魔界・序
次に目を開けた時、私はベッドの上に横たわってた。
普通のベッドじゃない。ありえないくらい大きくて、ありえないくらい柔らかくて、ありえないくらい派手なベッド。ビロードの天蓋、シルクのシーツ、羽毛の枕、それに……何これ、金糸の刺繍?
飛び起きて、きょろきょろあたりを見回す。
巨大な寝室だ。天井は教会のドームみたいに高い。壁には派手なタペストリーが掛かってる。床には分厚い毛足の長いカーペット。暖炉では暖かい炎が燃えてる。窓の外は真っ暗な夜空。星が不気味な光を放ってる——紫の星もあれば赤い星もある。見たこともない星座を形作ってる。
「起きたか?」
その声が横から聞こえた。
振り向く。ルシファーが窓辺の肘掛け椅子に座ってた。手には赤い液体の入ったグラス——ワインだといいけど。
「ここは……」
「魔界だ。」彼は言う。グラスの液体を一口含む。「俺の城だ。お前の新しい家だ。」
魔界。
城。
新しい家。
この三つの単語が組み合わさって、ものすごい非現実感を私に与えてる。
「私、どのくらい寝てた?」
「三日だ。」
「三日!?」
思わず声が出た。
三日?私、三日間も昏睡状態だったの?
「お前の体が適応してるんだ。」ルシファーはグラスを置いて、立ち上がる。私の方に歩いてくる。「竜の力を喰らい、死霊術士の能力に目覚め、聖光で焼かれ、その上、長距離の空間転移を経験した——お前の体にはこれらすべてを消化する時間が必要なんだ。」
ベッドの横で止まる。見下ろすように私を見る。
「調子はどうだ?」
手足を動かす。首を動かす。
「まあまあ……ちょっとお腹すいたくらい。」
言った瞬間、固まった。
私、不死者だよね?まだ食事って必要なの?
ルシファーは私の疑問を見抜いたみたいに、口元をわずかに上げた。
「不死者にもエネルギーは必要だ。ただ、お前が必要とするエネルギーの源は普通の人間とはちょっと違う。」
「じゃあ、私は何を食べればいいの?」
彼は身をかがめる。耳元に顔を寄せる。
「魂だ。」
その声には笑みが含まれてる。
「人間の魂だ。」
私の血液が——まだあるかわかんないけど——瞬間に凍りついた。
「冗談だ。」体を起こして笑い声をあげた。「お前の表情、面白すぎる。」
ぶん殴りたい。
でも魔王だし、勝てない。
「お前が今必要としてるのは普通の食べ物だ。」彼は言う。「もう三日何も食べてない。不死者は飢えで死にはしないが、空腹感はあるだろう。もう用意させてある。すぐに届くだろう。」
振り返ってドアの方に歩いていく。途中で立ち止まった。
「そうだ」
振り返る。
「足のあれ、取るなよ。」
足のあれ?
下を向く。右の足首に精巧な足輪がはまってるのに気づいた。黒い金属で、複雑な模様が刻まれてる。かすかに赤い光を放ってる。
「これ、何?」
「傲慢の刻印だ。」彼は言う。「俺の刻印だ。」
「これを付けてれば、お前の気配は隠される。七耀聖杯の連中には見つからない。」
七耀聖杯。その名前で心臓がぎゅっとなる。
彼は歩いてきて、私の前にしゃがみ込んだ。手を伸ばして私の足首を握る。
その手はとても冷たい。足輪の冷たさとは違う。なんて言うか……言い表せない冷たさ。
「外したいか?」
黙った。図星だったから。
顔を上げる。月明かりが彼の顔を照らしてる。その血のように赤い目に私の姿が映ってる。
「試してみるか?」
その口調はとても静かで、感情は読めない。
「いいの?」
「もちろん。」
手を差し出した。指を軽くはじく。
足輪が小さな音を立てた。外れた。足首から滑り落ちる。
こんなに簡単に?
「さあ、立て。窓際まで歩け。」
少し迷って、その通りにした。
立って窓際まで歩く。紫色の月明かりの下に立つ。
「何か変わったか?」
よく感じてみる。そして首を振る。
「別に変わらない。」
「そうか?」
立ち上がって私の隣に来る。窓の外のある方向を指さした。
「あそこを見ろ。」
指さす先を見る。魔界の果てだ。遠くの地平線にぼんやりと赤い光の帯が見える。
「あそこは人間界と魔界の境界だ。」彼は言う。「お前の気配は今あそこに漂ってる。」
心臓がぎゅっとなる。
「奴らがお前の気配を感じ取るまで、ざっと……三分だ。」
三分?
「もう一分経った。」
心臓がドキドキし始める——不死者に心臓の鼓動なんてあるのかわかんないけど。
「二分。」
振り返って彼に飛びついた。
「付けて!」
彼は笑った。その笑顔はまるでネズミを捕まえた猫の顔。
「外したいって言ったのに?」
「私が悪かった!」
「試してみるって言ったのに?」
「試さない!」
「それじゃあ……」
彼の手から足輪をひったくる。しゃがみ込んで慌てて足にはめようとする。
でもさっき簡単に外れたのに、今度は全然はまらない。
焦って汗が出てくる。
「三十秒。」
ルシファーの声が頭上から聞こえる。笑いを含んでる。
「二十秒。」
「十秒。」
「九秒。」
「八……」
やっとカチッと音がした。足輪がはまった。
へたり込んでぜえぜえ息を吸う——不死者に息って必要かわかんないけど。
ルシファーは私を見下ろしてる。口元の笑みがもっと深くなった。
「面白かったか?」
顔を上げてにらみつける。
「わざとだ!」
「面白かった。」
あっさり認めた。
悪態をつきたかった。でもさっきのあのスリリングな十秒間を思い出すと、悪態も出なかった。
彼はしゃがみ込む。目線を合わせる。
「この感覚を覚えておけ。」
その声が急に真剣になった。
「恐怖の感覚だ。緊迫の感覚だ。次の瞬間に正体がばれて、世界中に追われて死ぬ——っていうあの感覚を。」
頭がおかしいんじゃないかって思った。
「数千年もの間、これを『特権』として享受できたのは魔王だけだ。『孤独感』っていうやつをな。お前は二人目だ。そして世界で初めて、俺の気持ちがわかる人間だ。」
彼は私の目を見てた。長い間黙ってた。
「でも——この足輪を付けてる限り、お前にはそんな感覚はない。安全だ。平穏だ。そして……俺のものだ。」
指がそっと私の足首の足輪を撫でた。
「でも外せば……」
目つきが危険なものに変わる。
「お前の気配はあの七人の勇者にばれる。奴らはすぐに追ってくる。どんな犠牲を払ってもお前を殺しに来る。聖光教会の大軍は魔界の境界を踏み荒らす。一条煌は自ら手を下す。聖光でお前をきれいさっぱり浄化する。」
顔を近づける。息がかかるほど近くまで。
「死にたいなら止めはしない。」
声が低くなる。まるで悪魔のささやき。
「でも、俺はお前を生き返らせて、もう一度殺す。」
私の呼吸が止まった。
いや、呼吸が止まったんじゃない。全身が硬直した。
彼はただ私を見てる。私の反応を見てる。そして——
笑った。
その笑顔は危険な感じは消えてて、代わりに悪戯が成功した子供みたいな嬉しそうな笑顔だった。
「冗談だ。だからおとなしく付けてろ。」
振り返って立ち去る。ドアのところまで来て、また立ち止まった。
「そうだ、もう一つ。」
振り返る。
「彼のいない世界へ、ようこそ。」
口元に笑みを浮かべる。
「ここでは、お前は俺のものだ。」
ドアが閉まった。
私はぼんやりとベッドに座ってた。足元の足輪を見る。
彼のいない世界。
一条煌の世界に私の居場所はなかった。
そしてこの男の世界では、私はただ彼のものにしかなれない。
手を伸ばしてそっと足輪に触れた。冷たい金属の感触。かすかに何かの力の波動が感じられる。
はあ。
どうやら本当に後ろ盾はないみたいだ。
ため息をついてベッドに横になった。天井を見つめてぼんやりする。
その時、お腹がぐうって鳴った。
本当にお腹すいた。
ドアが突然開いた。
飛び起きて、ルシファーが戻ってきたのかと思った。
でも入ってきたのは彼じゃなかった。
骸骨……?
その骸骨はメイド服を着てて、頭にはカチューシャまで付けてる。手にはトレイを持ってて、食べ物がいっぱい乗ってる。ベッドのところまで来て、トレイをナイトテーブルに置いた。それから私に一礼した——その動作、すごく様になってた。
「あ、ありがとう……?」
私が言う。
骸骨はこくんとうなずいて、振り返って去っていった。
呆然とその骸骨メイドの背中を見送る。それからトレイの上の食べ物を見る——焼き肉に、パンに、フルーツに、それから湯気の立つ紅茶まで。
魔界の骸骨メイドが人間の食べ物を運んできた。
この世界、どんどんぶっ飛んでるな。
パンを手に取る。一口かじる。
うん、美味しい。
まあいっか。まずはお腹を満たそう。
だって今日から、私はこの「魔界」で暮らすんだ。
魔王の「モノ」として。
窓の外では紫色の星が不気味な光を放ってる。まるでこの不条理な運命を嘲笑うみたいに。
でも、少なくとも——
私は生き延びた。
それでいい。




