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廃神社のおばけ博士

作者: 唐 揚好

終業式が終わった。

 僕の周りには明日から始まる長い休みの予定を話し合い、報告し合う楽しげな声がそこかしこに満ちているのに、僕はその中に入れない。

 七月の頭という中途半端な時期の転校生に、夏休みを一緒に遊んでくれるような友達はできなかった。

 僕こと鈴木太一が、なぜこんな時期に転校してきたのかといえば、父とその再婚相手の邪魔になったからだ。

 三年前から交際をしていたことも、僕の弟、もしくは妹ができたから結婚することになったことも、ある日突然家にやってきて聞かされのだから拒否権も何もなかった。

 そこで新しい家族が出来たことを喜べたらまた違っていたのかもしれないけれど、その再婚相手にも、その人から産まれるらしい弟か妹にも僕は何の興味も抱けなかった。

 再婚相手からすると、そんな自分に懐かない子供が家に毎日いることが我慢ならなかったらしい。

 父に泣き付いて子供が産まれるまで、僕は父方の祖母の家に行かされることになったのだ。

 当然、あまりにも急すぎる身勝手な転校に嫌だと抗議した。僕にだって友達はいた。夏休み縁日に行こうとか、子供会のキャンプだって楽しみにしていたのに。

 

『お前は自分の楽しみのことばかりだな。

産まれてくるのはお前の弟か妹なんだぞ、母さんやお腹の赤ちゃんがどうなってもいいって言うんだな』

『ひどいわ太一君……! 私とは血が繋がってなくてもお腹の赤ちゃんはあなたの兄弟なのに……!』

 

 わっと泣き出す再婚相手と、それを慰める父の様子は、笑いどころの見つからないコントを見ている気分だった。

 再婚相手の中で、僕は彼女と産まれてくる赤ちゃんをいじめる悪者で、父はそんな僕から再婚相手と産まれてくる赤ちゃんを守る父親。

もう、僕の父親ではなかった。

 こうして僕は家を追い出され、県を幾つか跨いだこの町に来た。

 突然、僕を押し付けられることになった祖母は僕を悪く言うことはなかった。けれど父に何か言われたらしく、小さい子に嫉妬しても仕方ない、もうお兄ちゃんなんだから、と見当違いの言葉をかけるだけで僕の味方というわけでもない。

 小学校最後の夏休みが最低なものになると決まり、祖母の家に向かう僕の足は、うだるような暑さも相まって重たくてかなわなかった。

 ただ足を動かすだけの辛い作業を繰り返していると、ふと視界に駄菓子屋と隣の家の間の細い路地が目に入り、その奥には苔むして斑模様の石段と、その上にあるくすんだ朱色の鳥居がある。

 いつも横目に通り過ぎるだけのその神社、鳥居の奥は暗くて何処か不気味ではあったけれど、とにかく日陰に入りたくて僕はその脇道に足を向けた。

 隙間から這い出すように茂る雑草が脚を掠っていくのがこそばゆいような、痒いような不快感を我慢しながら石段を上って鳥居をくぐる。

 世界が変わったかと思うほど、神社の境内は薄暗く、ひんやりと涼しい。

 建物は手入れされていなくて、屋根から猫じゃらしが生えるぐらいぼろぼろ。いかにもこれからの季節にぴったりな、おばけが出てきそうな薄気味悪い場所だった。

 ずっとここにいたら帰れなくなりそう、そんな馬鹿みたいな不安が湧き上がって石段を下りようと拝殿に背を向けた時だった。

「やぁ、珍しいねここに人が来るなんて」

「!?」

 突然かけられた声に僕の心臓は縮み上がった。

 声のした方に振り向くと、雨晒しで色が抜けて灰色にくすんだ賽銭箱の上、頬杖をついている女の子がいた。

 近所の中学校の夏服を着た、明るい髪色の涼しげなショートカット。猫のようにくりくりとした大きな眼の、うん、思わずちょっと見惚れたぐらい可愛いと綺麗がちょうど良く混ざり合った人だった。

「君、私のこと幽霊だと思ってびびっただろ?」

「……びびってないし」

 図星だ。でもそれを素直に認めるのは悔しくてそう言い返したけれど、その人はそんな僕の虚勢はお見通しだとけらけら笑った。

「いやぁごめんごめん、この神社は見ての通りほったらかされて長くてね。私以外の子供が入ってきたのが珍しかったから。

君、この辺じゃ見かけない子だね」

「今月転校してきたから……」

「今月? また随分急な転校だ。

ははぁ、さては君夏休み遊ぶ友達がいないんだな?

安心したまえ、何を隠そう私もぼっちだ!」

 何を安心しろっていうんだろうか。

 初対面でかなり失礼なことをあけすけに行ってくる上に、どこか芝居がかった口調で胸を張ってぼっち宣言。

 なんておかしな人なんだろう……。

 そう思っている僕へ、彼女はさらにおかしな自己紹介をした。

「私の名前は藤村亜紀子。【おばけ博士】さ」

「だっさ」

 思わず本音が出てしまった。

 でも、女子中学生があんまりにもあんまりなネーミングセンスの肩書きを自信満々に自称する。自分のことは棚にあげるけれど、この人に友達がいない、というのはとても納得してしまった。

「失礼なやつだな!それより私はちゃんと名乗ったぞ。

君も名乗るべきじゃないのかい?」

「鈴木太一・・・・・・」

「へぇ、覚えやすくていい名前じゃないか。たいっちゃんと呼ばせてもらうよ。私のことは亜紀子さん、亜紀子お姉さん、亜紀子様、亜紀子女史、亜紀子博士などなど常識の範囲内で敬意を込めて好きに呼んでくれたまへ」

「じゃあ藤村さん」

「君その歳で冷めすぎじゃないか!?」

 きぃきぃと抗議の声をあげる藤村亜紀子という人はとても歳上とは思えないし、何より勝手にあだ名をつけてくるほどとても馴れ馴れしい人だ。

 けれど、少しだけ今はその馴れ馴れしさが嬉しいと思ってしまった。

「藤村さんはここで何をしてたの?」

「私は昔から妖怪、幽霊、魑魅魍魎の類の話が大好きでね。それらを集めて編纂した説話集を作るのが夢なんだが母はそれが面白くないらしい。危うく貴重な資料達を燃やされそうになって、この神社に隠してそのまま私の研究室にしたというわけさ」

 なるほど、藤村亜紀子という人は俗にいうオカルトマニアらしい。

 妙に学者ぶった口調(実際の学者がこんな口調かはわからないけれど)、博士と自称するあたり、結構な変人であることは確かだ。

 けれど、その口調がとても自然で当たり前のように思える、不思議な知性を感じさせる人だった。

「おいで、中を見せてあげる」

 藤村さんは僕の手首を掴み、引き摺り込むように拝殿の戸を開けて、その中に僕を招く。

 湿った木と黴臭い匂いがする中は外観に負けず古かったけれど、意外と掃除されているようで埃なんかはつもっていない。

 けれど床の上のそこかしこに積まれた古い本のせいで、足の踏み場はあまりない。

「ようこそ私の研究室へ。あ、その辺床ぐらついてるから気をつけな」

「こんなことして怒られないの?」

「おや、たいっちゃんは意外と信心深い方かい? へーきへーき。私はもう長いことここを縄張りにしてるんだ、今更神罰なんてあるもんか。そんなことよりほら、お近づきの印にあげるよ」

 差し出された白い手のひらの上にあるのは、そこの駄菓子屋にも売っているソーダ味の飴。僕がそれを受け取ると、藤村さんはポケットからもう一つ同じ飴を取り出した。

 そして、袋を剥いて飴玉を取り出し、ぽーんっと上に投げて口に放り込む。

「どうだ、うまいもんだろう?」

 その程度のことで得意げに笑うその仕草も、何処か猫のように無邪気だった。

「ちょうどいい、一つ飴にまつわるおばけの話をしよう。

子育て幽霊という話を知ってるかい?」

 にたり、と藤村さんは目を細めて笑った。

「夜遅くに突然女が一文銭をもって飴を売ってくれ、とやってくる。それが六日間続き、七日目の晩にもうお金がないからこの羽織で飴を売ってくれと羽織を置いていくんだ。そしてその羽織を干していたらある通りがかったお大尽、まぁお金持ちのことだと思ってくればいい、そこの旦那がこれはつい先日死んだ娘の羽織だという。娘の墓に来てみれば土の下から赤ん坊の鳴き声が聞こえてくる。まさか、と墓を掘り返してみればなんと娘のそばに飴を舐めている赤ん坊がおり、娘は自分が死んだ後に産まれた赤ん坊を育てる為に夜な夜な三途の川の渡賃である六文銭で飴を買っていた。お大尽は新たに六文銭を入れてやり、その赤ん坊は寺に引き取られてとても徳の高い僧侶になった。

 まぁ、多くの地域で多少の差異はあるが、概ねこんな話だよ」

 その話は僕も聞いたり、読んだことがある。アニメとして放送されてもいるとても有名な、母の愛をテーマにした怪談の類。

 自分にはあまり縁のないの話だ、と冷めた気持ちで聞いていた。

「でもさぁ、本当に女は子供の為に飴を買いに来たと思うかい?」

「え」

 だから、この話の根幹を否定するような問い掛けをしてくる藤村さんを、僕は目を丸くして聞き返してしまった。

「私はね、女は赤子を棺桶から出すことが目的だったんじゃないかと思うんだ」

「だから、このままじゃ子供が死んでしまうから棺桶の外に出したんでしょ?」

「そう、子供が死んだら女は永遠に棺の中で子供と一緒だ。それこそ死後の世界でも。それが嫌で嫌でたまらなかったとしたら?昔はね、今と違って好きなもの同士で結婚することはかなり稀だ。身分、家の商売の都合、借金の形。そんな理由で互いの利益で親に決められるものだったのさ。お大尽の娘なんてそれこそ跡取りでもなければ、家を大きくする為の道具でしかなかっただろう。離婚だって今以上に難しい、何せ姑どころか夫に暴力を振るわれても、浮気されたって今みたいに女が慰謝料を取って離婚、なんてみっともないし、とんでもない。家の恥だ我慢しろと娘の両親が言い放つような時代だからね。女にとって結婚相手は嫌で嫌で仕方ない相手だった。嫁に出したらもう、うちの娘ではない、と両親も助けてくれない。そしてある日女は流行病でぽっくり逝った。ようやくあの嫌で嫌で仕方なかった家から解放された。なのに、自分の腹の中にはまだ赤ん坊がいる。憎い男の血を引いた生き物、胎の中で蠢いていた赤ん坊がこともあろうにしぶとく生まれてきてしまった。女の絶望は如何程のものだったことだろうね」

 あまりにもこじつけが過ぎる荒唐無稽な話だった。

 なのに、藤村さんの澄んだよく通る声が、まるでかつて本当に起きたことだと言わんばかりに、 朗々と語るものだから、思わず聞き入ってしまった。

「それに、だ。そもそも赤ん坊は人間だったのかな?」

 さらに藤村さんはまたも荒唐無稽な仮説を唱えてくる。

「どういうこと?」

 僕はいつの間にか藤村さんの語る話に引き込まれていた。この先彼女が語ってくれる、とんでもない妄想といってもいい話の続きを、僕は口をつぐんで期待する。

 そんな僕に藤村さんも嬉しげに、さらににんまりと笑って口を開く。

「よく考えてごらんよ。遺体を納めた棺桶ってのは、野犬なんかに掘り返されないようにかなり深く掘った穴に埋めるんだ。しかもその上から土を被せている。六日間も酸素が保つと思うかい?ましてや、一日たった一粒の飴ごときで新生児に必要な栄養が補えるとでも?奇跡的に酸素も栄養も保ったとしよう、どうしてお大尽はその赤子を引き取らなかったんだろうね。死んだ娘が残した奇跡的に生還した孫を引き取らず、赤ん坊は寺に預けられ僧侶になった。引き取れない、引き取らない理由。赤ん坊が人間でないものの血を引いていたとしたら?親同士で決められた結婚ならまだ諦めがついたかもしれない、でも胎の中にいるのが人ではない化け物の子だとしたら?自分を辱めた憎い、悍ましい、気持ちの悪い化け物の分身が胎の中にいる」



 私は悪くない


 私は被害者なのに

 

 あの化け物に襲われて、怖くて、痛くて


 なのにみんな私が悪いって


 私がふしだらな女だって父様も母様も私をぶった、罵った


 いや、いや、やっと死ねたのに


 やっと解放されたと思ったのに



「煩わしい鳴き声、自分の躯の上で這い回るそれに気が狂いそうになりながら女は必死で考えた。このうるさい肉の塊、自分の不幸の元凶、誰か、誰か……」


“これを外に出してぇえっ!”


「……」

「なぁんて、ね。驚いたかい?」

 まるで女が取り憑いたのかと思う程の、真に迫る、悲痛で狂ったような悍ましい金切り声だった。

 僕の腕にはびっしりと鳥肌立っていて、どくどくと心臓が駆け足で動いている。

 よくある最後に大声を出して聞き手を驚かせる古典的な手段。

 でも、蝉の声さえ遠く微か廃神社という箱の中では、藤村さんの透き通る声色に勝る音はなくて、その話に引き込まれずにはいられなかった。

 本当に、棺桶の中の女と赤ん坊を上から眺めていたような気に、違う。

 あの時、僕の意識はたしかに棺桶の中にあったんだ。

「どうだった?」

「面白かった」

「ほんと?」

 ぱぁっと無邪気な笑顔が咲いた。

 悔しいけれど完敗だ。

 この藤村亜紀子という人の声には不思議な魔力と魅力があった。

「明日も何か聞かせてよ」

「いいとも。ではたいっちゃん、君は私の名誉ある助手一号だ」

 こうして僕はおばけ博士の助手、藤村亜紀子の友人となった。

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