甚助
市を立てるために鑑札が必要である。鑑札を発行して貰うためには膨大な運上金が必要だが、その鑑札も上総ノ介は全廃させていた。
上総ノ介の狙いは見事なまでに図に当たり、商いを求める商人は領内に続々と集まってくる状況になる。
村を見下ろすようにして、山の中腹に城が建設途中の姿を見せている。落成途中であったが、源二の見たことのないほどの規模で、幾人もの大工が足場を組んで盛んに作業をしている。緒方上総ノ介支配の豊かさを象徴するような巨城であった。
市の端に源二は荷を降ろし、地面に座り込んで客待ちをすることにした。煙管を取り出し、口に咥える。
表情はわざと緩め、ぼんやりとした体を装っているが、源二の目は機敏に動いて、辺りに気を配っている。
ほどなく客がついて、源二の炭はたちまちに売り切れた。市には物を売るだけでなく、様々な料理を出す店が並んでいて、それらの主人が薪炭を求めていたのである。
代金を懐に捻じ込み、源二は立ち上がった。冷やかしの客を装っているが、その心中には嵐が巻き起こっていた。
姫はあれから腹が目立ち始め、すでに臨月を迎えていた。源二は堕ろすべきだと説得したが、時姫は頑として聞き入れなかった。
どのような赤子が生まれてくると思し召す……。源二の言葉に、姫は頭を振って答えた。
「どのような赤子でも、三郎太様の子供です。妾は命に懸けても、守ります……」
きっぱりと答える姫の顔は誇りに満ち、幸せに輝いていた。
「三郎太様」と姫は呼んだ。その言葉には限りない愛情がこもっている。
どうすればよい……。
懊悩が源二の注意力を削いでいたようだ。肩をぽん、と叩かれるまで、その男の接近に気付かなかったのは、迂闊と言うべきだろう。
「猿の源二さんじゃないか?」
ぎくりとして、源二は声の方向に身体をねじ向けた。
ひょろりとした痩身の男が薄ら笑いを浮かべて立っている。やや猫背の男は、覗き込むような目つきで源二の顔を穴の開くほど見つめていた。
身につけているのは着流しに、だらりとした綿入れで、月代は剃らず毟りにしている。細身の刀を落とし挿しにして、遊び人風であった。
男には頬に目立つ傷跡があった。その傷跡のせいで、男は常に引き攣ったような薄笑いを表情に刻ませていた。
源二は一瞬にして、男の問いかけをはぐらかすことの無意味に気付いた。すでに相手は源二の正体を見抜いている。
「啄木鳥の甚助だったな。確か」
にやり、と甚助と呼ばれた男は笑いを浮かべた。微かに顎を挙げ、連れ立つように合図をすると背中を向け歩き出す。
源二は、その後に続いた。