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11.戦況はじりじりと

「失礼、レディ。あちらに珍しい薔薇があるそうですよ、よろしければ一緒に如何ですか」


シャーロットが内心ぎょっとして振り向くと、優しい風貌の青年が立っていた。

落ち着いたブラウンの髪に、ブラウンの瞳。

相手が落ち着くような、そんな柔らかい雰囲気を纏っていた。


「あ・・・・・」

「ああ、失礼。自己紹介が遅れました・・・・トール=ヴェニエスと申します」

「ヴェニエス侯爵の・・・・、ヴェニエス侯爵にはいつも兄がお世話になっておりますわ」

「いえ、ウィルヘルム様は大変聡明ときいておりますよ。父が、議会では彼の右に出る論者はいないと申しておりました」

「まあ、ヴェニエス侯爵がこの間考案した鉱山の開拓の件も非常に興味深かったですわ」


シャーロットは当たり障りのない会話をしながら、輪からそっと外れた。

娘たちの視線が痛かったが、グレイシアに特に何を言うか考えていなかったので、その時間が出来ただけでもありがたかった。

それに、あの会話をたまたま聞いていたのだろう。

トールは心配そうにシャーロットを見ては、グレイシアたちに難しい顔をして牽制していた。

このお茶会に、1人でもそういう人がいたのだとわかり、心が温かくなる。

それに、トールの話は思慮深く、また興味の尽きない話ばかりだった。


「少し、喉が渇きましたね。何か持ってきましょう」

「ありがとうございます」


トールはにっこりと優しく微笑んで、給仕のほうへ歩き出した。

敵ではない人間と会話をするのは気負わなくていいが、それはそれで心配りに疲れてしまう。

そっとアデルを見れば、どうやら庭園の奥にある珍しい品種の薔薇を観に行くところのようだった。

グレイシアと対立しているときに、トールが言った言葉はどうやら嘘ではなかったらしい。

アデルの今日の出で立ちは、自分の落ち着いた蒼色とは真逆の真っ赤なドレスだ。

自分のドレスは露出が少なくなるように作られているが、アデルのドレスは前側がざっくりと深く開き、しかし初々しく胸元は隠されている。

あれだけ目立つ赤色を着こなすのは至難の業だ。

ドレスに負けてもいけないし、ドレスが負けてもいけない。

あんなことができるのはアデルくらいだろう。

自信に満ちた笑みは太陽の下でも美しく、大輪の薔薇のようだった。


「随分と余裕なのね、シャーロット」

「グレイシア、しつこいな君も」


同じ赤でも、こちらの赤は苛烈さを秘めた赤だ。

思わずため息をついて、目の前にいるグレイシアを見返した。

先ほどのような会話はもうごめんだ。


「私がどのような過程で殿下の恋人になったか知ってどうする。大切なのは結果だろう?現に、私は殿下の恋人で、君は恋人じゃない」

「なんですって・・・・!汚い手を使ってよくそんなことが・・・・!」

「私は汚い手など使ってないよ。証拠もなしに口汚く罵るなんて、淑女である君らしくない」


それとも淑女はもうやめたの、と言えば、グレイシアは真っ赤になった。

返す言葉が出ないのか、歯を食いしばって睨みつけている。

戦場においての鉄則として、相手は徹底的に潰さなくてはならないのだ。

すう、とシャーロットは息を吸った。


「とにかく、殿下が私を選んでくださったんだ。これ以上罵るのは、殿下への侮辱に他ならないが?」

「・・・・・・っ!!貴方、そのうち後悔することになるわよ!」


グレイシアは怒りを抑えて呟き、くるりと踵を返した。

彼女が遠のいたことへ安堵し、ふうと息をつく。

だが、彼女の言葉はなかなかに鋭い。

こういう事態を予測しなかったわけではないが、実際に体験するとやはり違う。

恋人役を請け負ったのは早計だったかもしれない、とシャーロットは若干後悔していた。


「あの、シャーロット様・・・・大丈夫ですか」


グラスを持ったまま、トールが心配そうに近づく。

グレイシアが寄って来たのを見て急いで駆け付けてくれたのだろう、グラスの中身が少し零れて洋服を濡らしてしまっている。


「ええ、少し昔話に花を咲かせていたのです」


出来るだけ優しい声を作って、大丈夫だということを強調すると、ようやく彼は安心したようだった。

他人のことで一喜一憂できるなんて優しい人だ。

それに比べて、殿下は貴族の輪から抜けきることができないのか、長々と話し込んでいる。

恋人がいびられているというのに、情けないことこの上ない。

もし、殿下に新しい恋人が出来たら今回の体験を元に是非進言せねばならない。


(新しい、恋人)


胸の奥がわずかに動いたが、シャーロットは首をかしげることでその違和感を霧散させた。

トールがまた、心配そうな顔をしている。

これ以上優しい人を心配させてはいけない、と、トールの手元に眼をやった。


「まあ、素敵な色の飲み物ですね」

「ベリーとオレンジを使ったカクテルだそうですよ」


トールからグラスを受け取り、しげしげと眺める。

ベリーの赤とオレンジの橙が綺麗に層を作っており、見ているだけでも楽しい。

試しに一口飲んでみると、口いっぱいに爽やかな香りが広がって、喉の奥で弾けた。


「・・・・・・どうですか?シャーロット様」

「とても、美味しいですわ」


トールの問いにすかさず返答して、シャーロットはぎこちない笑みを浮かべた。

完全に作り笑いだが、無いよりはましだろう。

トールも、その笑顔が無理をしていると感じたのか、「お口に合いませんでしたか」と寂しそうに呟いている。

さすがのシャーロットも、良心が痛んだ。


「い、いえ・・・・そうではなく。このような場に慣れてないせいか、緊張してしまうのです」

「でも、殿下といらっしゃったときにはとても自信に満ちた振る舞いでしたよ。思わず見蕩れてしまいました」

「う、うふふふふふ・・・・お恥ずかしい限りですわ」


シャーロットは、無理やり微笑んでやり過ごした。

あまりの無理っぷりに近くにいた団員が、今にも吹き出しそうな顔でこちらを見ている。

後で追加鍛錬させよう。

シャーロットは心の中で、団員の顔を刻んだ。



■■■



「あの女を殿下から離すいいチャンスじゃないか」

「痛い目に遭えば、懲りて殿下の周りを動き回ることもなくなるだろう」

「いや・・・・相手は騎士団副団長ですぞ。脅す程度で怯える女ではないでしょう」


ざわざわと人々の会話の波に紛れ、お茶会の片隅でささやきが漏れる。

誰もこの集団を見ていない。

まるで存在しないかのように人々の目からすり抜けてゆく。


「では、殺せばよい」


密談していた声がぴたりとやんだ。

しゃがれた声が空気に溶けたころに、またざわざわと声が増える。


「そうだ、殺せばいい」

「このお茶会が終わるまで、まだ時間はたっぷりある。それまでに期を見つければいい」

「では如何様に・・・・・・」

「私が懇意にしている者がいるのです。その者達を動かしましょう」

「そいつらは信用できるのか」

「ええ、ええ。幾多の殺人を請け負っている集団ですよ」


キツネのような顔をした男がにこにこと答えた。

集まっている人間はそれがどこの者か知らなかったが、疑うという気持ちは微塵も動かなかった。

きっと誰かが連れてきた『そのテ』に詳しい者なのだろう。

誰もが納得し、キツネの男の言葉に同意した。

ニタァ、と男が笑う。


「そう仰ると思って、実はもう仕掛けてあるんです」






じりじりと太陽の光が、キツネの男の影を焼いた。








さて、物騒な言葉が飛び出てますが。

殿下はいったい何をしているんだか。

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