①-5 風の知らせ①
男はため息を吐きつつ、気だるそうにカウンター席についた。
「おい、あいつらの中には戦場帰りの奴もいるんだぞ。分かっているのか? アル」
「グリットだ。……気を付けるから、頼むから、本当に。髪はちゃんと整えるから。それでも、くたびれた風体、その辺にいそうな傭兵上がり、グリットなんだよ」
女将は厨房に下がり、洗い物に取り掛かった。これもまたいつも通りの配慮である。
「努力はしてやる。で、話なんだが。猫癖毛が酷いグリットさんよ」
「あーもう、わかったから、さっさと話してくれ」
「お前さ、俺より年下だよな? なんでそんなに」
「わかった、わかったから! ちゃんと身だしなみは気を付けるって。……それで、なんだよ?」
大旦那は一瞬、窓の外に視線を向けた。恐らく風詠みによって、気配を視たのだろう。
「……今日、店を開けてすぐに、このくらいの背の、丁度このテーブルより低めの背で、かなり痩せこけた少年が来たんだ」
何故か、周囲の音が聞こえなくなっていた。
「しかも少年は見覚えのある、親しみやすい顔立ちをしていてな」
風の音すら、グリットの耳には聞こえない。
「……よくいる戦災孤児じゃないのか」
グリットは絞り出したかのような声と言葉を発し、女将をチラ見した。女将は黙って頷くと、神妙な面持ちで目線を逸らした。大旦那は少しの間を置き、グリットに目線を向けた。グリットは視線を逸らし窓の外を眺めたが、風詠みの真似をしているわけではない。
それでも、何の音も聞こえなかった。
女将がカウンターの裏で食器を洗う音が再び聞こえ、始まった彼女の鼻歌によって、より会話はかき消されているだろう。よほど聴力に自信のある獣人でなければ、聞き分けは難しい。
「少年は、兄を探していた。大戦で行方不明になったそうなんだが、……面識はないそうだ」
グリットは何も答えず、おかわりのココアを一口飲み、ひと呼吸おいた。甘いはずのココアは苦みを感じるほど、味がしない。
「そいつは、……とある懐中時計を見せ、描かれている動物が何であるかを訪ねていた」
まるで、時が止まったかのような音がした。
大旦那は風詠みをしたわけではないものの、目の前の男のエーテル、魂から発せられる魔力までもが震え、動揺しているのに気付いた。
「……一見、ヴァジュトールの鷲獅子紋章かと思ったんだが、あれは、間違いなくグリフォンだった。店内でもグリフォンって指摘される度、少年は嬉しそうに頷いていた。……わかるだろう、あの銀時計だ。俺が見間違えるはずがない」
グリットは表情を崩さないまま沈黙した。エーテルの震えは収まっているように視えるが、恐らくは隠したのだろう。そして思い出したようにカップを揺らし始めた。
「ただの孤児が、そんなものを持っているはずがない。当然だが、盗品の可能性はなかった。目的があって、本物を手渡されたんだろう」
「…………」
「ところが少年は探している肝心のお兄様のことは、何一つ知らないんだと。名前も顔もその特徴も知らないお兄様を探すために、あの銀時計を見せていた。そんなことがあるか?」
大旦那は興奮したように言葉を続けた。
「その時計も、お兄様の所有物じゃないっていう。そりゃあそうだ。だが、そいつと兄はお互いに面識もなく、相手も自分を知らないんだというじゃないか。少年が生まれる前に戦地へ行ったとかなら、まぁ話もわかるが……あの大戦からもう三年だぞ」