぜ和佳はあんなにも素直な笑顔でいられるのだろう。そして和佳を見ているゲスト達も柔らかい微笑みを浮かべていられるのかと疑問がわいた。
インタビュー記事ではタレントとしては御法度とも言えるような恋愛の赤裸裸な話をしていたハズで、きっと皆もそれを読んでいると思われるわけで・・・。
むしろそういった裏表の無いところが好感を持たれるんだろうかと、和佳の笑顔を見ながら思った。
「はぁ」
思わず声に出して息を吐いてしまった。
俺はずっとめまぐるしく思考を繰り返している。
それは尽きること無く連鎖反応のように次から次へと、和佳の事が脳内を慌ただしく駆け巡っている。それに呼応して心臓の辺りも忙しい。俺の心の中はある意味ぐちゃぐちゃだ。
(あの笑顔は俺のものだったはず・・・)
そう思った途端、今日一番、胸が苦しくなった。
(そうだ、そうだった。あの笑顔を独り占めしたくて俺は和佳に交際を申し込んだんだ。あの笑顔を俺だけのものにしたくて、そして俺が守りたかったんだ)
その資格を自ら手放してしまったという事実に改めて気づき、心が張り裂けそうになった。
(あの時に戻れるのなら・・・)
「おい里中しっかりしろ。お前の顔、いつも以上に怖い。もっと和やかな顔をしろ」
安竹が小声で注意を促した。力み過ぎていたらしい。「歯を食いしばってステージを睨んでいる姿は、パーティという華やかな場所には似つかわしく無いぞ」と言われる。さっきからこれの繰り返しだなと苦笑が漏れる。
「サンキュ」
短く礼を言い、俺は深呼吸を繰り返すと再びステージへ目を向けた。
「はい、では、和佳さんがステージを降りて皆様の下に伺います。しかしなにぶん広い会場ですので全ては回りきれませんが、陰で支えて下さっている皆様にお礼を言いたいという彼女の希望で実現いたしました。近くへ参りました時には、どうぞ、暖かく迎えて下さい」
司会者の言葉にザワリと会場が蠢いた。パフォーマンスでのサプライズってやつだろうか。でもこれで和佳と会えるチャンスが出来た。ただ、これだけの人数の中、どこにいれば目にとめてくれるのか。ざっと会場内を見渡すと、主催者側の何人かがそっと配置についているのが目に入る。恐らくルートは彼らを基準にして回るはずだと推測した。
素人だが和佳は今や時の人だ。
この会場にはビジネスマンだけではなく、コネで入ったと思われる一般人も見受けられる。
今のところマスコミは主催者側の努力によって統制されているが、ポジションを移る奴らもチラホラ出てきたのも気になる。
一応さっきのブロンドの男性はついているだろうが予想の付かない行動をとられれば、和佳の身に危険が及ぶかもしれないし、スキャンダルになりはしないだろうか。
俺は動くべきか逡巡していると、
「里中は前の方に行かなくていいのか? きっとこっちまでは回って来れないぞ」
安竹がクイックイッと親指を向けて見せるが、俺はまだその心構えが出来ていなかった。いや、安竹に言われて怖じ気づいていたんだと気付いた。
本当に会えると実感したと言っても過言ではなく、ステージ上とこちら側での距離を言い訳にしていた感もある。同じ空間に居たとしても、随分と大きな隔たりがあるから。
同じ目線で会ったらどうしようか、何と話しかければいいのだろうか、いや最悪な場合、顔を反らされてしまったら等と、再び妙な考えがめまぐるしく脳内を駆け巡る。
「なんだよ本当にお前は里中か? 中身が違う人間にでもなったんじゃね? いつものお前はどこに行ったよ」
「いつものって何だよ。俺はいつもこんな感じだろう」
強がってみせるが安竹にはお見通しのようだ。ただの軽口だと分かっているが、どこかいつもとちがって受け流せない。余裕がなくなってきてる証拠だ。
「ちげーだろ。普段のお前なら相手が誰だろうと言いたい事はきちっと通すだろうが。ったくなんだよ、相手が惚れた女だとこうも腰抜けになっちまうのか?」
迷いを見せる俺に対し安竹はチッと小さく舌打ちをした。
「大体さ、お前らの過去のことなんてもうとっくに時効じゃねーのか? いまだに引きずってるってどういう了見なんだよ。それで成長しているって言えるのか? 無視されたらされたで構わないだろうが? 違うか? それでもこれ以上お前の状況は悪くなったりしねーだろうが。何をびびってんだよ」
声は小さいが一言一言が鋭く俺の胸に突き刺さる。だがそれは、安竹なりの励ましの言葉だというのはしっかり伝わって来た。
(そうだ安竹の言う通りじゃないか。これまで何の為に頑張って来たんだ。この日のためじゃないのか。踏み出さなきゃ。今日が本当の意味での再出発になるんだ)
呼吸を整えてから「よし」と短く声に出した。そして安竹へ頷いて感謝を伝えると、和佳が歩む先へと向かった。