闖入者・大精霊リリィ
揺れが止まった。
でも空気にはすごい圧迫感が漂ってる。まるで何か巨大なものがここを見つめてるみたいな感じ。
ベルゼブブが立ち上がった。私の前に立ちはだかる。
「俺の後ろにいろ。」
その声は、さっきまでインスタントラーメンを研究してたあのコックとは思えないくらい真剣だった。
まん丸いその後ろ姿を見る。心の中でちょっと感動した。
確かに変人だけど、頼りになる変人でもあるんだな。
足音が聞こえてきた。
一人じゃない。大勢——いや、大勢の魔族だ。アスモデウス、ベルフェゴール、それに他の見たことのない幹部たちもみんな中庭に駆けつけて、私とベルゼブブをぐるりと囲んだ。
「あの方が来た。」アスモデウスが言う。その表情はかつてないほど険しい。
「誰が?」
訊いたその時、声が響いた。
「あらあら、こんなに大勢でお出迎えしてくれるなんて、照れちゃうわ。」
それは小さな女の子の声だった。
澄んでて、甘くて、ちょっとだるそうな声。
で、彼女は現れた。
空から降りてきた。
違う、空からじゃない。虚無から歩いて出てきた。空間が裂けて、そこに入り口ができたみたいに。彼女はその裂け目から足を踏み出した。裸足で空中に立って、一歩また一歩と降りてくる。
それは十二、三歳くらいの女の子だった。
銀色の長い髪が腰まで届いてる。碧い目はまるで宝石。顔は精巧すぎて、人間とは思えない。薄緑色のワンピースを着てて、裾と袖口には金色の刺繍がある。頭には花の冠——その花は咲いては散り、散ってはまた咲くを繰り返してる。
彼女はただ空中に立ってた。下の魔族の幹部たちを見下ろしてる。顔にはだるそうな笑みを浮かべて。
「リリィ様。」アスモデウスが口を開く。その口調は敬意を含みつつも警戒心がにじんでる。「本日はどのようなご用件で?」
リリィ?
その名前に心臓が跳ねた。
大精霊リリィ。
伝説で最も古い大精霊の一人。自然を操る恐ろしい力を持つって言われてる。もう何万年も生きてるらしい。
なんでこんなところに?
リリィはアスモデウスの質問に答えない。その目はそこにいる全員をざっと見渡して、最後に——
私に止まった。
その瞬間、背筋に寒気が走った。
その目つきがあまりにも変だったから。
値踏みでも脅しでもない。まるで——
面白い玩具を見るみたいな目。
「見つけた。」
彼女は笑った。
その笑顔は天使みたいに甘い。でもなぜかルシファーを思い出させた。
で、彼女は消えた。
次の瞬間、目の前に現れた。
私との距離、五十センチもない。
彼女のまつげのカーブまで見えそうだった。
「あんた……」
ベルゼブブが前に出ようとした。でもリリィはただ手を軽く振っただけ。彼のまん丸い体が飛んでいく。地面で何度か弾んで、最後に壁にぶつかった。
「ベルゼブブ!」
駆け寄ろうとした。でも手が肩を押さえた。
その手は小さくて軽い。でも私は動けなかった。
「焦らないで。」リリィの声が耳元にする。「あの子は大丈夫。ちょっとだけ静かにしてるって言っただけよ。」
振り返る。その碧い目と向き合う。
近くで見ると、その目は信じられないくらいきれいだった。底なしの深い沼みたいで、その中に森全体が映ってるみたい。
「あんたがあの不死者ちゃん?」首をかしげて私を見る。「死霊術士で、混沌魔竜を喰らって、一条煌に捧げられた生贄——ふうん、噂通り面白いわね、あんた。」
「あんた……何しに来たの?」
「何しに?」ちょっと考え込む。「まだ決めてないわ。まずはあんたがどんな顔か見たかっただけ。」
手を伸ばす。私の顔を両手で包む。あっち向けたりこっち向けたり、じっと見る。まるで骨董品を鑑定するみたいな真剣な顔で。
「うーん……顔立ちは悪くないわね。目はきれい。縦長瞳孔、ポイント高いわ。肌は白すぎだけど、不死者だししょうがないか。髪はいいわね。黒、好きよ、黒。」
手を離す。うなずく。
「合格。」
何が合格?
「合格よ。」もう一度言う。説明するみたいに。「私のオモチャになれるわ。」
聞き間違えたかと思った。
「今日から、あんたは私のものね。」リリィが宣言する。その口調は当然すぎて、まるで「今日はいい天気ね」って言ってるのと同じだった。
周りの魔族幹部たちの表情が一斉に変わった。
「リリィ様。」アスモデウスが苦しそうに口を開く。「その方は陛下の……」
「知ってるわよ。」リリィは遮る。「ルシファー君のお気に入りでしょ?奪わないわよ、ちょっと借りるだけ。」
私の方に向き直る。ウインクする。
「ね?あんたも私と遊びたいでしょ?」
私が?
いつ遊びたいって言った?
「黙ってたら肯定と受け取るわよ。」リリィがうなずく。「よし、じゃあ行きましょ。」
私の手をつかむ。あの空間の裂け目に向かって歩き出そうとする。
「ちょっと待って……」
抵抗しようとしたその時、別の声が響いた。
「離せ。」
その声は大きくない。でも中庭全体の温度が数度下がった気がした。
ルシファーが中庭の入り口に立ってた。銀色の長い髪が風もないのに揺れてる。血のように赤い目には危険な光が燃え上がってる。
一歩また一歩と歩いてくる。どの歩みも力強くて、無視できない圧迫感を伴ってる。
「リリィ。」
「あら、ルシファー君。」リリィは振り返る。悪びれもせず笑う。「久しぶり。元気してた?」
「離せ。」
ルシファーは私たちの前に来た。手を伸ばして、私のもう片方の手をつかむ。
二人とも力を入れてない。でも腕がもげそうな気がした。
「ちょっと借りようと思っただけよ。」リリィが言う。まるでオモチャを借りる相談みたいな口調で。「数日遊んだら返すから。」
「ダメだ。」
「けちね。」リリィが口をとがらせる。「一日だけなら?」
「ダメだ。」
「半日?」
「ダメだ。」
「一時間?」
「ダメだ。」
リリィの目が細くなった。
「もし無理やり借りようとしたら?」
ルシファーの目も細くなった。
空気が固まった。
周りの魔族幹部たちが一斉に一歩後ろに下がった。
感じた。
二つの恐ろしい力が今にも爆発しようとしてる。いつ噴き出してもおかしくない。
で、私はその真ん中に立ってる。まるで噴火しようとしてる火山の火口に立ってるみたいに。
「あの……」
か細く口を開く。
「とりあえず手、離してくんない?腕、もげそう。」
二人とも同時に私を見た。そして同時に手を離した。
手首を揉む。二歩後ろに下がる。安全な距離を確保する。
「二人が戦うのは勝手だけどさ。」私が言う。「私を巻き込まないでよ。」
リリィが私を見る。突然笑った。
「面白い。」彼女は言う。「あんた、本当に面白いわね。ルシファー君、どこでこんな面白いオモチャを見つけてきたの?」
「彼女は俺のモノだ。」ルシファーが言う。その口調には明らかな警告が込められてる。「オモチャじゃない。」
「はいはい、あんたのモノね。」リリィは手をひらひらさせる。「じゃあ、あんたのモノとちょっと話してもいい?ちょっとだけ。話したらすぐ帰るから。」
ルシファーはしばらく黙ってた。そして小さくうなずいた。
リリィは私の方に向き直る。顔の笑みが少し引っ込んだ。
「あんた……」
手を伸ばす。指が私の眉間を指す。
その瞬間、何かが私の中に入ってくるのを感じた。
侵略じゃない。探査だ。
まるで一つの視線が私の中をくまなく見て回るみたいに。記憶、感情、執念、怨恨——すべてを見られてる。
で、彼女は手を引っ込めた。
「やっぱりね。」
その表情が複雑に変わった。
「あんた、空っぽの器ね。」
空っぽの器?
「中は怨恨でいっぱい。」彼女は続ける。その口調にはかすかな哀れみが混じってる。「一条煌の裏切り。生贄にされた絶望。追われる恐怖。逃げ場のない孤独——それらがあんたの元々の『心』を押しつぶして、残ってないわ。」
その通りだ。
私、確かに怨恨でいっぱいだ。
でもどうすればいい?
一番愛した人に裏切られて。世界中に追われて。化け物になって。魔界に逃げてきた——
怨恨以外に何がある?
「このまま行くと、あんた本当の化け物になっちゃうわよ。」
リリィの声が優しくなった。その優しさが、さっきの笑顔より不気味だった。
「今みたいな半人半竜の不死者って意味じゃない。本当の、本能だけで動く化け物よ。あんたの心は怨恨に完全に喰い尽くされる。自分が誰かも忘れる。何を愛してたかも忘れる。何のために生きてるかも忘れる。」
私を見る。碧い目に複雑な光が揺れてる。
「お姉ちゃんが消化、手伝ってあげようか?」
「消化?」
「うん。」うなずく。「あの怨恨を消化してあげる。あんたが自分の心を取り戻せるように。もちろん、代わりに……」
彼女は笑った。その笑顔にはかすかなずる賢さが混じってる。
「あんたは私のオモチャになるのよ。」
「ダメだ。」
ルシファーがまた口を開く。その口調は断固としてた。
「あいつは怨恨を消化する必要はない。あいつの怨恨はあいつのモノだ。あいつのすべては俺のモノだ。俺の許しなく、誰にも触らせない。」
リリィは彼を見た。長い間見てた。
で、ため息をついた。
「はいはい、あんたたち主従仲良しね。わかったわ、もう何もしない。」
振り返って二、三歩歩く。でもまた振り返った。
「でも……」
私を見る。
「覚えておきなさいよ。もしもうダメだって思ったら、いつでも話しに来なさい。精霊の森の門はいつだってあんたに開かれてるから。」
胸元から一枚の葉っぱを取り出した。私に差し出す。
碧い葉っぱだ。かすかに光を放ってる。複雑な模様のルーン文字が刻まれてる。
「これは私のしるし。持ってれば私に会えるから。」
葉っぱを受け取る。呆然と彼女を見る。
彼女は私に微笑んだ。その笑顔にはさっきまでのずる賢さはなくて、ただ純粋な善意だけが残ってた。
「私の名前はリリィ。今度からリリィお姉ちゃんって呼びなさい。」
そう言って、彼女は空間の裂け目に入っていった。消えた。
中庭は静かになった。
うつむいて手の中の葉っぱを見る。そして顔を上げてルシファーを見る。
彼も私を見てる。
「あの人の言う通りだ。」彼は言う。「お前は確かに怨恨でいっぱいだ。」
葉っぱを握りしめる。
「でも、だから何だ?」
彼は私の前に来る。手を伸ばして私のあごを上げる。
「お前の怨恨はお前の一部だ。お前の絶望はお前の一部だ。お前の苦しみはお前の一部だ。誰にもそれらを『消化』させはしない。なぜなら……」
その目がまっすぐに私を見る。
「それらは全部、俺のモノだからだ。」




