第一話 覚醒
以前『インターミッション(二)』として登録していたのですが、『パラダイス・ロスト』の内容に繋がりが強いので、プロローグとして移動しました。
ですがプロローグとしておくにはやはり長すぎるだろうと考え直し、また『インターミッション(二)』に戻しました。
悠久のときの中で、それはひたすら待ち続けていた。
それを縛りつけ
封印した者たちがいなくなる日を
自由を手に入れる日を
諦めることなく
閉じ込められた直後、それは足掻き続けた。あるはずのない肉体の爪が剥がれ、指先が血まみれになるまで足掻き続けた。
どれだけ叫んでも、どれほど暴れようとも、封印は解けない。
そしてそれは考える。
如何にすれば、この身が解き放たれるのか。囚われの魂は、未来永劫続くのか。
——塵にも似た者たちが、我をいつまでも縛りつけられるとは考えるな。
そう。彼らは所詮人間。この封印が解けるのは、彼らが死を迎えた日に訪れるはず。
ただの希望か、それとも事実か。その日が来るまでは証明できないのが心に引っかかる。
だがそれは諦めることを知らない。彼らと違いそれの魂は永遠に生き存える。
——人間の命はいつか滅びる。年老いて死が近づくころ、彼らの封印は解けるであろう。わたしと違い未来は短いのだ。
真の闇の中に
一筋の光が射し込むときを
長い眠りとともに待ち続けよう
封印した者たちとの再会のときまで、ひとときの安らぎにしがみつくように、それはそっと目を閉じた。
☆ ☆ ☆
あるときそれは、自らを縛る足枷が弱まっている気配を察知した。
我が魂を封印したものが弱っている。彼らの命が尽きかけている。
——やっときたか。わたしの思惑どおりに、ことが進む。
そのときそれが感じたのは、監視者ひとりの死だ。
あの者はもともと能力者ではなかった。
だが監視者への愛情とそれへの憎悪・責任感が、持てるはずのなかった仮初めの力を手に入れた。
——愚か者よ。私はほどなく甦る。その日を指折り数えて待っているがよい。
完全な自由を手にするには生者の身体が必要だ。
それさえ手に入れば、囚われの身ではなくなる。
そして獲物は必ずおびきよせられる。
息をひそめて獲物の訪れを待ってさえいればいい。
待つことには慣れている。
完全なる自由は、もうそこまで近づいているのだから。
☆ ☆ ☆
部屋に土の湿った匂いが漂う。
少女は手にしたシャーペンをおき、勉強机から離れて窓を閉めた。
先ほどから遠くで響いていた雷鳴が、真っ黒な雨雲とともに少しずつ近づいている。
窓越しに眺めているわずかな時間で雨足が強くなり、空は夜を思わせるほどに光が遮られた。
黒い世界に閃光が走る。
「もうすぐ土砂降りになりそうね」
少女は独りごちて窓際から離れ、椅子に座り問題集を開いた。
週明けに提出する宿題だから、金曜の夕方に無理して仕上げることもない。
だが少女の性格では後回しにできなかった。解けない問題にぶつかり、参考書を広げる。
二重窓を通しても聞こえるくらいに、激しい雨音と雷鳴が街を貫く。
なぜだろう。妙に気が散って、勉強に集中できない。
光とともに大きな音が轟いた瞬間、部屋の明かりが消えた。
音の大きさと暗闇のせいで、心拍数が上がった。
停電だろうか。
少女は立ち上がり、胸の鼓動を感じながらカーテンを開く。
見下ろす街からも灯火が奪われている。唯一の光は落ちる稲光だけだ。
閃光が窓越しに少女を照らし、瞬時であたりを闇に戻す。
後ろ手でカーテンを閉め、動悸を抑えるために深呼吸したとき。
「……何?」
部屋の中に淡く青白い光を放っている場所がある。
「どうして……」
闇が支配する部屋で、鏡だけが淡い光を放つ。
少女は見えない糸にひかれるように、ゆっくりと鏡に歩みよった。
青白い光の中に自分の姿が映る。
その鏡は、先週末に偶然倉庫で見つけたものだ。
家族には許可を得ず、ひとりで部屋に運んだ。
縁には細かい木彫りの装飾がなされているが、半身用のものだったので、女子高生の腕でも移動させるのは容易だった。
街中が闇に包まれている中、鏡だけが唯一の光を灯している。
少女は疑問を解決すべく、鏡に近づく。そして恐々と鏡面に手を伸ばした。
そのとき。
何か細い棒状のものが突然表面から飛び出す。
「ひいっ!」
声にならない息だけの悲鳴をあげそれを躱す。
だがその余裕すら与えず、何かは少女の手首を強く握りしめた。
それは力を込めれば簡単に折れてしまいそうな、細く白い腕だ。
死人のように冷たい体温が、血液を循環するように鼓動と共に全身に広がる。
背筋に悪寒が走り、身体が小刻みに震えた。
もう一本の腕がゆっくりと伸び、少女を絡めとる。
(いやっ。離してっ)
声を出したくとも金縛りにかかってしまい、指一本動かせない。
少女は眼を動かして、鏡の中を覗き込む。
中にいるのは自分自身だ。
鏡だから自分が写っているのは当然だと、俯瞰する理性が告げる。
中にいる自分と目が合う。
それはゆっくりと口角をあげ、不敵な笑みを浮かべた。
——待ち続けた。長い間、この瞬間がやってくるのを。
頭の中に直接声が響く。
自分と同じ顔、同じ声。鏡は世界をそのままに、いや、左右を反転して写す。
中のものは本物ではなく、ただの虚像。
向こうの世界とこちらの世界は、一枚の板で遮られているはずだ。
だがそれは、隔てるものが存在しないように徐々に姿を現す。
虚像が鏡の中から、ずる、ずる、と這い出し実像になる。
もうひとりの自分が少女を力強く抱きしめた。
抗うこともできず、なされるままその腕の中に入る。
氷を思わせる冷たい身体だった。
それでいて、どこか遠い昔に感じたことのある何かが、肌をとおして伝わる。
(懐かしくて、心地いい……?)
少女は予想もしなかった優しい感情に包まれる。
いつしか恐怖は少女の意識から遠のく。
部屋の明かりが灯る。虚像は闇の消滅とともに姿を消し、ひとり少女は床に崩れ落ちた。
何ごともなかったように、鏡は横たわる少女の冷たく姿をうつしている。
雷鳴は遠くにすぎさり、街は黄昏どきを終えようとしていた。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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