六
久しぶりの胸の痛みに当時の感情が蘇ってきて俺は思考の海に沈みそうになっていた。
「どうした里中。いつも以上に愛想の無い顔をしているぞ。って、それ何?」
不意に間近から声が聞こえ、思わずスマホを落としそうになった。それを横からかっさらわれた。
「誰だこの子。かわいいじゃないか」
その声が呼び水となり、聞こえたやつらが次々とやってきて画面を覗き出した。
「おーい、まさかのまさかか? 堅物の里中にもいよいよ春が来たのか?」
「しかも清楚でかわいいぞ」
「ちょっと幼い感じがまたいいな。もしかして妹か?」
「そういう趣味?」
「ち、違うから!」
口々に感想や質問が飛び交う中、俺は焦ってしまった。確かに当時の年齢と今の俺の年の差を考えれば、そう見えるかもしれないが、そこはきちんと違うと宣言した。
「ってことは、これって社内でもかなりなニュースだよな」
「ああ間違いなく大ニュースだ。うちの会社だけじゃなく客先の女性社員の反応が気になるところだ」
「・・・ちょっとそれって不味く無いか? その反応を考えただけで、ぞっとするんだが、俺だけか?」
相変わらず同僚達が俺のスマホを回し見ながら口々に勝手な事を言っている。
「おい、そろそろ返せ・・・」
既に遠い所にまで行っていたスマホを回収しようとした時、一人違うことを言うヤツがいた。
「あれ? この子、どこかで見た事ある。何だっけ」
隣のチームの奴だった。同期の三塚で同じフロアになってから時々話すことがある。だが、本当に時々だ。
「見た事がある? どういうことだ?」
驚きを隠せなかった。和佳が日本にいたのは大学二年の途中までで、その頃の和佳を知るヤツなんてそうそう居るはずがないはずだ。しかも会社でなんてあり得ない。
けれど三塚は、和佳の画像を見ながらウンウン考えている。その姿は嘘を言っているようには見えないから俺はますます混乱した。
「いや、まて。そうだ! あれだ!」
あれだあれだと繰り返しながら自席へ戻り、なにやらゴソゴソやった後、プリンターの所へ走っていき、そして一枚の紙を持って戻ってきた。そして「これなんだけどさ」と言って見せてくれたものに目が釘付けになった。
「な、なんだ・・・これは・・・」
三塚の持ってきた紙には二十代の男女が仲睦まじくカフェで寛いでいる写真が写っていた。風景はまるで中世ヨーロッパ風だ。だがどこも作り込んだような態とらしさが無い。おそらくは実際に存在する、そういう街で撮影されたのだろう。
手前には運河があり運河沿いには花が飾られて、橋の欄干も美しく飾られている。お伽噺に出てくる尖り屋根を持つ建物が建ち並び、その一画にカフェ風にアレンジされた場所がある。そして運河を眺めながら二人幸せそうな笑顔でカップに口を付けていた。
相手の男より、女性の顔に目が留まった。
「あー・・・里中が勘違いする前に説明するから。ちょっと返せ」
乱暴に俺の手から用紙を取り返すと改めて説明が始まった。
「これな、俺がちょっとだけ足突っ込んでるプロジェクトのイメージだ。いいか? イメージだぞイメージ。勘違いするなよ里中、・・・だから、そんな顔するんじゃねぇよ」
丸めた紙でポコンと俺の頭を叩きやがった。三塚め・・・
「客先からもらったもので『かっこ仮』って書いてあった。本番は本物のモデルを使う予定だが、とりあえず近場の人間を使ったらしい」
わかったかと、更にポコンと殴られた。
「この子とお前の画像の子って同一人物?」
三塚に尋ねられ俺はそうだと頷いた。そしてこの画像は大学生の頃の写真だとも説明をした。
「なるほどね、元彼女ってことか」
なにやら三塚達が納得した顔をしている。そんな様子に俺は何故か腹が立ってきた。
「近場の人間を使ったって言ったよな。和佳がその客先の社員なのか?」
気持ちが焦る。俺は三塚に相対し、追い縋る勢いで食い付いた。プライドなんか無い。俺の真剣さに気圧されたのか三塚の顔が引き攣った。
「俺も正確には知らないんだが、前回打ち合わせについて行った時、良い素材が手に入ったって嬉しそうにあっちの部長が話をしていた。海外視察に赴いた先でって言ってて、その時、沢山の画像を見せられたから覚えてるよ。
どこをどう切り取っても絵になる町並みの美しさもさることながら、その、和佳ちゃんだっけ? 彼女の写真が沢山あった。ガイドをしてくれた人だって言ってた」
「海外・・? どこ?」
「確かスイスって言ってたかな」
スイス? スイスって和佳が一年の夏休みに短期で行ったと言っていた。あの時、アメリカやイギリスじゃなくてどうしてスイスなんだろうって思ったけど、理由を聞かなかったことを思い出した。
(叔母さん夫妻の家って、海外って、ここの事だったのか)
ようやく全ての話の糸が繋がった気がした。そして和佳の行動に合点がいった。
(俺、まじでバカ)
思わず頭を抱え、苦笑いをしてしまう。
(最初っからヒントはあったんだ。それに気付づきもせずに今日までのほほんと生活してたんだから笑える。いつかは会いたいと願っているのにも関わらずだ)
俺が少しばかり過去にトリップしていた間、三塚は更に何枚かプリントアウトしてきたらしい。「ほれ」と言われて渡されたものには、お客さんらしい恰幅のいい男性と他に若い男性が2人、現地企業の人達らしい外国人数人と、そして和佳が並んで写っていた。
打ち合わせの後、何故かお客さんが送ってきたらしい。
「部長さんがね、あ、この人なんだけどさ」そう言って三塚が指したのは、やはり恰幅のいい男性で、和佳の隣で笑ってやがる・・・。猛烈に腹が立ってきたがそこはグッと我慢だ。この人がいたお陰でこうやって和佳の情報を入手出来ているんだから。
俺が悶々と脳内で耐えている最中も三塚の話は続いていた。
「さっきも話したけど、出張で行った時の写真を自慢げに見せてくれたんだが後半になるにつれて、里中の言うところの和佳ちゃんの写っている確率が高くなってくるんだ。よっぽど気に入ったんだなって一目瞭然だった」
その時の打ち合わせを思い出したのか三塚は肩を震わせて笑っている。
「初見だったにも関わらずお客さんがもの凄く気に入ったらしくって、この前の打ち合わせは後半はその話ばっかでさー。どんだけ惚れ込んでるのって突っ込みたくなったね。
なんでも大学の頃から留学してて、そのままその国に就職してるそうで、その日は、たまたま当日予定していた人が体調を崩したとかで、急遽ヘルプで案内役として来てたらしいってさ。ラッキーだったなんて言ってた」
俺は今すぐ押し掛けてその部長の手元にある画像を消したくなった。しかし、ふと落ち着いて考えてみれば、目の前で話している三塚は俺より先に、成長した和佳の写真を見たんだ、しかも大量に・・・。大人げないとは思うが、思わず目の前の三塚を睨みつけてしまった。
だが三塚は首をちょこんと傾げただけで俺の気持ちに気付いているのかすらわからない。くそっ。悶々とした気持ちがおさまらない。
俺と三塚をよそに他の奴らが盛り上がっているのにも気持ちがもやっとする。
「まさか、蓮川女史を振った理由がこの子だったとはな」
「女史とは真逆なタイプだそりゃ断るだろう。食思は出ないだろう」
「綺麗な子だな。これが元カノって、ある意味悔しいと思うけど元気出せ」
「まさかノーメークか?」
「清楚っていうイメージそのものだな。全くゴテゴテ感がない。そりゃ部長じゃなくても気に入るよな」
「お、おい里中。お前・・・泣いているのか?」
言われるまで気付かなかった。俺は和佳の姿を見ながら涙を流していたらしい。慌ててハンカチで顔を拭った。
「なぁ三塚、今後、情報が入ったら教えてくれないか」
震える手で三塚の肩を掴み頼み込む。三塚は痛いと文句を言うが離すつもりは無い。
「まぁいいけど。今まで片足だけだったけど、これの専任になるらしいし。詰めなきゃいけないことが沢山あるから何度も客とは会うし。それに、面白そうな話のネタだから聞いといてやる。だから、後でちゃんと教えろよ」
三塚が物わかりの良い奴で本当に良かったと思う。
いまは少しでも和佳に関する情報が欲しかった。かれこれ7年間、頼みの要からも、どこからも全く情報が無かった。それが当たり前だと思っていたのに、いきなりこんな、一気に和佳に近づけるチャンスが来た。逃せるはずが無い。
俺は、三塚に約束をした。
意外にも三塚からの情報は、それほど日を置く事無く伝えられた。そしてその内容に俺は驚いた。
「どうやら大真面目な話、彼女にオファーをしているらしい。来期のイメージキャラクターとして」
「イメージキャラ? モデルを使うって話はどこにいった」
三塚は、食って掛かる俺に軽く手を振って押さえ、話を続ける。
「等身大の、海外で頑張る女性ってことでって言ってた。擦れてないし、楚々とした美しさ、芯の強さとか、えっと、あとなんて言ってかな、いろいろ理由づけされて彼女でなきゃダメだっておしてるらしい」
「等身大・・・」
「そう等身大。いまの若い女性達と隔絶したような存在ではなく、身近に感じるってあたり。少し勇気を持って頑張れば私もなれそうだって思わせたいらしいね」
和佳の頑張りっぷりを知っている俺としては、何となく釈然としなかったが、まぁ、歌手やらモデルなんかのように特殊で無駄に派手では無いという意味では納得した。
むしろ和佳の上品な美しさや言動は、芸能人なんかより洗練されていて逆に真似出来ないだろう。少し頑張ったくらいじゃ到底和佳には及ばない、無理なんだ。そう思う事で溜飲を下げた。決して口には出さないが心に思う事とアウトプットは別だ。それは大人として弁えている。
「言いづらいんだが、どうやら彼女には想う人がいるらしい。そこは、いくら質問しても答えてくれないそうで残念だって言ってた。そこが知りたかったらしいんだけど、でも、内に秘めたる想い人がいる恋する女性ってのもお客さん達がキュンキュンくる要素だったのかもな」
またしてもショックな言葉だった。想い人・・・。その言葉は思いの外、俺の胸を抉った。
この美しい笑顔をその男に見せているのだろうかと考えるだけで、胸に何かを突き刺されるようだ。ブラックアウトしそうになり呼吸が出来なくなる。
「おい。大丈夫か? まだ、情報が有るけど聞くか? やめておくか?」
顔を伏せた俺を心配して三塚は選択肢を出した。
「聞く。全部、聞く、聞かせてくれ」
そう答えた途端、俺のスマホにメールがあった。三塚の声に耳を傾けつつ確認すると、なんと要からだった。
『姉が近々帰国します。日程はのちほど』
短いメールだったが俺には嬉しすぎる待ちに待った情報だ。思わずぐっと手を握る。その途端、三塚はペンの背で俺の額を一押しした。
「おい、お前全然聞いてないだろう。ったく。ここ、一番聞きたいだろうからもう一度言うぞ。この子、今度日本に来るらしい。社長直々の招待ってことで、ごり押しをしたんだと」
同じ情報が同時に三塚からももたらされ、更に動機が激しくなる。
「ありがとう。最高の情報だ」
礼を言うとペンを放り投げながら三塚はふっと表情を緩めた。
「別にどってことない。お前はオブザーバー的扱いになってるしな。でも、まだ極秘扱いだから、俺がお前に話すのは一応許可は取ってあるけどくれぐれも口外してくれるなよ」
三塚の言葉に俺はしっかりと頷いて見せた。これでも会社の内外で信頼を得ているのは、そういうところをきちっとやっているからだと俺も分かっている。
「意外にもお前が一途だってこと、真面目な男なんだってことが分かったよ。見た目だけなら相当むかつくやつだと思ってたけど、全然違ったし。ひょっとすると悩みなんか無いと思ってたくらいだったけど、けどかなり人間臭くてギャップが面白い」
「いや・・・俺は、酷い人間だ」
良い意味で言われているのだと分かり途端に居心地が悪くなる。思わず否定する言葉を吐くと、三塚はニヤリと笑い、へいへいと生返事をして、じゃなっと手を振って去って行った。
その日以降、俺はフワフワと浮かれていた。自覚があったから、周囲からも確実に気持ち悪がられただろうと自信がある。だが、ふと冷静になると、俺は和佳に恥じない人間になれただろうかと不安にもなった。
「あーあー。見ていられん。お前さー。ほんっとに分かりやすい性格だったんだな。笑ってたり眉間に皺寄せていたりさ。それはそうと女子達が騒いでいたぞ。最近の里中君ってなんか雰囲気が柔らかくなったよねって」
誰の口まねをしているのか、柿谷が女性口調で俺を揶揄っている。
「何か用があったんじゃないのか?」
じろりと見ると柿谷がニヘラと笑った。
「ああ、そうだった。どうやら彼女、何ちゃんだっけ、まぁいいや、正式に受けたらしい。そこで、ちょっとしたパーティを開く事になったそうだ、会社主催でね。事実上のお披露目ってわけだ」
柿谷の言葉に完全にフリーズしてしまった。和佳が、まさか和佳があの話を受けるとは思いもしなかった。絶対に断るだろうと思っていた。無駄に派手なことは和佳らしくないと思っていた。しかし、そもそもなぜ柿谷からその情報がもたらされるのかが分からない。
「おい、また自分の世界に埋没してるのか? おい里中。見ろ! じゃーん」
柿谷が一通の封筒を見せた。明らかにインビテーションカードだ。
「柿谷・・・。それ俺の」
まったく、といいながら三塚が奪い返した。
「うちも関係があるからな招待状を貰ったんだ。貰ったのは俺だが、行きたいヤツは連れて来ていいって言われてる。どうする? 行くか? 行かないか?」
三塚はヒラヒラと目の前でもったいつけてみせてくれる。思わず手を出して掴もうとするが、それをぬらりくらりと躱された。
「行きたいのか?」
三塚の言葉に、今度は素直に頷いた。「行きたい、連れて行ってくれ」
「じゃ決まりな」
同時に挙手した柿谷も行くということで話は決まった。
その後の三塚からの情報によれば、季節に先行して広告が打たれる事になったらしい。
撮影地は和佳の住むスイス。
スイスらしい美しい山々を始めとする風景と、そこに映し出される瑞々しい和佳の姿が巷で話題になるのにそう時間はかからなかった。
もともと美しい目鼻立ちだったが、本人の真面目な性格もあり派手な形をしないでいただけで、こうやって広告用に手が入れられれば、そこら辺のアイドルや女優以上の美しさだ。決して俺の欲目ではない。
「おい相当な人気だな。お前の『元』カノだっけ? 和佳ちゃん。彼女の出た広告の商品、バカ売れらしいぞ」
「メイクとか服装とか持ち物とか、色々特集されて一躍時の人だな」
同僚達は俺を捕まえると遠慮なく色々と言ってくれる。丁寧に『元』って強調してくるのにも腹が立つ。事実だけどな。
「お客さんが言ってた。今度インタビュー記事を掲載するらしい」
更に三塚の情報にキリキリと胃が痛くなる。
知りたいような、知りたく無いような、それと同時に、俺も一般人と同じスピードで和佳の情報を得るのだと思うと少し悲しくなった。
俺の感情はさておき、和佳の人気はじわじわと右肩上がりらしく、協力したうちの会社も恩恵を受けはじめたそうだ。和佳関連でのwebのキーワード検索で上位に入っているらしい。
社内でも和佳の話がそこかしこで聞かれるようになった。特に同年代の女性社員の中で、明らかに和佳のメイクを真似をしていると分かる人も出て来た。時々ドキッとさせられることもあるが、和佳のはずがないと思えば気持ちも直ぐに落ち着きを取り戻した。
「これも和佳ちゃん効果だな」
浮き沈む俺の反応を楽しんでいるのだろう、人の悪い顔を浮かべた奴らもいる。だが仲間内のほんのジョークだと分かっているから、そういうことに対していちいち俺も腹を立てる事はなった。
散々俺を揶揄う物言いをするが、実際のところ、同僚達の口は堅かったようだ。和佳が俺の元カノだということは、社内では広まっていないようでその点では非常に感謝しきりだ。
「インタビュー記事、明後日出るらしいな。楽しみだ」
俺の心情を知っているはずなのだが、同僚達は純粋に楽しんでいる。読むなと言いたいところを我慢し、内心で舌打ちをしたがそれ以外に俺には何もできない。さすがに三塚もこのインタビュー記事については何も教えてくれなかった。
『姉は来月帰国します』
三塚からの連絡があった翌日、久しぶりに要からの連絡があった。まだ詳細な日程は書かれてはいないが、要からの連絡だ、全ての情報が正しいと裏付けされているような物だ。自然と俺の気持ちは高ぶった。俺はすぐに要にお礼のメールを送り、パーティに出席する旨を伝えた。
ブルッと手の中のスマホが揺れ再びメールが着信した。
『本当に諦めの悪い人ですね』
あの時、別れたときの要の不満顔を思い出し、ふっと笑みが溢れた。要にもずっと会っていないが今の彼は、更にしっかりした社会人になっているんだろうなと想像する。きっと俺のメールを読んで眉間に皺を深く刻んだ事だろう。
『悪いな』
短く返信しておいた。