余波
丸一日寝た。
目を覚ました時、ベッドの周りに人だかりができてた。
ベルゼブブ、アスモデウス、ベルフェゴール、それに見たことのない魔族の幹部たちも何人か。みんな、今か今かと私を見てる。
「起きた起きた!」
「よかった!」
「びっくりしたぞ!」
頭が痛くなるほど騒がしい。
「あの……ちょっと声、小さくしてくんない?」
「ごめんごめん!」アスモデウスが口を押さえる。でも、目の端の涙は隠しきれてない。「あんたが無事で何よりだよ。帰ってきた時のあんたの姿、どれだけ怖かったかわかる?体中血だらけで、胸には矢がいっぱい刺さってて、私たち、もう……」
言いかけ、言葉が詰まる。
「大丈夫。」言った。「死なないから。」
「でも……」
「本当に、大丈夫。」
やっと彼らも少し安心したみたい。
ベルゼブブが、温かいスープを運んでくる。
「これ、飲め。千年幽霊の骨で煮込んだんだ。すごく滋養がつくぞ。」
茶碗を受け取る。一口飲む。
うん、やっぱりこの味。
「そうだ。」急に思い出した。「あの女公爵は、どうなった?」
「クラウディア?」アスモデウスの表情が、変な感じになる。「あの人は……」
「どうしたの?」
「引き上げたよ。」
「え?」
「昨日、残った部隊を連れて、人間界に戻ったんだ。」アスモデウスが言う。「しかも、あの人は敗北を報告しなかった。ただ、『任務完了。撤収する』って言っただけだ。」
「任務完了?」
「うん。変な言い方だろ。明らかに負けたのに、任務完了だなんて。それに、あの矢を射った兵士たちのことも追求しなかった——追求しないんじゃない。完全に触れなかったんだ。まるで、そんな人間は最初からいなかったみたいに。」
黙る。
あの女、何を考えてるんだ?
「もっと変なこともある。」アスモデウスが続ける。「引き上げる前に、誰かに手紙を託したらしい。」
懐から封筒を取り出す。私に差し出す。
封筒は上等な羊皮紙だ。封蝋には、ワシの形の印が押してある。
封筒を開ける。中の便箋を取り出す。
そこには、一行だけ書いてあった。
「覚えておく。お前も覚えておけ——命を救われた借りがある。」
署名は、クラウディア・フォン・アイゼンベルク。
その一行を見ながら、胸の中に変な感じが湧き上がる。
この女公爵、何を考えてるんだ?
「何て書いてあった?」ベルゼブブが顔を寄せる。
「別に。」手紙をしまう。「ただの、お礼。」
「お礼?あんたがあの女を助けたんだ。お礼くらい、当然だな。」
「うん。」
手紙を枕の下に押し込む。
「そうだ、ルシファーは?」
「陛下は謁見の間にいるよ。」アスモデウスが言う。「昨夜からずっと、幹部たちと会議をしてる。」
「会議?何の会議?」
「七耀聖杯の動向についてだ。」彼女の表情が険しくなる。「あんたが寝てる間に、向こうが動いたんだ。」
心臓がぎゅっとなる。
「どんな動き?」
「一条煌が宣言した。一月後、自ら七耀聖杯を率いて、魔界に攻め込む、と。」
部屋の中が静まり返った。
一ヶ月。
あと、一ヶ月しかない。
窓の外、紫色の空は不気味だけど美しい。
一ヶ月後、ここはどうなってるんだろう?
わからない。
でも、わかることが一つある。その時、私はもう逃げない。
クラウディアが退却してから三日後。一通の手紙が届いた。
彼女自身が書いたものじゃない。もっと隠されたルートから——魔界では珍しいワタリガラスが、密封された巻物をくわえて、私の窓辺に止まったんだ。
巻物を開く。
そこにはほんの数行書かれてた。でも、どの文字も心臓を早くさせるには十分だった。
「不死者へ
命を救われた借りを返す、第一弾の情報だ——撤退途中、聖光教会の極秘文書を入手した。
文書には、『聖処女計画』は一条煌から始まったものではない、と記されていた。この計画は千年前にすでに始動している。代々、選ばれた『聖処女』の魂には印が刻まれ、『適切な時』に目覚めるのを待っている。
お前は最初の聖処女ではない。最後でもないだろう。
文書にはさらにこう書いてあった。一条煌はこの真実を知っている。お前が生まれ変わりであること。お前の魂に何かが埋め込まれていること。彼がお前を生贄に捧げたのは、聖王の力を活性化させるためだけじゃない。本当の目的は——
『埋められた果実を摘み取るため』だ。
果実とは何か。それは私にもわからない。だが、文書の中で気になる一文があった。
『聖処女が竜の心臓を喰らう時、千年前の呪いが目覚める。』
お前は竜の心臓を喰らったか?
もし喰らったなら、夢に気をつけろ。
——クラウディア」
手紙が手から滑り落ちた。
竜の心臓?
私は確かに混沌魔竜を喰らった。それは「竜の心臓を喰らった」ことになるのか?
千年前の呪い?
うつむいて自分の手を見る。手の甲には黒い紋様がぼんやり浮かんでる。いつもと変わらない。
でも、あの夜——
急にあることを思い出した。
竜の腹の中で目覚めたあの日。確かに夢を見た。
夢の中で、一人の娘が泣いてた。
白い長袍を着て、祭壇の上に立ってる。周りには大勢の人がひれ伏してる。全身を聖光で包んだ一人の男が、その娘に微笑みかけてる。
「怖がるな。」その男が言う。「これは一時のことだ。お前の魂は私と一緒にいる。永遠に。」
そして聖光が光った。
娘の体が灰になった。
でも、その目は消える最後の瞬間、私の方を向いた。
その目に恨みも怨みもなかった。ただ——
「覚えて。」
彼女は言った。
「真実を、覚えて。」
夢はそこで途切れた。
ずっと、あれは死ぬ間際の幻覚だと思ってた。
でも、今——
手紙を拾う。もう一度読む。
「夢に気をつけろ。」
クラウディアの筆跡は几帳面で冷たい。でも、この一文には何か心配するような気持ちが込められてる気がした。
窓際に歩く。魔界の紫色の空を見る。
三つの月たちは、この世界を何年見てきたんだろう?
何代もの「聖処女」の生贄を見てきたんだろう?
「あんたは、誰?」
小声で訊く。あの夢の中の娘に、なのか。それとも自分自身に、なのか。
誰も答えない。
でも、わかった。これからは、すべての夢がもうただの夢じゃなくなるってことを。




