無口な王とお喋りな王
良く晴れた、この日。長閑な風を味わおうと後宮にいる貴族の女達が外でお茶会をしている。
お茶会と称して実際は側室達の腹の探り合いであったが正妃であるアイーシェは一人侍女達とバラ園でゆったりとお茶を楽しんでいた。
そこへ侍女が慌ただしく駆け込んできてアイーシェが嗜めるがそれをもろともせずに鼻息を荒くして侍女は言った。
「アイーシェ様、こちらに王がおいでに!」
「え?」
「きゃあああ、どうしましょう。早く準備をしなくては!」
いきり立つ侍女達とは違いあからさまに困った顔を浮かべるアイーシェを裏腹に侍女達はカップの準備や自分の身だしなみを整え出した。
「手間をかけさせるな」
そこへ耳に心地良い声が聞こえ真っ赤な薔薇を一枝持った国王レオハルトが姿を現した。藍色の髪の中に一房だけ赤い髪が混じっていて気品さを醸し出し、目の下の黒子は優雅さを、いつもは無表情に近い顔は優しげに微笑んでいた。その姿に侍女達は色めき立ちながらも粗相が無いように表情を押し殺し頭を下げたまま後ろへ下がった。
「手間をかけさせているのは、あなた様でございましょう。そう仰るのなら此方へ来なければいいのです」
「アイーシェ様」
「良い。アイーシェは私が昨日来なかったのを恨んでいるのだろう」
「違います! 誰があなたになど・・!」
王に向ける態度ではないことを諭す侍女を下がらせ、レオハルトは持っていた薔薇をアイーシェの見事な金髪に刺して髪を一房持ち上げ、そこに唇を落とす。
「すまなかった」
「別に私は来ていただかなくとも」
「寂しかったのだろう」
「快適でしたわ」
ゆるりと笑うレオハルトとは別に、僅かに目の下を赤く染めながら話すアイーシェを遠巻きに侍女達はうっとりと見つめる。美男美女の2人はお似合いというのに自分達の主であるアイーシェは頑なだ。
「今夜はあなたの側に」
「そう仰いながら別の側室の元へ参るのでしょう」
「いいえ、私が本気なのは、あなただけ」
弄んでいた髪から手を離し、アイーシェの頤に手をかけて上に向けると、その白く柔らかな頬にキスをする。だがアイーシェが何の反応も起こさないことを良いことにレオハルトは瞼や耳やにも触れていき、赤く熟れた唇に迫ろうとした時にアイーシェからのストップがかかった。
「な、何をなさるのですか!? 今は昼間というのにこのようなことなど・・!」
「昼は駄目なのですか?」
「当たり前でしょう。こんな人目も多い場所で」
「ならば夜なら構わないのですね」
「は・・?」
「では今宵お伺いします」
そう言って席を立ちながら、やはりアイーシェの額に唇を押しあて去って行った姿をアイーシェと侍女達は茫然と見続けていたが、「きゃあああ!」と声を上げ今日はそのために準備をしようとアイーシェを早くから磨き始めた。
そんな遣り取りを終えたレオハルトは自室に帰ろうと執務室の扉の前に立つ衛兵と目が合った。衛兵は驚いた顔でレオハルトを見たがレオハルトは素知らぬ振りをした。
「レオハルト様、執務室にいるのでは無かったのですか?」
「・・何を」
「いいえ、何でもございません。申し訳ありませんでした」
眉を寄せて訝しげなレオハルトに対し衛兵は首を傾げながらも王の気分を損ねないように頭を下げた。衛兵が何も言わなくなったのでレオハルトはゆっくり扉を開けて部屋に入った。
部屋に入ると2人の男性が机を前に向き合っていたがレオハルトを見ると2人が酷く呆れた顔をした。
「レーオ」
扉がしっかりと閉まったことを確認し、入ってきたレオハルトはおりゃ、といった声と共に椅子に座っている男性へと飛び込んだ。
「コトハ殿!」
飛びついたレオハルトは先程の無表情とは違い、ころころと表情が変わり、宰相であるアリベルの叱責が飛んだ。王に対して叱責などと考えるが、このレオハルトは女だ。もっと言うならば影武者――――もといコトハは気にした様子も無く自分と同じ顔をした男性の膝に座ると、ぎゅむと硬い頬を摘む。
「・・・」
「レオ、駄目だよ。疲れてるなら寝なきゃ」
「・・しかし」
「今日はアイーシェさんの処ね」
「・・・」
「えぇ、そんなこと無いって。大丈夫、大丈夫。というか、あたしがおまじない教えてあげるし」
「コトハ殿、いい加減レオハルト様の膝から降りなさい」
「はーい」
レオハルトの扮装をしていたコトハは本物の国王の膝から降りると横に続いている部屋に入り、レオハルトが着ていた豪勢な服を脱いで侍女服へと着替えた。そして赤いエクステを取って顔にうっすらと化粧を施し、鼻の上に雀斑を散りばめて部屋から出てきた。
「なぜ静かに部屋に籠っていられないのですか」
「だって暇だったんだもん。こんなに暇ならあたしを呼び出す必要とか無かったんじゃない?」
「いいえ、あなたは充分に役に立っていますよ」
首を振りながら本物のレオハルトを見て皮肉気に言う宰相を尻目にコトハは数カ月前に意識を飛ばしていた。
遡ること3カ月前、コトハはいきなり、この執務室に不時着したのだった。
「――――きゃあぁぁっ、がぁっ!!」
悲鳴と共に現れた、その者は見事に顎を机にぶつけ、目を回しながら痛みに呻いていた。
「――――つぅ、う、あ、いだいぃ!」
顎を抑えながら辺りを見回した女は先程ぶつけた机の前に座っている人物を見て悲鳴を上げた。
「あ、あたし!?」
その言葉に漸く周りの者達は声を荒上げた。
「全然、似てないではないか。これはどういうことだ、オリーエ」
「も、申し訳ありません。何分、初めてのことですので」
「・・よい」
その時、テノールの心地よい声がして辺りを静めた。
「国王様」
皆が口々に目の前の人物に賞賛の目を向けるので川瀬琴葉はじーっと自分に似た仏頂面の顔を見るが周りの臣下に諫められて止めざるを得なかった。
琴葉はいきなり自分が知らない場所にいた、と言うのに動じず、驚きに目を見張り、また叫ぶ。
「あたしがいる!」
「・・いや」
「何を言うか!どこが似てるのだ」
「はい?」
確かに女の方は睫は長く濃く、垂れ目の回りは黒く塗りつぶしてあり、目元を強調し過ぎている気がする。唇には真っ赤な紅が引かれており、頬はピンクで不自然に染まっている。似ていると言えば髪に左の一房だけ赤い髪があるだけだ。
琴葉は眉を寄せたが、あぁと納得したようにガサゴソと自分のバックを漁る。
「ちょっと待ってて」
そう言うと何やら小さな箱から紙を出すと、それで顔を拭きながら睫を取り始める。
周りが、見ているだけで痛そうな睫の取り方に自分の痛みのように、ぎょっとしているのも気に留めず次に顔を向けた時は皆が驚きかえっていた。
「な、な!」
「ね、似てるでしょ?」
厚塗りしていた化粧を落とした琴葉は椅子に堂々と座る男と瓜二つだった。
勝ち気な瞳、通った鼻筋、右目の下にある黒子の位置さえも同じで臣下達が驚くのも無理はない。似ていないと言えば女の方が表情豊かなところだ。
「うん? ていうか此処何処なわけ?」
やっと気付いたように言うがその前に後ろに控えていた銀色の髪をした男が鋏を取り出し素早い動きで鋏を扱うと、じょきん! と琴葉の腰まであった髪を切り落とした。
「あ、あぁーーー!」
自分の身の上に起きたことに気付いた琴葉は悲壮な顔で叫んだ。
「ちょ、ちょっ!」
床に落ちた自分の髪を嘆きながら手に取る琴葉は、もう髪が戻らないことを知ると髪を切った男に詰め寄る。
「何すんの!?」
だが切った本人は、しれっとして更に髪を整えようと鋏を動かした。
「ま、待ったぁ! 切っていいから先に説明してぇ!」
琴葉がそう叫ぶと、やっと男が止まり、琴葉が抵抗した時にずれ落ちた眼鏡を直しながら説明する。
「あなたは王の身代わりです」
「はい?」
「ですから王、の、身、代、わ・・」
「一文字一文字区切んなくても、身代わり位わかるわっ!!だから、それがどうして私か聞いてるの!しかも此処は何処よ!?」
言い切った琴葉は肩で息をしながら呼吸を整えた。
「静かにして頂けますか?」
「誰がそうさせて・・!」
「私は、この国の宰相であるアリベルと申します」
「・・・」
人の話位聞けよ、と思いながら睨みつけるがアリベルはびくともせず、むしろ清々しい。
「あなたの目の前にいる王を見て下さい」
そう言われ渋々と生き写しのような男を見る。
「この方はオリヴィアオール国の第12代国王レオハルト様です」
「・・・」
目の前の国王は若く琴葉と、あまり年の差を感じさせないがレオハルトの仏頂面のせいで、せっかく端正な顔が勿体無い。
「初めまして」
「あぁ」
同じ顔があるというのは奇妙な物で2人は互いにどこか違いは無いだろうかと探したが無い。
それを咳払いして「では本題に入ります」とアリベルは言った。
「レオハルト様は国随一の剣の使い手でもあり人々はレオハルト様を賢王とも称えております」
え、身内自慢? と思ったが本人は至って真面目らしい。
はあ、とか、へえと頷いて聞いていたが要約するとこうだ。
曰く、先帝が亡くなられ現国王レオハルトは若くして国王という座についた。しかし他国は若造と舐めてかかっているらしい。そのため度々小規模な紛争が勃発してんてこまい。そして真面目な王は休む暇もなく日中働き詰めらしい。そこで白羽がたったのが代理だ。重要な事以外をやってくれる、そっくりさんを召喚しレオハルトの負担を減らしてもらおうと考えたそうだ。だからこそ似ていた琴葉が選ばれたんだろう。
しかしそれを聞いた琴葉は拳を握りしめ絶叫した。
「んな事、自分達で何とかしろーーー!」
何とか帰してもらおうと粘ったが頭の切れる宰相に言いくるめられて「事が終わるまで」を妥協案として受け入れたのだったが琴葉は地球人で文化や習慣の違いから何をすればいいのか全く分からなかったが琴葉はOLとして働いていたので書類のまとめなど手伝っていた。
またレオハルトが王として城にいる時は侍女として働きレオハルトの身支度や紅茶を注いだりベッドメイキングだけという簡単な仕事で、また何か用がある時は琴葉が王の代わりに動いていた。幸い髪は紺色に染め、身長はシークレットブーツで底上げし服も重ね着をして体形を誤魔化して声も低めに話せば良いと簡単に済んだ。
実際、楽な仕事が多く――宴に参加とか国王に挨拶に来る人の相手など――別に命の危機も無かったために良く暇を見つけては、ぶらぶらと城内を彷徨い、良い思い出として友達に話そうと考えていた。
レオハルトは口数が少ないために琴葉が他の者と話していても違和感を与えることも無かったので結構気楽にやっていた。
そして正妃であるアイーシェに会った時も余裕でいたが、いきなり熱烈な歓迎を受けて以来、琴葉はアイーシェを気に入っていた。
いつものように侍女として仕事をしろと言う宰相をちょろまかして側室達とのご機嫌伺いに行ったりしていたがレオハルトに正妃がいると聞き、これは是非にでも挨拶をしなければと突然に部屋に向かった。
「何故来るのですか!?」
「――――っつ!!」
扉を開けた瞬間に飛んできた花瓶――――それを琴葉は避けそこなって額にゴンという大きな音を立てて受けた。
いつもレオハルトは避けているのだろう。だからこそできた所業であると後から思ったのだが今はそんな事を気にしている余裕は無く、額を押さえて花瓶を投げた相手を見た。
そこには、まさか当たるとは思っていなかったのであろう正妃のアイーシェが驚愕の顔で琴葉を見ていた。そして口元に手を当てて泣きそうな顔をしていた。
「あ、あの、ご・・ごめんなさい」
「・・いえ!」
こんな美女を初めて見て驚きの余り、痛さを忘れて魅入ってしまった。
涙で潤んだ瞳に、うっすらと開いた桜色の唇、白い顔に少しだけ染まった頬を見て全身に雷が落ちるのを感じた。
たらり、と血が垂れるのも構わずに「こんな絶世の美女がいるなんて」と見続けているとアイーシェは琴葉に近寄り自分のドレスが汚れるのも構わずに謝りながら裾で傷口を押さえ続け、その直向きな献身さに「きたーーーー!!」と胸中は嵐だったのだ。
そのまま直属の医師に見てもらい薬を塗って終わったのだが次の日には琴葉に対する態度が軟化していて思わず同性でありながらも、きゅんとしてしまった琴葉はレオハルトに詰め寄り、どういう関係か聞き出した所、すでにレオハルトは頂いた後であり、ベタ惚れだったのだ。だからこそ琴葉に隠していたらしいのだが見つけてしまったため、もはや遅い。しかしレオハルトは口数が少ないために相手を思いやる気持ちはあったものの伝わっておらず、正妃は誤解していてレオハルトは冷たい人、野蛮人となっていたために夜は一緒に過ごすがあまり通っていないと聞き、これは是非とも2人の仲を取り持とうと意気込んだのだった。
「いい? 今日の一言はこれ、愛しています」
「・・・」
「ええ、恥ずかしがらずに言わなきゃ伝わんないって」
業務を終え、ご飯を一緒に食べながら琴葉は力説していた。どうにかレオハルトをやる気にさせようと手を取って訴えるが肝心のレオハルトは無表情で琴葉を見ている。
それを遠巻きに見ている腹心の部下達には琴葉が何も言わない王を無理矢理に事を進めようとしているとしか見えない。
しかも先程から一言しか話していない王の真意を読み取り、どんどん話が膨らんでいくのを臣下達は困惑と驚きで見ていた。彼らは朝議の場で議題を述べている時も王は何も言わず、そして何を言っても仏頂面であるために王との関係は希薄な物になっていた。しかし琴葉が来てからは王の言いたいことが直ぐに伝わったり、別に自分達に怒っていないことも分かった。
「ん? ああ、いいよ。あたしが分かる部分はやっておくから心配しないで。それに何かあったら言いにいくから」
それを聞いたレオハルトはアイーシェの元に行くことを承諾して部屋を琴葉に任せたのだったが琴葉を見張るためにアリベルが仕事をしている琴葉に付きっきりで仕事をしながら雑談する。
「コトハ殿は何故、王の言うことが分かるのですか?」
レオハルトは多くを語らない。単に面倒臭いだけかもしれないが余り口を開かないのだ。アリベルは何年も王に仕えているが全ての事まで分からない。それを表情や仕草で王の言いたい事を読み取る琴葉に少し嫉妬していた。
「うーん、同じ顔のせいですかね?」
事も無いように言うが素直に受け取れない。初めは馬鹿な女としか思っていなかったアリベルは琴葉に対する見方を変えていった。最低限の礼儀は勿論のこと書類は王の承諾が必要な物以外は全て片づけ後に王に報告し、また臣下達の間違いを訂正して他の者の意見を聞いて取り入れたりする姿は為政者のようだった。また何としても称賛したいのが人の発する言葉の意味を汲み取るのが上手いのだ。まして王の言いたいことを素早く理解するのには役に立っており執務も捗る。それは貴重な逸材を見つけたのだ。
王も言いたいことが良く伝わる琴葉を側に置きたがり、また愛するアイーシェとの付き合い方も教えてくれるために元の世界に帰したくないと思っている。それは宰相も同じなので最近は有力な株の男性とくっつけようとしている。
「で、コトハ殿はそろそろ良い男性を見つけましたか?」
前日に渡したお見合い絵は目の前で琴葉が破ってしまったため今日もまた新たな婿候補の絵を持ってきた。
「いーらーなーい。だって、その絵、絶対美化されてるって。てか、私は帰るの。あい、らぶ、じゃぱん!」
「もうそろそろ年貢の納め時というやつでは?」
最近、琴葉に教えてもらった日本語を琴葉よりも上手く活用している。
「いやああ!」
本気で嫌がる琴葉に近寄り、髪を撫で、顔の輪郭をそっとなぞる。
「ふえ、ちょちょちょーー!」
「ふむ、私が相手というのも悪くはないですね。王に似ているからと言って、あなたの方が華奢だし柔らかい」
「柔らか・・!?」
「では私は、あなたを日本に返さないためにあなたを口説きますね。レオハルト様もあなたを重宝していますし。きっと、私に陥落して二度と日本に帰りたいなどと言うことは無くなりますよ」
さーっと血の気が引いて琴葉は逃げ出そうと身構える。しかし琴葉が逃げるよりも早くアリベルが手を捕まえて抱き寄せる。次いでと言わんばかりに琴葉の項にキスをした。
「い、いやああああ!」
「おや、コトハ殿は色事になれていないのですか?これはこれは教えがいがあります」
「や、やめてええええええ!」
この後、琴葉が無事に帰れたかどうかは神のみぞ知る。




