①-1 では、ひとつのやくそくを①
この物語は実在の人物、団体、国とは一切関係がありません。
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長い冬季が終わりを告げる、春の長雨が降り続いていた。雨によって雪解けは加速し、彼らが愛してやまない王の山、霊峰ケーニヒスベルクが最も美しいとされる季節である。
初雪によって、山脈は一瞬で雪化粧に染まってしまう。セシュール国のシンボルカラーである緑と白となるのは、春の雪解けの季節限定である。多くの部族が暮らす自由の国、セシュール国にとって、何よりも大切な守護獣がこの山脈なのだという。
このセシュール国では、老若男女にそれぞれ役割が当てられ、季節ごとに皆で手分けをするという。間に合わないとわかれば、普段は喧嘩ばかりする他部族とも力を合わせる。其程までに、最も忙しい季節が春だという。
忙しさに人々が朝早くから駆け回るほど、セシュール国民にとって待ち焦がれた晴れの日が今日であった。
猫の手だけでは足りず、神の遣いである守護獣たちの手も借りなければならない、そんな冗談が朝から飛び交っているのだ。時刻は正午を過ぎているが、そんな忙しい日に先ほど目覚めたばかりの男がいるという。
「……こんなに晴れるんだったら、朝日は見ておけばよかったな」
男は額に手を当て、前髪に触れた。焦茶色の毛が自由にしていることを男は知っている。だらだらと起き上がると、その後頭部を触れた。
「いつも通り、酷い癖毛だ」
適当に手で梳かしていく男を今の主人が見れば、寒さで震え上がるだろう。すぐにでも鋭い眼光を浴びてくるからだ。
静かなる圧を与えながら睨み続け、櫛へと視線を送る。だが、肝心の主人はここにはいない。そもそも櫛で梳かしても、この猫癖毛が整うことは今まで一度もなかった。男は手櫛で適当に髪を整えていく。
大陸では、大戦が終わったばかりである。復興作業も終わらぬ状況でありながら、男にとっては今までで一番穏かな日常となっていた。主人との他愛のない、くだらないやり取り。すべてが懐かしく、お互いで一番望んでいた日常だったはずだ。自然と笑みがこぼれる。
今も昔も、大して変わらない。
主人にとっては、きっと穏かであるはずだ。
主人の背負う一部でもいい、少しでも肩代わり出来ればと考えていたのは、浅はかであった。
時間が経てば経つほど、男に出来ることは限られてしまうのだ。