⑬-9 レスティン・フェレスの守護竜②
「呼吸は出来るのね」
「呼吸?」
『バリアを張っているから、俺の周囲では呼吸可能だ』
「バリアの外では、呼吸は出来ないのか?」
「出来ないわ。それ以前に、寒くて死んでしまうかも」
マリアの言葉に、レオポルトはバリアを見つめる。レオポルトにとって、宇宙空間というものは物珍しく、知識もない。
『黒龍だ』
黒龍はどす黒い鱗に覆われ、まがまがしい鋭い爪を立てながら現れた。
『戦う前に、一つ聞きたいことがある』
レンの言葉を待たず、黒龍は口を大きく開けると威圧するように笑った。
『月に居た幼子の眠るゆりかごに、どうやって触れた。お前が干渉できたとは思えないんだ。無理やり干渉したんだろう』
「…………フリージアのことね……」
マリアのいうフリージアが何であるのか、レオポルトは自身だけが知らないことを知っている。気後れするものの、信頼している者たちに囲まれているせいか、動揺はほとんどない。
『フン、痴れたこと。竜である我が干渉しただけで、ゆりかごは我の呼びかけに答えた。そのままの状態で地球へ送ったまで。地球で目覚めるとは思わなかったがな』
黒龍はマリアを見つめると、ため息を吐き出した。黒い靄となって目に見える形の息。どす黒く、全てを腐らせる。
『小娘が我の母親など、笑止千万』
「それは貴方の信徒が、勝手に私のような存在を作り出した結果でしょう。私も、貴方の母親なんてごめんだわ。私は、黒龍の母親代わりとして作られた、人工的な魂を持っていたわ。でも、人間に生まれ変われた。今は人間なのよ」
「そうだ。マリアはレスティン・フェレスに生きる一人の女性だ」
何も訪ねて来ないレオポルトに、マリアは微笑んで見せた。
「ふふふ」
「どうして笑うんだ。……全てが終わったら、ゆっくり聞かせてくれるのだろう」
「そうね」
「アルブレヒト、コアは額だったな」
アルブレヒトは竜化したまま、レンを見つめると首を横に振った。
『コアはな。でも、どうか貫かないでやって欲しい』
「何のためにここまで来たんだ、アルブレヒト!」
「ルクヴァの言う通りだ、アルブレヒト。黒龍を討たなければ、陛下たちの安息の日々は訪れない……」
レンの背から降りながら、ルクヴァとコルネリアはアルブレヒトに説得を試みた。しかし、アルブレヒトは首を横に振る。
『アル、対話出来る相手じゃないよ』
九尾の狐の姿のまま、レンは黒龍を睨みつけた。
『人間の命も、動物の命も、全ての万物の命も、なんとも思っちゃいない。無慈悲だよ』
アルブレヒトは黒龍を見つめたままだ。
『地球で、多くの人が黒龍の誘惑で命を失った。遠い距離に居ながら、その影響力は見て来たでしょう?』
地球での日々はアルブレヒトにとって、決して幸せなものではない。生まれる前から続いていた戦乱に巻き込まれ、望まぬまま軍人となった。母と自分を見捨てた父親を追い、復讐する事だけを考えていたのだ。
『マリアがどれだけ悲しんだか、苦しんだか』
マリアは地球で作られた。彼女は捧げものとして黒龍の母親代わりとして作られたのだ。
『レオポルトさんに、母親のミラージュだって、皆が苦しめられてきたんだ! ルゼリア王家への呪いは、ゲオルクだって望んじゃいなかった!』
ゲオルク。アルブレヒトにとって、変わり者の親友。くどい話し方で人々に嫌われ、孤独に過ごしていた彼は生まれ変わっても親友となった。彼はアルブレヒトにとって初めての友人であった。
ゲオルクは話していた。言葉足らずのアルブレヒトにとって、その言葉は印象強く残っていた。
(場面毎に、きちんと矢面に立ち、向き合わなければいけない。それすら面倒に考えるのであれば、相手は当人への接し方も、実に淡泊なものになるだろうね)
(そして、その <信頼> という結び付きがあるかどうかによって、大きく異なってくる)
(そういう目に視えない曖昧なものを、形として残そうなどと。それでも、私は残さなければならない)
――――地球で再会したゲオルクは言っていた。
(後悔というものは、感傷に浸るためにある。反省して改善がしたいのであれば、記憶を遡って冷静に分析をすべきだ。そして、それよりも優先すべき事案は優先すべきなのは、目の前にある出来ることからやるということ。そして、出来ることなら楽しくやる。でなければ損だよ)
その教えはやがてレンへ伝わり、そして両親へ伝わっていた。
再会の町の噴水は、ゲオルクが建てたものだ。噴水のモチーフの竜はアルブレヒトに他ならない。
初代ルゼリア王、ゲオルク――。かつての親友は生まれ変わり、王となり、そして生まれ変わって地球で医師となった。レスティン・フェレスへ到着した彼は漸く眠りについたのだ。
『噴水は綺麗だった』
『アルブレヒト?』
『なあ、黒龍。信頼のその先に在るものが何であるのか、お前は知っているか?』
「アル、対話は無理だと……」
レオポルトの言葉を遮るように、アルブレヒトは続ける。
『お前はその信頼が何なのか、わからないんだ。だから、不安なんだ』
『黙れ……。恵まれたお前に、何がわかる!』
『俺は恵まれてなんていない。レスティン・フェレスで生まれ変わった俺は皇族だったが、何の力もなかった。暴走して、レンを焼いただけだ』
『アルブレヒト……』
『地球で生まれ変わった俺には、更に何もなかった。母親も守れず、軍人として同じ軍人や罪のない人々の命を奪うだけだった』
手に取るように覚えている。銃を撃った瞬間を、切り刻んだ瞬間を。
『そんな俺には、信頼できる友がいた。それがお前にはなかっただけだ。友人は初めから恵まれていたから出来るものじゃない。本人の心次第なんだ』
『…………』
レンはもう何も言わない。静まり返ったまま、アルブレヒトと黒龍を交互に見つめていた。それは、ルクヴァやコルネリアにとっても同じ事だった。二人はレンを、アルブレヒトを信頼している。
そして、それはレオポルトとマリアにとっても同じことった。
『だから何だというのだ。人間は愚かだ。いつまでも争い続け、奪い合う事しかしない』
『そうだよ。罪は償わなきゃいけない。人間もそうだけれど、黒龍。お前もね』
レンの言葉に、黒龍は笑みを浮かべた。どす黒い感情が露わとなる。
『そんな彼らに愛着を感じ、愛しているのがケーニヒスベルクであり、レンだ』
『…………黙れ』
『そんなレンを、俺は愛している。信頼しているんだ。だから、お前もレンが好きなら……』
『黙れと言っている!』
黒龍の爪が瞬き、アルブレヒトを襲った。それは轟音を鳴り響かせた。
白銀の髪を靡かせ、ツインテールの女性がその爪を斧でもって受け止めた。その白銀の女性は、レンではない。
「アルベルトに何するの! 黒龍!」
『ふ、フリージア……⁉』
白銀の女性は斧を構えると、黒龍へ跳躍し一撃を咬ました。衝撃で黒龍は数歩後ずさりした。
「何してるの、アル! アルベルト! しっかりしてよ!」
『フリージアか!』
「そうだよ、フリージアだよ! アルベルトお兄ちゃん!」
フリージアと呼ばれた女性は浮遊しながら、再び斧を構えた。その腕には紫色のリボンが結ばれている。フリージアはそのままの体制で、視線をレンへと移すと、一気に表情を崩した。そして――。
「ティニア様! 遅れました! 会いたかったです!!!!」
フリージアは九尾の姿のレンの首元に抱き着くと、顔を埋めた。嬉しそうなフリージアを前に、レンは目を丸くしたまま呆然と立ち尽くしていた。
幾多の時を経て全てが再び相まみえ、交錯する。
次回、「暁の草原」 第14環「金色の真実」
ふふふん、ボクは物理法則を超えるからね。一世一代の大嘘さ!
そしてレンは微笑み、咆哮する――――‼