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淡く光る深紅の瞳。カラコンか?などと一瞬考えたが今はそれどころじゃない。助けないと。
半ば怒鳴るように近づくなと言われ、俺は少し気圧されする。けれどそれ以上に彼女の青くなった顔を目の当たりにし心配の気持ちが大きくなった。
「ご、ごめん、赤月さんが男が苦手なのは知ってる。けど、苦しそうだったから……」
「……だ、大丈夫です……」
額に大粒の汗が張り付いている。苦しそうな呼吸の仕方といい、どうみても大丈夫じゃない。
「熱があるんじゃ……肩かすから保健室行こう」
「……だ、だめ、保健室にいっても治らないです……」
「でもベッドで横になった方がいいよ」
「……いいから、もう……ほっといて、くださ……私のことは……っ……」
びくびくと小刻みに痙攣する赤月さん。どんどん悪化しているみたいだ。早く連れてかないと命にかかわるかもしれない。
がくがくと脚が震えている。これはもう肩をかしたところで歩けないんじゃないか。ならもう背負ってくしかない。
俺は背を向けしゃがみ込む。
「赤月さん、俺が背負ってくからきて!文句ならあとで聞く、とにかく保健室へ行こう」
潤む紅い瞳。はあはあと荒い呼吸。今の彼女は普通じゃない。とてもじゃないが、ここに一人置いてくなんてできない。
しかし、彼女は首を横に振った。
「……き、傷つけ、てしまう、ので……」
「え?」
「……私、あなたのこと、このままだと、傷つけてしまいます……これ以上は、もう……耐えられないんです、だから、はやくここから消えてください……!」
傷つけられる?酷いことを言ってしまうとかそういうことか?いや、なんかもうよくわからんが、
「いいよ、傷つけられても、どうなってもいいから、保健室いくよ!」
「……えっ、な…………え」
背後から彼女の呆気にとられたような声がした。かくいう俺も驚きだ。緊急事態に俺がこんな行動をするとは自分でも思わなかった。いや、逆に切羽詰まっているこの状況だったからなのかもしれない。
冷や汗をかいて震えてる人がいたなら見過ごせない。例え面倒くさがりで利己的で自己中で友達のいない空気な俺でも、ここで助けなければ後悔する……って思った。だから、
「あとで君の気が済むまでいくらでも謝るから!だから今は俺の背中におぶさって!」
「……は、あ……ッ……」
背中に掌が触れた感触。そしてゆっくりと俺の首に手が回される。よし、これで保健室に……って、あれ?
いつまでも無いおぶさられる感触と重み。重さを感じないくらい彼女が軽いという比喩ではなく、まじで乗ってこない。
あと一歩なのに、まさか力尽きたのか?
「あの、赤月さん……?」
するりと指が首元をなぜた。そして、なぜか俺のシャツのボタンを一つ、二つと外しだす。
「な、なにしてるの!?」
「……ごめん、ごめんなさい……」
シャツをまくし立て俺の肩があらわになる。俺はその行動の意味が理解できず、思わず固まってしまう。一体これから何が始まるのか。無駄に心臓をばくばくさせ、自分の顔が赤くなるのを感じていた。
するとその時、ぺろぺろと首筋付近を何かが這う感じがした。濡れた柔らかな何か。
「……ん……はぁ……」
艶めかしい赤月さんの吐息と声色。
は、はあ!?え、これって……俺、もしかして舐められてる!?なんで!?
舌先の柔らかくあたたかい感触。
「――はぁ……むっ、ちゅ」
やがてちくりとした小さな痛みが走る。
「ッ!?」
これは、まさか。
唇が触れている感触と、伸びた舌の動き。
ぺろぺろと俺の肩を舐められているのがわかった。
「……ん、ふっ、ちゅぷ……あっ、ふ……ちゅる」
鼻息がかかる。背筋がぞわぞわして、変な快感が広がっていく。
「ま、って、赤月さん……なにして」
「……ふっ、あ……んくっ」
一分くらいだろうか。まるで猫が飼い主の手を舐めるようにひとしきりぺろぺろし、赤月さんはようやく口をはなす。
「ふっ、はぁ、は……はぁ……」
濡れた肩に吐息がかかり、生々しい温もりのあとひやりと冷たくなる。
寄りかかるようにかけられていた体重がなくなり、俺は振り返る。
「……ぁ……」
小さく声を漏らし、指で唇に触れる赤月さん。
瞳が虚ろになり、とろんと惚けていた。
(……あれ、瞳が赤くなくなってる……?)
ばくばくと鳴る鼓動。
ふと彼女の口の端から血が流れているのに気がつく。
「……赤月さん!口切ったの!?」
「!」
びくりと体を震わせ俺へと焦点が合う。普段見せないようなまんまるの目、驚いた表情で俺の顔をみている。やがて色白な頬を羞恥心と夕陽が染めていく。
「……わ、私……しちゃった……しちゃったんだ」
両手で口を覆い、涙目になる赤月さん。
「や、あの、大丈夫?保健室に……」
「だ、大丈夫ですっ、ごめんなさい!ホントに!!……わ、私……」
物凄い勢いで立ち上がり、何度も頭を下げる。初めてみたこんな赤月さんの姿に驚く。謝らせることはあってもこうして男に謝る姿なんて、今までに一度も見たことはなかった。
「……ほんとうに、ごめんなさい……」
真っ赤な顔でそういった彼女は走り去っていく。嵐のような一連の出来事に俺はその場にへたりこむ。
呆気にとられながらも、さっきまでとは打って変わって元気そうに走り去っていく彼女の姿をみて俺は胸を撫で下ろす。何が何だかわからない……けど、体調がもどってほんとうに良かった。
痙攣も治まってたし、意識もちゃんとしてた。あの様子ならもう大丈夫だろう。けど、どうして急に元気になったんだ?
貧血で、少し休んだから体調が戻ったとか……?
っていうかあの目は……?
なんで舐められたんだ……?
マジでわからなすぎてわからない。
「ん?」
ふとさっき彼女に舐められていた場所に違和感。手で触れてみると、まるでピアスのように二つの穴が空いているのがわかった。
指先に付着したわずかな血液。
(……もしかして、あの口の血って俺のか?)
シャツに血液がつくとまずいと思い鞄からティッシュを取り出し首元をふく。しかしもう既に止まっているようで、どうやら俺の指についていたのは彼女の舐め残しのようだった。
「……まじで、一体なんだったんだ」
いつまでも静まらない胸の鼓動、誰もいなくなった裏庭でひとり胸に手を当てていた。