さわしかのつのおつるころ
ボクの名前はカイ。この国の配送業のトップ、ブリッツェン社社長のひとり息子。これまで勉強は読み・書き・そろばんができたところで、それ以上を強いられたことがない。社交の場での最低限のマナーは教えられたが、親のしつけが厳しすぎたこともない。
メイドを雇うほどの大家でもないので、身のまわりの支度ぐらいは自分でするが、不自由なこともなく、苦労することもなく、のほほんと生きてきた。言ってみれば『箱入り息子』だ。
ブリッツェン社は年末が書き入れ時と聞いている。
ボクにとって、この世の社会を知るためには、本を読んで得ることしかできないが、いろんな会社においても年末というのはとても忙しく、東にある国では、師匠も走りまわるほどいそがしいことから「しわす」というんだって。
それは、ボクのおとうさんもおかあさんも同じなんだろう。毎年の暮れには、ボクだけがこのムダに広い6LDKの一軒家にポツンと一人暮らし。それは苦にならないけど、地元の友だちに聞いたら、この時期は家族と一緒に過ごすのが「ふつう」らしい。
でも、こんなさみしい年末は今年でそれも終わり。来年には大人の仲間入りになるんだから。
いよいよボクもはたらかないといけない。はたらく場所は、おとうさんに頼めば、ブリッツェンの一般社員にでもなれるだろう。
ボクはおとうさんのように社長とか中間管理職とかになりたいとは思わない。多くの人をまとめて自分の指示で動かすマネジメントなんてできそうもない。指示待ち社員と言われようが淡々と過ごしていければそれでいいや。
「って、そんなうまくいかないよねええええ!!!!」
―確かに、確かに一般社員でいいって言ったけど、言ったけどさあ!?
そう思いながら、ボクはいま、仕事のために極寒の上空を走っている。
吹き抜けていく風は体の芯まで凍らせるような冷たさだ。
振り返ってみると、去年までの『箱入り息子』の暮らしからは想像もできないほど、状況は一転して変わってしまった。それもこれも、世界的おもちゃメーカー、サン=タクロー社からの国内配送委託をブリッツェン社が独占して引き受けたことから始まった。
そして年の暮れが近づいてきた日、年内最後の休日で家にいたおとうさんが、テーブルについていたボクに声をかけてきた。
「カイ。君にも来週の1日だけ、初心者研修の一環としてはたらいてもらう。
もちろん、はじめだから配送業務の下積みからだ。」
「おとうさん。ボクは配送車を動かしたこともないし、地図もすぐにおぼえ
られないよ。」
すると、おとうさんは、火がパチパチと鳴る暖炉の方を見て、
ため息まじりに口を開いた。
「カイ。おとうさんが一般社員からの成り上がりだったのは知ってるだろう?」
「うん、いつも言ってたよね」
「人の上に立とうと思えば、自分の会社のためにはたらく人たちが、
どんな仕事をしているかを知らないと、上から指示は出せないんだ。」
「すべて?」
「そうだ。ウチでいうなら梱包作業も、倉庫の在庫管理も。もちろんそれを
お客さまに届ける業務もだ。」
「そっか、そうなんだね。」
それを聞いて、ボクはマネジメントなんかに向いてないだろうと強く感じた。
今日のおとうさんは少し申し訳なさそうに、
「急で不安に思うだろうが、明日はひと晩、走り続けるだけでいいんだ。」
と、ボクに言った。
下積みのボクが今日1日に課された仕事は、「しわす」を迎えた東の国での宅配500件。それでもベテラン勢よりは少ないらしい。ウチでの下積みってこんなところから始まるんだ・・・。
ボクの後ろには届ける荷物と赤と白の派手な制服を着たタクロー社の社員が配送用のそりに乗っている。その人は地図を広げて、次の届け先の座標の指示だけしてくる。そりを引っ張ってるボクたちと違って楽な仕事だよな。
そんなわけで、これまでの経緯を思い出したけれど。
「か、風がっ! なんかもう、さ、寒っていうか痛いよおおお!」
―ただでさえ冬の夜は冷えこむというのに、この狭い国の上空の専用道を使う意味
あるのかなあ!?
そ、そういえば、この国付近上空は冬に強い偏西風が流れてるって本で読んだことがある。そりゃあ風に背中を押してもらえば東へ向かうのは楽だけど。なんだったっけ、JPSZとかいったかな?
「ト、トナーさん? 目的の東の国って遠いんですか?!」
「・・・。」
職場について初めて紹介されたトナーさんが今回の相棒。トナーさんは3年目の先輩だから、ボクはひとりじゃないだけマシかと思ったんだけどな。
「あまり口きいてくれないタイプなのかな・・・」
カイの小さな希望の灯が消えていくようなつぶやきに反応したのか、トナーさんが口を開いた。
「君が初任者とはいえ、先に言っておく。今日は戦だ。」
「いくさ?」
「そうさ。だから、口をきいてる場合じゃない。寒さで鼻水が出ようが、
鼻が赤くなってこようが今日のオレたちは走りきるしかないんだ。」
「まあ、ボクらはもともと赤いけどね・・・」
「それは、そうだったな」
ピーッ!ピーッ!ピーッ!
急に甲高い音が鳴る。後ろにいるタクロー社の社員が見つめている画面には警告灯が赤く光っている。
「うぇええ!? な、何事? と、トナーさん? 何が起こってるの?!」
「くそ、ヤツらに見つかったか!」
さっきまで全然話そうとしてもしてくれないトナーだったが焦り交じりに叫んだ。
「航空宇宙防衛司令部のヤツらだ!」
「航空宇宙防衛!? なんかボクらと関係なさそうなんだけど!?」
そんなものは聞いたこともないもないし、本で読んだ記憶もないが、彼の口ぶりからなんだか危なさそうってことはわかる。
「ヤツらは、後ろにいるサン=タクロー社に目をつけててな。この時期に限って、
世界中のレーダーを使って、オレらを追いかけ回してくるんだ!」
「えええ!? 理由はわからないけど、とりあえず危ないんだね?!」
「ああ、この仕事は夢と責任を背負って運んでいるからな・・・。タクロー社も
上空で拿捕はされたくない。飛行機はせいぜい3万3千フィートぐらいを
飛んでるから、あえてそのさらに上空の専用道をブリッツェンは使って
いるんだけどな。」
「それでこんな冷たい道を走ってるんだ・・・」
「見つかったからには撒くしかない! そろそろ届ける座標付近だ、降りるぞ!」
「ねえ、トナーさん。この国さあ、煙突なさすぎない?」
とボクがトナーさんに聞いた。
「そうだな、オレもこの国は初めてだ」
「そうなんだ。暖炉とかがない文化なのかな。どうやって家の中まで届ける?」
「最近は、宅配ボックスに入れるだけで配送完了、って便利な時代になったと
オレの先輩は言っていたが、今年はもっと違う。」
トナーが少し格好つけたようなポーズをとって続ける。
「カイ、君は今年が1年目でよかったな」
彼はにやりと口角を上げたが、言いたいことがさっぱりわからない。
「どういうこと?」
「それはな。『置き配』が、公式に、認められたんだよ!」
トナーはこれでもかというほどのドヤ顔で言った。
「置き、はい? 何ですかそれ?」
配送業者では送り主から荷物を預かると、一度集配センターに集められ、ライン作業によって届ける各方面の集配センターへ移され、そこから届け先で引き取ってもらうのが一般的な流れだ。
しかし、今夜ひと晩だけで、いちいち訪問して手渡しなんかしていたら、500件なんて到底さばけない。
それが荷物を届け先の客の要望で、荷物を置く場所を自転車のかごとか玄関の扉の下などと指定さえしてしまえば、そこに置くだけで、即、配送完了となる。
「これで再配送する荷物が減ったからな。ありがてえよな」
「べ、便利ですね、置き配・・・」
ボクはただただ感嘆するだけだった。こんなこともやはり、本になんて載っていなかった。なるほど、社会に出てみないと、そんな苦労もわからないことだらけだったんだな。
それから置き配を希望している届け先から順々に届けていく。いや、置いていった。そりに乗っている荷物が1つ、また1つと届けることでなくなっていくのが、ボクにとっても自信にもつながっていく。
残りが再配送する荷物だけになって水分をとっていると、東の空がだんだんと明るくなり始めてきた。それを見て社員とトナーが何やら会話をしている。
「・・・そろそろ、どうだ?」
聞く耳を立てていると、何かの相談のようだった。社員が腕に巻いた高そうな時計に目線を落とす。
「そうだな、もうすぐ日ものぼる頃合いだな。」
するとトナーはこちらを向いて言う。
「カイ、お疲れ様だったな。残った十数件の荷物は再配送とする。
これで今夜は終わりにしよう。」
「カイさん、お疲れさまでしたね」
ここまでボクたちの後ろでぶっきらぼうに座標だけしか言ってこなかったタクロー社員が、労いの言葉をかけてきた。
「ん? おっさん、カイを知っているのか?」
トナーは意外そうな表情で聞き返した。
「知ってるもなにも、彼はおたくの会社の社長の御曹司だよ」
「はあ?! こんな走るぐらいしかやったことのないのが社長の息子だあ?」
トナーは赤い鼻をもっと赤くして叫んだ。まあ、そう思っちゃうだろうな。
「おい、カイ。どうなんだ?」
今度は問い詰めるようにボクに言葉をかけた。
「う、うん。ボクはカイ=ブリッツェン。ブリッツェン社の社長の息子だよ。
趣味はランニングなんで、今日は頑張れたよ。」
「うわー、なんだよ! すまねえ! 御曹司様にひどいこと言っちまったな」
さっきからトナーの表情はめまぐるしく変化している。
いまは後悔にも似たような感じだ。
「いいんですよ。こんな体験、これまでしたことがなくて。普段から
はたらく、ってなんだろうって思ってたから。そうだ、トナーさん、
今度ヒマな日にウチに遊びに来てくださいよ。」
「そんなバカなことできるか?! 社長宅に遊びでホイホイと行けるかよ!」
トナーはひどく動揺している。どうしたことかと思っているのだろう。
「といっても、年末は両親がいないから気にすることないよ。」
「ありがたい話だが、オレはまだ配達する荷物が残ってるからな。
それからだな。まあ考えておくよ。」
「それにしてもかなり振り回された気がする・・・」
ボクは今晩の仕事を振り返った。
「仕事っていうのは、なかなかどうしてそういうものさ。社会にはもっと
理不尽なこともいっぱいある」
「それを、本ばかり読んできたボクに、おとうさんが教えようとしたんだね。」
「そうかもな」
「ああ、それと。」
トナーは続けざまに言う。
「カイ。もう君も大人の仲間入りだ」
「ありがとうございます」
「この仕事が終えたから、もうすぐ君の角も落ちるだろう。おめでとう」
「ああ、そういえば!」
ボクたちは大人になると、毎年の暮れに頭に生えていた角が勝手に取れ落ちる。
「大人の仲間入りができた証拠だ。社長は、成長した君をはかるために、
ひとつ冒険をさせたんだろうね。それがこの仕事だったんじゃないかな」
「そう、なんでしょうね、きっと。」
これまで何ひとつ苦労をしてこなかったボクにとって、今晩の体験は、本では知りえなかったことがたくさんあった。こういう小さな冒険にも似た経験を積み重ねて、積み重ねて、理想の自分が完成していけたらいいな。