⑮-9 ネリネの花のように②
セシュールの駅には、ルクヴァだけではなくレオポルトとマリアが待っていた。傍にはフリージアと、フリージアの友達だというリェイラとメイ、そしてメルが待っていた。
「ただいまー!」
「おかえり!」
「おかえりなさい!」
「とはいっても、先週もグリフォンで帰国してるんだけどね!」
うきうきとしたティトーの声に、ででん!と夫人が前に出てきた。セシリアの妻であるフラーだ。フラーは腰に手を当てながら、ティトーの髪を見るなりワナワナとし始めた。
「ティトー様! なんですか、その髪型は! ちゃんと櫛で溶かしたのですか?」
「しまった! 違うんだよ、汽車の風でえ……」
「違うのです、でしょう! んもう。そんな話し方でルゼリア式のデビュタントなんて、まだ遠い遠い~!」
「ひええ……」
慌てて荷物を抱えて走っていくティトーを、フラー夫人は追いかけていった。抱きしめようと手を差し出していたルクヴァは途方に暮れてしまった。
「ま、まあ王城で抱きしめたらいいじゃない」
「マリア……」
ルクヴァの涙に、マリアは笑みを零した。レオポルトも静かに笑いながら荷物を受け取っていた。
「レオまで笑うなよ……」
「父さんはハグ魔だからな」
「ハグ魔って……」
ルクヴァは肩を落としながら、アルブレヒトを見上げた。アルブレヒトもまた笑いながら荷物を持ち上げた。
「アルブレヒトまで笑うんじゃない! お前、外交に来たんだろう! 使者がそんなんで……」
「此処はセシュールじゃないか」
「お前な、セシュールは無礼講じゃないぞ!」
「はいはい」
アルブレヒトは逃げるようにレオポルトに駆け寄った。レオポルトはティトーの残していった荷物を持ち上げると、嬉しそうにはにかんだ。
「元気そうだな」
「お前もな」
「マリアも元気だったか?」
「ええ、それなりに楽しくやってるわ。レオの体調もいいし、ルゼリアに薬草の輸出も始めたの。アンザインにも送れると思うわ。汽車があるしね」
「レオと一緒でお前も捗っただろう」
自然と駆け寄ってきたマリアは歩きながら、輸出の書類をアルブレヒトに叩きつけた。
「仕事の書類をこ、ここで⁉」
「良いじゃない、別に。今暇でしょう?」
「暇……」
「城に着いたら着いたで、また忙しくしてそうだもの」
「ちゃんと時間を取るから、今は勘弁してくれ」
「そう、楽しみにしてるわ」
マリアは書類を取り下げると、ニヤリと笑った。
◇◇◇
王城に到着すると、アルブレヒトは忙しそうにルクヴァと会談を重ねた。復興支援のお礼も含め、改めてセシュール国への感謝を述べたのだ。今の会議室には、アルブレヒトとルクヴァしかいない。
「俺は何度もアンザインに赴いちゃったからな。お礼なんて、今更だよ」
「そういう意味でも、ティトーが居てくれて良かったです。ティトーに会いに何度も来て下さるので、こちらも有り難かったのですよ。ティトーは土壌の改善から作物の豊作祈願まで、念入りに祈りを捧げてくれました」
「そうか。それは良かった。セシュール国としても、ティトーの行いには、俺たちも有り難いと思っているんだ。アンザインの作物も、余裕ができたら貿易させて欲しい。芋なんかはこっちでも人気だからな」
「ありがたいです」
アルブレヒトは書類に目を通していた。
マリアからの薬草輸出については、最初は何割かの割引が付けられるという。
馴染みのない薬草になじんでもらう事が最初の目的だと言うが、薬をほとんど無償で届けたいというマリアの優しさだろう。
「マリアのこれ、採算はとれるのか?」
「取れるって聞いてるぞ。……というか、このくらいにしておこう」
「あ、もうこんな時間か」
外はもう薄暗く、セシュールの山々を夕日が差していた。山々は陰っていき、やがて夜を迎える。明日にはここを発たなければいけない。仕事は山積みだが、それでもセシュールを味わいたかった。
「お前、ちゃんと食べているのか? 根詰めすぎだろ」
「時間があっても足りないくらいですよ。食事は、ティトーが作ってくれているので……」
「ティトーが? ……料理、上手いのか?」
「最初は手探りみたいでしたが、今は大分。スープとかの煮込み系が得意みたいで。寒い冬も乗り越えられましたよ」
「羨ましい! ジンジャーたっぷりなんだろうな」
「……そうですね」
ルクヴァは紅茶の注がれたティーカップを手に取った。
かつて、自分の母親代わりをしていた女性が好んでいた紅茶だ。女性はミルクを入れても美味しいからと言い、ミルク嫌いのコルネリアによく紅茶を薦めていた。
女性は別人の記憶を上書きされ壊れていたが、自分にとっては母親といってもいい。
「すぐに戻るのか?」
「そうですね、明日にはグリフォンで」
「…………なあ」
「なんでしょうか」
「ティトーは、来年で大人になる」
「そうですね、早いもので」
アルブレヒトもまたカップを手に取った。オレンジ色の紅茶は香ばしく温かな香りが鼻をついてくる。
「女性名をな、ミラージュと考えているんだ」
「そうですか」
「……ティニアにしたら、まずいと思うか?」
「俺が入り込める話じゃないでしょう」
「しかし……」
アルブレヒトは紅茶を口に含むと、溜息のように息を吐き出した。
「あいつはあいつだし、本人のティニアも何とも思わないでしょう。実在のティニアは生まれ変わって、ルゼリア王妃となった。彼女は景国から来た巫女であった少女だったそうてすね。そういう意味でも、王族の名前としては関係もあって、いいのではないですか」
「そうか。そういう考え方もあるのか」
「……レンはティニアになってしまった。機械人形として存在していたティニアの記憶を上書きされ、レンではなくなっていった。それでも、あいつはティニアとして存在していたんで」
「そうだな。レンはティニアで、ティニアはレンだった。俺にとっても、いい母親だったよ」
「それに」
夕日色に染まるケーニヒスベルクは、今日も美しい。
「……俺に聞くまでもないでしょう。ティトーにとっては両親からもらえる名前なんだ、あいつはなんでも喜ぶよ」
「なんでもって……」
「どんな名前でも、両親が自分を想って付けてくれた名前なら、喜ぶって意味ですよ」
「そうか。そうだな……」
「ところで」
「なんですか?」
アルブレヒトが紅茶を飲み干したところで、ルクヴァはとんでもない事を口にした。
「お前、うちの娘に手は出していないようだな」
「ぶーっ‼」
「一つ屋根の下で、あんな可愛い女の子と一緒に居て、何もないだなんて」
「なんでそうなる! 黙ってくれ、頼む。勘弁してくれよ……」
赤毛の髪を揺らしながら、動揺を見せた男は頭を抱えた。
「お前もう30だろう」
「だからなんだよ……」
「いや、お前がそれでいいならいいんだ」
「それでいいならな」
「…………」
その時、会議室に控えめなノックの音が鳴り響いた。