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素直な言葉で  作者: ゆら
11/15

十一

 ようやく和佳の控え室のあるフロアに到達した。

 (さかえ)さんに教えて貰ったフロアまで何度も階段を折り返し登ったが、緊張も手伝ってか特に疲れは感じなかったし、途中、誰にも会わずに到達出来たのは幸いだった。


 廊下に出る前に貰ったパスを忘れずに首にかけ、ゆっくり扉を開く。扉の向こうの状況が全く分からずハラハラしたが無事に廊下に出れられた。ほっと胸をなでおろす。まずは第一関門は突破だ。


 しかしこれからが本番だ。これから本丸へと攻め入るわけで、否が応でも緊張が高まる。

 両手でペチっと頬を叩き気を引き締め直すと、中央にあたるエレベータホールへと向った。




 話し声が聞こえてきた。足を止め耳を澄ますと会話の内容からどうやらスタッフ達らしい。彼らとともに、少し前に和佳もこのフロアにある部屋に戻ったらしい。俺の居る所からは姿は見えないが、数人ってところだろう。


 このフロアには客室と呼べるものは和佳の控え室を含めて3つしかないと記憶している。見取り図を頭に思い描きながら、廊下の角からそっと顔をのぞかせてみた。少し遠目だがパーティ会場で見た人達が廊下に(たむろ)しているのが見えた。


 その彼らの居るところから最も近くにある扉が和佳のいる部屋だと見当をつけた。何らかの理由があって集まっているように見える。指示待ちだろうか。


 問題はどうやって中に入るかだ。

 方法を考えながら廊下の窪みに身を潜ませあちらの様子を伺っているとエレベータがこのフロアに止まった。廊下にいるスタッフと同じ関係者だろうと思っていたら、なぜか(かなめ)が降りてきた。


 和佳の弟だからと気付くのに少し時間がかかった。


 そっと様子を見ていると(かなめ)がこちらに意識を向けた気がした。咄嗟に壁にへばりつき息を殺した。

 はっきりと顔を向けられた訳じゃないが、何だかそんな気がする。正直、気のせいかもしれない。だが俺がここに忍び込んでいるのを完全に読まれているような気がして背中を冷たい汗が流れた。


 (かなめ)は昔から、(和佳)至上主義なところもある。和佳を守るためなら恐らくここで追い出そうとしてもおかしなことじゃない。じっと固唾を飲んで要の動向に集中し、同時に逃げる算段も考える。捕まったら警戒され、次へ繋げられなくなる可能性が高い。


 要は責任者らしき男性と会話を始めた。俺のことを伝えているのかと思い焦ったが、どうやら違ったらしい。責任者の指示で扉の前に居たスタッフ達が次々と散らばっていった。わずかに「休憩」と言っているのが聞こえた。


 恐らく和佳も既に部屋に入ったことだし、弟である(かなめ)と姉弟水入らずの会話でも楽しむから、今の間に休憩を取らせるということだろうか。そこは推測の域を出ないが、チャンスは今しかないと思い行動を起こした。


 廊下に生けてあった花を花瓶から抜き取ると、こころもち顔を伏せながら、でもパスは見えるようにして扉の前にやってきた。さっき要と話をしていた男性がひとりいるだけで要の姿は既に無かった。恐らく、和佳の部屋に入ったのだろうと思われる。


 (かなめ)と話していた男性は俺を見たが、パスをかけているからか咎めることも無く、奥の扉を入ったところに花を置いておくようにと指示を出され通ることが許された。あまりにもすんなり事が運び、逆に心配になる。手が震えてしまい掴んだドアノブから手が滑ってしまった。


 「どうした?」


 背後から低い声がする。


 「い、いえ、手が滑ってしまっただけです。失礼しました」


 大慌てで扉を開けて中に入った。


 驚いた事に扉を開けるとロビーと扉があった。見取り図には記載されていない構造に思わず足が止まったが、これがこの部屋の本当の扉なのだろう。他にはない重厚な雰囲気がある。


 ロビーを横切りノッカーを鳴らすと少し間をおいて男性の声での応答があった。英語だからきっとあのダークブロンドの男性だろう。

 花を持って来たことを告げるとカチリという音がする。解錠されたようだ。それを合図に扉越しに中に入るように指示があった。


 『失礼します』


 扉を開くなりまたもや驚きで息を飲んだ。

 そこには広々としたリビングが広がっていた。なにせソファセットが2セットだ。それでも窮屈な印象はない。下手をすれば都内の密集した場所に建てられている一戸建て住宅がすっぽり入るかもしれない。


 一面ガラス張りで部屋全体が明るい。晴れていれば遠くは富士山まで見えるだろう。だが今はそんな光景を楽しんでいる暇は無さそうだ。


 『花はそこに置い・・・おまえは!』


 見慣れた男性が姿を現し、こちらに向って鋭い声を発した。しかしそれをスルーし、取り乱すこと無く、予め指示された場所に花を置いた。他にも沢山の花や贈り物が置いてあり間違いようがなかった。その間は男性も黙って見ている。


 ゆっくりと向き直り男性と改めて対峙すると、どうやら相手も俺のことを覚えていたらしく既に警戒体勢だ。


 『何をしに来た。関係者以外は立ち入り禁止だ。すぐに出て行け』


 ちらりと関係者用のパスを見たようだが、恐らく俺のものではないと気付いている。


 『和佳に会わせてくれ。俺は、俺達は話をしなきゃいけない。彼女にきちんと伝え切れていないんだ』


 『駄目だ! 出て行け!』


 さっと部屋を見渡す。

 リビングの左右に更に奥に続く扉があるようだ。いったい和佳がいる部屋はどこなのかさっぱり見当がつかない。こうなれば・・・


 「和佳! 和佳! どこ?」


 俺はめいいっぱい空気を吸い込むと大声を出した。男は目を鋭くし、素早く手を伸ばして俺を捕獲しようと向って来た。


 「和佳! 少しで良い、話を、話をさせてくれ!」


 俺を取っ捕まえようと大きな体で俊敏に掴み掛かってくる男の腕をなんとか搔い潜り、逃れながら俺はなおも声を上げつづけた。

 すると奥の方で扉が乱暴に開けられた音がする。


 「里中君!」


 声のした方を見れば求めていた和佳の姿があった。だが、その姿はまるで・・・。


 「わ、和佳」


 泣き腫らしたような顔をしているのに気がついた。さっきまで気丈に笑顔を見せていたのが嘘のようだ。


 「和佳・・・ぐはっ」


 一瞬俺の全神経が和佳へと向いたその隙をつかれ、利き腕を背後に捻り取られ容赦なく顔から床に叩き付けられた。突然の痛みと衝撃で目がくらみ、呼吸が出来なくなった。額をしこたま打ち付けたせいで意識も飛びそうになっている。


 『ジェイミー止めて! お願い、お願いよ!』


 気がつけば和佳が必死に男を止めようとして、その腕にしがみついている。昔より長くなった髪が乱れている。そのくらい必死に訴えていた。けれど和佳ひとりくらいわけもないらしい。必死の彼女に対し『ワカ、危険だから離れていろ』と余裕で話かけている。その間、俺を押さえ付ける力は緩む気配がない。


 『ジェイミー、ストップ。離してやってくれ』


 今度は違う声が聞こえた。この場にそぐわないほど淡々とした口調だ。何も感情がこもっていない気もする。


 『責任は僕が持ちます、だから大丈夫。それに、こいつヘタレですからね』


 最後の一言は余計だくそっ、何とでも言いやがれと心の内で(かなめ)を罵る。


 「さぁいつまで床に這いつくばっているんですか、みっともない。勢いだけですかあんたは」


 全身筋肉男の重い体が退き、ようやく軽くなった体を起こす。あいつが上に乗っている間は全く体を動かす事が出来なかった。俺だってそれなりに鍛えているつもりだっのに、そのことが非常に悔しい。捩じり上げられていた腕が元に戻ろうとしてギシっと音を立てた。手首を軽く動かし違和感を振り払う。


 ジェイミーと呼ばれたダークブロンドの男性は、黙って壁にもたれてこちらを見ている。全く警戒は解いていないらしい。


 和佳は放心した状態でぺたんと床に座ったままだ。そっと手を伸ばしてソファへと座らせた。


 やっぱり泣いていたらしい。涙の跡もそうだが、赤みの強さがどれだけ彼女が泣いていたのかというのが手に取るように分かる。

 和佳は泣くと目の周りが赤くなる。暫くすれば赤みは消えるんだが、目の下のところだけは最後まで残っている。なぜ泣いていたのかその理由を知りたくなった。

 俺はポケットからハンカチを取り出し、そっと和佳の目元にあてる。


 「あ、ありがとう。ごめん、みっともない顔で」


 「みっともなく無い。むしろ俺の方がみっともなくて恥ずかしいよ。庇ってくれてありがとうな」


 和佳は俺のハンカチを嫌がることなく使ってくれている。両目を覆いながらも話を聞いていてくれたようだ。頭を振ってそんなことないと言っているようだ。そんな彼女に向けて静かに話しかけた。


 「和佳、話をする時間を作ってくれないだろうか、頼む」


 和佳はピクリと肩を震わせると、恐る恐るハンカチから目を上げた。涙に濡れた睫毛が俺の庇護欲をかき立てるが、すぐにその資格が無いと思い当たりぐっと我慢をする。


 「うんいいよ。今ならまだ大丈夫。『ジェイミー、少しだけ時間をちょうだい』」


 和佳がジェイミーへ声を掛けると、彼は不信感も(あらわ)に俺を見たが渋々頷いた。


 『ワカがそう言うのなら仕方ない。おい、お前、妙な真似すんじゃないぞ。ワカ、なにかあったら直ぐに呼べ、隣にいるから』


 『ジェイミーありがと。終わったら声をかけるわね』


 俺に対する牽制のためか、ジェイミーは和佳の頬に口づけ最後に俺をひと睨みしリビングを出て行った。目の前で起こった信じられない光景にショックを覚えた。気安い関係と見えたのは、やはりもう、そういうことなのかと気持ちが萎えてしまいそうになる。


 「姉さん、僕はここに居るからね」


 (かなめ)はソファに陣取り当然だとばかりに口を出してきた。


 「要?」


 「僕にはいちおうその権利はあると思いますけど? ねぇ里中さん」


 俺はゆっくりと頷いた。


 「ずっと要君に色々とお願いをしていたんだ。もし君さえよければ彼も同席させて欲しい」


 「そうなの? 全然そんなこと言ってなかったじゃない」


 和佳の責めるような声に要は軽く肩をすくめただけだった。


 「特に言う必要も無いと思って言わなかった。そうお願いされた訳じゃないしね」


 「要ったら、もう」


 どうやら要は俺の存在を和佳には伝えてなかったようだ。そうじゃないかとは思っていた。だが、要の言う通りそのことを頼んだ覚えも無いから、それはそれで仕方がない。勝手に俺が待つと決めたんだから。


 「だいたい僕は巻き込まれただけですからね」


 そう言って(かなめ)は俺を見た。和佳はそんな彼にちらり目をやって、不満そうにしているが、本当に要は俺のごり押しに仕方なく付き合ってくれていただけだ。

 俺は改めて和佳に向き直った。


 「要君の言う通りだよ。彼には和佳が帰国することがあれば教えて欲しいって、俺が、無理を言ってお願いしていたんだ」


 これ以上、要に類が及ぶのは本意じゃない。早めにちゃんと話をしなければならない、そう決意した。


 「不法侵入するようなことして本当にごめん。でもずっと会いたくてたまらなかったんだ。俺の浅はかな行動で君を傷つけてしまったにも関わらず、謝ることも償うことも出来なかった。あれっきりでずっと気になってた。ごめん。えっと、それで今日、ここに来たんだ。ああ、ごめん。もっとうまく話すつもりだったんだけど、ごめん」


 うまく言いたいのに、ごめんごめんと繰り返してしまう。そんな自分に呆れかえるが、所詮、これが俺の実力ってやつだ。ここ一番の大事な場面で、この(てい)たらくに、ほとほと嫌気がさす。和佳は怪訝な表情で俺を見ていた。


 「傷つけてって・・・、どういうこと?」


 和佳はコテンと首を傾げる。その様子にこっちが驚いてしまう。まさか忘れてしまったのか? 和佳にとっては、どうでもいいことだったんだろうか?


 全く見当もついていない様子に、むしろ忘れていたことを無理矢理思い出させてしまったんじゃないかと罪悪感を覚えた。けれど、もう口に出してしまった以上は引きかえせない。


 それに・・・、俺に向けての「幸せになって」というメッセージは撤回してもらわないといけないんだ。


 再びイヤな思いをさせるかもしれないが、俺の口からまだ一度も和佳に対して謝罪をしていない。何年経とうが、彼女が忘れていようが関係ない。


 「どういうことって、その・・・。先に謝っておくよ。また君を傷つけてしまうかもしれない」


 そう前置きをして彼女の様子を窺うと、躊躇いながらもコクンと頷いたのを確認した。


 「嫌なことを思い出させてしまうかもしれないけど、和佳が大学に来なくなる直前に喧嘩した時のこと・・・なんだけど」


 そう言うと和佳は少し考え込み「ああ、あのこと」と思い出したようだ。その表情を見つめながら、再び傷つけてしまうだろう言葉を口にした。


 「俺が・・・元カノと寝たことだ」


 和佳はハッと息を飲み、大きく目を見開いている。同時に(かなめ)の方から突き刺さるような視線を感じるが、いまは無視だ。あとで幾らでも殴るなり蹴るなりしてもらえばいい。


 「謝って済むことじゃないことは重々承知の上だ。あの当時、俺は君と向き合おうとしなかった。そればかりか、余所に目を向けてごまかそうとしたんだ。逃げたんだよ、結局は。バカな行動だったってずっと後悔してた。俺は君を傷つけた。軽率で、バカで・・・本当にごめん」


 生まれて初めて土下座をした。


 土下座をした時にさっき捻られた腕が少し痛んだが構わない。和佳の傷ついた心の痛みに比べたら詮無いこと。

 俺はひたすら額を床にこすりつけ続けた。自己満足と言われようと、7年目にしてようやく初めて謝れた瞬間だ。和佳にしてみたら今更と思うのか、未だに引きずっているかは分からない。けれど俺の精一杯の気持ちだった。


 「ちょっと待って! やめて! そんなことしないで!」


 和佳が俺の腕を掴んで頭を上げさせようとしている。けれど俺は上げる気はなかった。他のヤツにならこんなことしない、相手が和佳だからプライドなんか、かなぐり捨てられるんだ。


 「お願い里中君。これじゃ・・・話なんて、出来ないよ・・・」


 とうとう和佳は泣き出さんばかりの声で俺の身体を揺さぶった。軽く殴られた気もした。

 和佳が泣く。

 違う。泣かせたい訳じゃない。慌てて顔を上げると、治まりかけていた彼女の顔の赤みが復活しつつあった。


 「和佳・・・」


 俺の呼びかけに和佳はいやいやをするように首を横に振る。何か言いたいらしいが声にならないようだ。鼻の頭も赤くなって来てる。これは本格的に泣きだす直前の表情だ。


 「ごめん。俺は和佳を泣かせてばかりだね、ごめん」


 「ちが、ちがう、の。里中君だけが、悪いんじゃないの。ねぇ、今度は私の話も聞いて?」


 こんなことしないでと、乾き切っていない睫毛を揺らしながら、和佳は真剣な眼差しで俺を見つめた。俺は黙って諾の意思を伝えるしかない。


 「あのね、多分、私達、認識が食い違っているわ」


 和佳の言葉に俺は眉を潜めた。口を開きかけた俺に対し、和佳は発言を許してくれない。先にその場を制して話し始めた。


 「あのね、私の認識だと、もう、別れてたつもりだったの」


 のっけから驚いた。えっという表情のままで固まっていた俺を見て和佳は困った顔をしている。


 「あのね、元はと言えば、原因は私よ。留学したいけど、里中君とも一緒に居たくて、どうしたらいいんだろうって悩んでて・・・。でも、ちゃんと言い出せなくて、結果あなたを怒らせてすごい喧嘩しちゃったでしょ。そこで私達の関係は終わったって思ってたの」


 和佳の話に動揺を隠せない。俺はあの時、別れたつもりなんてなかった。ただ、ムカついて喧嘩して・・・。


 「今ならわかる。本当はまっ先にあなたに相談すべきだったのに、私が勝手に結論付けちゃった、一方的に・・・謝るのは私なの、ごめんなさい」


 だんだん和佳の声が小さく、消え入りそうになっていく。項垂(うなだ)れた彼女の姿を見て俺はたまらない思いにかられる。もうどんな表情を彼女に対して見せているのかすら分からない。ただ、俺の顔を見た和佳がばつの悪そうな表情をしているのだけが印象的だ。


 「そのあと、ほら、久しぶりにサークルのミーティングでね、里中君が食事に誘ってくれたでしょ? あの時は本当に嬉しかったの。あんな酷い別れ方をしたのに声をかけてくれるなんて、なんて優しいんだろうって。

 図々しいんだけど、あの時ね、少し、ほんの少しだけ期待しちゃったの。また、よりが戻せるんじゃないかって。でも、食事をしている時、里中君が何か言いたそうにしていたのに気付いたの。きっと言い出し難いことなんだろうなって想像もできた。咄嗟に聞きたく無いって思ったの。きっと私にとって嫌なことなんだろうって思ったから。

 だからわざと話をそらしたりしちゃったの。私ひどいでしょ? 今考えても自分でも嫌になるわ。聞きたく無いことには耳を塞ぎたいって思って、だから、あなたに発言する機会を与えなかったっていうか、わざとそうしてたの」


 和佳の告白に今度は俺が驚かされた。確かにあの時、言いかけようとすると和佳が次々に違う話題を持ち出してすぐに違う方向になった。結局は言い出せずじまいで、そのすぐあとに待っていたのがーーー


 「そ、そしたら、新しい彼女があなたを待っていたでしょ? やっぱりそうだったんだって後悔したの。結果が同じなら里中君の口から先に聞けば良かったって。

 食事して、そこで別れてさえいれば、彼女と直接顔を会わせるなんてことにならなかったのに、私、なんてバカなことしちゃったんだろうって・・・。

 目の前に現実を突きつけられて、動揺して、逃げた。先に話を聞いていれば、こんなにずっと後悔することなんてしなくて良かったのに。ちゃんと、ちゃんと祝福出来たかもしれないのに・・・。ちゃんと、お別れ出来て、一歩踏み出す事が出来た、かもしれないのに・・・、ひっく・・・だ、だから里中君が、謝る必要なんて無いの。だって、私達その時はもう終わってたんだもの」


 今度は彼女が頭を下げ「本当にごめんなさい」と何度も呟いている。


 俺はその姿を見て愕然とした。そして彼女もまた自分と同じようにあの時に心を残したままだったんだと気付いた。


 でも自分でも分からないけど、今の、彼女のこの姿は違うと何かが訴える。こんな姿を見たい訳じゃない、和佳が謝る必要なんて一つも無いはずなんだ。こんな態度をさせているのは間違いなく俺だ・・・。

 俺は焦った。バカみたいにどうしたらいいかわからなかった。だから心の中に湧いて来た違和感に従う事にした。


 「和佳、和佳・・・お願いだ、顔を上げてくれ。俺も話したいから、ね、顔、上げて、頼む」


 出来る限り優しい声で、俺の気持ちが和佳に伝わるようにと願い、声をかけた。


 そして、目の前にあるからつい・・・。


 条件反射のようなもんだ。

 学生の時にそうしていたように和佳の頭をポンポンと軽く撫でる。無意識な自分の行動に気付き慌てて手を引っ込めたが、和佳もまた以前と同じような表情をして顔を上げた。

 そのほんのわずかな一瞬、学生時代に戻った気がした。彼女の表情を見て、やっぱり和佳のことを好きなんだなぁとじんわりと温かい思いが込み上げて来る。


 曇りの無い澄んだ美しい瞳が俺を見ている。いまは泣き腫らした顔に加え罪悪感がその瞳から読み取れる。その揺れ動く瞳を見て、やはり和佳にこんな憂いは似合わないと思う。


 和佳を腕の中に閉じ込めてしまいたくなる衝動に駆られた。だが、そこは辛うじて我慢だ。すっかり習慣になってしまった深呼吸をした。


 それから和佳が涙を拭き終わるのを待って俺は口を開いた。


 「君と俺との認識のズレは理解したよ。でもね、ここで問題なのは、俺は、・・・俺の中では、まだ和佳とは別れていなかったってこと。だから、やっぱり俺は君を裏切ったことに間違いはないんだ。和佳が心の中に住んでいるのに、乱暴な感情に任せて君を裏切った」


 いまだ俺を見つめてくる真っ直ぐな瞳から目を逸らすこと無く言い切った。和佳が何か言いたそうに口を動かそうとしたから先に口を開いた。


 「俺こそ、まずは和佳と向き合わなきゃいけなかった。君が言い出し難くかったのは、俺が君の信頼に足りる人間じゃなかったってことだよ。

 俺だって信用していないやつに、悩みなんか話さないよ。特に人生を左右するような重大なことはね。

 それに俺は気付いていたんだ。君が何か悩んでいる事をね。だから、だから俺が君の言葉を待つか、話してくれる環境を整えなきゃいけなかったんだ。そうすれば、きっと俺達は上手く、・・・上手く関係を続けていけたはずなんだ。たとえ超長距離になろうとね。でも俺達は未熟だった。互いに甘えていたのかもしれない。けどやっぱり言葉が足りなかった。そうだよね? 和佳」


 濡れた睫毛でぱちくりと瞬きをしたあと、和佳はゆっくりと頷く。


 「だから、やっぱり俺が悪い。俺は浅はかにも浮気をした。安易な方法に逃げた。だから、・・・だから謝るのは俺の方なんだ。自己満足かもしれない。詭弁かもしれない。けれど、やっぱり謝りたい。謝らせて」


 今度は土下座じゃなく、その場で頭を下げた。すると頭上から、すぐ間近なところから和佳の声が降って来た。


 「どうして、そこまでするの?」


 その声は不思議そうで、何の裏も考えてなさそうで、純粋な和佳の疑問だった。俺は頭を元に戻しながら言った。


 「・・・だって、俺は」


 先を言うべきか逡巡する。向こうのソファでは(かなめ)がじっとこちらを見ているのが分かる。俺がこれから言う言葉を予測して、きっと般若のような顔をしているだろう。だが、7年分の気持ちに嘘偽りは無い。


 「和佳のことが好きだから」


 和佳が大きく息を飲んだ。


 「ずっとずっと好きだった。離れている間もずっと変わらず」


 続く俺の言葉に和佳の目が最大限に見開かれる。


 「今も・・・好きだ」

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