2.始まりは執務室より
「はあー・・・・・」
一人の青年が大げさにため息をついて、こめかみを揉んだ。
王宮の中でも、さらに奥まったところに位置する部屋の扉の前に青年は立つ。
そう、第二王子ディオン次期陛下の執務室だ。
扉の前に立つ衛兵が何事かと不審げに見ているが、そんなことを気にしていられないほど青年は疲れていた。
手には報告書が握られている。
そこには、先日の夜会での出来事が事細かにつづられていた。
「まったく、本当に面倒なことをしてくださる・・・・」
青年――ウィルヘルム=レイド=グレンヴィルは暴れたい衝動を抑え、静かに扉を開いた。
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「おはよう、シャーロット!今日も良い天気でなによりだ!」
「ああ、うん、おはよう。団長殿」
第三騎士団の朝は早い。
日が出る前に出立し、王宮中をくまなく巡回し異常がないかを確かめる。
鍛錬も毎日欠かさず行い、王宮からの警戒伝令に備える。
そうして、騎士団の1日は過ぎていくのだ。
シャーロットは特に出立が早く、毎朝一番乗りしては騎士団のサロンを掃除するという作業が日課になっていた。
(ちなみに、少し前に名前のない下着を扉にぶら下げていたら部下に泣かれた。なぜだろう、わかりやすいと思ったのに)
唯一の女性であるシャーロットが掃除するからか、昔に比べてサロンが雑然としなくなったとキースは喜んでいたが。
「昔のようにキースと呼んでくれといっただろー、あいかわらず冷たいなシャーロット」
「昨日の夜会はまったく参ったな、団長殿。殿下の機転のおかげで助かったが、公爵のお遊びにも困ったものだ、なあ団長殿」
「・・・・・・・・わざとか」
「わざとだ」
いい歳した大人が涙目、という絵はなかなかにコメントに困るものがある。
シャーロットはじろりとキースを睨み、ため息をついた。
「もっと困るのは殿下だがな。ウィルの胃に穴が開きそうで至極愉快だ」
「こわ・・・シャーロット、顔が怖いぞ!いやはや、しかし、殿下のお言葉には驚いたなあ」
グレーブス公爵の言葉に逃げられないと思ったのか、第二王子ディオン殿下は第三騎士団の前に立ち、こう言い放ったのだ。
『此度の、他国の侵入者の排除については非常によい働きをしたと思っている。そうだな・・・では、今日からこの私、第二王子直属の騎士団となることを命ずる』
『えっ、いえ・・・・あの、殿下!?この者たちは、殿下の出席なされた夜会を台無しにしたのですよ!?』
『至急と言ったのだろう?ならばしょうがない。最近私の周りも物騒でしょうがないからちょうどいいだろう。どうだ、騎士団長』
『この第三騎士団、殿下の御為とあらば喜んで』
キースはホール中に響き渡る低い声で、返答した。
シャーロットが若干不機嫌なオーラを出しているのが怖かったが、王子の命令を断るすべなどない。
『第三騎士団と私を引き会わせてくれたグレーブス公爵には感謝する。そなたの働きは後に評価されるだろう』
『は、・・・・・私の行動はすべて殿下のためを思ってのことですよ。殿下のお役に立てることが私の喜びですハハハハハ』
シャーロットの不機嫌オーラが増したのに気づきもせず、グレーブス公爵はいけしゃあしゃあと言い、ほくほくと帰っていったのだった。
キースはシャーロットにおびえながらも、王子の頭の回転の速さには驚いた。
後に評価されるだろう、という言葉は嘘ではない。
第三騎士団が粗相を犯せば公爵の重大な責任となるし、「のち」という言葉がいつか、などという期限は存在しないのだ。
つまり、別に評価はしていない、という王子からの痛烈なお言葉だった。
だがそれは公爵に対してだけではない。
第三騎士団に対しても、というのが何とも苦々しかった。
■■■
「おはよう。どうした、ウィル。顔色が悪そうだが」
にやにやと笑いながら開口一番そうのたまった王子に、ウィルは「殴っていいかな・・・」と右手を握った。
それを見て、すぐさまディオンが「冗談だって!!」と訂正する。
この優秀な側近は案外容赦ない。
「報告書を読ませていただきましたが、なんですかこれは。どうしてこんなことになったんですか、ああいいです言わなくて。全て報告書にあったので。そうじゃなくてですね、」
「あいかわらず、口うるさいな」
ぎゃあぎゃあと怒るウィルを尻目に、昨日のことを思い出す。
あの「灰色」に興味を持ったからあんなことを言った、ということについては否定できない。
一度見たら忘れられない、あの美しい瞳をもう一度見てみたいと思ったのだ。
第三騎士団は荒々しく実戦専門というのがもっぱらの評判だが、昨日見る限りではマナーに欠けている様子もなかったし、所作も悪くなかった。
平民出身の者がいるのも事実だが、しっかり訓練されているのだろう。
「1年後には戴冠式もあるし、そのことで周囲も騒がしくなる。他国にその名が轟く第三騎士団が傍にいれば多少の牽制にはなるだろ。それに、いい人材もいる」
「・・・・・もしかしてシャーロットのことですか」
「ああ、あの灰色のことか。そういえば、妹にあたるんだったな」
あの美貌なら今度の計画に最適だろ、と言えば、ウィルは苦々しい顔に変った。
妹たちを溺愛している、という噂を聞いたことがあるが、どうやら本当らしい。
グレンヴィル家は母親が違うわりに仲がいい、というのは有名な話だ。
「シャーロットはそれが騎士としての責務にあたるなら拒否はしないと思いますよ。もちろん私も」
「・・・・・なんだそれ」
ウィルは「それがグレンヴィル家の鉄則でね」と付け加えて、苦笑した。
その苦笑する顔は「これ以上踏み込むな」という警告であると知っているので、ディオンもおとなしく口を紡ぐ。
(・・・・・・・・これでやっと戴冠式までの道が整った)
揃えるべき駒は揃えた。
あとは、自分の器量と運にかかっている。
さらりとした灰色の髪をふと思い出し、ディオンは思わず笑みを浮かべた。
「・・・・・・・・・シャーロット、か」
来たるべき日にそなえ、それぞれが動き出す。
戴冠式まで、あと1年。
ウィルとディオンはご学友なので仲が良いです。
仲のいい主従っていいよね。
ほんとうは、公爵の手引きで夜会に賊が侵入してきて、ディオンをシャーロットが守る、という筋書きを考えていたのですが・・・・
書いてる途中に、誤操作で・・・消えてしまい・・・・
この筋書きとは縁がなかったんだとあきらめました。諦めって大事。