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素直な言葉で  作者: ゆら
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 彼女の表情が固まり、次いでくしゃっと歪んだ。まるで泣き出す直前のような顔に俺は己の間違いを最大限に呪った。


 「あ・・・」


 彼女はそれでも何か言葉を発しようとしていたが、結局は何も言わず駆け出してしまった。その時、一瞬だが、一粒の大きな涙が零れ落ちるのを見てしまった。


 (俺が、俺が泣かせた。俺が・・・彼女を傷つけた)


 彼女の涙を見た事で心臓が締め付けられ、彼女の痛みをダイレクトに感じた気がした。


 「ま、待って! 待ってくれ!!」


 今彼女の手を離したらもう二度と俺の下には戻ってきてはくれないと瞬時に理解し手を伸ばした。だが、何かが俺の体を掴んで離さない。重い、重い、まるで俺の罪の重さそのままだ。それでも必死に手を伸ばした。


 「行くな! 和佳!!!」



 


 「和佳!!」


 俺は飛び起きた。


 「くそっ! またあの夢か」


 全身汗だくで、肩で息をしながら頭を抱え込んだ。

 俺の心にいまだ奥深く住み続ける彼女との別れに後悔しない日は無い。こんな夢を見るくらいだ。


 「いいかげん、俺もしつこいよな」


 自嘲する声を発した事で、喉がからかになっているのに気づき、俺はキッチンへ向かった。





 あれからもう7年が経つ。

 俺はあの日以来、ずっと後悔し続けている。

 あの日、いや、その前の、二人の初めての意見の食い違いで俺が感情的にならなければ、浅はかな行動をとならなければ、きっと今頃は、俺達は、二人一緒に今でも居られたかもしれない、と。




 喧嘩のきっかけは、もう、何が問題だったのかすら忘れてしまったくらいに、ちょっとしたことだったと思う。



 念願の大学に入って、サークルに入って、一人の女の子が気になり出したのは本当に直ぐだった。周りの子達が派手目な(なり)の中、一人自分のスタイルを貫き通す、綺麗なバージンヘアをしたその子は、癖のないサラサラな髪で、大人しめだけれど、確固たる何かを持ち力強くまっすぐな瞳をしていた。

 それに気がついたのは、ちょっとしたきっかけだった。


 彼女は身なりも性格も大人しく、また、目も伏せがちだったけれど、サークルの話し合いの時、まっすぐに自分の意見を発言する時のその姿勢や瞳が自信に満ちあふれていて、目が会った時、思わず吸い込まれそうになった。

 何が議題だったのかは忘れたけど、否定的な意見ばかりの中、彼女は真反対の肯定する側から意見をぶつけた。往往にして、皆がそのグループのリーダー的存在の意見に流されそうになる中でのその彼女発言は新鮮で、俺の心に深く印象を落としたのは間違いなかった。それが恋だと気付く前に俺の心臓は反応していた。


 その日の夜、LINEでサークルの連中が色々と呟いていたけど、実はあの時、自分もそう思っていたんだとか、書いているやつらもいたけど、だったらLINEじゃなくて、その時に発言すりゃ良かったんじゃね、と俺は思ったが、ああいう場で発言して目立つとあんまりね、という声もぽつぽつあった。

 だから、彼女のあの態度はすごく驚いたと言っていた。


 何かあれば意見として言うのではなく、こうやって顔が見えない状況下で好き放題勝手放題責任なんて関係ない発言を繰り返し、結局、あの話し合いは何だったんだと言うことになっているのが常だ。

 ややもすれば、このLINEで全てが決まってしまう。


 俺はそういう大多数の一人だった。


 相手の顔の見えないところが気に入って、気楽に、何にも考えず、短絡的にぽんぽん返信スピードだけを気にして仲良しごっこをしていた。


 次のサークルの集まりの時、やはりというか、LINEで決まった事が全てだった。彼女の意見は無い事になっていた。


 彼女の反応が気になり、ちらりと様子を見ると、僅かに瞠目して強ばる表情があった。引き結ばれた形の良い唇が、キュッとさらに引き締まったのに気付いた。

 そして彼女は静かに下を向いた。


 俺は、罪悪感でいっぱいになった。今にも彼女が泣き出すんじゃないかとそればかりが気になった。


 その日のLINEでは、彼女の話題があった。


 同じ女子から、否定的な意見が出ていた。俺はその話題の行く先をじっと静かに見ていた。優等生ぶって気に入らないというのが大方の意見だった。

 サークル内で話をしている場面を思い出してみたが、彼女は和やかに応対していたと思う。相手を否定せずにきちんと話を聞いた上で、話をしていた。

 それがどうやら他の女子達と温度差があるようで、否定的な意見に繋がっているようだ。


 結局のところ、だから何だったんだと、その日は終わった。


 彼女を思い出すと、誠実、まじめ、謙虚、軽々しく自分の事を話さないし、誰かの何かの否定的な意見を言っているのを聞いた事がない。そして、よく本を読んでいた。


 俺の周りでそんなに本を読む知り合いは居なかった。ファッション系の雑誌はよく見かけたけど、本を手にしているのは誰一人いない。俺もその一人だ。情報はネットから拾えば良いと思っていたし、ネットの情報が全てだと勘違いしていたことも大きい。


 俺はレポート提出や試験の時にもそれで何とか通して来たが、彼女は図書館に通っていた。時々、彼女のバッグが一つ増えていて、その中には図書館で借りた本が入っている事にも気付いた。


 夏休み前の試験では、なんとか乗り切れれば良いと考えていた。真っ正面から本題について考えてはいなかった。要領よく、先輩から情報をもらって適当にやっていた。それでも成績はかなり良かった。


 夏休みは仲のいい友達と色々遊んだし、バイトもした。適当に女の子とも付き合ったけど長続きはしなかった。お互い遊びだと割り切っていたから後腐れが無くていいと思った。


 バイトと遊びを中心に、時々サークルの仲間と遊びつつ、特別良い思い出も無い代わりに悪い思い出も無い。ただ、大学一年の夏休みを過ごした。その間、彼女のことは思い出しもしなかった。


 夏休み明けの初のサークルの集まりに参加した時、彼女が一人浮いているのに気がついた。特に服装や何かに変化があったわけではなさそうだが、明らかに周囲の女子は彼女から離れている。後でその理由を知ったけど、どうやらLINEに参加していない彼女だけハブられているようだ。


 彼女は人の目を見て話す。しかもかなり真剣に。真面目な話しかしない訳じゃない。ちゃんと冗談も言えるし、常に笑顔だ。

 けれど他の女子達はそれに慣れていないようで、気持ち悪いと言っていた。それとテレビの話やファッションの話にはかなり疎いらしい。誰かが、家でいつもどうやって過ごしているのか聞いた所、本を読んでいると答えたそうだ。




 しかし、サークル内の雰囲気が違うのは彼女だけじゃなかった。どうやら夏休み中にカップルになったやつらが居るらしく、サークルよりそっちを優先にするようになった。

 まじめにサークル活動をしているグループと、既に遊び感覚になっているグループ、大別してこの二つに別れている。もちろん彼女は前者だ、俺も比較的前者に部類だが、遊びに誘われれば付いて行った。


 学祭のテーマ選びの時にも、以前のような意見の対立があった。彼女はメンバーの前でハッキリと自分の意見を言うが、大体の奴らはその後のLINEで話した。そして彼女の意見は無かった事になった。


 それでも参加する彼女は、決まった事に文句も言わずに積極的に参加した。そこでたまたま俺と作業をすることになって、ようやく話すきっかけができた。


 正直言ってとても新鮮だった。


 これまで付き合った事のある女の子達とは全く違う。

 ただ見ていただけだった時とは違い、よく笑うしよく喋るし、何よりも俺のつまらない話でもちゃんと聞いてくれた。くるくると代わる表情を見ているだけで飽きる事がなかった。俺の心臓が彼女と居るときだけ明らかに違う動きをするのに気付いたのはそれからまもなくだった。


 夏休み、何をしてたんだと聞くと、スイスに短期留学に行っていたと答えがあった。インターンシップに参加したそうだ。俺には考えも付かなかった事でかなり新鮮なこととして驚いた。その時の話を楽しそうに話す彼女はとても生き生きとしていて、本当に楽しかったんだろうと思った。俺も知らず知らずのうちに、笑顔になっている事の方が多くなっていた。


 彼女の話し方、声のトーンどれもが俺の心に沁み入って来た。


 俺達は学祭をきっかけによく話すようになっていた。サークルでは常に一緒に居た。彼女は誰に対しても態度を変えない。俺はそれがちょっと残念だった。俺と二人で話をしている中に誰かが割り込んで来ても、俺に向けられた笑顔はそいつに対しても全く代わらずで、面白く無かった。


 彼女は派手なヘアスタイルではないし、化粧もほとんどしていない。だからか、黙っていると固い真面目な優等生とみられがちだが、その実態は本を沢山読んでいるせいか、話題も豊富で、聞き上手だし、(あい)の手も実にタイミングが良かった。話しているこっちがどんどん楽しくなる。


 その事をようやく周囲の人間が分かり始めて来た時、俺は焦った。派手ではないが、彼女は見た目は楚々として美しい部類に入る。透き通った白い肌、綺麗な鼻梁、意志の強さを秘めた黒目がちな瞳、口紅を塗らない綺麗な薄桃色の唇・・・。それが誰かのモノになるのかと思うだけで、心にどす黒い何かが産まれた気がした。


 相変わらずLINEでは彼女の悪口があったが、もう、そんなのはどうでも良かった。既読にすらせず、放置していた。そう言う事を言う奴らは、実態を知ろうともしない、想像の域を出ない話だと分かったから。また、どうやら彼女に嫉妬しているんだろうと思われるものも多くあった。

 だが面と向かっては言わず、こうやってLINEでコソコソと顔の見えない相手に話しているだけだ。そして同類同士徒党を組んで彼女をのけ者にして楽しんでいる下の下の奴らだ。そして俺も同類なのかもしれないなと、一人冷笑した。




 俺は決心した。


 彼女に告白しようと。


 付き合おうと言うのも言われるのも慣れていたが、俺はいつになく緊張していた。


 いつも彼女が図書館を出る時間にエントランスで偶然を装って待ち伏せをした。そして、歩きながら話をした。


 果たして、彼女は、戸惑っていた。

 初めて見せたちょっと困った顔が何とも俺の心をくすぐった。快い返事を最初から期待していた訳じゃない。だが、どうして駄目なのか聞きたくなった。すると彼女は顔を真っ赤にして答えた。


 「あの、ね、その、男の人と付き合うって、その、その先の事も考えると、えっとね、えっと・・・」


 彼女の言わんとしている事が分かり、


 「そう言う関係には、なりたく無いと?」


 俺が彼女の言葉を繋ぐと、彼女は力強く頷いていた。


 「お、男の人って、そういう関係も望んでいるんでしょ? 私、無理、かも。だから、里中君に迷惑をかけるかも」


 彼女は首まで真っ赤になっているが、かなり頑張って言葉を紡いでいる。俺はそれを邪魔したく無かった。


 「あの、ね。その、あなたことが嫌いな訳じゃないの。ただ、自分に責任のとれないことは、し、したくないというか、まだ自分で働いているわけじゃないし、その、もし、万が一のことを考えた時、私、一つの命に対して責任をとれる自信が無いの」


 要するに、彼女は肉体関係の次には妊娠と理解し、妊娠した場合のことまで考えていた訳だ。

 俺は内心がっかりするのと同時に安堵感も広がった。とりあえず、俺が彼女の彼氏となれば、他の奴らが彼女に手を出すチャンスは極々少なくなる。彼女はきっと誰ともそういう関係にはなりたくないだろうから、よっぽどの事が無い限り、彼女は誰の物にもならない。少なくとも俺達が付き合っている間は。


 俺は短い時間で考え、彼女に笑顔を向けた。


 「それでいいよ。君の気持ちを尊重するよ。何もセックスだけが男女の付き合いじゃない。俺達は俺達なりの付き合いをすれば良いと思う。

 俺は君と話したり、一緒に過ごす時間がとても好きなんだ。だから、俺の彼女になって」


 彼女は真っ赤な顔をしながらも、うんと頷いた。


 俺が彼女と付き合い始めた話はあっという間に広がったようだ。特に自分たちから言った訳じゃない。けれど、やっぱりそう言う事は雰囲気で分かるらしく、まぁ、彼女と過ごす時間が増えたから、というのもあるだろう。大学のある日は毎日一緒にランチをするし、空き時間があれば大体一緒に居るし。


 「お前らさ、いまどき見ない爽やかカップルだよな」


 何をさしてそう言っているのか分からないが、大体の察しはつく。言っておくが、俺はそう言う事を容易く人に話す性格じゃないし彼女は全くそう言う事に免疫が無いから、この意見もきっと色々な憶測から出て来た話なんだろう。


 「そうか? 普通にまじめにつきあっているだけだよ」


 サラリと返すと相手は渋い顔になった。


 「俺、ちょっと狙ってたんだよな。ちゃんと見るとさ綺麗な顔しているし、意外と出る所はしっかり出てるし、腰のラインは細いし、いわゆるスタイルが良いし、きっと抱いたら最高にいいんじゃないかって思って・・・でっ。何すんだよ」


 思わず先に手が出てしまった。彼女を見てそんな妄想をしていたのかと思うと、彼女が穢された気がして気がつけば相手の頭をしたたかに殴っていた。


 「彼女は俺のもんだ。そんな想像すら許さん」


 「お前、、、そんな性格だったか? 少し前まではとっかえひっかえしてただろうが」


 「・・・過去の話だ。それに彼女はこれまでの奴らとは違う。俺は大事にしたいんだ」


 「へーへー。変わるもんだねぇ、モテ男の異名をもつお前がさ。女子達が悔しがってたぞ。寝暗子に取られたって」


 「だれがネクラだ。その逆だ。ったく外野はすっこんでろ。想像の域を出ないで噂ばっかりのやつらの話なんて聞くだけ無駄だ」


 時々、こうやって誰かが俺達の関係を確認しにやってくるが、その度に追い払った。


 「やっぱり里中君は人気者ね。女子達が騒ぐはずよ」


 ある時、彼女がそう言った。俺は珍しいなと思って彼女を見ると、彼女はハッとなって口を手で塞いだ。


 「何か言われたのか?」


 「ううん、違うの。このサークルに入ったのはたまたまだったんだけど、そこでね、女子達が騒いでいたの。カッコいい男の子が居るって。それがあなただったわけ」


 「和佳(わか)は気になった?」


 「皆が騒ぐから気にはなったけど、ごめん、まだ全く意識してなかったから、そんなもんかと思ってたの」


 素直に言葉にする和佳はかわいかった。彼女は嘘を嫌う。嘘を言うくらいなら黙っている方を選ぶ。だから、嘘を言わずに正直に言ってくれた事が嬉しかった。

 付き合っていなかったら、きっとその事には気付かなかっただろう。


 「今は?」


 自分でもきっと今の俺の顔は人の悪い表情になっていると分かっているが、聞かずにはいられない。和佳を真正面から見つめながら問いかけると、おもしろいように頬を赤く染めて頑張ってくれる。


 「え・・・と、い、今は、カッコいいと思う。素敵だなって。私には過ぎるくらいだって時々思っちゃう。だって、この前のバレンタインデーの時、凄かったもの。ね」


 「・・ああ、あれか」


 義理がほとんどだろうが、両腕に抱えきれないくらいのチョコを貰った。それを持っているのを和佳に見つかって、目をパチクリして素直に驚いていたのを思い出した。


 「和佳は、嫉妬しないの?」


 「嫉妬? ・・・しないわけないじゃない。里中君はいまだに告白とかされているじゃない。私の彼はとってもモテるヒトだから、仕方ないとは思うけど、ね。でも、ちょっとね・・・」


 「知っていたか」


 和佳は悲しげな笑顔で頷いた。


 俺が和佳と付き合い出してからも、度々、いや、わざわざというか、挑戦的に告白している女子が増えた。彼女らが揃って口にするのは、和佳は俺には相応しく無いと言う。もっと明るくて、洒落た子の方がいいとアドバイスをくれた事もある。


 「全部断っているよ。俺には和佳がいればいいから」


 「ありがと。嬉しい」


 俺達には肉体関係はなかったが不思議と俺はそれに満足をしていた。

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