第五章 鉄血女公爵の潰走
宣戦布告から、三日後。戦争が、始まった。
小競り合いなんかじゃない。全面戦争だ。
人間の連合軍が、聖光教国の国境から、出発した。転送門を、通り抜けて、まっすぐに、魔界に、迫ってる。前線からの情報によると、連合軍の数は、十万を超える。七つの王国の、最精鋭部隊で、編成されてる。武器や鎧には、魔法が、かかってる。それに、何百人もの、聖光教会の祭司が、従軍してて、いつでも、浄化の魔法を、使えるように、準備してるって。
で、連合軍の総大将は、あの、「鉄血女公爵」って、呼ばれてる女——クラウディア・フォン・アイゼンベルクだ。
初めて、この名前を、聞いたのは、アスモデウスからだった。
「面倒なことになったわね。」情報の巻物を、見ながら、彼女は、眉を、ひそめる。「よりによって、なんで、あの人が、来るのよ?」
「すごい人なの?」私が、訊く。
アスモデウスが、顔を、上げる。その表情は、普段の、美形しか、興味ない、色欲の幹部とは、思えないほど、険しい。
「人間界に、『不敗』って、呼ばれる将軍が、何人いるか、知ってる?」
首を、振る。
「一人だけよ。その人が、そう。」
「クラウディア・フォン・アイゼンベルク。アイゼンベルク大公国の、女公爵。聖光教会で、最年少の、聖騎士団長。火の勇者。輝かしい戦績の持ち主で、負け知らず。十二歳で、戦場に、立ち、十五歳で、騎士に、叙せられ、二十歳で、団長に、なり、二十五歳で、公爵位を、継いだ。今年、二十四歳。戦った戦いは、百を、優に超える。全勝よ。」
アスモデウスが、言葉を、切る。
「それに、あの人は、純粋な、戦士なの。政治に、左右されない。利益に、動かされない。あの人が、戦うのは、ただ一つの、信念のため——人間を、守るためよ。」
黙る。
「もっと、厄介なのはね。」アスモデウスが、続ける。「あの人の、聖光属性は、『審判』なの。ただの、浄化じゃない。『審判』よ。魔族に、追加の、効果が、あるの。もし、あの人が、直接、手を、出してきたら、うちの幹部たちでも、止めるのは、難しいわ。」
「じゃあ、ルシファーは?」
「陛下が、勝てるのは、もちろんよ。でも、陛下が、直接、手を、出せば、戦争が、最上級の、レベルに、上がるってこと。そしたら、七耀聖杯の連中が、総出で、来る理由に、なるわ。今は、まだ、正面から、戦えない——少なくとも、あんたが、竜の力を、完全に、使いこなせるように、なるまでは。」
彼女の言いたいことは、わかった。
この戦争、私、逃げられない。
「その人、どこに、いるの?」
「え?」
「その、女公爵。どこに、いるの?」
アスモデウスは、私を見る。その目は、複雑だ。
「何を、するつもり?」
「会いに行く。」
傲慢の国の国境には、「灰燼平原」って、呼ばれる、荒野が、ある。
ここは、昔、魔界で、一番、栄えた場所の、一つだった。でも、三百年前の、大戦争で、不毛の地に、変えられた。黒い土地には、草一本、生えない。空には、いつも、灰色の霧が、立ち込めてる。
今、その灰燼平原に、人間の、十万の大軍が、陣取ってる。
テントが、果てしなく、続いてる。旗が、空を、覆ってる。その真ん中にある、金色の、大きなテントが、総大将、クラウディアの、指揮本部だ。
私は、遠くの、丘の上に、立ってた。そのテントを、見てる。
「本当に、一人で、行くつもり?」後ろで、ベルゼブブが、珍しく、調理器具も、持たずに、立ってる。「援軍を、出そうか?」
「いい。」私が、言う。「人が、多ければ、かえって、面倒だ。一人なら、負けそうになったら、逃げられる。」
「でも」
「大丈夫。」振り返る。「私は、死なない。不死者の、一番の強みは、死なないってことだし。」
ベルゼブブは、黙った。
「生きて、帰って来いよ。」彼が言う。「新作の、カップ麺、研究したんだ。帰ってきたら、食わせてやる。」
笑った。
「うん。」
振り返って、人間のキャンプに、向かって、歩き出す。
数歩、行ったところで、後ろから、ベルゼブブの、叫ぶ声が、聞こえた。
「そうだ!あの女公爵、すごく、きれいだからな!惑わされるなよ!」
今すぐ、引き返して、ぶん殴ろうか、迷った。
キャンプに、近づいた、その時。見張りの兵に、見つかった。
「敵襲!」
警報が、鳴り響く。キャンプ全体が、一瞬で、沸騰した。兵士たちが、四方八方から、押し寄せて、私を、ぐるりと、囲んだ。
足を、止める。両手を、上げる。
「戦いに、来たんじゃない。」言った。「クラウディアに、会いたい。」
「魔物ごときが、公爵様に、お会いできると、思うか?」
将校らしき男が、冷笑して、剣を、振りかざす。でも、剣が、落ちる前に、金色の光に、弾かれた。
「止めろ。」
低い、女の声が、人垣の後ろから、聞こえた。
兵士たちが、自動的に、道を、開ける。
彼女が、歩いてきた。
私は、たくさんの、きれいな人を、見てきた。一条煌も、きれいだ。あの六人の女勇者も、それぞれに、きれいだ。でも、クラウディアの、きれいさは、彼女たちと、全然、違う。
それは、繊細な、きれいさじゃない。優しい、きれいさでもない。ただ——
鋭い、きれいさだ。
金色の、短い髪。碧い目。顔立ちは、まるで、彫刻みたいに、立体的。彼女は、銀白色の、全身鎧を、着てる。鎧には、複雑な模様が、刻まれてて、かすかに、聖光を、放ってる。腰の剣は、まだ、抜かれてない。でも、その圧迫感だけで、もう、息が、詰まりそう。
身長は、百七十五センチくらい、だろうか。私より、まだ、半分、頭が、高い。一歩一歩が、とても、力強い。まるで、地面に、杭を、打ち込むみたい。
私の前に、来た。止まる。
距離、三メートルも、ない。
「不死者。」彼女が、口を開く。声は、低くて、落ち着いてる。「佐々木すみれ。」
「知ってるんだ。」
「連合軍中、知らぬ者はいない。」彼女は言う。「聖王様が、自ら、宣戦を、布告された、相手だ。知らぬわけが、ない。」
その口調は、とても、平淡だ。感情の、起伏は、まったく、ない。
「何の用だ?」
「あんたと、戦う。」私が言う。「一対一で。」
周りの兵士たちが、ドッと、笑った。
「正気か?」
「一人で、公爵様に、挑むだと?」
「不死者って、そんなに、死にたいのか?」
クラウディアは、笑わなかった。
ただ、私を見てた。その碧い目は、まるで、何かを、値踏みするみたい。
「理由は?」
「え?」
「あんたと、一対一で、戦う、理由を、言え。」彼女は言う。「私は、弱い者を、いたぶるような、野蛮人じゃない。あんたと、戦うなら、私が、納得できる、理由を、言え。」
考えた。
「もし、私が、勝ったら、あんたたちは、引き上げる。」
「もし、あんたが、負けたら?」
「好きにしろ。」
しばらく、黙った。
で、彼女は、うなずいた。
「いいだろう。」
「公爵様!」周りの将校たちが、慌てる。「おやめください」
「黙れ。」
一言で、誰も、声を、出せなくなった。
クラウディアは、私を見る。口元が、かすかに、上がった——初めて、彼女が、笑ったのを、見た。ほんのわずかな、笑みだけど。
「その勝負、受けて立つ。」
彼女は、剣を、抜いた。
その剣が、鞘から、抜かれた、瞬間。すごい聖光が、襲いかかってきた。剣身は、銀白色で、金色の文字が、びっしり、刻まれてる。切っ先には、かすかな炎が、燃えてる——あれが、審判の火だ。
「来い。」
彼女は言った。
三、潰走
負けた。
さんざんに、負けた。
最初は、まだ、チャンスが、あるかも、って、思ってた。骨竜を、召喚した——混沌魔竜の、残骸から、作った、縮小版だけど——空から、彼女に、向かって、急降下させた。地面の下の、死体の骨を、操って、あらゆる角度から、攻撃した。竜の力で、体を、強化して、スピードも、パワーも、人間離れした。
でも、彼女は、ただ、一振りしただけ。
一振りで、骨竜は、粉々に、砕け散った。
一振りで、すべての、死体の骨は、灰に、なった。
一振りで、私は、吹き飛ばされて、地面を、十几回、転がって、やっと、止まった。
起き上がって、黒い血を、吐き出す。
「審判属性の聖光は、不死者に、追加の効果が、ある。」彼女は、私を見る。口調は、相変わらず、平淡。「でも、一番の理由は、あんたが、弱すぎるからだ。」
また、一振り。
金色の剣気が、まっすぐ、飛んでくる。かろうじて、避けた。でも、腕が、かすった。その瞬間、焼きごてで、焼かれたみたいな、激痛が、走った。叫びそうになるのを、こらえた。
「あんたの、体内の、竜の力は、すごく、強い。」彼女は言う。一歩一歩、近づいてくる。「でも、あんたは、全然、使いこなせてない。ただの、パワーアップアイテムみたいに、使ってるだけだ。自分の一部として、使えてない。」
また、一振り。
今度も、転がって、避けた。でも、肩に、一線、走った。黒い血が、あふれ出る。傷口の周りから、白い煙が、立ち上る——聖光が、体を、焼いてる。
「あんたの、戦い方は、原始的すぎる。」彼女は、続ける。その口調は、まるで、授業を、してるみたいに、静かだ。「技術も、戦略も、ない。ただの、力任せと、召喚物だけ。そんな相手なら、私、十二歳の時でも、十人、相手にできた。」
また、一振り。
今度は、避けきれない。かろうじて、両腕で、急所を、守る。剣気が、当たった、瞬間。体が、吹き飛んで、地面に、たたきつけられた。
起き上がろうとした。でも、体が、言うことを、聞かない。
聖光が、体中を、駆け巡る。隅々まで、焼いてる。あの痛みは、竜に、食べられた時より、ひどかった。
彼女は、私の前に、来た。見下ろす。
「終わりだ。」
剣を、掲げる。
切っ先が、私の心臓を、狙う。
地面に、横たわったまま、彼女を見る。
これが、私の、結末?
一条煌に、生贄に、捧げられて、不死者に、なって、魔界に、逃げてきて、それで、人間の、女公爵に、殺される?
皮肉だな。
目を、閉じる。
でも、その瞬間。声が、聞こえた。
【立て。】
誰?
【お前は、復讐するんじゃ、なかったのか?】
その声は、聞き覚えが、あった。
混沌魔竜だ。
私に、喰われた、あの竜。
【お前の怨恨は、そんなものか?】
違う。あいつだけじゃない。
もっと、たくさんの声が、響く。
私に、喰われた、死者たち。竜に、食べられた、命たち。私の体内で、眠ってた、魂たちが、みんな、喋ってる。
【俺たちも、恨んでる。】
【裏切られた、恨み。】
【殺された、恨み。】
【忘れられた、恨み。】
【お前の恨みは、俺たちの恨みと、同じだ。】
目を、開ける。
クラウディアの剣が、空中で、止まってた。
彼女は、私を見る。眉を、ひそめる。
「お前の、気配が……変わった。」
変わった?
体中で、何かが、うごめくのを、感じる。
竜の力じゃない。死霊の力でも、ない。ただ——
すべての、怨恨。すべての、怒り。すべての、無念。すべての、諦めたくない、気持ち。
それらが、一つに、集まって、何か、全く新しいものに、変わろうとしてる。
手を、伸ばす。彼女の剣を、握った。
剣身の聖光が、激しく、手のひらを、焼く。でも、痛くない。
いや、痛みは、感じる。でも、その痛みを、受け入れた。
自分の怨恨を、受け入れたように。
「あんたの言う通りだ。」彼女を見る。声は、かすれてる。「私は、自分の力を、使いこなせてなかった。ずっと、怖がってたからだ。力に、飲み込まれるのが。化け物に、なるのが。」
立ち上がる。彼女の剣を、握ったまま、一歩、後ろに、押す。
「でも、今、わかった。」
体が、変わり始める。黒い紋様が、手の甲から、体中に、広がる。瞳孔は、完全に、竜の縦長に、変わる。背中から、巨大な、骨の翼が、広がる——さっきまでの、幻みたいなのじゃない。本物の、実体だ。
「私は、化け物だ。」
剣を、離す。一歩、後ろに、下がる。
「最初から、な。」
彼女は、私を見る。その目に、初めて、変化が、現れた。
恐怖じゃない。ただ——
戦意だ。
「面白い。」彼女が言う。「なら、本物の化け物が、どれだけ、強いか、見せてもらおう。」




