第六章 情報屋と世界の真実
クラウディアは来なかった。
使者が手紙を届けた。急用ができたので、数日後に改めて伺います、って。
私は急いでない。何せあの人、今退却したばかりだ。きっといろいろ後始末があって忙しいんだろう。
でも、別の人が来た。
その日の午後。部屋でぼんやりしてた——正確に言うと、体内のあのめちゃくちゃな力をどうやって制御するか考えてた——突然、外が騒がしくなった。
「誰か侵入した!」
「止めろ!」
「あ、逃げた!」
「こっちだ、こっち!」
「見失った!」
ドアを開ける。廊下は大混乱だ。魔族たちが走り回ってる。まるで何かを追いかけてるみたい。
「どうしたの?」小悪魔をつかまえる。
「侵入者だ!」小悪魔が息を切らして言う。「人間だ!突然城の中に現れて、あちこち逃げ回ってる!」
人間?
人間が魔王の城に忍び込む?
「ルシファーは?」
「陛下は謁見の間にいらっしゃる。もう伝令を送った!」
その時。後ろから声がした。
「へえ、ここが噂の傲慢の国か。思ったより面白いね。」
振り返る。
一人の男が廊下の窓辺に寄りかかって、ニコニコ私を見てる。
男だ。
二十七、八歳くらい。茶色の髪を適当に後ろに撫で付けてる。琥珀色の目には、世の中を舐めきったような笑みが浮かんでる。仕立てのいい濃い色のスーツを着てて、襟元には暗い赤のネクタイ。手には銀の飾りのついたステッキ——何の役に立つのかわかんないけど。別に足悪そうじゃないし。
一番目を引くのは、その笑顔だ。
何を考えてるかまったく読めない笑顔。笑ってるのに、何を考えてるかさっぱりわからない。
「初めまして。」彼は優雅にお辞儀をした。「アイザックです。アイザック・ホワイト。情報屋をやってます。」
情報屋?
「ここに何の用?」
「あなたに用があってね。」当然のように言う。「佐々木すみれさん。あなたのこと、いろいろ知ってるんですよ。」
彼の笑顔がもっと深くなる。
「例えば——一条煌に生贄に捧げられた日、あなたが穿いてたパンツの色、とか。」
顔が一瞬で真っ赤になった。
「な、なんでそれを——!」
「情報ですから。」彼は肩をすくめる。「情報屋がそんなこと知ってても、別に不思議じゃないでしょ?」
不思議なわけあるか!
怒ろうとしたその時。廊下の奥から黒い光が飛んできた。まっすぐアイザックの顔面を狙ってる。
彼は軽く身をかわした。光は彼の頬をかすめて、後ろの壁に大きな穴を開けた。
「おやおや、これが客人へのおもてなし?」
ルシファーが廊下の奥から歩いてくる。銀色の長い髪が、風もないのに揺れてる。血のように赤い目には殺気が満ちてる。
「アイザック。」
「ルシファー陛下、お久しぶりです。」アイザックは平然と笑う。「相変わらずお怒りっぽい。」
「何の用だ?」
「商談です。」アイザックが封筒を取り出す。手の中でひらひらさせる。「ある情報をあなたたちに売りたくてね。」
「必要ない。」
「まあまあ、そう急かないで。」アイザックが言う。「この情報、佐々木さんが生贄に捧げられた真相に関わるものですからね。それと……」
少し間を置く。笑みが少し引っ込んだ。
「一条煌の本当の目的にも。」
ルシファーの足が止まった。
私はその封筒を見る。胸の中で嫌な予感が湧き上がる。
「どんな真相?」
「ここで話すんですか?」周りの魔族たちを見る。「お構いなく?」
ルシファーはしばらく黙ってた。そして手を振った。
「皆、下がれ。」
魔族たちは顔を見合わせた。でもすぐに散っていった。
廊下には私とルシファーとアイザックだけが残された。
「これでいいか?」ルシファーが言う。
アイザックは笑った。封筒を私に差し出す。
「ご自身でお読みください。人から聞くより、自分の目で見た方がわかりやすいこともありますから。」
封筒を受け取る。開ける。
中には一綴りの紙と、一枚の魔法写真が入ってた。
写真には一人の男が写ってる。
全身を聖光に包まれた男だ。顔はよく見えない。でもその神聖な雰囲気は写真からあふれ出しそうだ。彼は祭壇の前に立ってて、手には王権を象徴する杖を持ってる。周りには敬虔な信者たちがひれ伏してる。
「これは誰?」
「本当の聖王です。千年前、ルシファー陛下に封印されたあの聖王です。」アイザックが言う。「でも封印されたのは体だけです。魂は封印されなかった。聖王の魂はずっとふさわしい器を探し続けて、何代にもわたって生まれ変わってる。」
心臓がどきんと大きく跳ねた。
「何代にも?」
「そうです。」アイザックがうなずく。「代々の『聖王の生まれ変わり』は、みんな同じ魂の違う器です。一条煌は十二代目です。」
十二代。
千二百年。
「じゃ、じゃあ……それと私に何の関係が?」
アイザックは私を見る。その琥珀色の目に、複雑な光が走った。
「『聖処女』って何だか知ってますか?」
首を振る。
「聖処女ってのは、適当に選ばれた生贄のことじゃないんですよ。」彼は言う。「本当の『聖処女』ってのは、千年前に生贄にされたあの娘の生まれ変わりです。その娘の魂の中に、聖王が『種』を植え付けたんです。」
「種?」
「ええ。」アイザックが言う。「あの聖王がしたのは、ただの生贄じゃない。あの娘が死ぬその瞬間、自分の『半分』を彼女の魂に注ぎ込んだんです。その半分ってのは、彼の『人間性』です。」
「聖王の力は『神性』から来てます。でもその代償に人間性を失う。彼は完全な化け物になりたくなかった。だから自分の『人間性』を切り離して、絶対に見つからない場所に隠した——純粋な魂の中に。」
「あの娘の魂に?」
「そうです。」アイザックが言う。「彼女が死んだ後、その『人間性』の種を宿した魂は、生まれ変わりを始めた。何代も何代も、再び目覚める日を待って。」
彼の目が私の顔に注がれる。
「一条煌があなたを選んだのは、ただあなたを愛してるからじゃない。もっと重要な理由がある——聖王の魂が、自分の『もう半分』の存在を感じ取ったからです。彼は自分の人間性を取り戻して、完全な神になりたいんだ。」
足ががくんとなる。
壁に寄りかかって、やっと倒れずに済んだ。
「じゃあ……私はただの入れ物?」
「あなたは鍵です。」アイザックが言う。「聖王の『完全な姿』を開く鍵。彼があなたを生贄に捧げたのは、聖王の力を活性化させるためじゃない——それはただの言い訳だ。本当の目的は、あなたの魂が死ぬ間際に、その『種』を解放させることです。」
「で、その後は?」
「その後、彼はその種を喰らう。そして本当の神になる。」
部屋の中が凍りついたように静まり返った。
長い時間が過ぎて、やっと自分の声を見つけた。
「その種……今、私の体内にあるの?」
アイザックは首を振る。
「わからない。あるかもしれない。混沌魔竜に喰われたかもしれない。あなたが目覚めた時に融合したかもしれない。それはあなた自身が答えを見つけるしかない。」
懐から、蛇が杖に巻きついた模様の徽章を取り出す。私に差し出す。
「でも、一つだけ言えることがある。」
彼の表情が真剣になる。
「もし、あなたの体内に本当にその種があるなら、一条煌は何が何でもあなたのところに来るでしょうね。だって、あなたは彼にとって、ただの『愛する人』じゃない。彼の存在の『もう半分』ですから。」
「彼があなたを手に入れられなければ、彼は永遠に完全にはなれない。」
徽章を握りしめる。金属の冷たさが手のひらから伝わる。
完全な神。
十二代の生まれ変わり。
千年前の種。
これらの言葉が頭の中で渦巻いて、ぐちゃぐちゃに混ざり合う。
アイザックが立ち上がる。スーツを整える。
「情報は届けた。では、これで。」
「待って。」
彼は足を止める。
「何です?」
「もし……もし、私の体内に本当にその種があったら。」私が訊く。「私は何なの?私はまだ、私なの?」
アイザックは振り返る。私を見る。
その琥珀色の目に、珍しく温かみが浮かんだ。
「あなたは佐々木すみれです。」彼は言う。「体内に何があろうと。前世が誰であろうと。今のあなたは、あなた自身です。」
「千年前のあの娘の魂は、十二回生まれ変わった。どの生まれ変わりも、みんな違う人だった。違う人生を生きて、違う記憶を持って、違う愛し方、憎み方をした。あの種はただ彼女たちの魂のどこかに埋まってただけで、決して彼女たち自身を変えたりはしなかった。」
少し間を置く。
「あなたも、同じです。」
手を振る。空気の中に消えた。
廊下には私だけが残された。
うつむいて手の中の徽章を見る。そして顔を上げて、がらんとした廊下を見る。
私は誰?
佐々木すみれ?それとも千年前に生贄にされたあの娘の生まれ変わり?
わからない。
でも、わかった。今日から、この問いの答えは自分で見つけなきゃいけないってことを。
私の血液が——もし、まだあったら、だけど——瞬間に凍りついた。
「至愛の人……」
「そうです。」アイザックが言う。「一条煌が本当に愛してるのは、あの六人の女勇者じゃない。他の誰でもない、あなたです。彼があなたを愛してるからこそ、あなたの死が一番完璧な生贄になる。あなたの魂が聖王を目覚めさせる鍵になる。」
写真を握る手が震える。
「あの人は知ってるの?」
「何を?」
「これらのことを知ってるの?私がただの生贄だってこと?彼自身がただの選ばれた入れ物だってこと?」
アイザックはしばらく黙った。
「知ってる。」
「いつから?」
「最初から。」アイザックが言う。「聖光に選ばれたその瞬間から、彼は自分の使命を知ってた。彼には拒否する選択肢もあった。でも、拒否すれば聖王の力を捨てて、ただの普通の人間に戻ることになる。彼は受け入れる方を選んだ。」
「じゃ、じゃあ……彼の私への気持ちは……」
「本物です。」アイザックが言う。「本物だからこそ、もっと残酷なんです。彼はあなたを愛してる。だから、この儀式を完遂するために、あなたを選んだ。彼はあなたを愛してる。だから、自分の手であなたを竜の口に放り込んだ。彼はあなたを愛してる。だから今、『浄化』の名の下にあなたを殺そうとしてる。」
足ががくんとなる。
壁に寄りかかって、やっと倒れずに済んだ。
「その情報、どこから手に入れた?」ルシファーが訊く。
「思いがけない場所からです。」アイザックが言う。「聖光教会の内部に、一条煌のやり方に不満を持つ者がいるんです。彼らはこっそりすべてを記録して、私のところに持ち込んだ。」
懐から一つの徽章を取り出す。私に差し出す。
銀色の徽章だ。蛇が杖に巻きついた模様が刻まれてる。
「もしもっと知りたければ、私のところに来てください。私は人間界に小さな拠点を持ってる。この徽章を持って行けば、誰かがあなたを案内してくれる。」
徽章を私の手に押し込む。そして一歩後ろに下がる。
「では、情報は届けた。これで失礼します。」
「待て。」ルシファーが口を開く。「報酬は何が欲しい?」
アイザックは笑った。
「報酬はもういただきました。」
「何?」
「私は面白いものを見せてもらいましたから。」彼は私とルシファーを見る。「世界中に裏切られた娘。傲慢な魔王。起きるはずのない恋——これはどんな金よりも価値がある。」
手を振る。空気の中に消えた。
廊下には私とルシファーだけが残された。
壁に寄りかかったまま、うつむいて手の中の写真と徽章を見る。
一条煌は本当に私を愛してる。
だからこそ私を選んだ。
だからこそ私を殺した。
これ、何て歪んだ理屈だ?
「すみれ。」
ルシファーの声が耳元にする。
顔を上げる。彼を見る。
その血のように赤い目に、複雑な感情が渦巻いてる。
「大丈夫か?」
「私……」
口を開きかけた。でも言葉が出てこない。
泣きたいのに泣けない。
笑いたいのに笑えない。
最後に、一つだけ問いかけることができた。
「ルシファー」
私の声はかすれて、ほとんど聞こえなかった。
「あの時……なぜ私を助けたの?」
彼は黙った。
廊下が静まり返る。遠くから風の音が聞こえる。
彼の目を見る。答えを待つ。
長い時間が過ぎて、彼が口を開いた。
「あの日、俺は竜の谷の近くにいた。」
その声はとても低い。遠い昔のことを思い出すみたいに。
「混沌魔竜が死んだ。その力の波動に気づいて、見に行った。そこには巨大な竜の死体と、体中血まみれの一人の娘がいた。」
少し間を置く。
「その娘は竜の死体の上に立ってた。死から這い出てきたばかりなのに。恐怖し、絶望し、打ちのめされるべきなのに、そうじゃなかった。ただ自分の手を見下ろして、それから……」
私を見る。
「顔を上げて、空を見て、『終わった、今月の出勤、どうしよう』ってつぶやいた。」
「俺はその時思ったんだ。何だ、この変な人間は、って。」彼の口元がかすかに上がる。「生贄にされて、食べられて、竜を逆に殺して、不死者になった——その第一声が出勤の心配?」
私の顔が赤くなる。
「あ、あれは……本能的に、つい……」
「わかってる。」彼が言う。「本能だからこそ、もっと本当なんだ。」
目の前まで歩いてくる。手を伸ばす。私のあごを上げる。
「俺は千年生きてきた。数えきれない人間を見てきた。死の前で打ちのめされる奴。生き延びるためにすべてを売り渡す奴。絶望して自ら命を絶つ奴。でも、見たことがなかった」
その目がまっすぐに私を見る。
「死から這い出てきて、第一声が学業の心配、なんて奴は。」
「その時、俺はお前の匂いを感じ取った。」
「匂い?」
「うん。」うなずく。「血の匂いでも、死の匂いでもない。それは……」
考えて、言葉を見つける。
「執念の匂いだ。」
「お前には『死にたくない』って執念がある。『生きたい』って執念がある。『なぜなのか知りたい』って執念がある。それらの執念が混ざり合って、すごく特別な匂いを作ってる。」
彼の指がそっと私の頬を撫でる。
「面白いと思った。だからつけて行った。」
「じゃあ、なぜ助けたの?あの下水道で?」
「だって……」
顔をそらす。
「お前の泣き顔があまりにもひどかったから。」
「目障りだった。」
「あんなに生きたいと思ってるのに泣いてる。あんなに恨んでるのに泣いてる。あんなに死にたくないのに死を待ってる——そんな姿、見てられなかった。」
彼は振り返った。背中を向ける。
「だから、助けたんだ。それだけだ。」
その後ろ姿を見る。かすかに赤くなった耳を見る。
それだけ?
嘘つけ。
「ルシファー。」
「ん?」
「こっち向いて。」
「嫌だ。」
「向いてよ。」
「嫌だ。」
「じゃあ、私が行く。」
彼の前に回る。顔を見る。
耳が血が出そうなくらい真っ赤だ。
笑った。
「耳、また赤くなってるよ。」
「赤くない。」
「赤い。」
「赤くないって言ってる。」
「自分で触ってみなよ。」
手を伸ばす。耳を触る。で、表情が固まった。
もっと笑った。
「何がおかしい?」
「別に。」
「また別にか?」
「うん。」
にらむ。私も彼を見る。
で、彼はため息をついた。
「お前なあ……」
手を伸ばす。私の頭を撫でる。
「あんまり考えすぎるな。一条煌のことは俺が何とかする。お前はただ……」
「強くなれ。」受け取る。「わかってる。」
彼はうなずく。
「わかってればいい。」
手を引っ込める。振り返って立ち去ろうとする。
数歩行って、また止まった。
「そうだ」
振り返る。
「お前の『出勤』のことだけど、もう心配しなくていいぞ。」
「え?」
「お前は今、魔界にいるんだ。魔界に出勤なんてない。」
言い終わって、廊下の奥に消えた。
その場に立ったまま、しばらく——
この魔王、今、私を慰めてる?
こんな慰め方、ある?
うつむいて、手の中の写真と徽章を見る。そして顔を上げて、がらんとした廊下を見る。
一条煌のことで胸が詰まる。
でも、なぜかさっきより少し楽になった気がする。
だって、誰かが言ってくれたから——
お前の泣き顔はひどすぎる。
目障りだ。
だからもう泣くな、って。




