4.最初の攻防
パタリ、と執務室の扉が閉じた瞬間、堪え切れないといわんばかりにウィルヘルムは吹き出した。
胡乱げに見やるシャーロットの肩を抱き、ずるずると頬ずりをする。
「最高だよもう!見た?あの恐怖に慄く顔!本当に傑作だよ、僕の可愛いシャーリー!」
「ちょ、やめ・・・・ウィル、邪魔!」
「・・・・・・・・・・・・・でも、灰色姫っていうのはいただけないな。僕の可愛いシャーリーを貶めるなんて許せない」
「わかった、わかったから!」
黒い笑顔で「ねえ、シャーリーはあの衛兵にはどんな罰が相応しいと思う?」などと聞いてきながら抱きつくウィルを何とか剥がし、殿下に礼をした。
殿下はどこかげっそりとした、それでいてなんだか諦めた顔でソファに座っている。
「殿下を前に、申し訳ありません」
「いや、もう慣れてる。学校の寮でも、家族から手紙が来たときは大抵そんな感じだったからな」
「はあ・・・・・そうですか」
手紙に頬ずりしているウィルヘルムが容易に想像できてしまい、シャーロットは少し渋い顔になってしまった。
あまり、想像したくない。
思えば、小さい頃からシャーロットや末の双子にはとにかく過保護で、何かと五月蠅い兄だった。
職場が近くなる、というのは、シャーロットにとっては最大の弊害かもしれない。
「まあ、座れ」
殿下の言葉が合図になったのか、シャーロットが座ると同時に紅茶や甘い香りのする菓子が次々と運ばれてきた。
ウィルヘルムがにこにことしたまま、シャーロットの皿に菓子を盛り分ける。(兄は恐ろしいことに私の好みも熟知している)
それをありがたく受け取ってから、先ほどから思っていたことをシャーロットは殿下にぶつけることにした。
「なぜ、傍観していたのですか」
「ほう、なんのことかな」
「先ほどの衛兵との一件です。一部始終を陰からご覧になっていたでしょう」
「気づいていたのか」
騎士団のサロンを出たときから、微かに背後に気配を感じていたのだ。
先ほどの一件で、あっさりと殿下が引き下がったことといい、明らかに故意に作られた状況だったのは確かだった。
すごいな、と素直に殿下は称賛し、紅茶を口に含んだ。
称賛されたとはいえ、踊らされるというのはあまり気持ちのいいものではない。
思わず眉間にしわを寄せて、シャーロットは黙り込んだ。
「実はまあ・・・・試していた」
「直属となった騎士団の実力を?・・・・ああ、違いますね」
「ふむ、話が早くて助かる」
それなら数々の実力を諸外国に示しているし、シャーロット1人にけし掛けるというのも変な話だ。
つまり、シャーロットのみが試されていたのだ。
王宮内の『誰か』とやり合うと想定された場合の、シャーロットの行動を。
「では、単刀直入にお聞きします。私は何をすればよいのでしょうか」
その言葉に、殿下はぐっとソファから身を乗り出し、向かい側の席に座っていたシャーロットの手を握った。
突然のことに、ぎょっとして反射的に手を引こうとするも、がっちりと掴まれて失敗に終わる。
しょうがないので、口で訴えることにした。
「殿下、私の手がどうかしましたか」
「・・・・・・。次期陛下である俺に手を掴まれて、喜ばないのはお前くらいだな」
「私は嫁ぐということに興味がありませんので。このままでは話しにくいのでは」
「・・・・あのなあ。女なら少しは興味を持てよ」
「私は生涯騎士であることを王宮に誓っている身ですので」
「おまっ・・・騎士と修道女を一緒にするな!」
「とにかく離してください」
手を掴んだまま、攻防を繰り返すディオンとシャーロットに、ウィルヘルムは堪え切れずにくつくつと笑った。
思わず殿下と口論してしまったことにシャーロットはハッと気づき、「申し訳ありません」と形ばかりの謝罪を行う。
それにカチンときたのか、殿下も「・・・許す」と抑揚なく返し、ふふんと馬鹿にしたかのように笑った。
シャーロットの顔がひんやりとしたものに変わり、部屋の温度が一気に下がる。
次期陛下と騎士は静かに怒りを抑え、しばし睨み合っていた。
「ま、これだけ打ち解けられるなら問題ないでしょう」
「いや、大有りだ!可愛げがなさすぎる!」
ウィルヘルムはディオンの返答を聞き流し、シャーロットをまっすぐに見遣った。
す、とシャーロットの背筋が伸び、ひんやりとしていた顔が真剣味を帯びる。
こういう切り替わりの早さを、ウィルヘルムは気に入っていた。
「一年後、戴冠式が行われるのは知っているね。それまでに、たくさんの下地を固め、不安要素は排除しなければならない」
「はい、承知しています」
「この第二王子ディオン次期陛下の身の回りも物騒になるだろう。暗殺を狙う者もいるだろうし、取り入る者もいるだろう」
そのために第三騎士団は王子直属になったのだ。
シャーロットは、自分に何を頼みたいのだろうかと首をかしげた。
話はここからだ、と言わんばかりに、ウィルヘルムがウィンクをする。
「さて、問題は取り入る貴族たちのほうだ。厄介なことに、娘を殿下の花にしたい貴族がいっぱいでね」
「はあ・・・・・・」
「たとえ仕方のないことだとしても、戴冠式に向けてこちらとしてはやらなければいけないことはたくさんあるし。そんなことに時間や労力をとられたくないというのがこちらの殿下の本音でね」
「それは・・・・そうですが」
殿下の妻になれば、その貴族の繁栄は約束されたようなものだ。
ディオン次期陛下は23歳と若く、甘い美貌のお陰か、当然群がる貴族は多い。
夜会に出席すれば多くの娘が群がり、殿下に特定の相手がいないとわかると娘の絵画をこれでもかと贈る。
挙句の果てには強行突破とばかりに、用意された寝室に裸の女が待ち構えていたり、転んだふりをして殿下にしな垂れかかって香水に混じった媚薬を吸わそうとしたりと、もはや殿下の命にかかわってくる状況なのである。
シャーロットは思わず、殿下に同情してしまった。
確かに執務で疲れた体に、そんな状態がのしかかるというのはあまりにも不憫である。
「つまり、どうしろと」
「簡単なことだよ・・・・・シャーリーが協力さえしてくれれば、ね」
シャーロットは、ああ逃げられないと悟った。
最初から退路を断ち、最終的に1つの選択しか与えない。
にこにこと黒い笑顔を浮かべるウィルヘルムは、まさしく次期陛下に相応しい次期大臣だ。
「僕の可愛いシャーリー、次期陛下のために恋人になってあげてくれ」
そして、確実にシャーロットにとっては悪魔だった。
いや、シャーロットにだけではなく、「言ってしまうのか・・・」と小さく呟いた殿下に対しても、というのが本当だろう。
かくして、シャーロット=イーデン=グレンヴィルにディオン次期陛下の恋人という大きな大きな任務が課せられたのである。
そう、恋人!・・・のふり!!
これこそ王道ですよ。ね!!!!
すでに仲が悪くなったのに、提案するお兄様は非常にS。
殿下の中では、シャーロットの第一印象あんなによかったのに・・・。