⑭-5 フェルド平原で待つもの①
フェルド平原では聖女アレクサンドラことサーシャと、多くの獣人たち、そしてセシュールの民が見守っていた。中にはタウ族の族長、セリシアの姿もある。
紅き竜と白き九尾の姿が目に見えると、歓声が沸き起こった。
「あの白い獣はなんだ!」
「守護獣様! ケーニヒスベルク様だ!」
「守護獣様より守護竜様だろ!」
「ああ、復活なされたのか、守護竜様!」
フェルドの獣人たちやセシュールの民が、一緒になって叫ぶように喜びを現わした。
「おかえりなさい」
サーシャの言葉に、マリアが答える。
「ただいま、サーシャ」
「おかえりなさい、マリア。それから、皆さんも!」
降り立った後、竜や獣の姿から人の姿を取ったアルブレヒトとレンの周囲には人々が殺到した。アルブレヒトはすぐに人の姿に戻ることはなく、守護竜としてその存在を人々に示していた。
『お願いがあるんだ、守護竜から』
「皆、心して聞いてくれ」
レン・ケーニヒスベルクの、そしてセシュールの王ルクヴァの言葉に、セシュールの民だけではなく、フェルドの民である獣人たちも耳を傾ける。喜びの表情を浮かべた人々は、アルブレヒトを見上げた。
『……守護竜だ。長らく不在にしていたことを詫びる』
「そんな事はありません!」
「そうですとも!」
首を垂れた守護竜アルブレヒトに対し、集まった人々の表情が不安に揺らいでいく。
『俺はまたすぐに不在になる。それは、この世界が既に人の世だからだ』
『…………』
レンはすぐに九尾の姿を人の姿へと変化させた。白銀の髪を靡かせた姿は伝説通りであり、タウ族が伝えてきた姿そのものだった。人々に注目されながら、レンはアルブレヒトの前に立った。
「皆聞いて。ボクも、しばらく不在だった。でも、ボクももうこの世界には必要ない存在なんだ。だから、これからは人間だけで仲良く、暮らしていかなければならないよ。……争いごとをしている暇はない」
『そうだ。争い、傷つき、奪い合うのは辞めるんだ』
「それはルゼリアの連中が!」
『ルゼリア側も食べる物に困っていた。その時、ルゼリアの民に施しを与えた者は? 歩み寄ったか? 憎むだけだったのではないか』
「その結果、ルゼリア側はアンザインの国土を蹂躙した。その結果があの戦争だよ。何もいいことは起こらなかった」
レンはアルブレヒトの頬を撫でた。アルブレヒトは瞳を閉じたまま、思い出していた。
生まれ育ったアンザインの領土を、人々の暮らしを、かけがえのない生き様を。
滅びてしまったからではない。今も尚、人々はそこで生きているのだ。
『これからアンザインの土地では、収穫の秋の後に冬を迎える。その冬の前に、アンザインでは支援を受けなければならないだろう』
「皆が食べる物に四苦八苦しているのは知っている。土壌緩和のために動いてくれていた、フェルド国民やセシュール国民のことを、ボクは知っている。彼らの努力が実り、大地は蘇るだろう」
『それでも、苦労して育てた作物を、侵略者に渡すのはとても辛いことでしょう。それでも、彼らはそれが無ければ死に絶えてしまう……』
「ルゼリア、そしてアンザインのしたことは全てが正しかったわけではない。それでも、別に許す必要はない。ただ、優しくしてあげて欲しいんだ」
フェルドの獣人たちはお互いを見つめ合った。フェルドの領土では、奪われるだけの日々が続いていたのだ。そう簡単にはいかないだろう。それでも、アルブレヒトとレンは願うしかない。
『俺たちは、願うことしか出来ない。実際にやるのは、皆さんですから』
「うん。もう人の世なんだ。獣人たちも、人なんだよ。獣じゃない。ルゼリアの人々の勘違いを、君たちは解く必要があるかもしれない。獣人であるような、ボクの存在が認められている以上、ルゼリア国は獣人たちを否定する事は出来ない筈なんだ」
『差別は人を狂わせる。それはされる側も、する側もだ。だからこそ……』
アルブレヒトはレオポルトを、マリアを見つめた。二人が手を繋ぐのは黒龍の少年だ。
『これから、皆さんは闘わなければなりません。人間のエゴと、自分たちの主張と……』
「厳しい闘いになると思う。それでも、どうか皆で支え合って生き抜いていって欲しい」
レンはサーシャを見つめた。サーシャは無言で頷くと、前に歩み出た。
「皆さん。私の聖女としての活動も、ここまでになります。もう、神に全てを委ねるのは辞めましょう。自ら切り開いていくのです。そして、皆で神に感謝をしていきましょう」
サーシャの言葉は、ニミアゼル教に属している全ての者を揺らがすだろう。それでも、もう人の世である。
「ケーニヒスベルク様」
ルクヴァ、そしてコルネリアが跪いた。それに応えるように、人々もまた跪いていく。
「守護竜様、これまで見守って下さり、ありがとうございました」
「我々は、あなた方のことを忘れません。祈り続けるでしょうし、心の拠り所であり続けるでしょう。それだけはどうか、お許しいただきたい」
「だって。どうする?」
『何も出来ないが、それでもよければ……』
青空一面に黒い影が多く見えていた。それはグリフォンの群れであった。
『グリフォンが、タウ族が伝えてくれるのであれば、正しい知識として伝えていって欲しい』
アルブレヒトは嬉しそうに俯いた。
『それじゃ、迎えが来たから俺たちは行かせてもらう』
グリフォンは北の空を覆いつくしていた。アルブレヒトは翼を広げると、その大きさを人々に示した。レンはその背に跨ると、嬉しそうにアルブレヒトを撫でた。
「サーシャ、後は頼んだよ。それから、レオポルトさんとマリアもね」
<――あの場所で、待って居て欲しい>
アルブレヒトの声が、ルクヴァ、そしてコルネリアへ。レオポルト、マリア、フリージア。そして黒龍へと紡がれた。黒龍の少年は驚きと共に、その黒髪を揺らした。
「もういいの?」
レンが囁く。
『どうせ人間の姿になって戻るから』
「それはそうだけれど。良かった、本当にどこかへ行くのかと思った」
『……その方が良かったのかもしれないな』
「ふふふ。キミも冗談を言うようになったんだね。でも、懐かしいな。キミの背に乗るのは何年ぶりだろう」
レンは両手を広げた。
『危ないぞ、落ちたらどうするんだ』
「落ちないよ。ボクは」
「物理法則を超えるからね」
『物理法則を超えるからな』