十四
「ところで今更なんですが、どうして栄さんがここに?」
「お前、いまその質問するのか? 相当遅いよな」
呆れたと言わんばかりに栄さんが首を振っている。少し大げさじゃないかと思う。
ずっとテンパってたから今更だけど、俺にとっては不思議なことこの上ない。
要達とかなり親しげに話をしているし。
そう言えば控え室でもそうだったなと思い出す。チャラい感じなのは相変わらずだが、この雰囲気に妙に溶け込んでいるのが不思議に思えた。俺が全部を言わずとも察したのだろう、栄さんはちらりと要を見ながら教えてくれた。
「要と和佳は俺の従妹弟だ。気付かなかったか?」
「い、従妹弟? って気付くも何も・・・」
「俺の本当の名字はな『花山院』っていうんだよ。花山院栄」
「!」
俺の反応に満足そうに栄さんは顎をしゃくる。その仕草にバカにされたような気がして面白く無いが、いつものことだと諦める。
花山院なんて名前を持つ人にそうそう当たるもんじゃない。
そんな数少ない名字がここに3人も居るってことに気がつくと、やはり、こう、腑に落ちない何かが俺の中に芽生えた。
「俺の親父はこいつらの父親の弟だ。ちなみにな、お前が分かっているかどうか知らんが、お前の会社、まぁ俺の会社でもあるわけだが、創業者は花山院だ。ついでにいうと今の社長は和佳と要の父親で同じく花山院姓だぞ。その反応・・・ぷぷ、お前、全然気付いてなかっただろ」
「・・・」
俺が二の句を告げられないでいると横から要が口を挟む。これがまた一撃となって俺を襲った。
「僕も一応所属しているんですけどね。気付いていました? ま、部署が違って事業所がそもそも違いますからね、そうそう顔を会わせたりしませんから気付いてないでしょうけどね」
栄さんと要が二人して俺を小馬鹿にしたように首を振っている。よく見るとこの二人、似ているじゃないか。なぜ俺は気がつかなかったのか。
いや俺は気付いた。
「気付くも何も、栄さんの名字ってそもそも違うじゃないですか! 分かる訳ないでしょう!」
そうだよ。栄さんは二階堂って名前だ。
「はっ! 結婚しても旧姓で通すやつだっているだろう? ちなみに俺の名字は母方の姓を使ってたんだぞ。どうだ」
ますます俺が悪い訳じゃないってことは分かった。
「まぁ経緯は色々あるんですよ里中さん。従兄さんは昔っからやんちゃでしてね。それは見たままなのでお判りかと思いますが、我が社に入るにあたり花山院の名前は使用禁止と言い渡された訳です。最近ようやく名乗ることが許された訳ですが、今度は今の名前がしっくりくるそうで、俺のキャリアがぁ等と一丁前に一人前なことを言って、そのままってわけです」
はぁと間抜けな相づちをうつ。
「しかも、結婚1週間で離婚してるし」
「まぁな・・・って、要! その話、今、関係あるのか! 余計な事をペラペラと喋んな!」
珍しく栄さんが吠えている。そして俺の視線に気付いて不機嫌そうにぷいっと顔を背けた。
聞いてはいけなかった話だなと思ったが不可抗力だ、事故だ、仕方ない。ってか結婚してたって初耳だ。会社では誰も何も言ってなかったはず。
「おい、今の言うなよ。絶対に言うな、分かったか? 何ならもう一回意識無くしとくか?」
何故か栄さんが俺に凄んで来る。確かに知られたく無い話だと思うけど、八つ当たりする相手を間違っている気がする。
「ほんと早かったよねー。まぁ最初っから結果は分かってましたけど、あはははは。ご祝儀泥棒って言われても仕方ありません」
あっけらかんと要が栄さんの傷口に塩を練り込んだ。どっちが年上か分からない。
二人のやり取りをハラハラしながら見ていると、とうとう栄さんが「うっせーぞ要! シスコンのくせに黙れ!」と声を荒げた。
声のトーンといい、口調といい、まるで・・・・・・・・・チンピラだ。
栄さんがこんな表情をして、こんな声を出すことすら知らなかった。あのいつも冷静な栄さんが奥歯を噛み締めて悔しがっている。この姿は絶対に会社で見せちゃダメだと思う。
俺は二人の話に眺めていることしか出来ない。
仕事での栄さんは、見た目はチャラいけど信頼出来る先輩で、他の奴らもそう思っているはずで、頼りになる兄貴的存在だ。
だがそんな栄さんをいとも容易く要は追いつめている。さすがに従兄弟同士は互いの攻撃ポイントをよく知っているなぁと妙に感心していた。
「こぉら。栄も要もケガ人の前で何やってんの。静かになさい!」
医者と話し込んでいた和佳が怖い顔をして二人を睨みつけている。俺にとってはそんな和佳の顔も可愛く見える。
和佳の注意でようやく口喧嘩をやめた二人は、まだまだ反目し合っているように見えるが、そんな様子でもやっぱり気のおけない関係なんだなと感じる。
こうやって並べて見れば、和佳も含めこの三人は良く似ているじゃないか。
「何で気付かなかったんだろ」
その声が思ったより大きかったらしい。そっくりではないが、良く似た雰囲気をまとった3つの顔がこちらを一斉に見た。その迫力に思わず身構える。
「気付かないって何が?」
和佳が俺のそばにやって来た。
栄さんや要に向けた怖い顔ではなく、どことなく甘い雰囲気を纏っているように見えるのは自惚れかもしれないし、俺の和佳に対する気持ちがそう見せているのかもしれない。だが怒られた二人には申し訳ないが特別扱いをされているようで悪い気はしない。
動く方の手でそっと和佳の頬に触れると彼女はうっとりと目を細めた。
「良く見たら栄さんって、要君や和佳の雰囲気に似てるなって思ってさ。でも今思いかえしてみると、時々、栄さんの表情から和佳のことを連想していた時もあったなって」
最後の言葉には和佳が不満そうだ。「なんで栄を見て私を思い出すのよ、栄と一緒にしないで」とぷぅっとふくれている。
「まぁでも、幼い頃は家も近くて年齢も近くてよく一緒に居たし、親戚からは栄と要と3人で一纏めにされていたわね。従兄っていうより実の兄って感覚の方が近いわね。ううん、違うわね。手のかかる弟だわ」
すると栄さんが「なんだと。俺のことそんな風に見てたのか」と突っ込んでいるが、和佳は至極まじめに頷いている。そんなやり取りも俺を納得させる。
「仲が良くて羨ましいな」
何となくほのぼのと眺めていたら、ふいに思い出したことがあった。具体的に思い出す前に早鐘のように動悸がはじまった。
(ちょ、ちょっと待て俺。会社でした俺の恋話ってさ、ひょっとしなくても筒抜けだった可能性が高くないか? 少なくとも要にはきっと伝わっていると考えた方が良いだろうし。まてまてまてまて、本当に要までか?)
急に黙り込んだ俺に和佳が「大丈夫?」と不安そうに覗き込んできた。引き攣りそうになりながらも彼女には大丈夫だよと答えて、表情を引き締めて栄さんを見た。
「栄さん、確認したいことがあるんですけど、俺の、その、会社でのあの話って・・・」
具体的には言わない。
言いたく無い。
だが俺が言い終わらないうちに栄さんは自信満々で言い放ってくれた。
「任せろ。要にも、こいつらの親にもきっちり話はしてある。感謝しろ」
(まじかー!)
こいつらの親って和佳の両親ってことだ。愕然とする。
「ちなみにだ。今回のこの計画は俺と要で立て、実行部隊にお前の同僚達を交えて、お前の本気度を試させてもらった」
またしても寝耳に水な事を言う。
ってか計画って何だ!?
茫然とした俺に代わって和佳が栄さんに食って掛かった。
「栄どういうこと!? 要も! ちゃんと説明して!」
俺は和佳の隣でウンウンと頷く事しか出来なかった。すると栄さんがニンマリと人の悪い顔で笑っている。
自然とこの顔がデフォルトだと思えるようになった。
「説明も何もないさ、単純な話だよ。和佳の将来の夫としての資質を見定めさせてもらっただけだ。
幸いといってはなんだが、こいつが入社して直ぐに俺の部下になっただろ。じっくり見てやったぞこの数年間。ふはははは!
時には飲みに誘ったり、いかがわしい店に誘ってみたり、女を嗾けてみたりしたが、こいつさ、ノリが悪くて超最悪。誘ったのを何度後悔したか。興が醒めるったらありゃしねぇよ。男ならさ据え膳くらい食うだろ? な? な?」
要と和佳に思いっきりジトリと見られているのは気にならないらしい。
「要からの前情報でヘタレだからって聞いてたから、どんな奴だろうって思ってたけど、和佳一筋だってことは分かった。ただ、どうしようもなく要領が悪いけどな。特に女が絡むとな。
だが、これだけは言える。総じて良し、だ。人間、多少の欠点があった方が面白いからな」
「た、多少の欠点って、いったい・・・」
確かに無理矢理色んなところに連れて行かれ、色んな人(特にその道のプロの女性)を差し向けられたり、勝手に連絡先を渡されていたりもしたが・・・。
まさか最初から俺のことを知ってのことだと思うと、腹の底から沸々と何かが沸き上がって来るものがある。
これじゃずっと騙されていたのと変わらないじゃないか。
「間近で見ていた従兄さんがそう言うのならそうなんでしょう。但し、結婚1週間で離婚した人の意見という事実は除けませんけどね」
「なんだとごらぁ!」
またまたチンピラ栄さんが垣間見えた。
俺だったら絶対ビビる。だが要はまったく意に介していないと言うか、相手にしていない。さすがだ。
「まぁまぁ従兄さん、半分冗談ですよ。従兄さんの場合は相手が一枚も二枚も上手の極悪だったんです。むしろ長く引きずらなくて良かったんじゃないですか。何事も経験です。失敗して人間は成長するもんです。
でも、強いて言うなら結婚する前に気付いて欲しかったですけどね。あの女、尻軽で阿婆擦れだということはその筋では有名な話で、従兄さんの身代目当てだということはありありと分かっていましたし。
まぁそこは恋は盲目と言いますから、従兄さんが気付かなくても仕方ないと言えば仕方ないんですけど。実際、あの女、人目の無い所ではさんざん僕にも色目を使って来てましたしね。うまいもんでした」
プルプル小刻みに震える様子の栄さんが何故か子犬っぽく見えるが決して可愛らしいわけではない。その証拠に、
「要ぇ、ぶっ飛ばす!」
意外と短気で暴力的だということも分かった。会社では気をつけようと肝に銘じたが、要はフンと顎をしゃくっただけだ。
「大昔の話ですよ、そんなに怒るとこじゃないと思います、大人げない。話が進まないから静かにして下さい」
ピシリと栄さんを黙らせた。
「でもね、恋は盲目とは里中さんにも言える事ですよ。
7年ですよ。7年あれば新しい出会いをしてすっかり姉さんのことや過去を忘却の彼方に放り投げて再出発だって可能な時間だと思うんですよ僕は。だけど、里中さんも姉さんも互いを忘れなかった。
里中さんなんか、女々しくもわざわざ虫除けに指輪なんかつけて。・・・あまり役に立ってなかったようですけど」
「何で知ってる? いつ見てたんだ? 会ったこと無いよな?」
要とは指輪をつけ始めてからほとんどあったことは無い、はずだ。
「まぁまぁ最後まで聞いて下さい。里中さんのお陰でうちの会社の膿を出す事が出来たんですから、感謝してますよ本当に」
そう言われて直ぐに一つ思いあたった。蓮川女史のことだ。確かあの時、社内で粛清があったと聞いている。その周辺で栄さんが忙しくしていたことと、やっと繋がった。
「姉さん、里中さんはね遊びで良いからと誘って来た女性を完膚無きまでに振ったんだよ。でしょ従兄さん」
「ああ。あの時は小気味よかったなー」
あの場面を思い出したのか栄さんは肩を震わせた。機嫌が戻ったようだ。あのことも、もしかするとこの二人のシナリオ通りに躍らされていたのかもしれない。
苦々しい気持ちで二人を見ると、要はうっすら口角を上げ、栄さんは腹を抱えながら笑っていた。
(くそっ! 知らないうちにとんだ茶番に巻き込まれてたんだな!)
「里中そんなに怒るなよぉ。あの時、お前のことを信用していたからこそ実行出来たんだからな。こっちにしても賭けだったんだぞ」
あはははと気軽に笑っていては、まったく事の重大さは伝わらないってことを学んだ気がした。
「まぁ仮にだ、うっかり蓮川女史の誘いに乗っていたとしても、和佳には言うつもりは無かったよ。だってさ功労賞だからなある意味。少しくらいいい思いをしても罰は当たらないって。いや、乗られるとお前も一緒に処分される可能性はあったか。ゴホン。だーかーら、本音では乗って欲しく無かったんだぞ。いちおう信用してたけどな。な」
栄さんの言葉が嘘っぽく聞こえて来るようになった。だんだん心が冷えて来る。
「乗って来ないお前に対してさ、女史がなりふりかまわず言い寄るところなんて実のところハラハラしてたんだ。俺だったら味見くらいするかなって、、、いや、えっとその、ちがうっ! そんな目で見るな!
和佳の恋が木っ端みじんになるかもしれないと、そのきっかけを俺達が作ったかもしれないなんて思ったらさ寝覚めが悪いだろ?」
(自分の心配かよっ)
神妙な顔をして話をする栄さんだったが口元がヒクヒク動いている。
(これは、あー、あれだ。楽しくて仕方が無いときの癖だ)
ボコボコと俺の腹の中で何かが膨れ上がる。
「要するに、俺の恋心を弄んだと、そういうわけですか」
「ははははは。弄んだ訳じゃないよ。利用させてもらったんだよ。会社のためにね」
「そんな!」
「まぁまぁ落ち着けよ。和佳の父親の会社だぞ。貢献出来たと思えばいいだろう。結果からいえばお前は女史の誘いに乗らなかったんだしさ」
「それはそうですが」
むっとして答えるが、栄さんには痛くも痒くもないようだ。
「うだうだとお前も大概しつこいよな。固いこと言うな過去の話だぞ。ああ、そうか。粘着質だったか。だから7年も一人の女に固執してたんだもんな」
「悪いですか? 栄さん、バカにしてますよね俺のこと」
「してないよ。偉いって言ってんだ。褒めてるんだぞ、偉い偉い」
「二回言ったし!! 全然そんな風に伝わって来ませんが!」
「それはお前の被害妄想がそう思わせているだけだ。
見ろよ、今、お前の側には和佳が居るだろ。全ての結果がそれだよ。それでいいじゃないか。ここで一番可哀相なのは要だぜ。究極のシスコンが涙をのんでお前に和佳を譲るって言ってんだ。それでチャラにしろ」
上手く丸め込まれた気がしてならないが、左腕で和佳を抱き寄せると、もう栄さんのことなんてどうでも良くなってしまった。ついでにちらりと要を見てやるとぐっと耐える様な顔をしている。
そんな彼を見て溜飲が下がる気がした。ついでに心の中で舌を出したのは内緒の話だ。
もう誰が何と言おうと和佳を手放す気はないんだから。
「ごほん。あー、そろそろいいかな」
医者がいいタイミングで割って入って来た。