歌うたう声は素晴らしい(だけどめったに歌わない)
彼は花摘みの名人だ。今年で二十三になる。
彼の名はウィリアム、朝早くから日暮れどきまで花を摘む。もちろんただの遊びではない、摘みとった花は『花酒』になるのだ。
花酒とはその名の通り、花から作られたお酒である。異世界のどこかでは、猛毒を持つ花もあるという。だが当たり前のように妖精が飛ぶこの世界では、そんな毒を持つ花なんてめったにないから、人々は安心して花を摘み、色とりどりの花酒を作っては飲んでいる。
桃のお酒、桜のお酒、薔薇に椿にたんぽぽのお酒……花酒はどれも美味しいが、なかでもウィリアムの摘んだ花から作るお酒は絶品だ。彼の指先は細くて長く、花を摘む手つきはとても柔らかで、花びらの一枚いちまい、黄色いおしべの一本までも傷つけたりはしないのだ。
優しく摘まれた花々はまろやかな雨水を注がれ、絞り器にかけられ、黄色にピンク、薄紫色、さまざまな色の透き通る液体になり、下に設置した瓶へとすべり落ちてくる。それを半年から一年、冷暗所で発酵させれば、みごと花酒の出来あがり。
この星の人々は花酒を愛する。バーで、自宅で、お祝いの席に、中でも結婚式などに、お葬式にはお葬式で、ライラックの花を絞ったつつましい薄紫色の酒を、故人をしのんで静かにたしなむ。
そうしてウィリアムがその優しい手で摘んだ花は、その花から作ったお酒は本当にひとくち口に含んで「味が違う!」と叫びたくなるくらい美味しいので、みんなに人気があった。海をこえた違う国でも『ウィリアム印の花酒』として一級品と名高いほどに、本当にみんなに人気があった。
そんなウィリアムは、決して贅沢な暮らしはしていなかった。若くして亡くなった両親の遺した小さな家に、一匹の妖精と住んでいた。その妖精も決して美人というのではなく、そばかすのほおに枯草色の髪、素朴な萌黄の瞳をした、『田舎のお嬢さん』といった雰囲気の外見だった。
だが妖精は――ウィリアムが『リタ』と名づけていた――素晴らしく歌がうまかった。ウィリアムが週に一度の休みの日、リタを肩にのせて散歩する時など、リタは歌った。
たとえば春の日、淡く光を放つような透けるほど水色の空の下、散りぎわの桜がひらひらと、風もないのにあたたかな雨のように舞い落ちるとき。
夏のある昼、灼けるような陽射しの作り出す黒い木陰に避難した瞬間に、さあっと汗のひく一陣の風が吹いてきたとき。
冬の初めのある夜に、黒い空に星が輝き、ちかちかと冷たい空気にきらめいてきらめいて落ちそうなとき――リタは歌った。それはそれは美しい、宝石で出来た砂粒を詰めた砂時計を逆さにしたとき、聴こえてきそうなちりちりとしたかすかな声で。
だが、リタはめったに歌わなかった。とても内気だったのだ。ウィリアムの知り合いと散歩のとちゅうで行きあっても、さっと青年の肩の後ろに隠れてしまうくらい、おしゃべりなんて思いもよらない。
「惜しいなあ!」とみんなは言った。
「その歌声、毎日でも歌ってくれれば、王様にだって献上できる! そしたらな、リタ、おまえは左うちわだぜ? 毎日極上のハチミツ入りのミルクを飲んで、絵に描いたような王宮の花園で、毎日遊んで暮らせるぜ?」
冗談めかして言う知り合いに、リタはいつだってウィリアムの肩のうしろで「つん」とくちびるをとがらした。ウィリアムも「この子はぼくが子どものころから家にいた、兄妹みたいなもんですから……」と苦笑いして受け流した。
いつものような知り合いのひとの軽口を浴び、ふたりは散歩を終えて帰った。古くて小さい家に帰り、ぱたんとドアを閉めたとたん、リタがぱくっと口を開いた。
『……、………っ、…………っ!』
「うん、うん、そうだね、リタ……」
何を言っているのか分からないけど、満面の笑みで何やらしゃべる妖精に、ウィリアムは穏やかな笑みで応える。
そう。リタは本当は、とてもとてもおしゃべりなのだ。ただ途方もなく内気というだけ、ウィリアムとふたりきりのときは気おされるほどよくしゃべる。
歌うたう声は素晴らしい、だけどめったに歌わない。でもウィリアムは、それで良いと思っている。王様になんて奪われたくない、この大事な――だいじな、恋人を。
ウィリアムは穏やかに微笑んで、ぴらぴらとしゃべり続けるリタの小さな頭をなでる。少し酔いたい気分だから、リタを肩に乗せたまま、地下室へたんぽぽのお酒を取りにいく。
ウィリアムはとてもハンサムだ。今年で二十三になる。見合い話は星の数ほど舞い込むが、一生結婚する気はない。
彼の気持ちを知ってか知らずか、リタがころころと歌いはじめた。それは愛のさえずりのような、何とも美しい歌だった。
歌を聴きながらのどに流し込むたんぽぽのお酒は、夏を閉じ込めた味がした。
(完)