ルシファーの問い
そんな日々が、一週間、続いた。
一週間後の、ある夜。ルシファーが、突然、私の部屋に、現れた。
「俺と、来い。」
何も言わずに、私の手を、つかんで、外に、連れ出そうとする。
「どこに?」
「着けば、わかる。」
長い廊下を、抜け、螺旋階段を、降りて、最後に、たどり着いたのは、城の一番高いところ——塔の頂上だった。
塔の上は、展望台に、なってる。ここに、立てば、魔界の景色が、全部、見渡せる。
紫色の空。三つの月。遠くに、連なる山々。近くに、明かりの、灯る町——魔界の夜景は、不気味なほど、美しかった。
「きれいか?」彼が、訊く。
「うん、きれい。」
「ここは、俺の、領土だ。」彼は言う。「魔界で、一番、豊かな場所。七つの大国の一つ、傲慢の国だ。」
彼の方に、向き直る。
「どうして、私を、ここに、連れてきたの?」
しばらく、黙ってた。で、口を開いた。
「一週間、経った。」
「え?」
「お前が、ここに、来てから、一週間、経った。」彼は言う。「一週間もあれば、この場所を、知るには、十分だ。お前に、訊きたい」
体の向きを、変える。私と、向き合う。
「お前は、ここに、残りたいか?」
「俺のモノとして、じゃない。」彼は言う。「お前自身として、だ。佐々木すみれとして、ここに、残りたいか?」
彼を見る。何て、言えばいいのか、わからない。
「選べるんだぞ、お前は。」彼は、続ける。「もちろん、お前は、俺の刻印を、つけてる。でも、もし、本当に、出て行きたいなら、人間界まで、送ってやる。誰にも、見つからないような、辺鄙な場所に、隠れて、暮らせ。」
その表情は、真剣そのものだった。
「でも、もし、残るなら」
その目が、まっすぐに、私を、見る。
「もう、二度と、戻れなくなるぞ。お前は、魔界の一員に、なる。俺の、臣下に、なる。そして」
言葉を、切った。
「お前自身に、なる。」
夜風が、吹く。彼の、銀色の髪が、揺れる。
その目を見る。血のように赤い、その目には、いつもの、からかうような光も、危険な感じも、ない。ただ——
真剣さだけが、あった。
かつてない、真剣さ。
口を、開きかけた。何か、言おうとした。でも、言葉が、出てこない。
ここに、残りたいか?
ここには、人間はいない。学校もない。コンビニもない。食べたいものも、ない。
ここにいるのは、みんな、化け物ばかり。変人ばかり。私が、今まで、想像すら、したことないような、ものばかり。
でも——
ここには、アスモデウスがいる。毎日、私を、着せ替え人形にして、絵を、描いてくれる。
ベルゼブブがいる。毎日、美味しいものを、作ってくれる。見た目は、怖いけど。
ベルフェゴールがいる。いつも、考え事を、手伝わせられるけど、私の疑問を、笑ったりは、しない。
あの、幽霊たちもいる。うるさいけど、彼らの目は、温かい。
それに——
ルシファーを見る。
この男も、いる。
強引で、危険で、いつも、私を「モノ」扱いするけど、本当に、私を、無理強いしたことは、一度もない。
守ってくれてる。
最初から、ずっと。
「残りたい。」
自分の声が、聞こえた。
ルシファーの目が、ぱっと、輝いた。
「行くとこが、ないから、じゃない。」続けて、言う。「逃げ場が、ないから、でもない。だって」
息を、吸い込む。
「だって、ここで、私は、私の、存在意義を、見つけたから。」
私を、必要としてくれる、あの幽霊たち。私を、友達と、思ってくれる、あの魔族たち。それに——
私に、二度目の人生を、くれた、この男。
「残りたい。」
もう一度、言う。
ルシファーは、私を見る。長い間、見る。
で、彼は、笑った。
初めて、見る、笑顔だった。
からかうような、笑顔じゃない。危険な、笑顔でもない。ただ——
優しくて、満足そうで、ちょっと、子供っぽい、笑顔。
「よし。」
彼は言った。
で、手を、伸ばす。優しく、私の頭を、撫でた。
「今日から、お前は、ただの、俺のモノじゃない。」
その声は、とても、優しかった。
「お前は、俺の、家族だ。」
家族。その言葉、私にとって、遠すぎた。
生贄に捧げられてから、もう、二度と、家族なんて、持てないと、思ってた。
なのに、今、この、化け物ばかりの城で。この、魔界の、塔の上で——
誰かが、私に、家族だって、言ってる。
うつむいた。必死に、何かを、こらえる。
「バカ……」
つぶやく。
「夜中に、いきなり、そんなこと、言うから……」
ルシファーの手が、頭の上に、止まったまま。
「泣いたか?」
「泣いてない。」
「目、赤いぞ。」
「赤くない。」
「強情だな。」
「強情じゃない!」
顔を上げて、にらみつける。
彼は、赤くなった、私の目を、見て、もっと、嬉しそうに、笑った。
「はいはい、赤くない。」
手を、引っ込める。振り返って、夜景を、見る。
「明日から、本格的に、死霊術士の力の、使い方を、教える。」
「え?」
「まさか、ここで、ただで、飯を、食っていけると、思ったか?」横を向いて、私を見る。「お前は、俺の家族だけど、同時に、俺の臣民でもある。臣民には、臣民の、責任ってものがある。」
「どんな、責任?」
「強くなることだ。」
遠くを、見る。月明かりが、彼の顔に、淡い影を、落としてる。
「自分を、守れるくらい、強く。守りたいものを、守れるくらい、強く。そして」
声が、低くなる。
「自分の手で、一条煌に、復讐できるくらい、強く。」
一条煌。
その名前を、聞くだけで、心臓が、ぎゅっと、なる。
「うん。」
言った。
「教えて。」
ルシファーは、うなずく。
「明日から、早起きしろよ。寝坊、するなよ。」
「わかった。」
二人で塔の上に立つ。魔界の夜景を見る。
三つの月が不気味な光を放ってる。
遠くから、魔獣の、遠吠えが、聞こえる。近くでは、夜風が、吹いてる。
この世界は、見知らぬ場所で、危険だらけ。
でも、今、この男の、隣に、立ってると、なぜか、とても、安心する。
「そうだ。」
急に、あることを、思い出した。
「あの、魔族の幹部たち——アスモデウスに、ベルゼブブ、ベルフェゴール——あの人たち、みんな、昔は、人間だったの?」
ルシファーは、しばらく、黙った。
「どうして、知ってる?」
「ベルゼブブが、言ってた。」私が言う。「人間の食べ物の味を、覚えておきたいって。そうすれば、自分が、昔、人間だったってことを、忘れずに、済むから、って。」
ルシファーは、うなずく。
「七大罪の幹部は、ほとんどが、死後、魔族になった者たちだ。」彼は言う。「奴らは、生きてる頃、強い執念を、持ってた——色欲、暴食、怠惰、嫉妬、強欲、憤怒、傲慢。死後、その執念が、奴らを、魔族に、変えたんだ。」
「じゃあ、あんたは?」
「あんたも、昔は、人間だったの?」
ルシファーは、振り返る。私を見る。
その血のように赤い目に、複雑な光が、よぎった。
「俺は、違う。」
彼は言う。
「生まれついての、魔族だ。生まれた時から、『傲慢』の、化身だ。」
少し、間を、置いた。
「でも、俺も、一度だけ、憧れたことが、ある——人間に、なりたいって。」
その声は、とても、小さかった。風に、かき消されそうなほど。
「それは、どんな、感じ?」
「どんな感じって?」
「人間に、なりたいって、憧れる、感じ。」
彼は、私を見る。長い間、見る。
で、彼は、笑った。
「そのうち、わかる。」
答えには、なってなかった。
でも、なぜか、何かが、わかったような、気がした。




