⑭-2 そして、君は王の山と呼ばれた②
『グガァ‼』
悍ましい程の悲鳴が上がり、黒龍からどす黒い靄のような者が崩れ落ちた。
『皆待ってくれ! 攻撃しないでくれ‼』
「アルブレヒト、話してわかる相手じゃない。あいつは、黒龍は長年ルゼリア国を苦しめてきた。ミラージュもそれを望んでいるだろう」
「そうだ、アル。あいつがしたことは、決して甘いものじゃない」
ルクヴァにとって、黒龍は宿敵である。愛する妻との離婚の原因を作ったのも、レンが苦しんできたことも、全て黒龍の仕業だ。そして、娘のミリティアとトゥルクを苦しめ、義父であるクラウスを苦しめたのも、黒龍だ。許せるとは思えなかった。
『それでも、あいつは寂しかっただけなんだ。竜は罪を犯す。俺もそうだった!』
『アルブレヒト……』
レンは悲しげに、その名を口にする。それでも、レンは黒龍を睨み続けていた。
『生まれ変わった俺は暴走して、レンを焼いた。フェルド庭園を焼け野原に変えた。今になっても、フェルドが平原のままなのは、俺のブレスのせいだ』
『それでも、君はまっとうに生きようと、人々を愛していた。それは皆が知っていることだよ』
レンは頷いた。レンがアルブレヒトを信じているのは、何年もの付き合いがあるからだ。黒龍にはそれが無い。
『それでも、黒龍は慕われていた。そうだろう。熱心な信者として、遠い地球にまで広げていたんだ。信者は地球で卑劣な行為を続けていた。それはキミも知っているでしょう? でも、黒龍はどうしていた?』
『俺だって、崇められていた。信じる者の中にも、犯罪を犯すものだっていたはずだ。それに黒龍になく、俺にあったものがある』
黒龍は黙って聞いていた。レンはそれでも黒龍から目を離せずにいた。
『多くのグリフォンたち家族。それから、レンだ』
『それはそうだけれど……』
黒龍は身震いするように、アルブレヒトを見下ろした。レンはその動作に驚き、一瞬拳に力を込めたが、瞳はアルブレヒトを追っていた。
『俺だって、一人だったらどうなっていたかわからない。レンは俺が命を粗末にしているのを心配して、湖鏡の魔法をおいていってくれた』
『それは違う。それは、水の竜が……』
『湖鏡を通して、俺は一匹の狐を見ていた』
『…………』
アルブレヒトは紅い大きな瞳を潤ませた。黒龍は上空から見下ろしたまま、大人しく話に耳を傾けている。それはレンの話であるからなのか、興味をもったのかはわからない。
『地球で生まれた子狐は、毒を一身に受けて死んだケーニヒスベルクの生まれ変わりだった。子狐は病弱で、生まれてすぐに死んでしまった。次も、その次も。魂へと浸透した竜を殺す毒は、生まれ変わってもレンを苦しめていた。俺は幾多のレンの死を見て、命の尊さを学んだよ』
一瞬、黒龍が息を飲みこんだのを一行は見ていた。それは、ブレスを吐くためではない。
『帝国はおろかだった。魂の研究という、罰当たりなことに手を出していた。そしてその研究を恐れた他国が、毒のミサイルを放った。獣の王は人々を庇い、身をもってその毒を受けて息絶えた。遺体はいつしかケーニヒスベルク、王の山と呼ばれていく。魂に根強く残った毒は、レンは狐に生まれ変わっても毒に苦しんでいた』
『キミ、どうしてその時の記憶を……。キミが生まれる前じゃないか』
『記憶を継承した時に、兄さんの記憶も継承したんだ。義姉さんの記憶も。レンの瞳が教えてくれた』
『あ……。地球のあの時から…………』
アルブレヒトは大きく頷くと、黒龍を見上げた。黒龍は少し離れた所に降り立つと、降り立った月面の一面が黒く汚れていく。
『なあ、黒龍。アドニスに憑依して、お前はどうだった』
『どう、とは……。フン、人間の暮らしなど反吐が出る』
『楽しかっただろう、人間との暮らしは』
『…………』
『人間は飽きないからな』
『フン。争いばかり起こしていたぞ……』
黒龍はポツリと言葉を落としていった。その答えを予想していたのか、アルブレヒトは話を続ける。
『ニミアゼルと崇拝する宗教だって、あれはレンを信仰していたに過ぎない。それを、獣の王だからと捻じ曲げ、人間の女神にしてしまった』
『ああそうだ。ニミアゼルはレンだ。良く知っているじゃないか』
『レンは愚かな人間のために死んだ。セシュールの守護獣たちも、レンの後を追う様に毒を喰らい、死んでいった。狼なんて、惨たらしい顛末だった』
『そうだ。その結果、守られたのがルゼリア大陸だ』
黒龍はルゼリア大陸の成り立ちを、気だるそうに吐き捨てる。
『そして、お前が生まれたんだ。ぬくぬくとグリフォンたちにと共に生きてきた』
『……そうだ。俺はその後で生まれた。そして、レンを湖鏡を通して見つめて、影を送って一緒に冒険した。グリフォンと一緒にな。それからゲートを作って、レンをレスティン・フェレスへ連れ帰った』
『だが、お前はレンの死後にレンの転生を待たず、最後の毒を喰らって死に絶えた』
『…………そうだ』
『アルの亡骸を悲しんだグリフォンが土をかけ続け、エーディエグレスを作り上げた……』
レンは寂しそうに語った。俯きながらも、その瞳はアルブレヒトを見つめたままだ。
『キミは、今でもルゼリア大陸を守るように、中央で眠ってる』
『…………レンが生まれ変わって、すぐにエーディエグレスに来てくれたこと、嬉しく思う。それから、悪いことをしたとも』
『あの童話、修正するようにタウ族に言ったんだけどなあ』
レンの言葉に、レオポルトはハッとしてその言葉を口にする。
「タウ族の、祭りの話か」
「あれはそういう話だったのか?」
ルクヴァも信じられない様子でレンを見つめた。
「うん。ボクは生まれ変わって、すぐにエーディエグレスへ行った。そこで、アルブレヒトの死を知ったんだ。大泣きしたボクのせいで、作物が枯れるほど雨天が続き、冷夏を呼び込んでしまった」
レンは狐の姿を解き、人間の女性の姿に戻った。それでも狐の耳が頭から二つ生え、大きなふさふさの尻尾が生えている。
「黒龍、ボクはお前を許さない。アルブレヒトの死を愚弄しないで」
『……フン』
「それでも、アルブレヒトは君を許すみたい」
レンは槍を構えた。
「黒龍が戦いを辞めないなら、ボクがコアを貫く」
『レン、それは……』
「戦いを辞めるなら、黒龍は竜として、レスティン・フェレスで償いをしていくんだ。……新たな守護獣になればいい」
黒龍は笑みを浮かべた。そのまま咆哮すると、再び笑みを浮かべた。どす黒い感情の湧き出た、悍ましい笑みだった。
「戦うっていうなら、ボクは封印を解く」
『……封印?』
「お前は知らなくて当然だろうね。アルブレヒトは知っているけれどね」
レンのぶっきらぼうな言い方に、黒龍は対応が遅れた。レンの身体が金色をまとい、眩い光を放った。
「ふふふん、ボクは物理法則を超えるからね。狐だなんて、ボクの一世一代の大嘘さ!」
眩い光に包まれ、レンは咆哮した。