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16.猶予

「じゃあ、さようなら!」


トール=ヴェニエスを騙る偽者は、片手で容易にシャーロットの両手を拘束したまま、もう片方の手でナイフを振り下ろした。

細身の体のどこからこんな強い力が出るのか、拘束の手はゆるむことはない。

しかし、それでもシャーロットは抵抗することなくじっと、刃先を見ていた。

磨かれた刃先に映る、醜く歪んだ男の顔を。


(罠に、かかった)


ぞわり、とシャーロットの中の何かが蠢いた。

獲物を定めて、歓喜する獣がのそりとシャーロットの中で起きる。

じわじわとシャーロットを侵食する快感を抑えて、シャーロットは刃先が体に触れる直前にわずかに体をずらした。


「セルタ!!」


瞬間、刃先がシャーロットの左肩を僅かに掠めて地面に突き刺さった。

シャーロットのよく通る声が響くのとほぼ同時に、男がうめき声をあげてシャーロットから手を放す。


「・・・っ!」

「どうしたんだ、トール殿?私を殺すのでは?」

「っ、なんで、バレた・・・・・・・っ?」


男が混乱している隙にすばやく態勢を整え、ドレスの下に隠していた短剣を構える。

シャーロットの目先には、「なぜ、なぜ」とぶつぶつ繰り返す男。

グレイシアとその取り巻きから助けてくれた優しい風情は完全に消え去り、狂ったように欲をむき出しにする男を、シャーロットはじっと見つめた。

今、思考を止めたら毒にやられてしまいそうだった。

シャーロットはなんとか頭に掛りそうになる靄を払い、短剣を握りなおす。

は、と唐突に男の口から息が漏れた。


「・・・・・・罠か」

「今頃気づいたのか?能天気な頭だ。だから、だまされる」


ふ、とシャーロットも息を吐いた。

男はそれを嘲笑と受け取ったのか、悔しげに顔を歪める。

実際シャーロットは同情していたのだが、男にはそう見えなかったらしい。

男がナイフを握っていた右腕には、矢が刺さっていた。

矢の刺さった場所から、わずかにぽたりと血の滴が落ちる。

シャーロットが少し目線をずらすと、セルタが入り組んだ庭園の影に隠れるようにして弓を構えていた。

罠にかかる絶妙なタイミングに、的確に矢を射るというのは並大抵ではない。

セルタの弓の才能があったからこそ為せた事だ。


「さて、覚悟はよろしいか?トール殿」


短剣を僅かに上に向け、シャーロットは静かに言った。

男も焦ったように、ナイフを握りなおす。


「あの野郎、だましやがって!!」


男は唇を噛むと、ナイフをシャーロットに向かって投げた。

しかし、シャーロットにとっては避けるのは造作もない。


「その話はあとで全て吐いてもらおう」

「ちっ、くそ!くそ!!」


男は再びナイフを投げ、シャーロットがナイフを叩き落としている間に踵を返し走り出した。

ここで逃がすわけにはいかない。

ましてや、お茶会の会場に逃げ込まれ人質でも取られたらお手上げだ。

思わず舌打ちしそうになるのをこらえ、唇をかんだ。


(それに、あそこには・・・・・)


きらきらと輝く森の中のような瞳を思い出す。

背の高い自分よりもさらに背の高い、端正なその顔も。

口ではシャーロットを『灰色姫』と罵るくせに、淑女をエスコートするときのような手でシャーロットを扱う。

そのことに、少し前からシャーロットは気づいていた。


「・・・・・・・どうして」


思わず口をついて出てきた言葉は、掠れて空気に溶けてゆく。

どうして。

ディオンは、シャーロットが今まで接してきた中で一番『シャーロット』として見てくれる存在だと直感で感じた。

だが、どうしてそうなのか、シャーロットはわからない。

わかるのは、このことを考えると無償に胸が重くなるということだけだ。


(今は、それどころじゃ、ない)


シャーロットは頭を振って考えるのを中断した。

この問題は、そう、1人で悩んでも解決しない気がするのだ。なんとなく、だが。

急いで走って、男の後を追う。


「イーデン副団長!」

「セルタ、上出来だ。だが、やっかいなことになった」


弓を携えたセルタは走り寄り、近くでシャーロットの顔を見た途端、ぎゅっと眉間に皺を寄せた。

言いたいことはわかっているので、セルタが口を開きかけた瞬間に片手を上げて制する。


「私のことは、いい。それよりもあの男を生きて捕まえないと」

「ですが、イーデン副団長っ・・・・」

「毒には多少慣れているから、まだ動けるよ」

「ですが・・・・・っ、顔色がよろしくありません!」

「あいつを捕まえたらすぐに治療する、大丈夫だから。さあ、行こう」

「・・・・・・・・・・・・ハイ」


渋るセルタを何とか言いくるめ(最後まで彼の眉間の皺が取れることはなかった)、キースへの伝言を託して、再び男を追うために走る。

しかし、今日のシャーロットはドレスを纏っているため、いつもより速くは走れない。


「・・・・・・・っ、」


さらに、急な運動によりシャーロットの体を急速に毒が回っているのを感じていた。

この様子では、毒が全身に回り動けなくなるまで、わずかな時間しかない。

容赦なく体力と時間だけが奪われていく。


(・・・・・・・急がないと)


あくまで予測だが、このお茶会の意図を察してウィルやアデルも動いてくれているだろう。

その2人の働きまで無駄にはできない。

シャーロットは、少し息を吐いて、再び迷路のような庭園へと走り出した。

最悪の状況になっていないことだけを願って。

セルタは心配症系男子。

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